6-2

 諍う声を耳にしたのは、王の容態急変を知らされた直後のことだ。

 マツバ姫は王宮へ出向く身支度のために部屋に入り、アモイも準備を始めようと、邸内の廊下を早足で歩いていたところだった。

「ここは、おまえみたいなのが来るところじゃない!」

「黙ってやがれ、このガキ!」

 廊下を引き返し、声のするほうへ進んでいくと、玄関先に人影が見える。

「俺は呼ばれたから来てやったんだ」

 割れ鐘のような声で怒鳴る大男。むさ苦しい髭面に粗末な身なりをしているが、歳は三十半ばほどであろうか。

「嘘をつけ。おまえなんかを、誰が呼ぶもんか」

 盛んに言いたてているのはユウだ。マツバ姫に買い与えられたという笛を脇差のように帯に挟み、足を開き、仁王立ちになって、倍の身長はあろうかという相手を見上げている。その後ろ姿には、番犬のような勇ましさが満ちていた。

「てめえのほうこそ、何だってこんなところにいやがるんだ。ここはどこだかの偉いさんの屋敷だってえじゃねえか。ガキが何してやがる」

「何って……」

 ユウが一瞬、言葉に詰まる。

「とにかく、とっとと帰れ!」

「ああ、いいぜ、帰ってやるさ。俺だって別に来たくて来たわけじゃねえや」

 そう言って男が背を向けたところへ、待て、とアモイは呼びかけた。

 その声に、はっとしてユウが振り返る。やはり怖くはあったのだろう、張りつめた顔に安堵の色が浮かんだ。

「ユウ。ここは引き受ける。中へ入っていろ」

 勝気な少女も、ここは大人に譲るべき場と心得ているのだろう。何か言いたそうな表情ではあったが、口を閉ざして退いた。玄関から廊下へ上がったあたりで、こちらの様子をうかがう気配だ。

 アモイは玄関の前へ出た。男は帰るのか残るのか、中途半端な体の角度で待ち受けていた。

「あんたは下僕じゃなさそうだな。ここの番頭か何かか? まあ何でもいい、とにかく話のわかるやつならいいんだ。俺は帰る、そう伝えとけ」

「伝える? 誰にだ」

「知らねえよ。俺をこんなところまで呼びつけて、長々と待たせやがった野郎さ」

「まあ、まずは話を聞かせてくれ」

 ちっ、と男は舌打ちをしたが、それでもひととおりの事情を話した。

 曰く、男が呼び出されたのは、橋場はしば市街いちまちの外れにある行きつけの酒場で、いつものように一杯引っかけていたところだった。いきなり使者が現れて、主人が会いたがっているのでついてきてほしいと告げたのだ。最初のうちは、用があるならそっちから来いと伝えろ、と答えるだけで取り合おうとはしなかった。が、使者はまったく動じずに、同じ言葉を繰り返すばかりだった。

──ここの酒代を払わねえうちは、親爺が店から出してくれねえんだ。ところが俺ァ今、持ち合わせがねえのさ。

 男がうそぶくと、使者は躊躇なくその代金を支払った。今までツケにしていた分までも、すべて肩代わりした。主人からそう仰せつかっている、と使者は言い、重ねて同行を乞うのだった。

 そうまでされてはと、男は用件も聞かず、行き先もよく確認せずについてきたのだと言う。

 言葉を交わしてみれば、粗暴な物言いが率直に響き、横柄な態度の中にも、どことなく人の耳目を引きつける磁場がある。なるほどマツバ姫が気に入りそうな人材かもしれないと、アモイは思う。

「おまえを召したかたは、火急の用ができて、これから外出しなければならなくなったのだ。そのために行き違いが生じたのだろう。待たせてすまなかった」

 ひとまずそう伝えると、相手は拍子抜けしたといった面持ちで肩をすくめた。

「で、その外出から、いつ戻るんだ」

「それは何とも言えんな」

「へっ、これだから侍なんざ信用ならねえ」

 男が毒づいた。だが、本当に腹を立てているという様子でもない。

「なら帰らせてもらうぜ。ここまで出向いたんだ、酒代の義理は果たしたろ。もうこの次はいくら積まれたって来てやらねえからな、そう伝えろ」

「短気を起こすと、おまえが損をすることになるかもしれんぞ」

「何だと?」

 男が目を剥いた。が、すぐに顔色を変えて、呆気にとられたような表情になる。

 アモイは男の視線を追って振り返った。するとユウの横に、いつの間にかマツバ姫が立っていた。平生の活動的な装いではなく、白を基調とした外出着をまとい、長い髪は束ねずに垂らしている。両耳には、小さな銀の環が揺れている。

「バン。よく来てくれた」

 男は返事も忘れ、姫の頭頂から足先までを無遠慮に眺め回していた。やがて、低く唸るように、

「なんでえ……あんた、女だったのか。道理で……いや、けどよ」

 歯切れの悪い調子で、そんなことを言った。そして最後には、頭を掻きながら、「たまげたな」と、溜め息交じりにつぶやいた。

「そう言やあ、西の城の姫さまは、とんでもねえ男勝りだってえ話を聞いたことがある。ってえことは、つまり、そういうことか?」

 マツバ姫は履き物を履いて、いつになくゆっくりと近づいてきた。アモイに一瞥をくれてから男の正面に立ち、「わたしとそなたは、初対面だが」と前置きをした。

「さる旅の剣士から、そなたの話を耳にした。なかなかの豪傑だそうだな。そして、場の空気を変える力がある。将に向く器だ、と」

「へっ。旅の剣士か。確かに、そんなことを言ってるやつもいたっけな。城に仕える気はねえのか、とか何とか」

「迎え入れる城がないと、そなたは申したが」

「用ってのはそれか。本気で俺を雇おうってえのかい」

「いや。こたびは、わたし一人の頼みを聞いてもらいたくて呼んだのだ」

「ふん」

「耳を貸す気はあるか?」

「そうすりゃあ、後々は西の城に召し抱えてくれるって寸法かい」

「さあ、それは、約束はできぬ」

 マツバ姫はそう言って、またアモイの顔を見る。

「わたしは今や城主ではない。だが、推挙する程度のことはできよう」

 男はしかし、仕官の話には、それほど執着を見せなかった。後頭部を掻きながら野良犬のように唸っているが、どうもあまり考えこんでいるようでもない。姫の顔から視線を逸らし、薄曇の空にさまよわせる。そうして勿体つけた末に、「まあ、聞くだけは聞くさ」と答えた。

「もちろん、タダってことはねえんだろ」

「報酬ならば望みのままを申すがよい」

「先払いか?」

「そのほうがよいのならば」

「だったら、そうだな」

 男は一瞬、躊躇したかのように唇をなめた。が、すぐに、「窪沼くぼぬまに」と言葉を継いだ。

「――と言っても、東原とうげんの端くれにあるチンケな村だ。お姫さんは知らねえか」

単巌ひとえのいわの麓であろう。襲堰かさねぜきよりいくらか北だな」

「そうだ、そのド田舎の掘っ立て小屋に、女が住んでる。婆あとガキ二人と一緒にな。ちっぽけな畑をやりながら暮らしてるんだが……。そいつらを食わせてやってくれるってえなら、いいぜ。どんな仕事だって」

「そなたの家族か」

「へっ、家族か。まあそう言ってもいいが、向こうが断るだろうよ。何しろ、あいつらを置いて都へ出てから何年も経ってる。最後に見たとき、下のガキはまだ乳を吸ってた。ああ、いけねえ、こいつは余計な話だ。ともかく、そいつらを当分――せめてガキが二人とも嫁に行くまで、面倒を見てやってほしいんだ」

「二人とも娘か」

「ああ」

 マツバ姫の表情が曇った。

「もし、これを引き受けたなら、嫁ぐ娘を見届けることはかなわぬかもしれぬ。危険な仕事だ」

「だろうな。だからこんな条件をつけるのさ。ヤバイ仕事なら慣れっこだ、お姫さんには話せねえ稼業をいくつもやってる」

「覚悟はできていると?」

「どのみち、生きてたって、二度とあいつらに会う気はねえんだ」

 マツバ姫がこの男に何をさせようとしているのか、アモイは聞かされていない。しかし西府さいふに控える精鋭を差し置いて、この一庶民を使うというからには、公の軍では支障のある相手に一戦を仕掛ける腹に違いなかった。

 彼女の人選眼が狂ったためしはない。姫がこの男を信用できると踏んだなら、アモイは疑問を差し挟むつもりはなかった。

 窪沼の出身なのか、と、不意にマツバ姫は話題を変えた。橋場で日銭を稼ぐようになるまで三十年、東原の各地を転々としてきたと、男は答えた。おかげで方々へ顔が利くようになったと自慢するが、もちろんあまり柄のよい連中ではあるまい。

「なおさら都合がよい」

 マツバ姫はつぶやくように言った。

 かたり、と音がして振り返ると、ユウが慌てて廊下に転がった木笛を拾うのが見えた。鍔も反りもないものをそのまま帯に挟んでいたので、ずり落ちてしまったのだろう。

 童女は赤面して、邸内へ駆け去っていく。残った大人三人、顔を見合わせて笑った。

 その後まもなくして、西陵城主とその新妻は王宮に急ぎ向かった。そのころには、バンと呼ばれる男の姿もまた、どこかへ消えていた。

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