第6章 招かざる客

6-1

 マツバ姫が戻ったとイセホに知らされ、すぐにアモイは奥の間へ向かった。

 新妻はすでに着替えを済ませ、何食わぬ顔で茶を啜っていた。が、頬にはまだ、外気の冷涼を匂わせる赤みがある。

「おお、我が夫君ではないか」

 アモイの顔を見るなり、姫が先手を打った。

「紅葉はいかがでしたか」

「うむ。あまり美しいので時を忘れてしまったぞ」

 精いっぱいの皮肉に、マツバ姫は堪えた様子もない。しかたがない、無事を確認して安心してしまった以上、アモイの叱責に迫力はなかった。

「お留守の間に、ムカワ将軍がお見えですよ」

「ムカワが?」

「改めて直に祝いを述べたいと、半刻ほど前に。今、酒食を出してお待ちいただいています」

「そうか、すぐに行く。ところでアモイ、王宮みやから何か知らせはなかったか」

 相変わらず、マツバ姫の勘は冴えている。アモイは内心で舌を巻きながら答えた。

「実のところ、将軍は、そのことで見えたのです」

 二人は連れ立ってムカワ・カウンのもとへ向かった。正直、二日酔い気味のアモイには、大酒飲みの将軍に差しで付き合う自信がない。マツバ姫が戻ってきたのは、まさに渡りに舟であった。

 ムカワ将軍は膳の前で独り、手酌で飲みながら待っていた。アモイとマツバ姫が姿を現すと、立ち上がって出迎える。屈託のない笑顔で姫の手を握り、改めて婚儀の祝いを述べる。明朗な声が、部屋に響いた。

「昨日はああいう場ゆえ、声をかけるわけには参らなんだが、まことに輝かしいお姿にござった」

「こたびは婿の父の代役、よく引き受けてくれた。おかげで心強かったぞ」

「何の。姫もアモイどのも、わしにとっては家族も同然。とは申せ、王家の祝言に役を得るなどとはまたとない栄誉、恐悦至極にござった」

 五十を間近に控えた武官は、いつしか随分と髷の小さくなった頭を下げた。

 アモイと客人が向かい合って座り、その間をマツバ姫がつなぐ形で、三人は改めて杯を交わした。

 薄青の上衣うえぎぬに黒い帯を締め、馬上袴を身につけた将軍は、無駄のない引きしまった体つきをしている。身長はそれほど高くないが、肩幅は広く、堂々とした体躯の持ち主だ。マツバ姫の剣の師匠だが、剣術のほかにも、様々な格技を会得している。代々の武門の生まれだけあって、根っからの闘士である。

 だが顔を見れば濃い眉の端が下がっていて、どことなく人懐こさを感じさせる愛敬もある。そこが甥とは大きく違うところだ。

「あの偏屈者はうまくやっておりますかな。相も変わらず、小難しい顔をして歩いておるのではないか」

「フモンならば、偏屈にますます磨きがかかっている。近ごろでは、話をするにも通訳がほしいほどだ」

「あれは幼いころから、親戚の中でも異彩を放っておった。能はあるのだが、どうも癖があっていけない。あのまま都におったら、出世は望めなかったでしょうな。姫に拾っていただいたこと、感謝せずばなりますまい」

「縁というものであろう。将軍がフモンを連れてきたのは、我が城にとっても幸いであった。なあ、アモイ」

「はい。今や西の城は、甥御どのなしには立ち行きません」

 アモイは本心からそう答えた。留守居をしているムカワ・フモンの、しかつめらしい顔を思い浮かべる。なるほど、上役への世辞やら同輩との馴れ合いなどと無縁の男は、他の城では損をするものなのかもしれない。

 実は一度だけ、ムカワ・フモンの妻に会ったことがある。公宅の近くを通りがかったときにたまたま行き合い、向こうから声をかけられたのだ。ふくよかな体型で話好きな、夫とはまた正反対の奥方だったが、彼女も同じようなことを言っていた。マツバ姫は夫婦の人生を好転させた大恩人で、だからフモンは何があっても生涯、主君に尽くすつもりでいるのだと。

──ああいう人だから、とてもそんなふうには見えないでしょうけれどねえ。

 けらけらと笑う夫人に、夫婦の相性とはこういうものなのだろうかと、妙に納得したのを覚えている。

「そう言えば、フモンから便りが来ていたのであったな」

「はい。ご命令どおりタカスを派遣し、峠に待機させたと」

 アモイは懐から書状を取り出した。几帳面に整った文字が等間隔で配置されたそれを手渡すと、姫は同じところに目を留めたのだろう、苦笑しながら受け取る。

 当初の予定どおりならば、西陵せいりょうへは明日に出立するはずだった。新郎新婦とその親の代理であるイノウとムカワ将軍、披露宴への参列者一同が、都から西へ大移動する手筈になっていた。

 その過程でテイネの御方おんかたが何かしらの企みを実行した場合に備えて、途中にタカスの騎馬隊を控えさせた。もちろん名目上は、西府さいふからの出迎えの隊である。

 ところが、今日になって事情が変わった。四関しのせきからの早馬が王宮に、思いがけない知らせをもたらしたためだ。

「その騎馬隊、いっそこちらまで呼び寄せることにしよう。ムカワ将軍、万が一のことがあれば、都の護りに使ってくれ」

「おう、タカスの力を借りられるとあらば心強い。何しろあの貴族上がりの総督、いざという時に兵をどう動かすつもりかわからぬからな」

 ミヤノ総督が戦知らずであることを揶揄しているのか、それともテイネの御方の息がかかっていることを懸念しているのか、どちらとも取れる言い方でムカワは言う。

「しかし一体、美浜みはまは何を企んでいるのでしょうな。今になっていきなり、慶賀の使者を寄越すなど」

「さてな……」

 マツバ姫は首を傾げた。

 早馬で伝えられた情報とは、まさにそれであった。美浜の使者が前触れもなく国境に姿を現し、山峡やまかいの一の姫君のご成婚祝いを都まで届けたいと慇懃に告げたというのだ。

 使者は荷馬車と人足、それを守るためのごく少人数の兵しか連れていなかった。四関で積み荷を入念に調べても、緞子や金冠や真珠といった贈答品のほかに怪しむべきものはない。使者はあくまで協力的で、どんなに疑ってかかっても不快な顔一つしなかったという。

 形ばかりとは言え、一応は同盟国である。である以上、慶賀の使者の通行を拒む理由はない。知らせを受けた王宮は、見張りをつけるという条件で、入国の許可を発した。都への到着は明後日以降になる見込みで、それを待ち受けるために西府への出立は延期することになったのである。

 しかし、公式に隣国の使者がやってくるなど、ここ二十年以上もの間、絶えてなかったことだ。先代の王のころに戦があり、形ばかりの和議を結んだ後、今上の王の即位にも王妃ユリの葬儀にも、無論シュトクの婚儀にも、美浜からは何の音沙汰もなかった。疑いを抱くのは当然である。

「テイネの御方が絡んでいるということはないのでしょうか」

 アモイがそっと口を挟んだ。

「四関で積み荷をあらためたのは、御方が一の若君のお目付け役に派遣している補佐官でしょう。もしも裏でつながっているとしたら、何を持ちこまれても見ぬふりをするはず。見張りとて当てになりません」

「さて、ありえぬ話ではないが……」

 釈然としない様子で、姫は言葉を切る。継娘を売り渡すためにテイネの御方が隣国と密書を通じていたのは確かだが、その企みが頓挫してからは、連絡を取り合っている様子は見られない。八方に細作を送りこんで集めた情報から、そう判断しているのだ。

 問いを呈してはみたものの、アモイも内心では、御方と隣国の間にそこまでの癒着があるとは思えなかった。彼女が欲しているのは邪魔なマツバ姫を除いてシュトクを王に立て、さらにハルをその後釜に据えることだ。美浜に国を乗っ取られては、本来の望みが叶わなくなる。それがわからないほど蒙昧ではあるまい。

 夫婦が互いに黙ったのを見て、ムカワ将軍が口を開いた。

「姫君は、此度の使者の人物をご存知か」

「いや。名のある者か」

「ヒヤマ・ゼンと申して、美浜の若殿の右腕と呼ばれる男らしい。幼きころより公子の側近くに仕える、つまり腹心ですな」

「公子クドオが片腕……。たかが荷物運びにか?」

「さよう。アモイどのの言うとおり、どこかきな臭い。しかしまた、御方と内応して何か事を起こすにしては、人選が不釣り合いでもある」

「確かに、捨て駒に使う人材ではなさそうだ。してみると、公子直々の密命でも帯びて、何か探りに来たというところかもしれぬ。かの国は今、我が国よりもむしろ、北に矛先を向けようとしているらしいからな」

北湖国きたうみのくにに?」

「噂ではな」

 マツバ姫の拾ってきた噂が、ただの噂で終わったことはほとんどない。長く美浜に従属してきたという、山脈の向こうにある国交のない隣国について、アモイは思いを巡らせた。地図でしか知らない国ながら、そこが美浜の手に落ちたなら、山峡国やまかいのくにとしても決して安閑としてはいられない。

 そんな折に、この都に向かって荷馬車を転がしているという慶賀の使者。病床にいる王に代わって謁見し、祝いの品を受け取るのは、当然アモイの役目になるだろう。

 杯を重ねるマツバ姫の横顔に、深刻な色はなかった。隣国の思惑については警戒しながらも、国内の情勢に限って言えば、これを好機だと考えているに違いない。他国の人間の前で、王の名代を務める——アモイの存在感を世上に知らしめるには、確かにまたとない機会だ。

「その使者、この館の離れに泊まらせるとしよう」

 しばらく黙っていた姫が、そう言った。アモイは少し驚いたが、考えてみれば、監視するのに最も都合がよいのは間違いなかった。

「すぐに部屋を用意させましょう。誰か、接待の者もつけなければなりませんね」

「それなら、ちょうどいい。タカスの騎馬隊に、テシカガがついてきている」

「テシカガが?」

「表向きは、披露宴の出迎えの隊だからな。来賓のもてなしに武骨者だけでは不案内であろうと、フモンが気を利かせた。あやつをここに呼んで、使者の接待をさせればよい」

「しかし、相手は敵国の重臣。テシカガで大丈夫でしょうか?」

 緊張で蒼白になったテシカガの顔が目に浮かんできて、ついアモイは疑問を口にした。マツバ姫はくっくっと笑い、ムカワ将軍も大笑いした。

「それよ。そなたやタカスはすぐに美浜を敵と言う。相手の腹を探ろうとする。テシカガぐらいのほうがちょうどよいのだ。何しろ人当たりのよさは、あやつの強力な武器だからな」

 それからマツバ姫と将軍は西陵城での昔話に興じながらしたたか飲み、客人が帰るころには日も暮れていた。延期した披露宴の日取りは改めてイノウに相談すること、しかしいずれにしても、そう先に延ばすつもりはないことを、最後に確認して別れた。

 ところが、目論見は外れることになる。西府での披露宴は、そのまま中止せざるを得なくなったのだ。

 何となれば、このまさに翌日、新婦の父親がいよいよ危篤に陥ったからである。

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