第4章 枷か翼か

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 紅葉の色づきと競うかのように、婚礼の準備は早急に進められた。

 王女の婿取りともなれば、それにふさわしい厳粛な礼式と盛大な宴が開かれなければならない。のみならず、今回の婚礼には、姫婿の名を国中に知らしめるという意図もある。それだけ賑々しく、人々の目に印象づける必要があった。

 そこでマツバ姫は、都で婚礼の儀を、西府で披露の宴を、それぞれ執り行うことを決めた。二度手間をかけることになるが、巻きこむ人数が増えるほど、この虚礼には意義があるのだ。

 忙しい秋だった。結婚式の支度そのものは、マツバ姫の企画に沿って事務方が着々と調えていったが、アモイにはアモイのなすべきことがあった。生活の劇的な転機を迎えるために、心の備えだけでは不足で、雑事とも言うべき様々な用務をこなさければならなかったのである。

 たとえば、城内に居を移すため、城下に下賜されていた邸を引き払うこと。親衛隊長の後任を人選し、引き継がせること。詰め所の棚に溜まった私物を片づけること。衣服を新調するために寸法を測られる間、じっと立っていること。ムカワ・フモンとの会話に慣れること。故郷の母に手紙を書くこと。

 四関にほど近い田舎町に住む母は、息子の突然の婿入り話を聞いて、衝撃のあまり飯が喉を通らなくなったらしい。無理もない、七つ下の妹のほかに兄弟のいない息子は、どう転んでもアモイ家の惣領であるはずだった。いかに名誉な縁組みでも、手放しで喜べるものではない。

 アモイ自身、それについては胸を痛めぬわけではなかった。しかし、母の代わりに筆を執って返信を寄越した妹は、打って変わって兄の縁談に乗り気であった。

「わたくしが婿を取って、アモイ家を絶やさぬようにします。心配は要りません」

 簡単でもないことを簡単に書いて、その後の筆跡は少女のように浮かれる心をそのままに表していた。

「兄上が西の城のお姫さまとご結婚なさるなんて、これほど素敵なお知らせはありません。いつかこのような日が来ればよいと、わたくしは思っていたのです。何しろ兄上は、いつもお姫さまのことばかりお考えでしたから。ああ、わたくしはお姫さまの義妹いもうとになるのですね、何と素晴らしいことでしょう」

 アモイは十七歳の娘の他愛ない夢を、苦笑しながら読んだ。

 他にもアモイの前にはやるべきことが山積し、考えるべきことが山脈のように連なっていた。しかしそれにも関わらず、どうしても気にかかる二つの疑問に、アモイはふと手を止めてしまうのだった。

 一つ目の疑問を、あるときマツバ姫に打ち明けてみた。

「ボロ布をかぶった老人……?」

 姫は首を傾げた。

「妻を娶って出世すると、そなたに予言したと申すのか?」

「偶然だとは思いますが」

 とは答えたものの、内心、偶然にしては妙だと感じていた。マツバ姫から縁談を切り出されることになった、まさにあの日、丘の上で巡り会った老人。不気味に赤く光って見えた眼。どうにも気味が悪くてしかたがない。

 姫はしばし、何かを思い出そうとするように宙を見つめていた。が、やがてあきらめたように肩をすくめ、「会えるものなら、何を思ってさようなことを申したのか、詳しく聞いてみたいところだが。もっとも聞いたところで、毒にも薬にもなるまいよ」と笑うにとどめた。彼女は昔から、占いやお告げの類は信じない性質たちなのだ。

「ところで城主の印の受禅だが、都に上った折に、王宮みやの諸官を一堂に会して行うことにした。祝言と同様、御家老に陛下の名代をお務めいただこうと思う」

「承知しました」

「まったく面倒でかなわぬな。逐一、大仰に催さねばならぬというのは。それ、こうして手渡せばそれで済むものを」

 そう言ってマツバ姫は、黒檀の文机に置かれた蒔絵の小箱から、柔らかな絹に包まれたものをつまみ上げた。開けば、おおとりの彫刻の施された西陵城主の印が現れる。アモイはまもなく自らの手に握ることになる権力の証を、複雑な思いで見つめた。

 姫にとってそれは、自由の象徴であった。都にいれば深窓に籠められ、身動き一つできずにいたはずの王女が、己の振る舞いを己で決めるための免状──。それを我が手に奪うというのは、目的あってのこととは言え、やはりアモイには不本意だった。

おおやけには受禅の儀が終わるまで、これはわたしのものだ。だが、できうるかぎり早く、新たな城主かみとして顔を売っておくがよい。近く、この部屋も明け渡そう」

 マツバ姫はさしたる感慨もなくそう言ってのける。清々しい香気の漂う城主の執務室からは、もはや姫の私物が片づけられつつあった。

 まもなく主君でなくなる相手の横顔を、アモイは黙って見る。そうしていると、もう一つの疑問が腹の底からせり上がってくる。こちらに関しては、とても姫の前で口に出せるようなものではない。

 我々は本当に、つまり名目上ではなく世に言うところの意味で、まことの夫婦になるのか、などと――。

 世をあざむくつもりはない。そう姫がタカスに言い放ったとき、アモイは動揺を面に出さないようにするので必死だった。嘘偽りのない結婚、の中には、祝言の後にやってくる初夜も含まれているのか。

「どうした、アモイ。風邪でも引いたか」

 マツバ姫が小首を傾げて問う。

「いいえ、少し、喉の調子が優れないだけです」

「そうか。道理で、顔を見るたびに咳払いばかりしていると思うたわ」

 そうこうしているうちに秋は駆け足で行き過ぎていったが、どうやら紅葉が散り尽くす前に、婚礼の準備は調った。そのころには、アモイは城主としての務めをすっかり引き継いでいて、あとは官印を譲り受けるばかりとなっていた。

 小雪のちらつき始める中を、新郎新婦は都へ向けて出立した。マツバ姫はいつものように馬には騎乗せず、イセホと共に馬車に乗った。隊の先頭に真紅の装束が見えないと、行進する将兵もどこか物足りなげだった。

 都に着くなり、二人は三月半ぶりに王宮へ参内した。どうやら病状は小康状態にあるらしく、王はシバに支えられながらも、上半身を起こして挨拶を受けた。とは言え、やはり婚儀にも、西陵城主印の受禅式にも立ち会うことは難しそうだ。

 そこへイノウが到着して、名代を命じる旨の念書へ手ずから押印を賜るよう、王に願い出た。もちろん、二人と示し合わせてのことである。

 王はシバから印を受け取り、差し出された念書の上に捺した。節の目立つ手に、ぎょく造りの印章はいかにも重そうだった。

「お役目、しかと承り申した」

 イノウが念書を拝領すると、王は微かな声を発した。その口元へ、シバが耳を寄せる。

「ご老公へ、お渡しするものがございます。しばしお待ちを」

 狸顔がそう言って、病室の壁際へにじり寄る。そこには黄金造りの大剣が一振り、飾られていた。

 山峡国やまかいのくにの始祖、すなわち美浜国みはまのくにからの独立を果たした英雄と伝えられる初代国王ウリュウ・ソウウンから、代々受け継がれている家宝である。

 その宝剣を、シバは恭しく両手に捧げ持ち、王の傍らへ戻った。

「名代の証として、この剣を預けるとの、陛下のお言葉にございます」

「ははっ」

 イノウは深々と頭を下げた。王は小さく頷いている。

 シバはその横で、何やら落ち着かない顔だ。すぐにもテイネの御方おんかたに注進したくて、うずうずしているのだろう。

 アモイはひそかに、マツバ姫と顔を見合わせた。ウリュウ家の宝剣を貸与された名代が臨席するとは、願ってもないことだ。しかし病床について以来、自発的に命を発することなどほとんど絶えていた王が、なぜ急に意思表示を始めたのか。いささか気にかかるところもある。

 もっともそれは、計略を秘めている者の疑心暗鬼に過ぎないのかもしれない。愛娘を想う親心の発露、そう考えれば不自然でもなかった。

 やがて二人はイノウと共に、揃って御前を退出した。

 しばらくは三人とも無言で歩いていたが、王宮の前庭へ出たところで、イノウが口を開いた。

「姫君におかれては、大きなご決断をなさいましたのう」

 白髪の上に冠を頂き、薄色の袍にふたあいのゆったりした上衣を重ねたイノウの身からは、第一線を退いた老人とは思えぬ威風が漂っていた。まして今、その両手には王家の剣が握られている。

「それは老公とても同じことであろう」

 マツバ姫は、立ち止まって振り返った。

「まことを申せば、かくも快く力添えを頂けるとは思わなんだ。八年前、けいはわたしを西府へ置くことに、真っ先に反対なされたと聞いている」

「お恨みを買いましたかな」

「いや。よわい十二の女子おなごを城主に据えるなど、反対せぬほうがどうかしている。あのムカワ・カウン将軍にしても、初めのころは小娘の補佐など御免こうむると散々渋っておった」

 そこまで言うと、姫は意地の悪い笑みを含んでアモイを一瞥し、

「そう言えばそなたも、わたしの護衛を命じられたときは、随分と不満げであったな」

「不満などとは、滅相もない」

「世辞はよい。それに気づかぬほど、わたしは幼くなかった。しかし奥御殿から我が身を解き放つには、都の外に居場所を持つよりほかになかったのだ」

「姫君には城主の重責よりも、継母の君の差配する奥御殿に暮らすほうが辛うござったか」

「辛くはない。が、いつ寝首をかかれるかもわからぬ中で生きるなど、誰しも面白くはなかろう。ゆえに叔父上が死んで西の城が空になったのは、わたしにとって千載一遇の好機であった」

 そう言うと姫は、イノウの持つ剣に目を落とす。古びた宝剣は、まさに八年前、西陵城主に任命した王が腰に帯びていたものだ。

「我が母が亡くなってよりこのかた、陛下は一度としてわたしの望みをお聞き入れなさらなかったことはない。城が欲しいと言えば下さる。婿を取ると言えば、お許しになる。娘としては有り難いかぎりだが、それは一国の主としても、父としても、あるべき姿ではない」

「さように思われながら、八年前もこたびも、願い出をなさったのですな」

「わたしは親心を利用する不孝者だ。しかしわたしがそうしなければ、テイネの御方が同じことをするであろう」

「東の若君の御為に……でござるかな」

 マツバ姫が、はたと足を止めた。アモイも、ぎくりとしてイノウの横顔を見守る。老人は深い褐色の目を細めて、静かに笑った。

「驚かれるほどのこともない。この年寄りも、まだ目明きだということじゃ。……ミヤノ将軍の話は、ご存知か」

「先ごろ新たに御本営の総督に取り立てられたとか申す、もと貴族のことか?」

「まことならば、総督にはムカワ将軍が任じられるはずにござった。ところがそこに、横槍が入った。かれのような気骨のある武者に実権を握られては困ると、誰かが裏で糸を引いたのは疑いようもない」

 なるほど、ムカワ・カウンのような男が軍部の最高責任者では、ハルを王座に押し上げることなどとても叶わないだろう。だからテイネの御方は息のかかった者を使って議論を覆し、シバに王命を捏造させ、傀儡かいらいをその地位に据えたのだ。

「陛下は病篤く、テイネの御方は我が子しか目に入らず、一の若の行状は聞くに堪えぬありさま。このまま捨て置いては、我が国は狂気の巣窟となりましょう」

「それが、我らにお力添えくださる理由か」

「この年寄りには、もはや自らの手で未来を変えることはでき申さぬ。できるとすれば、未来を正気の者に託すための後押しぐらいのものじゃ」

 三人はすでに、前庭の端まで来ている。目の前に門があり、イノウの家人たちが馬の轡を取って待っているのが見えた。

 老人は二人に向き直り、別れを告げた。次に会うのは西陵城主の授禅式、そして二人の祝言の日。預かった王の剣を身につけ、姫の父親代わりとして再会することを約して、身を翻す。 

 その背中に、マツバ姫が「老公」と呼びかけた。

「一の若が奥御殿で猫や小鳥をあやめて遊んでいたころ、わたしは庭に咲く美しき花々に刃を振るっていた」

 イノウが、訝しげな顔つきで振り返る。マツバ姫はまた悪童のような笑みを浮かべていたが、眼は笑っていなかった。

「わたしとて、正気とは限らぬ。この身にもまた、狂気の血は流れているのだ」

 老人は衰えたまぶたを幾度かしばたたかせた後、つられたように頬を緩めた。

「姫君には、狂うことなどできますまい。たとえ、狂えば楽と思われても」

 まるで慰めるような口ぶりで言う。そしてアモイと姫の顔を見比べながら、

「こたびのご英断は、まさにその証でござろう。さればこの後、人目につくことは婿どのにすべてお任せあって、奥方としての務めを専らになされることじゃ。さすればお家の乱れを正し、人心を安んずることも叶いましょう。アモイどのも、そのつもりでな」

 二人は頭を垂れて、イノウの背中を見送った。

 しかし老人の有り難い訓示は、理には適っていても、腑には落ちない。アモイはそう思ったが、肝心のマツバ姫がどう感じているのか、表情からはうかがい知れなかった。


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