3-5
「すみません、その、立ち聞きするつもりではなかったのですが」
まるで痴話喧嘩の現場にでも居合わせたかのような、決まりの悪い表情でテシカガは言った。
「つもりではなかった、と言えば、立ち聞きをしたことは認めるのだな」
「いえ、いえ、何も聞こえませんでした。聞こえたのは、甥御どのがどうのというところだけで、しかし内容はまったく……」
泡を食って弁明する割には、聞こうとしていたことを認めてしまっている。アモイは怒る気を失い、隣を見れば、マツバ姫も同様のようだった。
テシカガ・シウロは、五年前からこの城に仕えている。剣を提げてはいるが、実は商家の生まれである。長男として小間物屋を継ぐことになっていたのに、何を思ったか店を弟に譲って武道を志したのが、十年ほど前。道場に通って武官として仕官の口を得ようとしたものの思うようにいかず、進退窮まった末にマツバ姫に拾われたという変わり種だ。
自分は商人に向かないと思ったのが転向の動機らしい。しかし周りからすれば、決して武人に向いているようにも見えない。
何より面構えが、どう見ても修羅場をかいくぐるべき武者のそれではない。いかに筋肉を蓄えても華奢に映る白い腕は、剣より横笛を持つほうが似つかわしいほどだ。
もっとも、無能な男というわけではない。やたら武芸を磨きたがって怪我をする以外には、人に迷惑をかけるような仕事ぶりではないし、親しみやすい性質で、内勤の官としては十二分に西陵城に適応している。ただアモイには、テシカガが自分より三歳年上で、しかも二児の父ですらあるという事実だけは、どうにも解せぬものではあった。
「聞き逃した話を聞きたいか、テシカガ?」
「えっ……」
「口外したならば命はないと知りながら、すべて腹の内に収めて、何食わぬ顔で務めを果たしうるのだな?」
驚かされた代償とでも言うように、マツバ姫はテシカガをからかった。だがテシカガは本気で色を失う。
「いいえ、あのう、遠慮します。申し訳ありませんでした。私はこれで、失礼します」
「待てテシカガ。そなたに聞きたいことがないならば、わたしのほうにある」
「はあ……」
「まず座れ」
テシカガは戸を静かに閉めて、そのすぐ前に、説教でも食らう童のように膝をついた。もっと寄るように言われて、しかたなさそうに、マツバ姫のすぐそばまでにじり寄ってくる。
アモイも傍らに座するのを待って、姫は不意に真面目な顔になって口を切った。
「そなた、こたびの縁組みのこと、知っていたな」
姫の問いに、テシカガは表情で答えた。
「ユウの言うには、女官らが噂していたと。女官らに訊けばそなたの口から、とな。そなたは誰から聞いた?」
「私は――まさか本当の――話とは、思いもよらずに。他愛もない冗談だと思ったもので、つい……」
「誰に聞いた?」
重ねて姫が尋ねる。テシカガは喉を詰まらせたような声で、
「店の者です」
「そなたの実家か」
「はい。今朝、所用があって店に立ち寄ると、奉公人が勢いこんで尋ねてきたのです。城主さまが御親衛のアモイさまと結婚なされるというのは本当のことか、と。何でも、昨日買い物に来た客が、そんな噂をしていったとかいう話でした」
「客というのは、得意の者か、それとも新顔か」
「さあ、そこまでは……ああ、いいえ、初めて見る顔だったと申しておりました。それで私は、そんな話は聞いたことがない、ただの風聞だろうと答えました」
「風聞と思いながら、人に話したのか」
テシカガは黙ってうなだれた。使用人や童子や女官たちに親しまれる性質は、美点と言えば美点である。城下で何が流行り何が話題となっているか、女官たちは知りたがり、テシカガはいつものようにそれに応じただけなのだろう。
しかし、詳しく聞けば、風聞の内容は必ずしも客観的な事実ではなかった。アモイが己の立身のため、側近であるのをいいことにマツバ姫に言い寄ったのではないかという、悪意を含んだ推察が添えられていたというのである。それすら他愛のない冗談としか思わず、女官に伝え聞かせたテシカガの鈍さに、アモイはいささか腹が立った。――もっともその腹立ちも、姫からも厳しく叱責されてひたすら恐れ入る姿を見ていると、まもなく萎んでしまったのだが。
ともかく、この年上の士官が挙動不審だった理由も、諸官の知らない情報をユウが知っていた訳も腑に落ちた。黙って話を聴いていたアモイだが、そこでようやく口を開いた。
「甥御どのの危惧が、当たってしまったようですね。中傷を受ける覚悟はしておりましたが、しかし、噂の立つのがあまりに早過ぎる気もします」
テシカガに助け舟を出す意図もありながらそう言うと、マツバ姫は面白くもなさそうな調子でつぶやいた。
「いかにもテイネどのらしいやり口よな」
「では、やはり御方さまの差し金で?」
「他には考えられまい。そなたを貶めんとして、かような風評を流したのだ」
「陛下のお耳に入ったのでしょうか」
「入っておらぬとしてもいずれは入る。あの
「あのう、お話の途中で恐縮ですが」
二人の会話を、しばらく戸惑いながら聞いていたテシカガが、申し訳なさそうに口を挟む。
「ということはつまり、あの噂は、テイネの
「そうだ。おまえはその策略に、一役買って出たというわけだ」
アモイが答えると、テシカガはもはや完全に度を失って、額を床板にこすりつけて恥じ入った。
もしも道を外れずに小間物屋の店主になっていたなら、客の苦情にこうして応じたのだろう。そう思うと、アモイはつい頬を緩めそうになった。あざといという意味での商人らしさは確かに持ち合わせていないが、本人も意識しない心のどこかに、商売人の気質はしっかり刷りこまれているようだ。
そんなふうに観察されているなどとは思いもよらない様子で、テシカガは姫の前で陳謝を繰り返す。
「もうよい、テシカガ。人の口に戸は立てられぬ。そなたが噂を持ちこまずとも、早晩誰かが持ちこんだのだ」
マツバ姫に言われても、テシカガは顔を上げようとはしなかった。
「私は、甥御どののおっしゃっていた懸念を、現実のものにしてしまいました。甥御どのは、いよいよお二人の縁談に強く反対されるでしょう。私が余計な口を滑らせたために、すべてが台無しにでもなったら……」
「台無しになどなるものか。心配は要らぬ」
「ですが」
「フモンは、急げと言っただけだ」
テシカガの動きが止まった。言われた意味がわからぬというふうに、ゆっくりと顔を上げて、マツバ姫を仰ぎ見る。見下ろす姫は、含みのある笑みを一つ漏らすと、アモイのほうを振り向いた。
「そなたたちは、一体ここで何を聞いておったのだ。フモンがまことに反対するつもりならば、ああして理由を一つ一つ並べたてたりなどするものか」
「はあ」
「アモイ。華燭の前にまず、この城をそなたにやろう。城主として国中に名を馳せ、時が来るまでに、一の若よりも世継ぎにふさわしいことを認めさせるのだ。が、それにはまず、フモンの使いかたに慣れねばならぬな。確かに癖はあるが、あれはわかりやすい男だ。これからそなたが従えねばならぬ
可笑しくてならない様子で、マツバ姫は澄んだ笑い声を立てた。テシカガは相変わらず頭を低くしたまま固まっている。
アモイは黙ってこめかみを掻いた。
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