3-4
その人物が、マツバ姫の衝撃的な報告にもタカスの熱弁にも、眉一つ動かさずにいたことにアモイは気づいていた。
一体、何を思ってこの場の成り行きを見守っているのか。気にはなりつつも、相手は諸官の最前列にいて、まともに正視するには近すぎる。それであえて視線を外していたのだが、彼が自分から口を開いたことで、ようやくその顔に目を向けることができた。
額は狭く頬骨が少し張って、口髭を薄く蓄えた面立ちは、よく見ればやはり叔父に似ているところがある。後頭部に髷を結い上げ、そこから亜麻の紐を垂らしているのがお決まりの装いで、妙に似合っていた。顔の割には幅のある肩に、これも定番の苔色の長衣を羽織り、裾を後ろに流している。閉め切った部屋の中だというのに、わずかの汗もにじんでいないのが、アモイには不可解であった。
「テイネの
ムカワ・フモンは開口一番にそう言った。彼の話し始めは、アモイにとってはいつも虚を突かれるものであった。
「それはテイネどのに問わねばわからぬが」
マツバ姫が答え、さらに訊き返した。
「それが気になるか?」
「先には姫を輿入れすると言い、今となって、姫は配下の者と婚儀を挙げると言う。公の約束ではなかったにせよ、かの国の太子を侮辱したも同然と言えましょう」
「すると、どうなる。美浜が怒って和睦を破棄し、攻め寄せてくるか」
「少なくとも、その口実を与えることにはなる。と同時に、
「ならば、いかがすればよい。わたしがテイネどのの仰せのまま、かの国に人質として参ればよいか」
「そうは申しませぬ」
「では、いかにして、かの国との衝突を避けるべきか?」
「避けることはできますまい。防ぐよりほかは。そしてかの大国の脅威を防ぐためには、ただ一つ、備えることです。こちらに備えありと見れば、美浜と言えど二の足を踏みましょう」
「もっともなことだ」
「とすれば、今、王位を襲うべきは、アモイどのでも
マツバ姫が鋭い眼をもって、ムカワを見た。
「
「つまり、フモンは、我らの結婚には反対だと申すのか」
「さよう。反対です」
ムカワは事もなげに答えた。居並ぶ将官たちの表情が、一瞬にして凍りつく。
「そなたは一の若にこの国を任せるべきだと申すのか。アモイよりも、あの男のほうが王にふさわしいと?」
マツバ姫が問う。横目に見るその横顔は、しかし、声音ほどに厳しいものではない。
「この
「誤解は長く続くまい。アモイの人物を知れば」
「それには時間がかかりましょう」
ムカワが切り捨てるように言い、少しの間が生じた。将官たちは皆、窒息しそうな顔をして、マツバ姫が何と言うか見守っている。
姫はムカワの鉄面皮をしばらく眺めていたが、やがて、「反対の理由は、それだけか?」と、尋ねた。ムカワがまた口を開いて、
「四関の若君の資質に首を傾げる者は、都にもある。中には、かの君に継がせるくらいならば、西の姫君こそを世継ぎに立てるべきだとさえ、言う者があります。我が叔父に会ってこられたのだろう、アモイどの」
と、前触れなく矛先を向けてくるので、この男は油断ができない。
「しかしながら彼らは、かの君のほかならば誰でもよいと言っているのではない。館さまが、先の正室の残された紛れなき御嫡流であるという以上に、西陵城主としてご実績のあるおかたであるからこそ、さような考えが生まれるのです」
嫡男であるシュトクを支持する多くの者と、少数ながらマツバ姫を推す者がせめぎ合っている。そんな中に、突如として降って沸いた婿が割って入ることは無謀だと、ムカワは述べた。
アモイにもその理屈はわかる。マツバ姫を支持してきた者が、皆ムカワ・カウン将軍のように、そのまま婿の支持に回るとは限らない。むしろ、いたずらに分裂の数を増やすことになり、かえって大勢はシュトクに利することにもなりかねないのだ。
「他には」
畳みかけるように姫が問う。
ムカワはさらに答える。仮に首尾よく、臣民も心から承服して、アモイを世継ぎに立てることができたとして、シュトクとテイネの御方はどのような手に出るか。もしも今、国境を固めるシュトクが母の援助のもと内乱を起こしたならば、その先にいる美浜もまた動きだすことは必至である。内と外、二重の敵を同時に迎え撃つことなどできるのか……。
このままムカワに異議を唱えさせておくのは問題ではないかと、アモイはマツバ姫の横顔に訴えた。
ムカワの言葉には重みがある。年齢や地位だけの問題ではない。その鋭い分析力、そして決して血気にはやることのない性格。親しみは感じなくとも、彼が若者ぞろいの城にとって貴重な存在であることは誰もが認めているのだ。そんな男に、居並ぶ将官の前で、自分たちの結婚が百害あって一利なきもののように述べさせておいてよいものか。
「そなたの言いたいことはわかった」
ムカワが黙礼をした。それでようやく金縛りが解けたというように、諸官の口から溜め息が漏れた。
まもなく会合は解散となった。一同、どこかすっきりとしない表情をして、三々五々と退室していく。この妙な空気を作った張本人も、髷から垂らした麻紐と苔色の長裾をなびかせながら、何事もなかったような顔で広間を後にした。
残ったのはアモイとマツバ姫と、そしてタカスだった。
「タカス」
呼びかけたのはマツバ姫だ。
「アモイと腕比べをしてみるか?」
「先ほどは勝手を申しました」
タカスは清々しい笑みを浮かべていたが、いつもより声に覇気がない。
「負ける気はしませんが、館さまがアモイを応援するならば、勝つこともできません。ここはおとなしく退きますよ」
「タカス」
名を呼んだものの、何と言ってよいか惑うアモイに、タカスは白い歯を見せて、
「約束は果たせよ、アモイ。おまえの言うとおり、館さまを不幸にしたら、私の槍が黙っていないぞ」
「わかっている」
「私だけではない。我が城に仕える者すべての代わりに、館さまと一緒になるのだからな」
「わかっている」
もう一度、きっぱりと、アモイは答えた。それを聞くとタカスは頷いて、マツバ姫に礼をし、若者らしく機敏に身を翻して立ち去っていった。
「よい友を持ったな、アモイ。朋友は己の鏡と言うぞ」
「恐れ入ります」
確かに気持ちのよい男ではあった。自分以外の中からマツバ姫の夫を選ぶなら、やはり彼になるのだろうと、アモイも思った。ただしその前に、女子と見れば誰かれとなく声をかける癖を改めさせる必要はあるが。
むせるような熱気のこもっていた室内が、がらんどうになって急速に涼しくなってきた。昼間は相変わらず汗ばむほどの陽気だが、やはり夏は終わったらしい。
マツバ姫は縁側に通じる戸口に立ち、しばし風に当たっていた。が、やがて両手をしなやかに挙げて伸びをし、戸を閉じた。
「イノウ翁は、息災であったか」
「は、お元気そのものでおられました」
「話はできたのだな」
「そのことなのですが、マツバさま。実は老公は、この件で陛下より直々にお言葉を授かった由にございます」
「ほう。どのような」
姫の眼が、鋭く光る。
「我らの縁組みについて明かされ、力添えをするようにとの仰せだったそうにございます」
「それはありがたい。老公の助勢があれば、これほど頼もしいことはない」
「マツバさま」
「何だ」
「あのとき、陛下は何とおっしゃったのですか」
「あのとき?」
「マツバさまも、陛下より直々にお言葉を」
あの病床で、父は娘に何を伝えたのか。マツバ姫はなぜ珍しくも動揺していたのか、アモイは気になっていた。しかし姫は、事もなげに答える。
「こなたを婿を取ること、許すと」
「それだけでございますか」
「それだけだ」
と言われてしまえば、追及のしようもない。
その後はムカワ・カウン将軍とのやりとりを報告し、また流れでその甥、ムカワ・フモンの発言が話題になった。
「先ほど甥御どのの言われたこと、どのようにお思いになりますか」
板張りの床に座ったまま、アモイは姫を見上げて尋ねた。
「フモンか。あれにしては珍しく、
のんきな口ぶりで、マツバ姫は答える。
あまりに見当違いな言葉に思えて、アモイは面食らった。ムカワは無感情かつ冷徹に、客観的な視点から、持論を述べていたのではなかったか。だからこそ姫も反論せず、また諸官も異議を差し挟むことなく静聴していたのだろう。
そうアモイが言うと、
「それはそうだ。フモンは私情で的を外すことはない。だが、やはり立場上、皆よりも先に聞いておきたかったのであろうな。口調に険があったわ」
ムカワの口調が厳しいのはいつものことと思っているアモイに、姫の洞察はピンとこない。
「……しかし、いずれにしても、甥御どのはこたびの縁組みに反対されました。甥御どのの賛同が得られないとなると、何につけても不都合ではありませんか」
「反対? フモンは反対などしておらぬ」
「ですが、確かに、皆の前で……」
言いかけて、アモイは口をつぐみ、立ち上がった。
マツバ姫も、木戸の向こうに、聞き耳を立てる人の気配を感じたらしい。戸口を振り返ると、「聞きたいことがあるならば、入って聞け」と、研いだばかりの刃のような声で命じた。
少しの間があって、そろそろと戸が滑りだす。姿を現したのは、陶磁のような白い顔をした痩身の男だった。
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