3-3
テイネの
そうと知ったときの諸官の、今にも都へ攻め上らんばかりの憤りようは、アモイが初めてそれを聞いたときと寸分違わぬものだった。そして、一の若君・シュトクに対抗すべく、いよいよ姫が動く決意をしたことには、誰もがさてこそと膝を打った。
だが、そのためにマツバ姫がアモイを婿に取り、国を継がせようというのは……。どうにも姫らしくない考えかただと思ったのだろう、どの顔もすぐには納得しかねるという様子だった。
「女子であるわたしが立てば、かえって国は揺らぐ。だが一の若が立ったにしても、隣国の脅威から我が国を守ることはできまい。二人の長子がいずれも惣領として不具合であるならば、具合のよい者を長子に迎えるよりほかにないではないか。アモイが我がウリュウの家に入れば、陛下の子の中で最も年高となる」
ここでも姫は、ハルの名を出さない。
「恐れながら……ウリュウ家の御嫡流にあられる一の若君を差し置いて、陛下がアモイどのをお世継ぎとお認めになりましょうか?」
一人の将が尋ねた。マツバ姫はそれに対し、
「一の若が元服して幾年経つ? 陛下が今に至るまで、世継ぎをはっきりと定めずにこられたのは、あの男に後を任せることに気が進まぬからではないか」
「それはそうでございましょうが……」
「いかに病みつかれておられようとも、今このときにわたしが婿を取ることが何を意味するか、おわかりにならぬ陛下でもあるまい。それをお許しになった以上は、テイネどのとは異なる思惑がおありになるはずだ」
座は再び静まり返った。いずれの者も、最初の衝撃こそ薄れたものの、どこか釈然としない顔つきをしていた。
アモイは内心では居たたまれぬ気分を抱えつつも、平然とした態度を装って、黙りこんだ諸官の顔を見渡していた。その中でふと目に留まったのが、部屋の片隅でどこか場違いな、落ち着きのない表情をした青白い頬。テシカガだった。
会議に出席するとき、彼はいつも末席にいる。年齢構成で言えば、この城の中ではさほど下のほうでもないのだが、たくましい将官たちの間でどことなく青二才然として見えるテシカガは、端にいるのが似合っている。もちろん、発言をしたことなどはなく、いつも路傍の石のようにただそこにいて、おとなしく話を聞いているだけだ。
そのテシカガが、今日はどこか様子が違った。まるでいたずらを見咎められそうになったときの子どものような視線をさまよわせ、それがアモイの目とかち合うと、何か言いたげに唇を開いた。しかし、すぐに困ったようにうつむいてしまう。
気になってそちらを見ていると、視界の隅に、別の人物が立ち上がるのが映った。
「一つ、お聞かせ願えますか」
不意に沈黙を破ったその若武者に、全員が注目する。
「タカスか。何を聞きたい?」
「
汗だくの練習着から清潔感ある縞の
姫もまた、相手の眼差しををまっすぐに受け止め、答える。
「我が婿として陛下にお引き合わせするに、ふさわしき者と思ったからだ。そなたには異議があるか?」
「私とて、アモイどのの才幹はよく存じております。館さまへの忠義も疑うところはありません。ですが」
「何だ」
「無礼を承知で申せば、アモイどのが館さまの傍らにあっても、我らにはとても
そこで初めて、タカスはアモイの顔を見た。アモイは頷くわけにもいかず、黙って朋友の目を見返すだけだ。
「館さまは、この縁組み、一の若君を王座から遠ざけるための方便としてのみお考えなのですか。それともまことに、生涯をアモイどのと共に過ごされるおつもりで?」
当然と言えば当然の質問に、アモイはヒヤリとして、隣に座るマツバ姫の横顔を盗み見る。
姫は平然と、かつきっぱりと断言した。
「無論、わたしには、偽りの祝言をして世をあざむくつもりなどない」
「だとすればなおのこと、腑に落ちません。私はアモイどのの人物をよくわかっている。アモイどのが館さまを思うのは、あくまで主君としてでございましょう。妻としてではありますまい。館さまは、そのような結婚をまことにお望みなのですか」
「望みは我が国を守ることにある。タカス、そなたにはそれが不満か」
「私が申し上げたいのは、お相手がアモイどのでなければならないのかということです」
「と言うと?」
「館さまを妻として慕い、生涯お守り申すのが、私であってはならないのでしょうか」
一同は呆気にとられて、この若者の苦みばしった顔に見入った。
アモイとて例外ではない。タカスとは長い付き合いだが、このようなことを言い出すとは考えもつかなかった。
タカスは、自他共に認める多情な男だ。しかし一方では、どの女にも深入りしないようにしている節もないわけではなかった。城内の女官にも城下の小町娘にも気安く声をかけるが、本気で惚れている気配は感じたことがない。女子を口説くのは挨拶のようなものだと、本人がいつか話していた覚えがある。
だとすれば、今、彼がマツバ姫に語ろうとしているものは何なのか。よもや「挨拶のようなもの」ではあるまい。
アモイは改めて、一歳年下の友の顔を見上げる。
「館さまが国をお思いになるならば、私は館さまを思い、そのためだけにこの命を捧げます。アモイどのには悪いが、私には自信がある。もしもお許しがあれば、今ここでアモイどのと勝負を決してでも、この決意をお見せしたい」
「タカス」
思わずアモイは腰を上げた。
「本気で言っているのか」
「本気だとも。剣でも、槍でも、弓でも、何でもかまわん」
かつて道場で竹刀を手にそうしていたように、二人は向かい合って立ち、互いの目をまっすぐに見据えた。
不意にアモイは、己の心の内で、重い塊がゆっくりと動きだすのを感じた。錆びた錠前に差した鍵が軋みながら回り、ついにカチリと音を立てるのを聞くようだった。あの求婚の日以来、ずっと胸にわだかまっていたものが、洗い流されるように消えていく。
「受けて立とう」
知らず、アモイは答えていた。タカスは強い眼差しをこちらに向けたまま頷き、二人は外へ出ようと足を踏みだした。
「控えよ。両人とも」
制止したのは、マツバ姫だ。二人は立ち止まり、主君を振り返る。
「もしも――アモイにわたしと結婚しえぬ都合があれば、タカス、そなたを我が夫に選んだかもしれぬ。だが、己に婿が必要と知ったとき、わたしは誰より先にまずアモイの名を思った。こればかりは動かしようのない事実だ」
タカスは神妙な面持ちで黙っている。
「確かにそなたの申すとおり、夫婦の情ではないかもしれぬ。それでもやはり、この任を託すのはアモイよりほかにないと、わたしは思った。タカス、これ以上の理由が要るか?」
「いいえ」
短くそう答えると、タカスはもう一度アモイを見た。それから、静かに膝を折って座に着いた。
将官たちの視線は、まだ立ち尽くしているアモイへと集中した。
「マツバさま。恐れながら、私からも一言、よろしいでしょうか」
そうアモイが発言の許しを乞うと、姫は少し意外そうに眼を見開いたものの、すぐに笑って頷いてみせた。
諸官の顔を見渡して、彼は大きく息を吸った。
「皆の気持ちは、よくわかっているつもりだ。私が皆の立場であれば、同じことを考えていたと思う。マツバさまがもし夫を迎えるならば、聡明高潔この上ない貴人でなければ、と。私のような一介の将ではなく、世にまたとなき英雄であるべきだと。しかし、」
実を言えば、人前で話すのはあまり得意なほうではない。だがもはや、そんなことは言っていられない。そう腹を据えると、言葉は意外にも途切れることなく湧いてきた。
「しかし、我らがマツバさまにふさわしき者など、そもそもありはしないのだ。考えてもみよ、一体誰の名を挙げれば納得できようか? そんな者は、この世に一人としていない。だからこそ、これから私がそれになるのだ」
タカスの黒々とした瞳が、まっすぐに自分を射ている。他の者たちも、息を詰めて見守っている。だが何よりも痛いものは、すぐ隣から送られてくるマツバ姫の視線であった。
「マツバさまが、ほかならぬ私にその任を与えてくださったのだ。それにお応えできぬようならば、どの面下げて生きていられよう。タカス、私にも自信がある。私は必ずマツバさまの婿として恥じない男になる。おまえにも、この国の誰にも納得のいくような者に。もし私がこの言葉に違えることがあったなら、そのときにはおまえの手で私を斬れ」
はっきりと、タカスが頷いた。ひょっとすると彼は、自分にこの約束を宣言させるために、唐突に場違いな告白をしたのではないか。そんな考えが、ふと脳裏によぎった。
広間を埋める諸官の表情も、薄雲が吹き払われたかのように明るくなった。少なくとも、アモイの目にはそう見えた。
「よくぞ申した、アモイ」
マツバ姫が微笑する。
「聞いたであろう。アモイも、わたしも、腹は決まっている。次はそなたたちだ。我らの闘いに力を貸してくれるか。それともなお、こたびの我らが縁組みに、何か申すべきことのある者はいるか?」
アモイは姫の隣に座り直して、こっそりと息をつく。この流れで、ひとまず今日のところは落着する、そんな空気を察したからだ。
しかし、それは甘かった。西府の城には、周囲の空気などまったく意に介さない男がいる。そのことを忘れていた。
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