第2章 惑星ヒメシロ

 ライコウはヒメシロ星系の惑星ヒメシロに一番近いワープポイントにワープアウトした。

 そして宝船は、当分ワープできないはずだ。

 モンシロ星系第4惑星で宝船を修理する際に、30時間はワープできないようにするという保険をかけておいたからだ。

 これで重力元素開発機構の支部へはオレが先に到着できるぜ。

 今回の第4惑星での調査報告で、モンシロ星系の重力元素鉱床の調査は一区切りとなる。

 どの星系でも同じだが、岩石でできた小惑星や衛星などを最初に調査する。次が地球型惑星と呼ばれる硬い岩石を地表に持った惑星の調査となる。木星型惑星といわている巨大ガス惑星や天王星型惑星といわれている巨大氷惑星は調査対象外だ。なぜなら、調査の手間と鉱床開発の困難を検討すると、リスクの割にリターンが少ないので誰も手を出さない。

 地球型惑星でも植物や生物がいる惑星は最後に調査される。どこに危険が潜んでいるか分からないからだ。それでも調査や開発は実施される。核融合の燃料である水の確保と食料の調達などで、その星系でのベースを置くのに適しているからである。

 アキトがモンシロ星系で最後の調査対象、第4惑星を3週間にわたって調査した結果、残念ながら重力元素の存在は確認できなかった。従って、重力元素開発機構へは所定の調査結果報告書とGE計測分析機器の結果を提出するだけだ。

 そうすると重力元素開発機構からは少しだけ代価が支払われる。掛かったコストの半分以下にしかならないのだが・・・。まあ何も貰えないより、マシだろう。

 この情報は重力元素開発機構のデータセンターにて誰でも閲覧できるようになる。つまり、誰かが既に調査を終了した惑星を、再度調査するという無駄を排除できる。トレジャーハンターに必須の情報だった。

 ライコウが、2時間ほどでヒメシロの静止衛星軌道に到達する距離まで近づいた。そこで、ヒメシロの総合管制センターからの通信が入ってきた。

 アキトがメインディスプレイを通信モードに変更すると、50代ぐらいの髪がブルーネットで彫りの深い顔をした男性が映った。彼は総合管制センターの管制官である。

 ルリタテハ王国の半分ぐらいは黒髪黒目だが、もう半分は彼のように黒髪でも黒目でもない人達である。今では黒髪に碧眼という人も結構いる。

「船名ライコウ、船長シンカイアキトに相違ないな」

 総合管制センターは宇宙船とまずデータ通信で、その船籍を特定する。その後,、管制官がデータベースで船長の顔の映像を含め情報を確認するのだ。それなのに訊く必要あんのかよ、と常々思う。

「はい、間違いありません」

 しかしアキトは礼儀正しく答えた。しかも管制官が映る前に、アキトは操縦席にキチンと座り直していた。

 以前に足を投げ出したまま応対したら、重力元素開発機構に一番遠い静止衛星軌道を回るスペースステーションに入港するように指示されたからだ。しかも、他に空きがあるにも関わらずだ。

 それから何度か反発して、足を投げ出して対応したら、その度に一番遠いスペースステーションへの入港を指示されたのだ。無論、その度に管制官に食って掛かったが、スペースステーションドッグの割り当ては、管制官の専権事項であると冷たく言い返されて終わりだった。

 最悪だったのは、空きドッグがないからと、1日惑星ヒメシロの衛星軌道上で待機させられたことだった。流石に頭に来て、総合管制センターの受付で強く抗議した。

 ドッグへの入出港データを公開しろ!

 担当管制官に会わせろ!

 受付の強面男の面の皮に阻まれて、要求は全く通らなかった。

 ホントは空きドッグがあったんだろ? と、オレは今でも疑ってる。

「スペースステーションの希望はあるか?」

 管制官が不愛想に尋ねた。

「シロカベン宇宙港に一番近いスペースステーションを希望します。よろしくお願いします」

 アキトは似合わない愛想笑いを浮かべて依頼した。

 それ以来、無駄な労力を使いたくないというより、金銭的な問題で逆らわないようになっていた。遠いスペースステーションにまわされると、それだけ交通費が嵩むからだ。それに、反抗心は時と場所を考えて発揮するべきと最近気づいた。

「オレも若かったなぁー」

 アキトは16歳の少年のクセに、年寄りめいた台詞を呟いた。


 アキトが訪れた惑星ヒメシロの重力元素開発機構は、ヒメシロ星系から約50光年までの距離を担当している。恒星系の数は30以上に及び、開発や管理している鉱床は100以上にもなる。

 その重力元素開発機構は惑星ヒメシロの最大都市のシロカベンの中央に位置する行政総合庁舎ビル4階の1フロアを占有していた。行政総合庁舎の地下2階とは、シロカベン宇宙港から直通のオリハルコンロードでつながっている。

 愛想笑いが功を奏したのか、ライコウはシロカベン宇宙港に1番近い静止軌道上のスペースステーションに入港できた。

 オリハルコンロードの一般車両にアキトは乗り込んだ。1分ほどすると、ドアが閉まり音もなく出発車線に入線する。

 オリハルコンロードには、線路がない。そして、走行する車両には車輪がついていない。車輪がついていないのに車両というのは間違っているのではないかと思わないでもないが、この手の、昔に名付けられ定着した呼び方が変わることはない。

 このオリハルコンロードでは、車両を浮上させて走行する。加速減速の際にもオリハルコンが重力を調整するので、加速感や減速感を感じることもないのだ。

 一般車両に乗り込んだアキトは、眼にかかるようになった前髪を気にしながら所在なく立っていた。

 一般車両に座席は用意されていない。その所為で立っているしかないのだが、たかだか5分の乗車時間で2倍の料金を支払うのは愚か者のすることだ、と優先的に出発する全て指定座席の特別車両を睨みながら、そう思い込むことにした。いつかは、自分の力で、その上の貴賓車両に乗ってやる。

 アキトがそう考えていた時、優先出発するはずの特別車両が一般車両の前方で停止した。どうしたのかと、眺めていると貴賓車両が優先車両の前に入線してきた。しかし、10人がゆったりと座れる貴賓車両に誰も乗車していない。

 5分ほどすると、貴賓車両へと男、女、女と1列に並んで3人が向かうのが見えた。

 アキトの瞳は真ん中を歩く少女から視線を外せなくなった。

 清楚さの中にも、しっかりとした意志を感じさせる動作。白と青を基調とした豪奢な飾りのドレスに、埋もれることない可憐と美しさを併せ持つ整った顔立ち。輝きを放ちリズム良く揺れる長めの金髪に、覇気の強さと空の蒼さを想起させる大きく切れ長の碧眼が光を放っていた。

 今まで見たこともないような美少女が、そこにいた。

 妖精など存在しない。

 だが、彼女を妖精の姫ですと紹介されたら納得してしまうだろう。

 3人が貴賓車両に消えて、ようやくアキトのフリーズが溶けた。


 重力元素開発機構ヒメシロ支部でモンシロ星系の第4惑星の調査報告書と申請を提出した。その際、重力元素開発機構ヒメシロ支部長の桜井から仕事の依頼があるので、ヒメシロ行政総合庁舎最上階の28階総合受付に行くようにと告げられた。

 受付で名を告げると桜井の秘書だという男性が現れ、重力元素開発機構ヒメシロ支部の支部長室に案内された。

 支部長室には誰もいなかった。

 桜井の秘書から執務机の前の応接セットのソファーで待つように促されると、彼は執務室から退出していった。

 さすが、重力元素開発機構の支部長室だ。20メートル四方の空間に高価そうな家具などの調度品が設えてあり、腰を下ろした大きなソファーの座り心地も最高で、窓からの眺望も申し分ない。

 支部長という大物との邂逅に「こちらも大物ぶって対応してやろう」と考え気合を入れたが、直後にその気合があっけなく霧散してしまった。

 執務室の側面にある扉から見覚えのある3人が出てきたからだ。貴賓車両に乗車するときと同じように、十代の美少女は真ん中を歩いている。彼女は優雅に部屋の外へと向かっているが、瞳が優雅さと異なり光を放っている。

 青い瞳が怒りで燃え上がっていたのだ。

 3人の後を追うように、暑くもないのに額に汗を掻いている肥えた禿げ頭の男性が奥から出てくる。その男性は執務室出入り口の自動ドアまでダッシュする。

 あの体で、どうしてあんな俊敏な動作が可能なのか、驚嘆せずにはいられないほどだった。

 妖精姫は怒りに燃える瞳で、ソファーに踏ん反り返っているアキトに一瞥くれただけで、金色に輝く髪をなびかせながら去っていった。

 脂禿げは、自動ドアが開くや否や、廊下に飛び出し腰を直角に曲げる。

「お気をつけてください」

 3人が見えなくなるまで腰を折っていたようで、漸く執務室の中に戻ってきた。

「なんだ、貴様は?」

 男はソファーで足を投げ出して座っているアキトに、胡散臭いものを眺めるような視線を投げつけて訊いてきたのだった。

 自分で呼び出しておいて、それはないだろ、と不快指数が一気に急上昇する。アキトは不機嫌な声色を隠そうともせずに返答する。

「シンカイアキトだ」

「シンカイ? アキト?」

 禿げ頭を横に傾げながら、不信感をたっぷりとまぶした不味いパンでも咀嚼しているかのような口振りで復唱した。

 たるんだ顎、テカッている禿げ頭を見ているのが不愉快になり、アキトは顔を正面に向けて、足を組み替え、ぶっきら棒に言い放った。

「トレジャーハンターのシンカイアキトだぜ」

 数瞬の間に、表情を5つぐらい変化させた肥えた男が、笑顔でアキトの前のソファーにドカッと座った。目の前で発生した響きは、ソファーが抗議しているかのように、アキトの耳に届いた。

「いやー、済まなかったね。君が噂のシンカイ君か。若いとは聞いていたんだが・・・。ああっと、私は重力元素開発機構ヒメシロ星系の支部長をしている桜井だ。実は君の腕を見込んで仕事を頼みたくてね」

 掌を返すようかのように、対応がガラッと変わっていた。大人は、このくらいの切り替えができないといけないのだろうか? それとも偉くなるには、このくらいの切り替えができないとなれないのだろうか?

 オレには絶対に無理だ。

 感情の切り替えの出来ていないアキトは、不機嫌を引きずった声をだして尋ねた。

「噂って何だ?」

 支部長の厚ぼったい唇からゆっくりと、しかし淀みなく言葉が紡がれる。

「若干16歳でトレジャーハンターとして独立して、直後に有望な重力元素の鉱床を発見。しかも、1人でトレジャーハンティングしているというマルチな才能の持ち主。重力元素開発機構の歴史の中で、初めて実技テストでパーフェクトを叩き出し、トレジャーハンター試験に合格しライセンスを取得した偉才」

 トレジャーハンターの実技試験とは、鉱床を発見するためのGE計測分析機器の取扱いが主な内容になる。

 これがまた難しい。

 惑星の組成によって設定情報が変わるし、また設置にもデリケートな作業が必要となる。どれか一つでもミスがあると、計測および分析ができない。

 さらに、1人でトレジャーハンティングするには、宇宙船をはじめ、様々な輸送機械を運転しなくてはならない。ただ動かすだけでなく、乗りこなす操縦技術が必要で、その技術如何では生命にかかわる。

「是非とも鉱床発見の話を聞いてみたいのだが、残念ながら今日は時間がなくてね。さっそく本題に入らせてもらおうか。それと今度は時間を用意するから、是非とも話を聞かせてくれないかな?」

 太っちょの真摯な口調に、だんだんと攻撃的な気持ちが解れてきた。アキトは、頬が緩むのを堪えつつ素っ気ない口調で尋ねた。

「構わないぜ。で、時間がないんだろ。仕事って何だい?」

 支部長は重たそうな体を軽やかに執務机まで移動させ、大型封筒を持ってきた。再度アキトの正面にドカッと座った桜井支部長の体は、ソファーに半分埋もれていた。アキトは、ソファーから発生した響き、いやノイズは、抗議ではなく悲痛な叫びだったと確信した。

 ルリタテハ王国では、物に感謝するという思想がある。もちろん人にも感謝するし、自分が今あるのは、支えてくれた人、物を含めた全ての環境のお蔭であると感謝する。「物の気持ちになって扱ったり、手入れをしろ」ということを親から躾もされるし、義務教育でも指導される。

 今アキトは、ソファーの気持ちになってしまっていた。そして心の内で、グェッと声をあげ、一刻も早く持ち主が変わることを望んだ。

 持ち主にはソファーの嘆きは届いていないようで、前傾した姿勢でテーブルに封筒を置くと、背もたれに勢いよく背を預けた。

「まあ、まずは中身を理解してくれないかね」

 書類を手にすると、アキトの頭はトレジャーハンターのアキトに完全に切り替わった。

 目を通すこと10分ほど、要点は完全に理解した。詳細部分は、重力元素開発機構の契約書式の条項に従っているようで問題ない。問題となるのは契約金額だった。

 しかし、それは悪い方の問題ではない。

「こんなにもか?」

 提示された金額は3週間の調査にかかる経費のおよそ20倍だった。しかも拘束される期間の予定は4週間で、依頼主からの要望で期間を短縮した場合でも同じ額が支払われるとあった。

 何度も黒い瞳を数字の上に走らせて確認したが間違いなかった。

「ああ、しかも、つい今し方値上がりしてね。そこに記載されている金額の2倍支払おう」

「さっき?」

 契約書のさらに2倍の金額だと!

 桜井はアキトの怪訝な表情と質問を咳払い一つで無視して説得するようにいった。

「君がこの場でOKしてくれるなら、半額を前金として即座に振り込む。つまり、そこに記載している金額を君の口座に振り込むことになる」

 最近のパッとしない業績を考慮すると、是非とも請け負いたい。しかし怪しすぎる。いや、でも重力元素開発機構が違法な仕事を紹介したりはしないだろう。どうする? とりあえず鎌をかけてみるか。

「金額が高すぎるぜ。何かあんだろ?」

 アキトは、警戒心MAXの声色で切り込んだ。

「なるほど、君がそう考えるのは無理もないね。元々、通常トレジャーハンターが1ヶ月間で10人が調査に携わるぐらいで考えていたんだがね。時間の取れるトレジャーハンターがいなかったんだ。それとシンカイ君が今回のを担当するなら上積みしてはどうかと交渉した結果、契約書の2倍の金額にしようということで話がまとまってね」

 禿頭が言葉の端々に紛れ込ませているお世辞がアキトの自尊心をくすぐったのと、驚愕の金額にアキトの警戒心がマヒしてきた

「仕事内容は契約書にあるとおりだが、端的にいうとコムラサキ星系の調査を手伝ってほしい。もし重力元素の鉱床を発見したら、発見者は君になる」

 そう、たしかに契約書にもそう記載されている。つまり旨すぎる話だ。逆を言えば美味しい話だった。そして美味しい話には裏がある。

 その裏の不利益がどのくらいかで、依頼を受けるべきか否かを決めるべきと頭では分かっている。

 しかし、金に目がくらみ、警戒心のマヒが継続していた。

 アキトは社会経験の少なさゆえ、相手から情報を引き出すという交渉の基本が出来なかった。

「依頼者の身元は保障する。ただし身元の詳細は明かせない。公的な立場の方々とだけいっておこう。これが条件になるが、どうかね? それと、この件は重力元素開発機構にとっても重要でね。腕が立ち、信頼できる君に頼みたい。受けてくれるね」

 公的な身分の人物を案内すること、重力元素開発機構の重要な案件、魅力的な報酬。そして実力を認められ、大事な仕事を重力元素開発機構の支部長から直接依頼されている。

 高揚する気持ちが警戒心を追いやり、力強い言葉を口にする。

「安心しな。このオレに任せりゃ、ちゃちゃっとコムラサキ星系まで案内して、ちょちょっとトレジャーハンティングを完璧にこなして戻ってくるさ。なにも心配いらないぜ」

 アキトが契約書にサインする瞬間、桜井支部長の分厚い唇の端が、微かに上がったのだった。


 アキトは意気揚々と重力元素開発機構を後にした。

 エレベーターに乗ると同時に、アキトはジャケットの内ポケットからカード型携帯用端末”コネクト”を取り出した。僅か10センチ×5センチに厚さ0.5センチのカードに通話、メール、クレジットカード、身分証明書、様々な機械への認証機能など、生活に必要な機能がほとんど詰まっている。

 そのコネクトをルーラーリングに嵌め、眼鏡型情報表示装置”クールグラス”をかけた。これで歩きながらでも銀行口座にアクセスできる。

 1階につくと外に向かって歩きながら、早速自分の口座に振り込まれた金額の確認した。

 入っていた。

 しかもきちんと前金と記載され、契約書の添付がある。さすがは官公庁の仕事振りだった。この時代の民間銀行は金流だけでなく、金銭の絡む簡易契約の成立を保証する業務も行っている。

 拳を握り小さくガッツポーズをすると、行政総合庁舎から外へと急いだ。

 表に出るとアキトは、日差し強さに目を細め、空の蒼さに圧倒された。一昨日まで調査していたモンシロ星系の第4惑星は1.5Gと重力が強く大気圏が厚かったため、空の色が赤みがかっていた。

 ルリタテハ王国では、人の住めそうな惑星を発見すると100年ぐらいの期間をかけてテラフォーミングしている。1G前後の重力をもった惑星の軌道を徐々に変更させ、恒星からの光が動植物の生息に適した位置にもってくるという大規模なこともするらしい。どうやるのかは、ルリタテハ王国王家の門外不出の技術らしい。この技術のあるおかげで他の国とは違い人の住める惑星がルリタテハ王国には多い。

 アキトの恒星間航行小型宇宙船”ライコウ”には、鉱床探索用ロボットのコウゲイシ”オニマル”。大気圏宇宙兼用の輸送機”ライチョウ”。全長10メートルのトラック型オリビーに、GE計測分析機器を1台搭載して、4人が乗車できる”シデン”が搭載してある。

 このようにトレジャーハンティングに必須のメカは積んでいるが、必要ないものを購入する余裕はなかった。さっきまでは・・・。

 トライアングルという乗り物がある。これはオリハルコンを乗り物に利用する前にあった3輪バイクの3輪を、三枚のオリハルコン製ボードに変えたような乗り物である。

 どう考えても、トレジャーハンティングに必須ではない。

 買おうかなー。

 買っちゃおうかなー。

 買ってもイイよなー。

 オレ頑張ってるしなー。

 今日は気温も高くなく、風も冷たくない。トライアングルで草原や山道を走ると気持ちイイだろうなー。

 買おう。

 よし買う。

「買うぜ」

 最後は心の声が実際の音となっていた。

 アキトはトライアングルを買う前に、行政総合庁舎の前を行き交う人々に不審を一身に買っていた。


 前から我慢していたトライアングル”カミカゼの水龍カスタムモデル”を購入してきたアキトは、上機嫌で喫茶”サラ”の門をくぐった。

「いらっしゃい。あら、また1人? 最近は面白3兄弟と一緒じゃないのね」

 清潔な白シャツに紺のフレアスカート、薄いピンク色のエプロンを纏った20歳後半の女性が、店の中程から明るい声で迎え入れてくれた。ただ言葉の内容が、アキトの顔を顰めさせたが・・・。

「オレは独立したんだぜ。今までみたいに、いっつも一緒ってことはねーよ。・・・えーと、沙羅さん。ミックスサンドウィッチのセット、ブレンドをスペシャルで」

「用意するわね」

 沙羅は長い黒髪をなびかせて、店の奥へと立ち去った。

 店の席は半分ほど埋まっていてるのだが、客層は二分されていた。

 明るく華やかなテーブル席が店の面積の7割を占め、客の人数では9割を占めている。

 対して、店の壁に沿って設えられた長いテーブルがあり、カウンター席となっている。カウンターの奥は、落ち着いた雰囲気のカップボードや調理機器がある。

 カウンター席の客は、良くいえば雰囲気のある客。悪くいうと胡散臭い客だった。それもそのはずで、ほとんどがトレジャーハンターである。

 無論アキトはカウンター側である。黒の革ジャンを空いている右側の椅子にかけ、カウンターテーブルの隅に腰を落ち着けた。

 カウンターの奥からスペシャルが出てきた。

 正確には喫茶”サラ”の店長にしてオーナーの年齢を重ねた渋みをもつ桂木柊がやってきた。80代にしては髪が黒々していて、量もたっぷりある。その髪の毛をキッチリとオールバックに纏めているが、整髪料の匂いはない。ひそかにカツラではないかと疑っているのだが、証拠は掴んでいない。

 桂木オーナーは、アキトの目の前のカウンターでコーヒーの準備をしつつ、話しかけてきた。

「機嫌がよさそうじゃな、アキト。モンシロの第4惑星で鉱床でも発見したのかな?」

 オレはモンシロの第4惑星でトレジャーハンティングしているなんて誰にも話していない。知っているのはお宝3兄弟やごく一部のはず・・・。

 だが、このぐらいで驚いてはいられない。

 オレは、この細い目の張り付いた作り物の笑顔をみせるマスターに、尊敬を込めて、心の中で”能面老師”と呼んでいる。心の中にだけ留めているのは、情報漏れを警戒してのことだった。なんといっても、能面老師が知らないことは、他人の心の中だけ、という噂だからだ。

「第4惑星は、はずれだった。そっちじゃなくて、前から欲しかったものが買えたんだ」

「ほう、何をじゃな?」

 こんな時の能面老師の表情は、能面ではなく孫と話す優しいお爺さんだった。

 沙羅さんの祖父であり、孫である彼女の希望でトレジャーハンターを辞め喫茶店を開くことにしたという。ただ、経営方針には譲れないものがあったらしく、店の雰囲気は二分されていた。

 オレは得意げに端的に理由を告げる。

「カミカゼの水龍カスタムモデル」

 器用に右の片眉をあげ、いつもは細いだけの眼を、右目だけ丸く見開いた。

 それもそのはずで、カミカゼはトライアングルの中でもオリハルコン合金搭載量がダントツで、オリハルコンの次世代制御システムの本命といわれているダークゼータシステムをいち早く採用している。

 そのカミカゼを技術力に定評のある水龍カンパニーがカスタマイズしたトライアングルである。機能の豊富さからトレジャーハンティング仕様ともよばれている。値段は市販の中グレードのトライアングルの4~5倍もする。

「今度の仕事はコムラサキ星系だな」

 表情を能面老師に戻し、一杯分のコーヒー豆をゆっくりとローストしながら、アキトの仕事先を断定した。

「なんで知ってんのだ?」

 桂木オーナーは答えず、質問を重ねる。

「誰から依頼された? 桜井か?」

 焔に焙られたコーヒー豆から香ばしさが漂ってきた。ただ、話の行き先からは、きな臭さが漂い始めている。

 アキトは購入したトライアングルの興奮が、急速に悪い予感へと変わっていくのを感じながらも動揺をみせないように声をだした。

「そうだ」

 アキトの返事を受けて、フムと顎に左手を持っていき、考えるような仕草をしながら、右手で焙煎器を動かし、コーヒー豆を均一にローストしている。

 アキトの視線は、コーヒー豆がカラカラと音を立てながら、焙煎器でローストされていく様に注がれている。しかし脳裏では、桜井支部長との会合を思い起こしていた。

 暫くの間、二人の間にコーヒー豆のローストしている音のみが響いていた。

「偉才とか言われて、才能を褒められたようじゃな」

 老師が唐突に話し始めた。

「そして、これは重力元素開発機構にとって重要な案件だ、と」

 肯くアキトを細目で一瞥しただけで、桂木は自分の髪の毛と同じぐらい黒くローストした豆をコーヒーミルへと移しながら話を続けた。

「君が担当するなら金額を増額する。もし、この場でOKするなら前金で半額を即時に振り込む。それに依頼者の身元は保障する、といったところじゃかいかな」

 偉才は持ち上げすぎだと感じた。しかし、トレジャーハンターの実技試験と実績が認められただけに、トレジャーハンティングの実力を買われての値段と考えていたかった。

 良く良く推測してみる。

 トレジャーハンティングの実力は、資格取ってトレジャーハンターになってから1年と少しのヤツより、何年とやっているヤツの方が、まず上だろう。

 オレは目先の金に、完全に目が眩んでいたのだった。

「脂禿げに、誘導されたようじゃな」

「やられちまったぜ」

 アキトは、まだまだ余裕があるという風を装って答えた。だが桂木オーナーに状況を完璧に言い当てられ、心の内では激しく動揺していた。

 能面老師が知らないことは、他人の心の中だけ。その噂が正しいことを今思い知ることになった。そして、禿げ頭の脂ぎった顔を思い浮かべながら悔しさを噛みしめた。

 能面老師がここまで的確に会合の内容を当てているということは、同じ口説き文句で仕事を依頼されたトレジャーハンターがいた。そして、その情報が桂木の元に集まったのだろう。

 能面に微かに憂慮の気配を感じさせたが、相変わらず落ち着いた口調で老師はアキトに注意した。

「一番初めに言ったはずじゃがな。仕事を受ける前に、ここで情報をとれ、と。・・・アキト、お前はまだ若い。信用のできる人間から情報をとって、慎重に裏取りしなければ命にかかわるのだぞ」

 表情には全く出ていないが、桂木が本気で心配しているのがわかる。素直に礼をいえるほど人間ができていない所為で言葉にはしなかったが、真剣な眼差しでアキトは首肯した。

「コムラサキ星系では最近行方不明者が続出しているのだが・・・」

 能面のままコーヒーを淹れる作業を淀みなく行いながらも、桂木オーナーは語り始めた。


 ブレンドコーヒーが淹れ終わると同時に、アキトと能面老師を包んでいた遮音フィールドが解放された。店のざわめきが耳に届き、横からサンドウィッチが差し出された。顔を向けると、沙羅がトレイを抱えていた。

「アキト君、どうしたの?」

 アキトは笑顔を返したつもりだろうが、他人からは苦笑いにしか見えない表情だった。

「今日のスペシャルが濃すぎたのかな? それとも苦すぎたのかな?」

 沙羅はアキトに”情報を”を省略して尋ねた。

「いい味だった。だから、かなり効いたなー」

 アキトは沙羅に”精神的に”を省略して答えた。

 喫茶”サラ”のスペシャルは、桂木がコーヒーを豆のローストから始まり、豆を挽きサイフォンでコーヒーをいれる間に提供される情報のことだった。

 トレジャーハンター以外の客は、店長が淹れるコーヒーのことだと信じている。美味いとはいえ高々コーヒーに通常の10倍もの値段を払うバカはいないとアキトは推察していた。

 しかし、それは誤解である。

 世の中には不思議な人がいる。トレジャーハンターでもない客がスペシャルを注文し、能面老師とまったく会話せずコーヒーを飲んで、満足そうに店を後にした例が何件もある。

 アキトも満足していた。コーヒーの味にも、情報にも・・・。

 ただ表情は冴えなかった。情報の内容の所為で・・・。

 アキトは食事を済ませ喫茶店”サラ”を出ると、近くの公園のランニングコースを走り始めた。

 走るだけでなく、1時間以上かけて様々な運動をこなし、アドレナリンで沈んだ気持ちを吹き飛ばした。

 疲れた体に風が心地よい。

 アキトは、ようやく心の平穏を取り戻した。

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