第30話 「やります! いえ、やらせて下さい!」(5)

 翌日、結衣がマリカの家を訪ねると、ちょうどマリカは玄関の前に立っていた。


「どこか行かれるんですか?」

「ちょっと買い物にね。昨日、たくさん使っちまったからね」

「あはは。なんかすみません」


 いらないと言い張るマリカに結衣は「いいえ。着いていきます」と買い物のお供を申し出た。少し足を引きずるように歩くマリカに合わせて、結衣もゆっくりと歩いた。


「この辺も随分変わっちまったね」


 廃墟になった建物を見て、マリカがつぶやいた。「今はこんなんだけど、昔は賑やかだったんだよ」と懐かしむような目をした。それに対して、結衣は自分のしようとしていることを考えて、何も言えなくなっていた。


 しばらく無言になり、少し気まずくなった結衣は、ふと「そう言えば、マリカさんって、今お仕事してないんですよね」と尋ねてみた。マリカは「毎日見てるんだから、仕事してないことくらい分かるだろう」と皮肉を言いながらも「1年前に足を悪くしてからは、仕事に行くこともままならないのさ」とつぶやくように言った。


「今は息子の仕送りで、なんとか食べていけてるんだけどね」

「あ、そう言えば、昨日息子さんの話をしてましたよね」

「あぁ。でも、なんだか息子に頼ってばかりで、情けなくもなってくるよ」

「そんなことないですって。息子さんだって、別に嫌々しているわけじゃないんでしょ?」

「そりゃそうなんだけどね……そういう問題じゃないのさ」


 そう言うとマリカは口を閉ざした。結衣も、それが一体どういうことなのか分かりかねて、何も言えなくなってしまった。


 買い物から帰り、しばらく庭仕事をしていたが、さっきのことが頭から離れない。どうしたら良いのだろう? どうしたら、みんな納得して、笑顔になれるんだろう? 答えは出てこなかった。


 夕方、学校へと戻ってきた結衣は、頭を使いすぎたこともあってクタクタになっていた。着替えもしないまま、食堂へと向かう。


「あら、結衣ちゃん。今日は何にするの?」と食堂のおばちゃんのマーサが声を掛けてきた。「うーん、どうしようかなぁ。昨日食べすぎたから、今日は控え目にしようか……」顔を上げる。マーサと目が合った。


「これだっ!」


 不思議がっているマーサに「お願いがあるの」と、身を乗り出して言った。


「食堂ってまだ人手不足?」




「マリカさん!」


 翌日、いつもよりも早い時間に結衣はマリカの家を訪れていた。「なんだい。今日は随分早いね」そうボヤくマリカに、結衣は「マリカさん、引っ越しましょう!」と告げる。


「最近あんまり言わないと思ってたけど、またその話かい? 何度も言わせるんじゃないよ。あたしはここを離れない」

「うちに来ませんか?」

「……うち?」

「ええ、王立勇者育成専門学校です」

「なんだって、あたしが学校なんかに行かなきゃならないんだい?」

「マリカさん、昨日『料理を作るのは得意だし好きだ』って言ってたじゃないですか?」

「……それがどうしたい?」

「あるんですよ。働き口が! 学校の食堂なんですけど、そこの責任者のマーサさんって人にマリカさんのことを話したら『ぜひ来て欲しい』って」

「お前、もしかして、無理やり頼み込んだんじゃないだろうね?」

「違いますって。うちの食堂人手不足らしくって、ちょうど良いんですって」

「だけど、あんな遠い所までは通えないよ」

「ですから、住み込みなんです」


 結衣は昨日、学校内にある空き部屋を確認していた。比較的食堂に近い部屋に空きがあるのを見つけると、早速学校長のオルランドの元へ行き「一部屋貸して下さい!」と直訴した。


 オルランドは「なんだぁ、優馬との新居か?」と茶化したが、結衣の真剣な表情を見て「ま、お前の好きなようにすればいいんじゃね?」と言った。


 食堂のマーサにも話は付いていた。結衣の言うとおり、食堂は慢性的な人手不足で、時々結衣たちも手伝いに入るほどだった。一応「マリカさんっていう人なんですが、ちょっと足を悪くされてまして」と断りを入れたが、マーサは「座ってても料理は出来るし、そんなに歩き回らなくても良いから」と言ってくれた。


「そういうわけなんです! 住み込みで、家賃は要りません! 職場まで徒歩5分です。朝昼晩の食事付き、しかもお給料も出ます!」


 結衣はマリカの言っていた「そういう問題じゃない」というのも考えていた。はっきりとは分からなかったが、多分「誰の役にも立ててない」ということが、マリカの心に影を落としているんじゃないかと思った。


「もちろん、コロッセオの件もあって、というのは事実なんですけど、どちらかと言うと学校の食堂を助けて欲しいって言うか、私たちの食生活を支えて欲しいって言うか……」


 それは結衣の素直な気持ちだったが、言っているうちに言い訳っぽくなってしまっているのに気づいて、やや言葉に詰まる。「ええっと、本当なんです。本当にウチに来て欲しいなぁっていう……」必至で言いながら、ふとマリカの顔を見た結衣は、今度こそ完全に止まってしまった。


 マリカは涙を流していた。うっすらと頬を伝わるそれを見て、結衣は何か気に障ることを言ってしまったのかと思った。しかし、マリカは涙を拭うと「しょうがないね。あんたは食いしん坊さんみたいだから、あたしがなんとかしてあげないといけないかね」と言った。


「はいっ! お願いします!」




 それから1週間後、引越し作業は全て終了し、マリカは学校へとやって来た。マーサは「やっと人が来てくれた」と大喜びで迎えてくれた。説明のために王宮へ再び向かうと、国王もとても喜んで「やはり結衣に頼んで良かったのぉ。マリカには充分な補填をするから、安心してくれ」と言った。


 結衣は礼を言って、例の長い階段にヘロヘロになりながらも、なんとか学校へと戻った。マリカにそれを告げると「要らないよ。衣食住、全て困らないし、お給料まで貰えるんだからね。あんたにあげるよ」と言った。


 流石にそれは、と断ると「ふん、可愛げのない子だね」と文句を言って「じゃ、しょうがないから息子にでも送ってやるかね」とつぶやいた。


「結衣ちゃん、お疲れ様〜」と寄って来るフィーネを「そう言えば、フィーネさん。最初の方だけチョロっと手伝って、あとなんだかんだで放置してましたよね」とジロリと睨んだ。


「あれれ〜。そうだっけ? でも、私も結構忙しかったのよ?」

「面倒くさいって思ってました?」

「そんなことないよ〜。結衣ちゃんなら、きっとひとりでやり切れるって信じてたの」

「なんか、ちょっと言い訳がましいですね」

「あらあら。でも、ちゃんとここからはお手伝いするからね」

「ここから?」

「だって、ほら。運営も軌道に乗るまではって頼まれてたじゃない?」

「あ……そう言えば……」


 結衣は頭を抱えた。コロッセオの運営なんて、どうやれば良いのか分からない。でも、まぁなんとかなるかな、とも思った。今までだって、そうだったし、困ったら頼れる人だって一杯いる。


 きっとなんとかなる。


「……多分」


 少しだけ不安もあったが、思い込んでおくことにした。

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