第29話 「やります! いえ、やらせて下さい!」(4)
翌日、再び結衣はマリカの元を訪れていた。フィーネは別の仕事があるので今日はひとりだった。少し不安にも感じたが、どちらにしても、すぐに解決できそうにないとも思っていたので、ひとまずは通いつめようと決意していた。
「こんちには〜」
玄関を開けて声を掛けると、奥の方から「留守だよ。誰もいないよ」と返事が返ってきた。
「留守だよって……いるじゃないですか」
「ふん! 昨日も言ったろう? あたしはここから離れる気はないって」
「まぁまぁ」
「あんたも暇だね。駄目なものは駄目なのに」
「まぁ、これも仕事ですから」
「ふーん。『仕事』ねぇ」
結衣は思わず苦笑いする。
「今日は立ち退きとかは、ちょっと置いておいて、マリカさんとお話ししようかなって」
「やっぱり暇なんじゃないか。あたしはあんたとは違って忙しいんだから、話している暇なんてないよ」
「あ、それならお手伝いしますよ」
マリカがよっこらしょっと立ち上がって、廊下をヨタヨタ歩いていくのを、あとから着いていく。庭に出て畑へ行くと、マリカは「雑草は成長が早くて困るよ」とボヤいた。確かにマリカの言うとおり、畑に植えられた植物の脇には、雑草が生えていた。
「イタタ」と痛そうな顔をしながら、マリカが腰を下ろす。「大丈夫ですか?」慌てて結衣が近づいて助けようとするが、マリカは「足を悪くしててね。大丈夫だから放っておいておくれ」とそれを拒否した。
結衣はそれでも「手伝います」と一緒に屈んで畑の雑草を取り始めた。マリカは一瞬呆けた顔をしていたが「勝手におし」と吐き捨てるように言うと、そのまま結衣と一緒に雑草をむしり始めた。
それから結衣は毎日マリカの元を訪れた。段々、やることも覚えてきて、今ではマリカの家を訪れると、勝手に作業をこなすようになってきていた。畑の手入れに、庭の木の剪定。部屋の掃除や窓拭きなどは、総務課でやっているのでお手の物だ。
マリカは相変わらず「そんなことしたって、あたしはどこにも行かないよ!」と言っていたが、結衣は「いつもの仕事より、こっちの方が楽しいですから」と進んで仕事をこなしていた。
それは半分ほどは本当のことだった。総務課の仕事の中には、楽しいことも多かったが、時にはうんざりしてしまうものもあった。それらに比べれば、マリカの家に来てお手伝いをしている方が、余程楽しいのは事実だった。
その日は朝から雨が振っていた。結衣はしばらくどうしようかと考えていたが、庭に再び茂りかけていた雑草を見て「やっぱりやっておこう」と雨合羽を着込もうとした。
そこへマリカがやってきて「おい、何してんだい」と声を掛けてきた。
「いやぁ、雑草が結構伸びてたんで、抜いて来ようかなって」
「こんな雨の日にかい?」
「あは。濡れるのそんなに嫌いじゃないですし。カッパもありますから」
マリカはフンと鼻息を鳴らすと「いいよ。しなくても」と言う。ソファーに腰掛けると、隣をポンポンと叩いて「今日はもういいから、ここにお座り」と促した。
「あんたも変わっているねぇ」
「あはは……。そうでしょうか?」
「だいたい、立ち退いて欲しい家を快適にしてどうするんだい?」
「あ、言われてみれば、そうですよね」
「変な子だね、まったく」
「あの、マリカさんって、ここにひとりで住んでるんですか?」
「他に誰かいるように見えるかい?」
「確かに、マリカさん以外に会ったことはないんですけど……」
マリカは顔をしかめながら立ち上がると、キッチンへと向かった。「あ、お茶でしたら、私がしますよ」と言う結衣に「良いから座っときな」と返すと、マリカはお湯を沸かし始めた。
「昔はね。旦那と一緒に住んでいたんだよ」ヤカンを眺めながら、つぶやくように言う。「5年ほど前にぽっくり死んじまったけどね」そう言うマリカは、少し寂しそうだ、と結衣は思った。マリカはお茶を淹れてテーブルへと運ぶと、昔話を始めた。
それはありふれた、どこにでもあるような話だった。結婚し、子どもが生まれ、一生懸命育てて、やがて巣立っていく。旦那さんが亡くなるのが少し早い、という点を除けばそれほどドラマチックな展開もなく、平凡な人生と言えるかもしれない。
それでも結衣は話を聞いている内に「マリカさんの力になりたい」と思うようになっていた。ただ、それが結衣がこの件から手を引いてしまうことなのか、と考えると、それも違う気がする。何か、みんなが納得できるような解決策を見つけなければ。
「ちょっと、あんた。ついでに晩御飯食べておゆき」
一通り話し終える頃には、辺りは薄暗くなっていた。結衣は遠慮したが、マリカは「良いから黙って食べていきなって」と、再びキッチンへ立つ。
「じゃ、お手伝いしますよ」
「返って邪魔になるからいいよ」
「じっとしてるのも落ち着かないんです」
「ふん、勝手におし」
マリカが料理を行い、結衣は彼女の言うとおり手伝いに徹した。マリカの料理を見て結衣は驚いた。結衣の近くにも料理の得意な人、例えばフィーネとかがいたが、その誰よりも手際が良く、無駄がない。
あっという間に4品ほど皿に盛り付けると「さっ、テーブルへ運んでおくれ」と言った。テーブルに料理を並べ「いただきまーす」と手を合わせて一口食べてみる。
「美味しい!」
「そうかい? まぁ料理だけは得意だし、好きだからね」
「本当に美味しいですよ! この料理食べたことありますけど、こんなに美味しいのは初めてです」
「……いいから、ドンドン食べな」
あまりの美味しさに夢中で料理を平らげてしまう。パクパクと口へ料理を運ぶ結衣を見て「良い食べっぷりだね」とマリカは少し笑った。
ようやく食事の手が止まった結衣にマリカが「足りたかい?」と聞く。「食べすぎましたー。もうパンパンです」とお腹を叩いた。結衣はもう少し話を続けようとかと思ったが、マリカは「遅くなるといけないから、もう帰りな」と言った。
確かに、既に日は暮れて、窓から見える景色はすっかり夜になっていた。いつの間にか雨も上がっている。
「遅くまですみませんでした。それに美味しい晩御飯まで」
「まぁいいから。気をつけてお帰り」
「はい」
「明日も……また来るのかい?」
「そりゃもう!」
「ま、勝手におし」
結衣が玄関で、もう一度お礼を言って頭を下げる。「何度も言わなくて良いよ」と言うマリカは、どこか寂しそうな顔をしているように見えた。
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