第28話 「やります! いえ、やらせて下さい!」(3)

 コロッセオ。


 結衣はその言葉を聞いた時「そう言えば、学校の歴史の授業で習ったな」と思った。国王の渡してくれた図面も、教科書で見たことがある気がする。どうやら知っているものと同じもののようだ、と図面を見ながら思った。


 王宮を出た結衣とフィーネは、その足でコロッセオの建設予定地へと向かっていた。階段の昇り降りで、既に結衣の足は棒のようになっていたが、国王から「出来るだけ急いで欲しい」と言われているので、1日も無駄には出来ない。


「ところで」結衣は手に持っていた図面を見ながら言う。「コロッセオって、何する場所でしたっけ?」


「あらあら、結衣ちゃん。学校の授業、しっかり聞いてなかったのかな?」

「い、いえいえ。ちゃんと覚えてますよぉ。あくまでも確認ですよ、確認」

「じゃ、何するところなの?」

「ええっと……演劇……みたいな?」

「あらあら〜」

「……すみません。教えて下さい」


 フィーネは立ち止まって「ちょっと口で説明するのも難しいからね」と結衣の額に手を当てる。「目をつむってね」言う通りにすると、フィーネは何が一言二言、言葉を発した。すると、結衣の視界にぼんやりと景色が見えてきた。


「凄い! これなんですか? 魔法?」

「うふふ、そうよ。コロッセオは、結衣ちゃんたちのいた世界では、ローマ帝国時代に作られた建造物ね。不思議なことに、他の世界でも多少の時代のズレはあるけど、似たような建造物が作られているのよ」

「へぇぇ」


 結衣の目には円形状の壮大な建造物が映っていた。手前からコロッセオにズームアップするように近づいていき、空中へと移動する。俯瞰するような視点から、コロッセオの特徴的な丸い形が確認できた。


「すごーい! 飛んでるみたい!」

「見るのはそこじゃないけどね。ほら、コロッセオの中、中央を見て」


 フィーネがそう言うと、映像はコロッセオの中心へと近づいていき、中央のステージ状の部分がはっきりと見えるようになった。


「あれ? 誰かいますね」

「でしょ?」

「鎧のような……ものを着ていますけど。剣も持っていますね。あの人たち何をやっているんですか?」

「戦っているのよ」

「……えっ?」

「戦ってるの。剣闘士って言うのよ」

「え? なんで?」

「それが見世物だからね」


 映像の中では剣闘士同士が剣を振りかざし、それを盾で受け流したり、ある者は斬りつけられてそのまま倒れたりしている。その周り、円形状に並んだ客席にはほぼ満杯と言って良いほどの観客が詰めかけており、剣闘士の戦いに声援を送っていた。


「……これ、危なくないですか?」

「危ないかもね」

「死んだり……しませんよね?」

「あるんじゃないかな?」

「駄目でしょ!?」


 結衣の額からフィーネの手が離れて、そこで映像も消えた。「駄目って言ってもねぇ。コロッセオってそういうものだから」と困った顔でフィーネが言う。「で、でも! 殺し合いって、そんな……」と暗い顔になる結衣の頭をフィーネが優しく撫でる。


「でも、国王様は結衣ちゃんに『運営も任せる』って言ってたでしょ? だったら、結衣ちゃんがそういうのじゃないコロッセオにすれば良いんじゃないかな?」

「あ、なるほど。そうですね! そうしましょう!」


 再び結衣に元気が戻ってきた。しばらく歩くと、ようやく建設予定地が見えてきた。地図で確認すると、そこは古い市街地になっているようで、確かに崩れかけた建物が立ち並んでいるのが見えた。


「もう住人の方は他に移住したんですよね?」

「んー。どうなのかな? 地図の赤いところは『移転済み』って書いてあったけど」


 地図をもう一度見ると、確かにほぼ正方形に赤く塗られていた。ただ王宮でも気づいていたが、中央に小さく塗られていない場所が一箇所あった。


「これ、塗り忘れでしょうか?」

「うーん、どうなんだろうね? 行ってみましょう」


 地図を頼りに人気のない市街地を歩いて行く。


「なんだか、ちょっと怖いですね」

「あ! 結衣ちゃんの後ろに人影が!」

「ぎゃっ! ちょっと止めて下さいよー!」

「あはは。結衣ちゃん、結構怖がりだよね」

「私は普通で、フィーネさんがおかしいんだと思うんですけど……」


 そんな他愛もないやりとりをしている内に、目的地へと到着した。「ここ……ですよね?」「そうねぇ。地図通りなら、ここよね」ふたりは首を傾げた。廃墟のようになっている周辺とは違い、そこだけは人が生活している雰囲気があった。


 小さな平屋の建物に、同じ大きさの小さな庭。庭の半分は畑になっていて、何の植物かは分からないが、小さな芽が出ていた。その隣には小屋のようなものがあり、中から何か鶏のような鳴き声も聞こえている。それ以外の場所には、多少雑草が生えていたり荒れかけている部分もあったが、それでも周囲の建物に比べれば、余程マシな状態と言える。


「誰か、住んでいるんでしょうか?」

「どうだろうね? ちょっと聞いてみる?」


 結衣は玄関口に立つと「すみませーん」と大きな声で呼びかけてみた。返事がない。もう一度、声をかけようとした時だった。


「なんだい! 立ち退きの件なら、もう何度も断ってるじゃないか! 帰っとくれ!!」という、少ししゃがれた声が返ってきた。


「あの〜、すみません。ちょっとお話しを聞かせて欲しいんですが」

「うるさいねぇ。開いてるから、勝手に入っといで」


 ドアを開けて「失礼しまーす」と中に入る。恐る恐る廊下を進んでいくと「ここだよ」と近くのドアの奥から声が聞こえた。ゆっくりとドアを開けて「お邪魔します」と中へ入る。


 そこは結衣とフィーネが暮らしている部屋と同じくらいの小さな部屋だった。中央にテーブル、隣にソファーが二脚あるが、他にはいくつかの観葉植物が置いてあるだけで、結衣は少し殺風景だと思った。


 家の住人は、ソファーのひとつに腰掛けていた。60歳くらいの女性で、膝にはブランケットのようなものを掛けており、結衣をジロっと睨んでいた。


「何だい? 一体何の用なんだい?」


 結衣とフィーネがまず自己紹介すると、女性は「マリカ・スタツィオ」と名乗った。


「スタッチオさん」

「スタツィオだよ」

「スタッ……」

「もうマリカで良いよ」

「すみません……」

「で? 何の用だい?」


 結衣はテーブルに地図を広げながら、事情を説明した。マリカは地図を見ながら渋い顔をすると「地上げ屋を追い返したと思ったら、今度はこんなお嬢ちゃんを寄越すとはね」とぼやいた。


「とにかく、ここは出ていかない!」

「でも、コロッセオの中心なんですよ?」

「そんなこと、あたしの知ったこっちゃないね」

「そんなぁ」


 何度か押し問答を繰り返した後、マリカが「もう帰っとくれ」と言い放ち、結衣たちはひとまず撤退することにした。


「また来ます」

「もう来なくて良いよ」


 結衣とフィーネはトボトボと夕暮れ時の城下町を歩いていた。振り返ると、遠くに旧市街地がぼんやりと見えた。


「困りましたね」

「困ったね」

「もしかして、相当面倒な仕事を頼まれちゃったんでしょうか?」

「そうかもね」


 少しうなだれる結衣にフィーネは言う。


「でも、結衣ちゃんだったら、きっと大丈夫だよ。いつも何とかしてるじゃない?」

「それは……そうなんですが」

「為せば成る。為さねば成らぬ何事も、って言うじゃない?」

「……なんでしたっけ? それ」

「やっぱり結衣ちゃん、授業ちゃんと聞いてたのかな?」


 いたずらっぽく言うフィーネを見て、結衣も釣られて笑う。そして、なんとかなりそうな……気がしてきた。

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