第20話 「違います! そういうんじゃないんです」(2)

 ロッティが「任せとけ」と言った時の結衣の表情は、近年まれに見るほどの微妙なものだったが、構わず「大船に乗った気でいればいい」と胸を叩いた。結衣に「手を怪我してるんだから、今日はもう休め」と言うと、意気揚々と医療課を出て行く。


「まずは、状況把握だな」ロッティは、もう一度購買課へ行ってみた。ノックし、ドアを開ける。部屋の奥には、まだ黒須が机についていた。都合の良いことに、優馬の姿はもうない。


 カウンターを素通りし、黒須の元へと行く。「ちょっと、いいかい?」と声をかけると、黒須は「あら? ロッティじゃない」と振り返った。ロッティと黒須は、もちろんずっと前から面識はあったが、うさぎの耳亭再建の時に顔を合わせており、それ以降世間話をする仲くらいにはなっていた。


 ロッティが、結衣のことは伏せつつも「さっきここにいた男のことなんだけど」と話を振ると、黒須は「あぁ、佐伯君ね」と答えた。


 ロッティは一瞬「サエキ?」と首を傾げたが、すぐに「あぁ優馬のファミリーネームのことか」と思い出して「そうそう、そいつ。何話してたんだい?」とストレートに聞いてみた。


 黒須は少し驚いた顔をしたが、すぐに「彼とはね、趣味が同じなのよ」とニコリと笑う。


「趣味?」

「ええ」

「何の?」

「ええっとぉ、なんて言うのかな……。本……みたいな?」

「みたい?」

「ラ……ラノベって知ってます?」

「らのべ?」


 そこまで話した時、黒須の部下と思われる男が「お話し中の所すみません。課長、エドワード武器店の担当の方がお見えなのですが」と声をかけてきた。黒須が「ごめんなさい。ちょっとお仕事が入っちゃいました」と言うのを聞いて、ロッティも「悪かったね」と引き下がった。


 あまり深くは聞けかなかったが、どうやらこれは悪い話にはなりそうにないな、とロッティは思った。互いに同じ趣味を持っており、それについて意見交換をしていたのだから、今後そういう関係に発展しないとは限らないが、今はそうではないということだろう。


「早速帰って、結衣に言ってやらなきゃね」張り切って廊下を歩くロッティだったが、ひとつだけ気になることがあった。「らのべ、って何だ?」ちょうどその時、対面からマックスがノシノシと歩いてきた。


「おー、マックス。丁度いいところに」

「ロッティじゃねぇか。どうした? サボりか?」

「あんたじゃないんだからね……。それよりもちょっと聞きたいことがあるんだけど『らのべ』って知ってるかい?」

「『らのべ』? なんだそりゃ? 新しい剣か何かか?」

「いや、黒須が言うには、本の一種らしいんだけど」

「本かぁ……」


 マックスは眉間にシワを寄せながら考え込んでいたが、ポンとロッティの肩を叩くと「本のことを俺に聞くこと自体が間違いだ」とガハハと笑った。ロッティは「おっしゃる通り」と思った。




「結衣に話す前に『らのべ』が何なのか、知っておく必要があるな」とロッティは思った。始めは気軽な気持ちでマックスに尋ねたが、考えれえば考えるほど、それの意味が重要かもしれないと思い始めていた。


 万が一、結衣にそのまま話して「ええ!? 優馬と黒須さん『らのべ』が趣味なんですかっ!? 私ショックですぅ」などということになったら大変だ。やはり一度でも「任せろ」と言った限りは、完璧に行わなければ。


 ロッティは備品庫へと向かってみた。頭の中の総務課勤務表によれば、きっとそこで倉庫整理をしているはずだと思った。備品庫のドアを開けると、思っていた通り、彼女はそこで箱を棚にしまっていた。


「よぉ、フィーネ」

「あらあら、ロッティさん。どうしました?」

「いやぁ、ちょっと聞きたいことがあってさ」


 ロッティが事情をざっくり説明して「で、『らのべ』っていうのがよく分からなくって。フィーネ知ってるかなぁって」と言うと、フィーネは少し瞳を潤ませてうつ向いた。手の平で口を覆って「まさか、ロッティさんの口から『らのべ』って言葉を聞くとは思いませんでした」と言う。


「えっ!? 何? 『らのべ』ってそんなにヤバイやつなの?」

「ヤバイ……と言うか……」


 頬を赤らめながら「ちょっと言いにくいの」とつぶやくと、ロッティの耳元に口を当てて一言二言ささやくように言った。


「えええ!? な、な……『らのべ』って、そんな卑猥な意味だったの?」

「ええ、だから言いにくいって言ったじゃないですか!」


 ロッティはなんてことだと思った。まさか『らのべ』がそんなものだったとは……。これは結衣に言わなくて良かった。と言うか、言っちゃダメなやつだった。危なかった……。


 礼を言おうと振り返る。「フィーネ、ありがとう。助かっ――」フィーネは、もう駄目という感じで、笑いをこらえていた。


「……ウソか?」

「プッ……ごめんなさい」たまらずコロコロと笑い出す。

「おい」

「だって、結衣ちゃん絡みだって言うから」

「お前、結衣を何だと思ってるんだよ」

「あらあら、お友達に決っているじゃない?」


「てい」と軽くフィーネの頭にチョップをして「で? 結局『らのべ』って何か知ってるのか?」と改めて聞く。フィーネが「ええ、知ってるわよ」と答えるのを聞いて、ロッティは肩を掴んで「教えろ」と迫った。


「良いけど、条件があるわよ」

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