第19話 「違います! そういうんじゃないんです」(1)
「で、ロッティさん。その後デイモンさんとはどうなんですか?」
結衣が目をキラキラさせながら問いかけてくるのを見て、ロッティは少しうんざりした。と言うのも、うさぎの耳亭の再建が終わり、やっと平凡ながらも平和な毎日に戻った途端、結衣が毎日のように同じ質問を繰り返してくるからだ。
「お前、他に考えることないの?」
「あ、なんかその質問は少し傷つきますね。私だって、色々考えてることや、悩みだって多いんですよ?」
「へぇ、なんかそうは見えないんだけどね。例えば――」
「ブッブー! 駄目ですよ。そうやってはぐらかせようとしたって。昨日もなんだかんだで、有耶無耶にされましたけど、そう何度もその手は通用しません!」
ドヤ顔で目の前に立つ結衣に、再びイラッとするロッティ。結衣はお構いなしに「ねぇ? どうなんですか? 進展してるんですか?」と矢継ぎ早に聞いてくる。
「ノーコメント。仕事しろ」と言うのは容易い。しかし、それではまた明日も同じ光景が繰り広げられるだろう。そうだな、ここは……。
「それもそうだけど、結衣の方はどうなんだよ?」
「えっ!? 私?」
「そっ。結衣の方は進展してんの?」
「わ、私は別にそーゆーのないですし……」
「優馬。この前、購買課の黒須と随分仲良そうに喋ってたぞ」
「へ……へぇ、そうなんだー。へぇ……」
よっしゃ! ロッティは心の中でガッツポーズする。今まで似たような手は使ったことがあったが、やはり結衣はこの手の話の矛先が自分に向くのが弱そうだ。
先程まで輝いていた結衣の瞳は、どこか焦点の合わない感じなっていて、キョロキョロあちらこちらへと忙しく動いている。机の上の紅茶を飲もうとするが、動きがあからさまにぎこちなく、明らかに挙動不審になっていた。
流石にこれはやりすぎたかな?
そろそろフォローしとこうかと思ったが、結衣は「あ、へぇ。優馬と黒須さんが。まぁ私には関係ないんですけど。ふーん、そうなんだ」とぶつぶつ言っている。どうしたものか見ていると、やがて「オシゴト、イッテキマース」と総務課を出て行った。
隣で「なんだ? 結衣、変じゃなかったか?」と首を傾げるマックスを見て、ロッティは「やっぱり、ちょっとやりすぎたか」と頭をかいた。「少し出てくるよ」と言って、結衣の後を追う。
廊下に出てみたが、既にそこに結衣の姿はなかった。「意外とすばしっこいな」と左右を見回す。「今日の結衣の仕事は、確か第5教室の『魔法灯』の交換だったはず。ということは、購買課に行っているのか?」そこで「あ、まずい」ということに気づいた。
今、購買課の黒須と鉢合わせると、一体どうなってしまうのか? 結衣のことだから黒須を問い詰めたりはしないだろうけど……。
しかし、いつもと違った結衣の反応を思い出して「いや、女ってのは恋絡みだと人が変わるって言うからな」と、自分も女だと忘れてしまったかのような感想を述べて、足早に購買部へと向かう。階段を駆け下りて、購買部のドアの前に立った。ドアに付けれられている小さな窓から、中の様子を伺ってみた。
購買部の部屋は入ってすぐの所に、カウンターテーブルがある。ここを訪れた職員が、購買申請の用紙を記入するための物だ。そっとその辺りを覗くと、結衣の後ろ姿が確認できた。手元には用紙が置かれており、どうやらこれから魔法灯の申請書を書くようだった。
幸いなことに結衣の近くには誰もいなかった。ロッティはホッと息を吐き「間に合った」と安堵した。しかし、すぐに結衣の様子がおかしいことに気がついた。申請書を前にして、一向に手が動いていない。それどころか、視線は机に向いておらず、購買課の奥へと注がれていた。
ロッティがその視線の先を追ってみると、そこにはいくつかの作業用のデスクが置いてあり、そのうちのひとつに黒須が座っている。更に視線を横に動かすと、そこには一人の男が立っており、黒須と話し込んでいた。
ロッティの顔が青ざめる。あの後ろ姿、間違いない。優馬だ。バキッという音が聞こえて、再び結衣へと視線を戻すと、結衣の手に握られていた鉛筆が真っ二つに折れていた。折れた鉛筆を握る手がワナワナと震えている。
ロッティは慌てて、購買部のドアを開けて中に入った。「おい、結衣。ちょっと」と言って結衣の腕を掴む。黒須に優馬、それに購買課の職員が一斉に、何事かと振り向いたが「あはは、お構いなく〜」と愛想笑いを浮かべながら、そのまま結衣を部屋の外へと連れ出した。
廊下へと出たが、結衣はうつ向いたまま顔を上げようとしない。見ると、手の平からは少し血が出ており、それが一滴床へと落ちた。「とりあえず、医療課に行こう」ロッティは結衣の肩に手を置くと、彼女を連れて廊下を歩いていった。
「いやぁ、私も悪かったよ」
ロッティと結衣は医療課のベッドに腰を掛けていた。結衣の治療は既に終わり、手には包帯が巻かれていた。ロッティは職員に断って、ベッドをひとつ借りると、そこに結衣を座らせた。
今朝のことを謝って「黒須と優馬がしゃべっていたのも、雑談だろう」と必至で慰めた結果、ようやく結衣は平静に戻りつつあった。
「いえ、私の方こそ……つい、取り乱しちゃって」
「まさか素手で鉛筆折るとはなぁ。お前、いつの間にそんな力付いてたの?」
「あは。総務課の仕事は結構力仕事が多いですからね」
そう言いながら、腕を曲げて小さな力こぶを自慢げに見せる。「しかしまぁ……」結衣の顔をしげしげと見ながらロッティは言った。「まさかそこまで優馬のことを……」結衣の頬が瞬間的に赤く染まる。
「そ、そんなことないです! そういうんじゃないんです!」
「いや、でも――」
「違います! 別に……そういうんじゃなくって……。何ていうか、出来の悪い弟に彼女が出来た姉の心境と言うか、自慢の娘に男が出来た父親の心境と言うか……」
「……それ、二つ目は立場がおかしいだろ」
ロッティの言葉に、結衣も「ですね」とクスッと笑う。それを見たロッティは少しホッとした。そして「このままじゃいけない」と思った。それは、以前結衣から受けたお節介への「お礼」の意味もあったし、彼女の上司としての「アネゴ的」な意味もあったのだが、ロッティは「なんとかしてやろう」と心に誓った。
「よし、結衣。あたしに任せときな!」
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