第6話 「奇遇ですね。実は私も」(下)

「あの、ここ良いですか?」


 そう声をかけると、女性は慌てて本を閉じ結衣を見上げた。「あなたは……?」と思い出そうとする表情を見せた。


「いえ、多分はじめまして、なんですけど。私、望月結衣と言います」

「望月……。あぁ、あの『600兆分の1の女』の?」

「あはは……その噂は忘れて下さい……」


 いつの間にか変な噂が流れていることを知ったのは、つい先日のことだったが、それはあまり広まって欲しいものではなかった。(いつの間にか、こんな所まで)と噂の広がるスピードに恐れおののいた結衣だったが、今日はそんなことのためにここにいるのではないと思い直した。


「まぁ、噂はともかく。転生者の望月結衣です」ニッコリと笑いながら続けてこう言う。「あなたと同じ元日本人なんですよ。黒須さん」


「あれ? バレてるの?」

「ええ。と言うか、私も昨日聞いたばかりなんですけどね」

「で、その元同郷の結衣ちゃんが、私に何の用なの?」

「ええとですね」

「あ、ちょっと待って。なんか昨日、変な報告聞いたわよ。もしかして、そのことじゃないの?」


 結衣の顔が少し引きつる。先手を打たれかけている、ここは何としても押し通さないと、と本能が告げていた。


「ええっと。そのことと言えば、そのことなんですけど……あのですね」

「駄目駄目。確かにここは日本人は少ないわよ。でも、そんなテクニックで私を落とそうたって、そうはいかないわよ」

「いえ、そんなつもりじゃ」

「それって心理学で言うところの『類似性の法則』でしょ? 『同じ出身なんですねぇ。奇遇ですねぇ』ってことを利用して、好感度を上げようって作戦でしょう?」

「うっ」


 ダメだ。バレてる。


 その法則の名前は初耳だったが、フィーネに昨日教えてもらったやり方は黒須の言う通りのものだった。万事休す。


 続く言葉が思いつかず、思わずうつ向いてしまう結衣。ふと、机の上に置かれた本が目に入ってきた。あれ、これって……?


「あ、黒須さん、その本って! もしかしてラノベの『ニートの俺が異世界に転生したら、速攻で返品された件』じゃないですかっ!?」

「え、あ、う、うん」黒須はキョトンとした顔になった。

「面白いですよね! 私も読んでるんですよ。あっ、もしかして、最新の7巻じゃないですか? ええ!? もう発売になってたんですか?」

「昨日届いたの……」結衣の怒涛の攻勢にタジタジになりながら答える黒須。

「えー。知らなかった! っていうか、どうやって買えたんですか?」


 ようやく立ち直った黒須は、思わず結衣のペースに巻き込まれたまま、ふたりはラノベ談義に花を咲かせた。


「あの、シーンかっこよかったですよねぇ」

「でしょ!? 『残念だったな、返品はできない! なぜなら……クーリングオフ対象外だ!』ってね」

「くぅ~、痺れます!」

「そうそう、日本じゃ、もう8巻も発売されているらしいのよ」

「えぇ!? なんかズルいですね」

「ねぇ? こっちだと入手するのに時間がかかるんだよね」

「黒須さんって、どこで買ってるんですか?」

「通販の『サバンナ』よ。結衣ちゃん、会員じゃないの?」

「私、カード持ってないので……」

「じゃ、良かったら私が代わりに買ってあげるわよ」

「本当ですかっ!?」

「うん。あ、この本も良かったら、貸したげるけど? それにうちにもっとたくさんラノベあるから、それもいつでも持ってって良いよ」

「うわぁ、ありがとうございます! ぜひぜひ」


 いつの間にか、ふたりはすっかり打ち解けてしまっていた。話が一段落したところで、黒須は壁にかかっている時計を見て「あ、いけない。もうこんな時間だ」と慌てた。飲み物を飲み干すと立ち上がり、結衣に「また、今度ね」と手を振って歩き出す。


 結衣も笑顔で手を振り返していたが、黒須はふと立ち止まると、くるっと振り返り「施設課の件。しょうがないから、なんとかしてあげるね」と言ってくれた。


 結衣は思わず「ありがとうございます!」と頭を下げたが、黒須は「いいのよ。同郷の士って言うのはともかく、同好の士って言うのは、大切にしないとだしね」と笑って答えた。


 早速、その足で施設課に行き、ライマーにそのことを報告した。ライマーは「流石結衣だ! ほらな、結衣に任せとけば間違いないって言ったろう?」と周りにいた仲間に同意を求めていた。「いえ、今回は特別ですからね」と、一応念を押してみたが、ライマーは「ガハハ、また頼むぜ」とまるで聞いてない様子だった。


 総務課に帰り、フィーネにも同じように報告する。フィーネに聞いた情報は見破られてしまったのだが、結果としては上手くいったので、きちんとお礼を言った。


 それにしても、結衣はなんとなくすっきりしないことがある気がした。うーん、どうしてだろう……と考え込んでいたが、フィーネが「疲れたでしょう?」と紅茶を淹れてくれたので、とりあえず喜んでそれを頂く。


「それにしても、クロスさんが、ラノベ好きだったとはねぇ」

「ですよね? しかも結構たくさん読んでいるらしくって、私も色々教えてもらっちゃいました」

「へぇ、そうなんだ」

「ええ、なんでも小さい頃からラノベが好きで……」


 あれ? 小さいころから? ん?


「あの、フィーネさん?」

「ん? どうしたの結衣ちゃん」

「黒須さん、小さいころからラノベが好きって言ってたんですけど」

「うん」

「なんで、記憶あるんでしょうか?」

「あー」

「私、前に『結衣ちゃんは特別だから、記憶を持ったまま転生できた』って聞いてたんですけど?」

「あー」

「フィーネさん?」

「あ、そうだ。結衣ちゃん、警備課が結衣ちゃんご指名で仕事を頼みたいって言ってたわよ?」

「誤魔化さないで下さい!」

「さーて、私も午後のお仕事頑張らないとね!」


 逃げるように去っていくフィーネを見て、結衣は「またこの展開か」とがっくりと肩を落とした。

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