第4話 「もうちょっとまけて下さい」(下)

「はぁぁぁぁ」


 結衣は荷馬車の御者席に座って、先程よりも深いため息をついた。


 ロッティにしてみれば、きっと悪気があったわけではないのだろうと結衣は思う。始めに言っていた「お姉さんが奢ってあげる」の言葉に嘘はなかったのだろう。その点では結衣はロッティのことを信用していた。


 ただ、酔ってしまったロッティは別だった。残された空ジョッキの数から察するに、相当飲んで相当酔ったはずだ。きっとベロベロになって、約束をすっかり忘れて店から出て行ったのだろう。


 胸の、胸のことさえ考えていなければっ!!


 結衣は後悔したが、時既に遅し。


「全部で4,300ゴルになります」


 お会計をお願いすると店員はそう言った。今月のおこずかいが……。これだけでほとんど吹っ飛んでしまった。どれだけ飲んでいるのよ、ロッティさん! 結衣は心の中でツッコミを入れてから、羽織っていたコートのポケットに手を入れる。


「お財布お財布っと。って、あれ?」


 そこから出てきたのは、結衣のお財布ではなく、口を縛られた麻袋だった。「あ、これはお使いの分だ」フィーネに渡されたお使いのお金を入れていた袋だった。


「ちょっと待って下さいね」と断って、もう一方のポケットを探る。何もない。慌てて、スカートのポケットも探る。しかし、ここにも何も入っていなかった。もう一度コートのポケットを探るが、やはり財布はない。


 恐る恐る店員の顔を見上げる。「4,300ゴルになります」と営業スマイルで、もう一度店員が言った。


 結衣はやむを得ず、お使い袋からお金を取り出すと、支払いを済ませて店を後にした。そこで深いため息となったわけである。


「どうしよう……」


 マックスに買わされたダンベルっぽいのが確か2,000ゴル。そして、ここの会計が4,300ゴル。しめて6,300ゴル。元々持たせてくれていたのが42,000ゴルだったから、ええっと……。「35,700ゴル!」


 計算だけは自信がある結衣は、少しだけ胸を張ってみた。いや、自慢している場合じゃないし、と手綱を掴むと馬車を走らせた。それでもその時、結衣はまだなんとかなると思っていた。フィーネは「少し余る」って言っていたし、何度か行った別のお使いでも、大体「おまけしとくよ!」と言われることもあったので、今回もきっと大丈夫だと思っていた。


 雑貨屋に着くと、結衣はもらっていたリストを店の店主に手渡した。今まで訪れたことがある店は、たいてい男の店主が仕切っていたが、この雑貨屋は中年の女性だった。


 女店主はリストに目を通すと、若い店員に「これを荷台に詰め込みな」と言った。そして、結衣の方へ戻ってくると「全部で4万飛んで200ゴルだね。200ゴルはまけといてやるよ」と言った。


 つまり、代金は40,000ゴルちょうど。一方、結衣の所持金は35,700ゴル。「足りない……」結衣の顔が青ざめた。一応、と思いながら「ええと。もうちょっと安くなりませんか?」と聞いてみた。


 女店主は「はぁ?」と顔をしかめて「さっき200ゴルおまけしたじゃないさ。それだけだよ」と言って手のひらを突き出してくる。


 こうして結衣と女店主の押し問答が始まった。


「そこを何とか! もうちょっとおまけして下さい!」

「だめだめ。そんなこと言われたって、出来ないものは出来ないの」


 結衣は少し涙ぐんでいた。リストの商品を多少減らしてもらえれば、なんとか金額的に収まるようにできるかもしれない。でも、どれがどれだけ必要なのかが結衣には分からなかった。それに、理由はあったとしても、こんな簡単なお使いに失敗するのは嫌だとも思った。


 なんとかしなければ!


 そう思ったものの、女店主は取り付く島もない様子で結衣を睨んでいる。困り果てた結衣がふと、通りに目をやると、そこに見慣れた姿が見えた。


「課長ぅぅ!」


 そう呼ばれた細身の男が振り返った。「おや、結衣さんじゃありませんか」と笑みを浮かべて手を振った。ジーン・グラフトンは総務課の課長だった。結衣やフィーネ、マックス、ロッティの上司にあたる。


 40歳だと言っていたが、髪の毛は真っ白でそれが白髪なのか地毛なのかは分からない。口元に髭を蓄えており、少し骨ばった顔と合わせて、少し怖い印象はあるものの、実際にはとても優しい人柄で、結衣はこの1年、ジーンが怒っているところを見たことがなかった。


「どうかしましたか?」とジーンは、泣き出しそうな結衣を見て、目を細めながら問いかける。結衣は店から出て、ジーンの元へと行くと事情を説明した。言いにくかったものの、自分も茶屋で飲食したことも素直に話した。


 ジーンは黙って聞いていたが、結衣の話が終わると「結衣さん。私も手持ちがないのですが、ここはお任せ下さい」と言った。そして結衣から、お金の入った麻袋を受取り、しばらくそのまま荷物が積み込まれるのを見ていた。


 店頭に出された荷物のほとんどが積み込まれたのを確認してから、ジーンは「ちょっと行ってきますね」と店の中へと入っていった。5分ほどジーンは女店主と話をしていたが、やがて店の外へ出てきて「OKだそうですよ」と笑いながら結衣に言った。


 結衣は驚いて「どうやったんですか?」と聞いた。ジーンは「後で」と答えると、荷物の積み込みを手伝ってから「私も乗せてもらえますか?」と結衣に聞いてきた。


 結衣とジーンは御者席に並んで座り、帰路についた。店から少し離れるとジーンが口を開いた。


「あの女店主に、素直に『これだけしか持っていない』と言っただけなんですよ」

「えぇ? そうなんですか!?」

「はい。それだけです」


 結衣は信じられないと思った。実際、結衣も「もうちょっとまけて欲しい」とお願いしたことをジーンに言った。ジーンは笑いながらこう言った。


「なるほど。でも、結衣さん。それじゃまけてくれないですよ」

「どうしてですか?」

「あの女店主からすれば『お金はあるのに、まけてくれとは強欲なことを言う』と思われていたんですよ」

「はぁ……」

「だから、ああ言う場合は、素直に袋の中身を広げてみせるんです。『ほら、これだけしかない』とね」

「でも、それだけでまけてくれるとは思えないんですけど」

「そうですよね。だから、積み込みがある程度終わるのを待ったんですよ」


 結衣はそう言えば、ジーンが結衣の話を聞いてもしばらく動かなかったことを思い出した。


「半分以上積み込みが終わった頃を見計らって『これだけしかないけど、これだけで良ければ買って帰る。駄目なら、また出直してくる』と言ったんですよね」


 ジーンのその言葉の意味が一瞬分からなかったが、少し考えるとなんとなく、どういうことかわかった気がした。


「女店主からすれば、折角積み込んだものをまた降ろすことはしたくないものです。それは作業的に面倒だ、というのもありますが、商人の心境的にもそうなんですよ」

「心境……ですか?」

「ええ。商人というのは、基本的には『売れれば嬉しい』ものですよね」

「それは、そうですよね」

「はい。売れると分かった時点で、ある程度利益のそろばんを弾くものなのです。だから絶対に売りたいと思う。でも、一方で利益を減らされるのは嫌だとも思うわけですね」

「なるほど。私、商売はしたことありませんけど、それはよく分かります」

「だから、あの女店主は目の前にお金が広げられた時点で、それで利益が出るかという計算をしたのだと思います。今回は多少目減りはしたものの、なんとか利益が出たようですね」


 結衣は思わず「はぁぁ」と感心する。確かに結衣のやったように、ただ「まけてくれ」と言うだけでは、一体どれほど値引きすれば良いのか分からないし、計算も出来ない。しかし、具体的に「これだけしかない」と言えば、そこから積み込みが無駄になることと、得られる利益が天秤に掛けられることになる。


 その結果、ジーンの言う通り、今回は利益が出ると言うことが分かり、商談が成立したというわけだ。結衣は尊敬の眼差しでジーンを見た。ジーンはホッホと笑いながら「まぁ、あんまり多用はしてはいけませんよ。それに、今度からはおやつは買い物の後にした方が良いでしょう」と釘を刺した。


 結衣は自分の食べたチコリの実のパイの味を思い出しながら、照れ笑いを浮かべた。

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