session 008
「ふんふんふーん♪ ふーんふーん♪」
湯上がりの髪を後ろでまとめ、露出した顔にお手入れをしていく少女の姿があった。リンカンガッコーの三学年生で、一際お洒落に気を使う、明るい少女。
年齢を考えばまだ不要であろうお肌のメンテナンスは彼女にとって日課であった。自分に手をかけ磨き上げることで、気分が高揚するし自信がつく。彼女はそんな自分の生き方が気に入っていた。
お気に入りのパジャマはふかふかのパーカーだ。髪の毛を乾かし終えると、ジップを胸元のちょうどいい所まであげて、部屋のドアを開けた。
この時間、宿舎内を出歩く生徒はほとんどいない。友達と話す分にも部屋に設けられた専用回線を使えば手ぶらで話せるし十分快適だ。男子棟と女子棟は一応分かれているので、年頃の男女がふらついているなんてこともない。少女はそんな
しばらくすると男子生徒がドアを薄く開け顔を出した。歳に似合わぬ恵まれた体躯は、肌に張り付いた肌着越しにも否応なしに主張する。隆起した筋肉がたくましく、腕や足は太いが高い身長のせいですらっとして見える。顔に目をやれば、中々精悍で悪くない顔立ちだが、その目つきは鋭く、その気性を良く表していた。
「……なんだ、ミヤビか。何の用だ」
少年は怪訝な表情で言う。
「いーれて」
少女の声が自身のテンションをまるで無視したものであるのはいつものことだ。気が知れていない訳ではない。夜間、異性の棟に忍び込むのは校則違反で、バレた場合は厳しい処罰が待っている。少年は左右を見渡し
「やぁ、元気?」
ミヤビと呼ばれた少女はわざとらしくあどけてみせる。少年の顔を見れば機嫌が悪いことくらいは容易に想像がつきそうだが、しかし彼女はそれを恐れたりしない。その程度には付き合いの長い間柄だった。
「一体なんのつもりだ。バレたらまずいってのは知ってんだろうが」
「わかってるよ。今日は誘いに来てあげたの」
「は? どこへだ」
「じゃなくて、バディのね。アツシ、どうせまだ決まってないんでしょ。期限明後日までですけど、どうなんですかー?」
アツシと呼ばれた少年は言葉に詰まった。
「どうしてわかった」
「だってアツシ、喧嘩っ早いもん。そんなんじゃ女の子から声をかけるなんて無理無理。というか声をかけられたって断るよね。前なんか女の子に怒鳴ってたし」
あれを見てたのか、と少年は思った。気に入らない女がいるが、そいつに全く相手にされずに増々腹が立ち、カッとなってしまった。あの女のした事を考えれば、俺にはそれだけの事をする権利があるのは間違い無い。だがそれでも相手は女だ、後になって反省はしていた。結果としてそれを止めてくれたハヤトやイサナには心の内では感謝をしているものの、やっぱり腹が立ってくる。特にハヤトの緊張感の無い顔立ちは見るだけでも拳を握りしめてしまう。
「ほっとけ。そういうミヤビはどうなんだよ」
「あたし? ほら、じゃーん」
ミヤビはそう言って胸元からバディ申請書をトランプのように広げて取り出した。枚数は五枚。胸元が無防備なのはわざとなのか無意識なのかが相変わらずよくわからなかった。
「あたし結構人気だったりするんだよね。ほら、明るいし? 可愛いし? 女子力高いしね」
「そんな事を自慢しに来たのかよ」
「だから言ってるじゃない、バディ、組んであげるって」
そういって自分の名前だけが書かれた申込書を少年に突き出す。少年はなかなかそれを素直に受け取れないでいる。繊細な年頃ゆえ誇大な自尊心がそれを邪魔していた。
「どうせ人前で言ったって、突っぱねちゃうんでしょ。そういう所、変わってないよね。そこを考えてこうしてお忍びで来てあげるあたしって、いい女だと思わない?」
いつまでも受け取らない少年の態度に諦めたのか、しかし自分の意志をまげるつもりのないミヤビは、玄関横の棚に申込書を滑らせる。
「まぁあたしも、よく知らない人とバディ組むのは正直嫌。アツシなら知ってる仲だし、アツシが強いのも良く知ってるしね。これって結構、お互いにいい話だと思うよ。まぁ考えておいてよ。アツシが受けてくれないなら、あたしはこの五人の中から適当に組むから。その場合、ブサイクでどんくさいカノジョとバディ組まされても恨まないでね。じゃ」
ミヤビは言いたいことを言いたいだけ言った後、舌を出しながら敬礼して部屋から去っていった。
アツシは悔しさと嬉しさが同居し不思議な気持ちに落ち着かず、意味もなくベッドに飛び込んだ。自問自答によって冷静さと取り戻そうとする自分がいる。
俺にだって目標が無いわけじゃない。やり遂げなければならない事だってある。そのために俺は強くならなければならない。そう心に決めて自身に厳しいトレーニングを課してきた。力だけなら学年の誰にも負けない自信がある。だが、それだけでは生き残れないことも知っている。
枕元の写真立てには、第一次調査隊が撮影したあの場所の写真があった。
「ミヤビ。ありがとよ」
アツシは体を起こすと、ペンを取った。
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