session 007
教室はざわめいていた。ヤッちゃん先生がモニターに映し出した内容が想像しえないものだったから。
「特別破棄地区にニッポン熊の生息が確認された。先月で一件、今月に入りさらに二件。連中は津軽海峡大橋を渡ってここハコダテにその勢力を伸ばしているものと推測される。よって本校の生徒達には、最低限の自衛能力、有事の際の連携を高めてもらう必要がある。これに基づき、より早い段階での非常戦闘訓練を課すと共に、今まで一年に一回行われていた生徒間模擬訓練を一般科目へ変更する」
新学年に進級して少しも経たないうちでの規則の変更に生徒達は戸惑いを隠せなかった。それは僕も同じだ。
「ついては、一週間後にはバディ申請を受け付ける。双方、好みの相手を探してバディを組め。期限内にそれができなかったものはこちらでバディを指定する。登録が完了次第、総当たり戦でマッチを行うから、心しておくように」
教室がより一層ざわめいた。
バディ申請は生徒たちにとって特別な儀式だった。それぞれ個別に行われていた訓練実習がバディ申請後に初めて合同で行われるようになるからだ。そして優秀なバディはそのまま調査隊メンバーとして選出される。これはちょっとした色恋沙汰でもあって、将来を決める大切なものでもある。まぁ、僕にはあまり関係がない話ではあるんだけれど。
「先生」
そんな時、僕の後ろから声が上がった。凛とした声の主はイサナだ。なんか険しい表情ですこし怖い。
「なんだイサナ」
「その表の一番下、特別選出枠を除く、って書いてありますが、それはなんですか」
特別選出枠かぁ。学年代表生みたいに実力に優れた生徒が選ばれるんじゃないかな。たとえばイサナみたいな。僕には増々関係ない。
そこまで思って表を眺めると、小さく、僕の名前が書いてあった。
「え!? 僕!?」
それに気がついた生徒達は一斉に静まり返った。それもそのはず、僕はカレシとしては落ちこぼれだったからだ。そんなの、クラスのみんなが知っていること。
「先ほど、ニッポン熊の話をしたな」
「それが今回の件とどう関係があるんでしょうか」
「その熊に襲撃されたのは、そこにいるハヤトだ。……撃退したのもな」
クラス中が「えー!!」と湧いた。その中には僕もいた。
だって先生、その話は秘密にしておけってゲンコツしながら約束させたクセに…。
「ハヤトが…?」
イサナは物凄い目で僕を見下ろしていた。まるで信じられないって感じで。僕もそう思うよ。
「ニッポン熊を在学中の生徒が撃退したケースは殆どない。学長はそれを貴重なケースとして取り扱うと決めてな。その時のカノジョとバディを組ませる事になっている」
「えーじゃあ!」
僕は反射的に飛び上がった。
「良かったなハヤト。これでお前は余らずに済むぞ」
その瞬間、僕のガッツポーツに腕を絡めて抱きついてきたのはタケルだった。
「おいやったなハヤト!」
教室はいつにないくらい賑やかだった。僕を祝福してくれる人、驚きを隠せない人、なんであいつがと怪訝な人。
「申請書類は教員室の前に置いてある。両者の名前を記入した上で二人揃って、どちらかのクラス担任の所まで来ること。来週までは担任達は放課後もいるようにしてある。あとは当人同士で適当にやってくれ。では」
ヤッちゃんは半ば投げやりに話題を終えると、教室から出ていった。それを、さっきから黙って直立不動だったイサナが走って追いかけていく。一体どうしたんだろう。僕の特別枠なんか気にしなくても、君は学年代表生、十分強いしバディ探しなんて困らないだろうに。
∑∑∑
「先生、待って下さい」
リンカンガッコーの廊下は短い。各学年で三クラスしかない本校は敷地に対して校舎が極端に小さかった。階段を下り始めるその背中に声をかける。
「なんだイサナ」
先生は振り向かない。足取りだけを止めて私の質問を背中で受けていた。
「なぜ私じゃないんですか」
「質問の意味がわからんな」
「なぜ、ハヤトのバディが私じゃないんですか」
校舎には西日が入り込んでいた。私の背中から指す橙の光りが階段に影を作り、私の影に先生が溶け込んでいる。先生は首から上だけを振り向いたけれど、先生の表情が全くわからなかった。
「逆に聞くが、なぜお前である必要がある」
「私は学年代表生です。彼の実力を考えた時、その安全を考えるならより実力が高い者とバディを組ませるべきです。ならばその相手は私であるはずです」
「…そいつは違うな」
先生は静かに階段を上がってくる。
「そもそもバディは実力を公平にするために組んだりしない。特別区域でより生き残れる可能性の高い調査隊を構成するために行うんだ。実力を均等にしてみんなが使い物にならんのでは意味が無い。実力が高いもの同士が組み、生徒間模擬訓練でその実力を示した者が調査隊への道を切り開くんだ。その点で言えば、お前の相手にハヤトは相応しくない」
「しかし!」
「それにだ」
先生の手が私の肩を強く握る。制服が軋む。
「お前はハヤトの相手に相応しくない。自惚れるなよ」
その言葉は私の思考を停止させた。
――私が、ハヤトに相応しくない?
「あいつはキモチが不安定だ。マモリのキモチなんて殆ど扱えてない。だからあいつにはパンタグラファーをもたせてるんだ。お前、あんなのとどう組んで戦う? あいつが人一倍早く動けた所で、お前を守れるわけでも、助けになる訳でも無い。お前は実質一人で特別指定生物どもから身を守らなければならないんだ。そんなのバディと言えるか?」
私は何も言えなかった。
∑∑∑
教室に戻っても、私の前にいる少年は見るからに浮かれていた。
その気持ちは分かる。
ずっと落ちこぼれって言われてて、バディになってくれるカノジョなんて居る訳ないなんて言われて。
だけど誰よりも特別破棄地区に行きたがっていることを私は知っている。その想いは誰よりも純粋なことも。クラスの連中が色恋に盛り上がっている中で、バディをまるで結婚みたいに捉えるようなヤツらの中で、彼だけが違った。彼のあの場所への憧れは、そんなくだらない物じゃない。
叶えてあげたいと思った。
戦えない彼の為に、誰よりも強い武器になってやろうと思った。
「アンタはいいよね。バディがもう決まってるんだから」
気がついたら悪態をついていた。そんな事を言いたいのではないのに。一緒にいた女って誰?
「イサナは大丈夫だよ! 僕と違って、強いんだから。きっと申し込んでくるカレシ、多いんじゃない?」
少年の眩しい笑顔が網膜に焼き付いた。私は急いで瞼を閉じて窓の外を見た。
この胸の奥からこみ上げてくるものが、それを洗い流してしまわないように。
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