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検査は、少し苦手だった。記憶を取り戻すため、致し方ないことであるのは分かっているのだが、だからといって苦手なものは苦手なのだ。
別に駄々をこねているわけじゃない。裸を見られたり体の中を見られたりすることにいちいち文句を言ったりするほど子供ではない。問題はそういう検査ではないのだ。
と言うのも、これは本当に記憶を取り戻すための検査なのかと疑いたくなるような検査を幾度となく受けているからだ。例えばロールシャッハテストというものがある。これは抽象的な絵を見せて何を想像するかを調べるテストなのだが、果たしてこれは記憶を取り戻すために必要なことなのだろうか。気になって調べてみたが、やはりこのテストはあくまで性格検査の方法であって、記憶に関する検査ではないらしい。もちろん精神的なものを見るという点で少なからず記憶を理解する手立てになるのかもしれないが、一向に何かを思い出せそうにない。
なんて自分なりに様々な検査についてその意味をあれこれ考えてはみるが、そもそも私なんかがお医者さんの考えを理解できるはずがない。むしろ理解しようと思うのはあまりに愚かだろう。私のようなどこにでもいる一般人など、いくら知恵を絞ったところでお医者さんの足元にも及ばない。いつか誰かが病室でこんなことを言っていたっけかな。
「あいつらはバカみたいに頭がいい」
あいつらとは無論お医者さんのことであり、彼らのことをバカ呼ばわりできるのは大した度胸だが、言いえて妙というか、まさに上手く彼らの頭の良さを表しているなと感心したものだ。
「バカみたいに頭がいい、か」
「はい?何か言いましたか?」
「いえ、何も」
まあそんなわけで、どれだけ私が思考を巡らせたところで分かったものではない。現実的なことを言えばそれを説明するのもお医者さんの仕事ではあるのだが、話してくれないならそれでもいいし、無理に聞こうとも思わない。どうせ聞いたところで、理解できるものでもないだろうしね。
「じゃあ次はこれです。何をイメージしますか?」
鳥のような蝶のような、はたまた全く別の何かか。よく分からない絵を見せられる(全部そうなのだが)。
「・・・・・」
何かを思い出しそうになったけど、多分気のせいなんだろう。
検査が終わり、病室に戻る。もうここでの入院生活も二週間を過ぎた。色々と慣れてきたものである。
検査の終わりの後は、そよ風にでもあたりながら本を読みたいところだが、生憎今日は土砂降りの雨である。仕方ない、大人しくベッドの上で本を読むとしよう。
挟んだ栞をとって、昨日の続きを読み始める。この本には一応栞がついていたのだが、基本的に私は一度読み始めると何かしらの邪魔が入らない限り読み終わるまで読むのをやめない。なので栞を使うことは滅多にない。どころか、今日初めて使ったかもしれない。
因みに昨日何の邪魔があったかと言うと、実のところ何もなかったというのが正しい。単なる寝落ちである。たかが睡魔に負けるとは我ながらなんとも情けない。それにちゃんと栞を挟んでいる以上、寝落ちとは言い難い。寝るべくして寝ている。
私としてはなんとも不覚の出来事だが、周りからしてみれば「何十回と読んでいる本を読めば、そりゃ眠たくなって当然だ」というものだろう。確かに人は繰り返しの作業というものが非常に苦手である。私も自分では全く自覚がないにせよ、繰り返し読むことに頭が麻痺しているのかもしれない。
栞を挟んだページの最初の一文を読む。「ああ、この辺りだったっけか」とすぐさま話の内容を思い出した。何なら暗唱できるくらいだ。ためしてみたことはないが、案外寸分違わず同じ文章が書けるかもしれない。・・・は、言い過ぎか。どれだけ自分の記憶力に自信があるというのか、私は。
本の内容に触発されてか、ふと自分は今何歳なのかと考えを巡らせた。同期である美緒と桜花が四期生であるから・・・二十一か?いや、それとも二十二か。私が眠っていたのが約一年だから事故にあったのは二十くらいの頃・・・。そうか、私ってよく考えなくても二十歳超えていたんだな。なんかショック・・・。華の女子高生通り過ぎて大学生だもんなあ。恋人とかいたのかな。いや、それなら見舞いの一つくらいくれるというものか。モテなさそうだもんな、私。美緒と桜花にはいるのかなあ。
なんて、適当に考えていると、丁度というべきなのかどうなのかはさておき、二人がお見舞いに来てくれた。
「おはよう、二人とも」
「やや、久しぶりー・・・ってほどでもないか。まだ前来て一週間も経ってないと思うし」
「いえ、ピッタリ一週間よ。七日ぶりね」
「よく覚えてるなあ、そんな細かいこと」
「これって細かいかしら?」
私に同意を求めるように桜花がこちらを向く。私は肩を竦めて「美緒にしてみれば細かいんじゃない?」と言っておいた。
よくよく見れば二人の体が少し濡れている。外は土砂降りの雨なのだから当然と言えば当然である。
「こんな頻繁に来て迷惑じゃないかしら」
「まさか。いつも退屈だから二人が来てくれるとすごく嬉しいよ」
「またまたー、そんなこと言ったら毎日来ちゃうよ?」
「あはは、それは嬉しいけど駄目だよ。美緒はまだ終わってないんでしょ、就活」
「うう、それは言わないでよ・・・」
「じゃあ私一人で来ようかしら」
「それはずるいよ!」
あはは、とまた笑う。もちろん美緒は笑わないし、笑えないだろうけど。しかし実際死活問題ではある。私自身、こんな状態では就職なんてできやしないだろうから。
「でも、どうしてこんな土砂降りの日に?来てくれるのは嬉しいけどわざわざこんな日に来なくても・・・」
と言うと、落ち込んでいた美緒が「んっふっふ」とか言いながら顔を上げた。見れば笑っている。今のは笑い声だったのか?どんな笑い方だ。
「それはもちろん、今日来ることに意味があるからだよ、ワトソン君」
「・・・誰?」
ホームズか?ホームズ気取りなのか?
「じゃん!」
と言って、彼女は手に持っていた紙袋を見せびらかす。見れば、どうやらそれはケーキ屋さんの紙袋のようだ。雨のせいか少し濡れている。
「・・・ケーキ?」
「そ、ケーキ」
中身を取り出すと、よく見たことのあるあの箱が出てきた。
「なんで、ケーキ?」
「誕生日おめでとう!しおりん」
「おめでとう」
・・・・・・。
「誕、生日・・・?」
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・・。
え?
「そりゃびっくりするよね、自分の誕生日だって覚えてないもんね。実は今日は、しおりんの誕生日でした!やったーおめでとー!」
膝に箱を置いて、パチパチと拍手をする。しかし私はその拍手すら耳に届かないほどに動揺していた。
いや。
恐怖していた、と言ってもいい。
今日は。
今日は何日だ?
「大丈夫?だいぶ戸惑ってるみたいだけど。やっぱり驚いちゃったよね」
「あ、あぁ・・・うん、そだね・・・」
驚いた。確かにそうだ。だけどその驚きはそうじゃない。
「ま、そういうわけだからケーキ買ってきたの。ちゃんとしおりんの好きなモンブランも買ってきたよ!」
!
・・・・・。
あぁ、そうか。
私、モンブランが好きだったのか。
・・・・・。
それって本当に。
私が好きなのか?
「さ、みんなで食べよっ。六個あるから一人二個ずつだよ」
美緒は棚から皿を取り出して私に、私が好物だというモンブランを渡してくれた。
「じゃあしおりんの二十二歳の誕生日を祝って、いただきまーす!」
「いただきます」
「・・・・・・いただきます」
スプーンでモンブランをすくい、一口。じんわりとした甘みが、口いっぱいに広がった。
・・・・・。
美味しい、のか?
「ごちそうさま。ありがとう、美味しかったよ」
「いえいえ、どういたしまして」
食べ終わり、渇いた笑顔でお礼を言う。正直、美味しかったのか美味しくなかったのかよく分からない。味なんて感じられないほどに、私は気をおかしくしていたようだ。もちろん、極力それを顔に出さないようにはしている。こんなわけも分からない話で、二人に心配をかけたくはなかった。最も、勘のいい桜花にはバレているのかもしれないけど。
「本当はね、退院できたら退院祝いと誕生日祝いとでケーキバイキングに行きたかったんだけど、駄目みたいだったから」
「あ、それで先週『来週までに退院できたら』って言ってたんだね」
「そ。あーあ、残念だなあ」
「それはまたの機会でいいじゃない。いつか詩織が退院できたときに改めて、ね」
「そうだね。寧ろ退院祝いと誕生日祝いを別々にできるんだから全然残念じゃないか!」
「どれだけお祝い事が好きなのよ、美緒は」
「だって楽しいじゃん。あー、もっと沢山買ってくればよかったなあ」
「ケーキ食べたいだけじゃない」
「あはは、バレたか」
頭を押さえ、照れたように笑う。だけど私は、途端に笑えなくなってしまっていた。まるでこの世の全てが、つくりもののように思えてしまっていたのだ。
彼女の笑顔も、会話も。
私の声も、存在も。
急に、そう感じ始めてしまった。いや、感じ始めていたと言うならばそれはずっと前からそうだった。だけど、それは単なる私の思い込みだと、偶然が何度も重なっただけだと自分に言い聞かせていた。それが今、確信に変わりつつある。
だから、私は。
二人に、それを聞いた。
「・・・ねえ」
「なあに?」
「二人には、恋人はいるの?」
「ううん、いないよ」
「私もいないよ」
「・・・そう、じゃあ、さ」
・・・・・・・。
「私に恋人はいた?」
「「いなかったよ」」
―――――。
間髪入れずに、二人は答えた。同時に、何の言葉の違いもなく。
「それがどうかした?」
一見優しいなからも攻め立てるような言い方で、美緒が問う。少なくとも、明らかに普通の物言いではない。早くこの話題を終わらせたいという思いが伝わってきた。この鈍感の私にさえ、分かるくらいに。言葉にせずとも桜花も同じ気持ちのようで、今までも意図的にその話題を避けていたかのようだった。
「・・・・・。いや、何でもない。ちょっと聞いてみただけ」
そう言うと美緒はにっこりと笑い、
「そっか!じゃあ私達はそろそろ帰るね。私これから二時面接あるから」
と、会話をぶった切って席を立つのだった。それらしい理由を述べるがなんてことはない、都合の悪い会話を避けたようだった。
「あんまりゆっくりいれなくてごめんね、詩織。またくるから」
「ううん、今日はありがとう。美緒、面接頑張って・・・ね」
「うん!頑張ってくるよー。今度こそは受かってみせるから!」
最後にいつも通りの笑顔を振りまいて、二人は病室を去っていった。
「・・・・・」
いつもなら二人が帰った後は、祭りの後のようなほの暗い寂しさに包まれるのだが、今日はただ、痛いほどの沈黙が佇むばかりだった。
ザアザアと鳴り響く雨の音が、嫌に私を不安にさせる。
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