2
入院生活というのは基本的に飽きるものなのだろうが、私はさほどその感情を抱くことはなかった。大抵の人なら三日もすれば、早くこんな生活を終えたいと思うだろう。できることは限られているし、行けるところも制限されている。それでも私がこの生活に飽きを感じないのは、なかなかどうして、大した精神力だ。
いや、単に無神経なだけか。
しかし唯一、飽き飽きしていることがあった。それは今眼前に並べられている食べ物の数々だった。
ただベッドで寝ているだけで食事が出てくること自体、幸せを通り越していいご身分なのだが、病院食というのは言うなれば非常に厄介だ。文句を言う権利なんて私にはないし、言ったところで別の料理が出てくるわけでもないのだが、少しばかり食べるのが億劫になるくらいには、ここの食事に飽き飽きしていた。とは言っても、まだ十日程度なのだが。
「逆に言えば、十日で食べ飽きるってことでもあるのか」
そんなことを呟きながら、私は黙々と食事を口へと運ぶ。この脂っ気のなさはなかなかに人を惨めな気持ちにさせてくれるものだ。最も、私にそんなことを思う心の余裕があるとは思えないが。
十日も経てば、少なからず心の整理はできてくるもので。目覚めた当初に比べれば、私も随分と落ち着いたものだ。いや、別に暴れていたわけでもないのだが。
そんな感傷(?)に浸りながら、窓の外を眺める。今日はどうやら曇りのようで、どんよりとした空気が窓を突き抜けて漂ってくる。食事を食べ終えたら散歩でもしに行こうかと思っていたがどうにも雨が降りそうだ。今日は諦めたほうがいいだろう。
しかしそうなると今日は何をしたものか・・・と思いを巡らせる。さっき言った通り入院生活というのはできることが限られているので、散歩以外にすることといえば読書くらいしかない。
時々体の検査もあるが今日はそれがない。退屈は人を殺す、なんて言葉があったような気がしないでもないが、そんな言葉を考えた人はさぞかし退屈だったに違いない。案外人が働く理由は退屈に殺されないためなのかもしれない、なんて適当に思った。
「ま、私は退屈を嫌ってないようだけどね」
朝食を食べ終えたところで、そう呟いた。ついでに食材と作ってくれた人に感謝の意を込めて「ごちそう様でした」と言う。感謝の言葉がついでというのは、全く感謝の気持ちがこもっていないかもしれないが。
私はどうやら、退屈は嫌いではなかった。寧ろ好きだった。果たして退屈が私のことを好いているかは知らないが、それは、私が記憶を失う前からそうなのか、それとも記憶を失ってからそうなのかは、分からない。私は、自分が、どういう人間なのかを知らない。分からない。
そのことに不安を感じないかといえば嘘になるが、別にこのまま記憶が戻らなくてもいいとも思っている。
と。
いうのも嘘だ。
時々、何故かは分からないけれど、記憶を失っていることに強烈な恐怖を感じるときがある。何か大切なことを忘れているような、今すぐにでも思い出さなくてはならないことがあるような。そんな、焦燥感を感じるときがある。それは焦燥感なんて表現では生温いほどの、身を焦がすような激痛だった。
だけど同時に、絶対に思い出してはいけないような気もしている。必死になって思い出そうとすると、頭の中で警告音が鳴り響いて私の思考を妨げようとする。そして、いつもそこで私は激しい頭痛と眩暈の前に、気を失ってしまうのだった。
お医者さんが言うには、私の症例はさほど珍しくはないそうだ。記憶を失くした人は皆、案外同じ悩みを抱えながら生きているらしい。
お医者さんのその言い分は理解できる。確かに皆、記憶を失くせば不安に感じて、その記憶を取り戻したいという焦燥感に駆られるだろう。
だが「思い出してはいけない」と思うのは、果たして本当に皆同じなのだろうか。皆、私と同じような矛盾した気持ちを抱えて生きているのだろうか。何度聞いてもやはりお医者さんは「皆同じだ」と繰り返すばかり。そう言われると、この苦しみを味わっているのは自分だけではないのだという、希望というか、頑張ろうという気持ちが芽生えてくる。
しかし、芽生えてくる気持ちは、それだけではない。
それは―――。
「しおりん、元気にしてる?」
ふと、誰かが誰かを呼んでいる声が聞こえた。その名前が自分のものであることに、私は数秒を費やした。記憶がないのだから当然と言えば当然だし、仕方ないと言えば仕方ないが、もう目覚めてから十日も経つのだから分かってもよさそうなものである。
「
病室に入ってきた二人は、私のベッドの近くの椅子に腰を下ろした。どうやら私のお見舞いに来てくれたようだ。
「元気だよ、二人はどう?」
「ま、ぼちぼちかな。先のことを考えると元気なくすけどね」
「先のこと?」
「ほら、前に来たときも話したでしょ。私まだ就職先決まってなくってさあ」
「ああ、そっか。えっと、桜花はもう決まったんだっけ」
「ええ、もうしばらく前にね」
「いいよなあ、桜花は代わりに私の就活してくれればいいのになあ」
「何馬鹿なこと言ってるのよ」
あはは、と三人で笑う。二人が見舞いに来てくれると、何だか楽しい。
二人は私の友達、らしい。小学校からの付き合いで、なんでも中学も高校も、果てには大学まで一緒らしい。もちろん今の私にとっては二度お見舞いに来てくれた見知らぬ他人でしかないのだが、それでも二人と一緒にいると心が穏やかな気持ちになるのは、確かな友情がそこにあるからなんだろう。
明るくて元気がいいのが美緒。基本的に会話の始まりは彼女の一声から始まる。煩いまでの彼女の声に、私は何度も救われてきたのだろうと、容易に想像できた。
物静かで、おっとりとしたという擬音が似合うのが桜花。記憶にはなくとも少し会話をかわしただけで頭がいいのがよく分かる。馬鹿かどうかは行動で分かる、天才かどうかは会話で分かる・・・とはまさにその通りだ。その言葉を借りるなら間違いなく私と美緒は馬鹿だった。しかし、人を笑わせるため、人を元気付けるために道化を演じているであろう彼女を馬鹿と言うのはあまりにあんまりだろう。そう考えると私一人が正真正銘の馬鹿だった。
二人ともまさしく性格がそのまま顔に出たかのようなイメージ通りの外見で、もし神様の悪戯で外見が逆になっていたらさぞかし面白かっただろうと、そんなしょうもないことを考えたりもした。
「いつ頃退院できるか分かった?」
「ううん、まだ何も。お医者さんが言うにはまだしばらくかかるって」
「そっかあ。来週には退院できたらよかったのになあ」
「どうして来週?」
「美緒っ」
「あ、ごめんごめん何でもないの、気にしないで。それよりさ。リンゴ食べない?お見舞いにまた持ってきたんだけど」
「うん、食べる。ありがとう」
「やっぱりリンゴはお見舞いの定番だよねー。じゃあ皮むくから待っててね」
そう言ってリンゴを取り出し、ベッドの脇の棚に入っている小型のナイフで皮をむき始めた。
「もうすぐ終わっちゃうわけだけど・・・大学生活はどうだった?桜花。名残惜しい?」
「そうね。何よりも
「そんな、大袈裟だよ」
そう言うと、彼女は首を横に振る。
「全然大袈裟なんかじゃないよ。ずっと詩織のことが気がかりで、勉強なんて頭に入ってこなかった」
「桜花ったら今までずっとどの講義もS評価しか取ってなかったのに、三年のとき初めてA評価取ったんだよ。まあ、私からしてみればそれでもAなんだ・・・って感じだけど」
「確かに深刻だったのは美緒の方ね。進級できるかどうか怪しいくらいだったんだから」
「そんなに?」
「元々単位ギリギリしか取ってなかったからね。入学したとき多めに取っておけって教授が言ってたのにね」
「だって仕方ないじゃん!しおりんがこんな状態だって時に勉強なんてしてらんないよ」
「気持ちは嬉しいけど美緒、ちゃんとやらなきゃ駄目だよ。留年しちゃったら大変だよ?」
「・・・んー、それはそれでいいと思ってたしぃ」
「え?どうして?」
「だってそしたら、しおりんとまた一緒に大学生できるじゃない?」
「・・・・・」
少し照れながら、美緒は言う。そんな風に言われるとこっちまで照れてしまう。
嬉しいことは嬉しいが、今の私としては少し複雑な気持ちだ。確かに私は彼女らと仲のいい、気の合う友人だったのだろうけど、その確たる証拠は存在しない。その証拠が存在するのは思い出の中だけであり、故にその思い出の存在しない私にとってはまだ、彼女らはあくまで「見舞いに来た客」でしかない。彼女らを見て思い出の片鱗でも掴めればまた別だが、残念ながらその記憶を垣間見ることはできなかった。私の心の中には常に「彼女らは誰なんだろう」という疑問が、渦巻いているのだ。もちろんそれは、彼女らに限った話ではない。私に関わる全ての人にとって言えることで、それは、私自身にも言えることだった。
私は誰なのか。
その答えは、未だ分からない。
「あまり詩織を困らせるようなこと言っちゃ駄目だよ、美緒。今の詩織にとっては、私達はお見舞いに来たただのお客さんみたいなものなんだから」
と、答えに困っている私を見て桜花が助け舟を出してくれた。しかしそれは助け舟というよりまんま答えみたいなもので、心を見透かされたかのようだった。まるで私の心の声をそのまま声に出したかのような。そんな、分かりやすい顔をしていただろうか。それとも桜花の勘が鋭すぎるだけなのだろうか。
「あ・・・そう、だね、そうだよね。ごめん、ね」
美緒は桜花とは違い、その言葉を真正面から受け止められないようで、少し言葉に詰まった。が、控えめに自分の図々しさを謝るところを見ると、彼女の人のよさが伺える。
・・・まあ確かに、今までずっと友達だった相手にいきなり赤の他人呼ばわりされるのは(私が言ったわけではないが私の心の声を代弁してくれた以上、私が言ったと言って差し支えないだろう)耐え切れないものがあるだろう。落ち込むなというほうが無理な話だ。その無理な話を成し遂げている桜花の精神の強さには、甚だ恐れ入るが。いや、本当は心の中で色々思っているのかもしれないが、それを表情に出さないだけでも十分に驚嘆に値する。桜花は現実主義者なんだろうな、なんて適当に思った。
「ううん、謝らないで。そう言ってもらえて嬉しいよ。私達って本当に仲がよかったみたいだね」
「『みたい』じゃなくて今も仲がいいんだよ!あ、いたっ」
心底心外だと言わんばかりに美緒は声を荒げた。その拍子に指を切ってしまったようで、彼女は小さく苦痛をもらした。
流石に今のは自分の発言が間違っていたと、今度は私が「ごめん」と謝った。
「それより指、大丈夫?」
言いながら、彼女の右手をとる。その親指からぽたりと、私の手のひらに赤い液体が滴り落ちた。
「あ、これくらい大丈夫大丈夫。ちょっと切っただけだから」
私の手をするりと抜けて、彼女は親指をぺろりと舐めた。大丈夫とは言うものの思ったより傷が深いようで、数滴の血が床を濡らした。
「もう美緒ったら本当に落ち着きがないんだから。病院だからきっと絆創膏くらいあるはずだから、もらってきたら?」
「そうだね、そうするよ」
言って、美緒は椅子から立ち上がって病室を出て行った。その背中を見送った後、私は自分の左手の手のひらを見た。
そこには一滴の液体が、私の肌を濡らしていた。傾けるとツー、と手首へと流れ落ちていく。やがてその液体は服に触れ、じんわりと真っ白な布を赤く染めた。
「・・・・・・」
その様子を見ていると、得もいえぬ感覚に支配された。記憶を思い出そうとしたときに感じるのと同じ頭痛と、眩暈と、そしてちょっとの既視感。
加えて、このまま見続けていると吐いてしまいそうになるような、酩酊感。しかし、自分の意志で目を離すことはできない。
「詩織、どうかしたの?」
そんな混濁した意識から救ってくれたのは桜花の声だった。よっぽど絶望的な顔でもしていたんだろう、心配そうに私の顔を覗き込む。
「いや、なんでもないよ」
我に返って。なんでもなくない顔で言った。こんな顔では絶対に何かあったとしか思えないが、しかしだからと言って「どうかしたの?」という問いに答えられるかと言えば、そういうわけでもなかった。何かあったと言えば何かあったんだろうが、しかし何があったのか自分でもよく分からない。とても口で説明できそうにない。だから別に何もなかったと言えば何もなかったと言えるので「なんでもない」というのは別段嘘ではない。・・・はず。
「そう?本当に?」
「うん、ちょっとぼーっとしただけだから」
「そう。これ、ハンカチ。手拭きなよ」
「ありがとう」
差し出されたハンカチで言われた通り手を拭う。ハンカチには猫の刺繍が施されていた。こんな可愛らしいハンカチを血で汚すのは心苦しいが、彼女の好意を無下にするのも同じくらい心苦しい。
とは言っても、流れて伸びた血は既に渇いてしまったようで、濡れたもので拭かなくては落ちそうになかった。
「これじゃ落ちそうにないね。濡らしてくるよ。待ってて」
「あ、うん。ありがとう」
桜花も席を立って私一人になる。リンゴの皮の続きでもむいていようか。
そう思ってリンゴに手を伸ばすが、手のひらの血を見て思いとどまる。この手でリンゴを持ってしまっては血が移ってしまうだろう。折角のリンゴも血に染まってしまっては食欲も失せてしまう。正確には染まるほどの血は付着していないが、、汚れてしまうことには変わりない。大人しく美緒がむいてくれるのを待つべきだろう。
代わりにと言っては何だが、リンゴを掴もうとした手でナイフを取った。これは、以前美緒と桜花がお見舞いに来てくれたときに置いていったものだ。そのときはカゴいっぱいのフルーツを持ってきてくれた。映画やドラマで観たときのあれを自分が受け取るというのは、なかなかどうして、不思議な気分になったものだ。何だか今自分がいるのは現実ではないような、そんな感覚を感じた。或いは錯覚か。
・・・ま、既に記憶を失うなんてこと自体が現実離れした話ではあるのだけれど。それを言うならつくりものなのは私の方か。
見覚えのあるようなないような、(多分ないんだろう)ナイフを見つめる。美緒の私物とは言うがしかし、女子大生はナイフの一本くらい持っているものなのだろうか。包丁ならまだ分かるのだが。いや、毎日携帯してるなんてことはもちろんないだろうけど。
私がどうして記憶を失い、ここにいるのかをお医者さんは教えてくれない。それはどう考えてもおかしなことなのだが、問い詰めるほどの元気はなかった。二人が始めてお見舞いに来てくれたときは、目覚めたばかりでそんな話をする余裕もなかった。因みに両親は一度も見舞いに来ていない。と言うのも既に私は両親と死別しているそうだ。その事実を知ったときもちろん悲しかったが、顔も思い出せない以上、その悲しみは順当なものではなかっただろう。両親の死を真っ向から受け止められないのは辛いが、思った以上に悲しまなくて済んだと考えるべきか。それに記憶を失う前の私は、散々悲しんだだろうし。
そんなわけで私は、自分がこうなった訳を知らぬまま十日もの時間を過ごしていた。普通に考えればそれはあまりに異常であるのだが、私の中にある「思い出すべきではない」という思いが事実を知ろうとする心に歯止めをかけたのかもしれない。しかし、いつかは知らなければならないことであり、いつかは知ってしまうことでもある。やはり今日、二人に聞いて知っておくべきなのだろうか。
ナイフを自分の左手首に翳す。不思議と、違和感はなかった。むしろしっくりくるくらいだ。
もしかして私は自殺でも図ったんじゃ・・・と思ったが生憎手首にそれらしい傷跡はなかった。それなら首の頚動脈でも切ろうとしたか?いや、今朝鏡を見たときもそんな傷はなかったはずだ。
そもそも今の私は自殺というものを肯定していない。私は、自分が自殺するような人間であるとは思っていないのだ。少なくとも、今の私の思想では自殺は絶対にしてはいけないことだと考えている。たとえどんなに辛いことがあっても、どんなに逃げ出したくとも。
その思想が簡単に揺らぐとは考えにくいが、人生何があるか分からない。
案外あっさり人生に嫌気が差して自殺しようとしたとも考えられる。それなら記憶を失った理由としてもそれなりに納得がいく。
そんなことを考えているうちに、二人が同時に戻ってきた。美緒の指に絆創膏が、桜花の手にハンカチがそれぞれあった。
「おまたせ。リンゴの皮むき終わらせちゃうね」
美緒はひょい、と私の手からナイフを奪って(彼女の私物なので奪うというのは甚だおかしい)皮むきの続きを始めた。
「はい、ハンカチ。拭いてあげるね」
桜花は私の手を取って汚れを拭き取ってくれる。ここまで甲斐甲斐しく世話をされると何だか複雑な気分だが、もちろん悪い気分ではない。いや、取り立てて申し訳なく感じるが。女王様か何かか私は。
「ねえ、二人とも」
「なあに?」
「私って・・・何があったの?」
何と聞いたものかと思考を巡らせた結果、少しおかしな質問になってしまったが、二人は私の言葉の意味を理解してくれたようでピタリ、と手を止めた。
「・・・・・・」
一瞬の沈黙と。長い空白の後に、桜花が再び手を動かしながら答えた。
「・・・事故よ」
「事故?」
「ええ、そうよ。交通事故。詩織の乗っていた車が、トラックと衝突してね。それで、病院に運ばれて・・・」
「それって、トラックの運転手さんは・・・」
「亡くなったよ。即死だったって」
「・・・・・」
存外、単純な理由。と言えば、そうなんだろう。交通事故なんて、どこにでもありふれている。だけど、そのありふれた理由が自分に当てはまると知ると、途端につくり話のように感じてしまうのは、何故だろう。
ありふれたものを、ありふれたものとして、受け止められなくなってしまう。
「もしかしてその事故って、・・・・・私のせい、なの?」
「違うよ!」
「―――っ」
美緒の大声が、病室いっぱいに響いた。周りの病人たちは吃驚して、なんだなんだとこちらに視線を送る。吃驚したと言えば私もその一人だ。
「・・・・・ごめんなさい」
自分の行為がマナー違反だったことに気付き、弱弱しく謝罪を述べる。私はそんな美緒にただただ面食らうばかりだったが、桜花はクスリと笑い、感情的な美緒と違って分かりやすく説明してくれる。
「事故の原因は、向こうにあるよ。居眠り運転だったって。だから、悪いのは向こうの方。・・・そんなことを言ったって仕方ないかもしれないけどね」
「・・・・・」
悪いのは、向こうの方。確かに、そんなことを言っても仕方ないのかもしれない。もう、その向こうの方は、死んでいるのだから。でももし、私の運転ミスであったなら、私は人一人を殺してのうのうと生きていることになる。それは、あまりに酷い話だ。自殺は許されないことだけど、もしそうなら自ら命を絶つべきくらいの罪だ。
自分のために自殺することは許されないけど。
人のためなら、罪を償うためなら。
死んでもいいと、私は思っているようだ。
「だから、詩織がこのことを重く受け止める必要はないよ。思いつめる必要もない。今はただ、元気になることだけを考えればいいよ」
「・・・うん」
とは、言ったものの。
気になることが、あった。桜花との会話の中で。
いや、それは気になることと言うよりも・・・。
・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
「はい、リンゴむけたよ!」
できる限りの明るい口調で、美緒がリンゴを差し出してきた。綺麗にお皿に並べられたリンゴはみずみずしくて、とても美味しそうだった。
「ありがとう」
そう言って一切れを摘み、口へ運ぶ。シャク、という噛みごたえのある音が、脳裏に響く。私は、さっきのはただの言葉の綾だと思うことにした。
二人がわざわざ嘘をつく理由なんて、ないだろうから。
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