二時間だけのバカンス

@akiko_ooo

第1話





「おまたせ!」

ベージュのトレンチコートを着た彼女がやってくる。裾をひらひらさせて、小走りで。

「ううん、全然待ってない」

これは嘘とも言えるかもしれない。だってむかしっからずっと、彼女と会う日は朝から落ち着かなくて、手が震えて、コーヒーさえろくに注げない。だから待ち合わせの30分前には着いて、心を落ち着かせるための時間にしている。だから待ったと言われればそうなのかもしれないけれど、わたしにとってこれはなくてはならない時間。学生の頃から変わらない習慣。


「じゃあ行こっか。」

彼女をわたしの車に乗せる。はたから見たらただのママ友が一緒に子供を迎えに行く、くらいにしか見えないだろう。

「今日はどこに行きたい?」

「海、行きたい。」

任せて、と言ってから車を発進させる。







いい歳して車でするの、と聞かれたら、だって場所がないもの、としか答えようがない。主婦たちには完全なプライベートスペースがないのだ。海岸の人気のない場所に車を停めて、波の音とともに聞こえるのは彼女の甘い声。


「こんな恥ずかしい場所でなんて、学生の頃でもしたことがないわ。」

車を降りて、果てしなく続く水平線を眺める。隣には潮風に髪をなびかせて、家族の前では控えているたばこを吸う彼女。わたししか知らない彼女。たまらなく愛おしくなって唇を合わせようとしたとき、iPhoneが終わりの時間を告げた。わたしたちに許された時間は短い。

「帰らなくちゃ、ね。」

彼女な羽織っているトレンチコートの前を寒そうに合わせる。

「次は… 、いえ、また連絡する。」

そう言うとそそくさと車に乗ってしまった。帰りたくないと、このままふたりでどこかへ行ってしまおうと言えたらどれだけいいか。でも、わたしたちは知っている。それだけは絶対に口にしてはいけないことだと。











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