最終章
40 仮病
憎き梅雨が明け、澄み切った青空が常連となりつつある今日この頃。
蒸し暑さという名の地獄が過ぎたかと思えば、そうではなくて。
「暑い」
「だらしないわね。家でラノベばかり読んでるからでしょ」
「うるさい――あ、いや、
振り向いて睨みを利かせてきた
レンガの壁で底上げされた鉄柵が延々と並び、その内には騒音の根源たる木々と、遠目に古めかしい建物が見えている。
まるで名の知れた女子校のような広大な敷地だが、これ、邸宅なんだよな。しかも別邸。
歩みを再開した彩音についていく。
……こいつのこういう格好は久々に見るな。
頭には麦わら帽子、左手には手提げかばんをぶら下げている。本体は淡いピンクを基調としたワンピースに包まれていて、普段Tシャツとジーパンで済ますようなラフガールには到底見えない。
おめかしをしているのには訳があって。
「女子はいいよな。素肌を露出しても文句言われないんだから。僕も半袖半パンが良かった」
「
「構えすぎだろ。名がどうであれ、友達の親でしかない。普段どおりでいいんだよ」
「……これを見ても、そんなこと言える?」
立ち止まる彩音。……正門か。
門は既に開かれていて、ニュータウンの大通りみたいな広い道が拓けている。街灯、植木から銅像までもが整然と並び、ここを通るのかと思うだけで緊張しそうだ。
両脇にはガタイのいい黒服が控えてるし。
「言えるけど」
「強がりね」
「何事にも臆しない性格だと言ってくれ」
「一人で恥を晒す分には構わないけど、私がいる時は例外だからね」
「へいへい」
僕の出で立ちはと言うと、半袖の襟付きシャツに長ズボンのスラックス。カジュアルだが最低限の身だしなみは整えたといったところか。おかげで暑い。特に下半身。
ズボンをつかんで
見ると、シックな黒いワンピースに身を包んだ女性がこちらに向かってくる。
「
丁重なお辞儀で出迎えられ、
「綾崎です。本日はよろしくお願いします」
「え、あ、お願いします」
負けず劣らず自然に返す彩音と、台詞一つまともに言えてない僕。
こういうところで育ちの差が出るんだなとしみじみ。家庭環境は大差無いはずだが。
「では、こちらへどうぞ」
女性の後ろを、僕と彩音が並んで追う。
……この人のワンピース、よく見ると生地が薄い。彩音といい、ずるくないか。僕のスラックスは急遽引っ張り出した秋冬用なので通気性が絶望的なのだ。
ズボンを脱ぎたい衝動を抑えながら歩く。
女性も彩音も何も喋らない。じりじりと焼くような熱さにただただ晒されるばかり。敷地が広いことに殺意すら覚える。テレポートで移動したらあっという間なんだがな。
――テレポート。
どこか懐かしさすら覚える響きだ。
抹殺ゲームを完遂させて以来、全く使っていない。僕が跡形も無く消し去ってやったラスボスこと麻衣の件も、証拠が見つからないのか刑事からの追及は来なくなったし。
すっかり平穏な日常が戻ってきたと思っていたのに。
――姫香に会いに行くわよ。
この幼なじみが余計なことをしやがるものだから。
僕としては天神家に一蹴されて終わりだろうと楽観視していたが、まさかの快諾。
それも
……嫌な予感がする。
姫香は確かに死んだ。
天神家にとっては行方不明なのか、それとも死体を発見したのかはわからないが、ともかく姫香はいないのだ。
いない人間には会わせられない。断られるのは自明なのに、なぜか了承されて、この広大な別邸に招待までされている――
気が重いな。
だが、断ったところで意味はない。
こうなってしまった時点で向き合うしかないのだ。
キックボードが欲しいくらいの結構な距離を歩き、屋敷の一つに到着。
内部も当然のように広く、玄関だけでもホームパーティーが催せそうなレベルだ。冷房もきちんと効いていて、電気代だけでもいくらかかるのだろうとくだらないことを考えてしまう。
土足のままお邪魔して、奥まで進み、やがて一つの部屋に来る。
こんこん、と女性がノックした。
「旦那様。お連れ致しました」
「入れ」
てっきり女性が最初に入るのかと思いきや、「では」とお辞儀をして立ち去っていった。
「……ほら、彩音」
「早く入りなさいよ」
「第一印象は大事だ。ここは美人でマナーも知ってる彩音さんが先に入るべきだろう」
「……」
ワンピースをたくし上げる彩音。一体何を「痛っ!?」尻に蹴りを食らった。
僕が飛び上がりそうになる一方、彩音が済ました顔でドアを開ける――前に向こうから開かれた。
「やあ、よく来てくれたね」
テレビやネットで見覚えのある男性が姿を表す。
温厚な顔立ちと、百八十を超える身長で、優しそうなお父さんというのが第一印象だ。
平凡な男にしか見えないが、そうか、これが。
――天神晴臣。
生活のありとあらゆる分野に顔を出し、その存在感と貢献度を日本国民に知らしめる天神グループのトップであり、『現代の偉人百人』みたいな
「はじめまして。綾崎です」
「井堂です」
「そんなにかしこまらなくてもいいさ。さあ、掛けたまえ」
気さくな笑顔で応じてくる。なんていうか拍子抜けするほどフランクだ。
部屋の中央に配置された、座り心地の良さそうなソファに彩音と並んで腰掛ける――あ、これは人をダメにするやつ。
背中から全身を
隣の彩音を見ると、ピンと背筋を張っている……のはいつものことだが、表情が少し硬い。
「白山くん。席を外してくれないか」
「かしこまりました」
部屋の隅に控えていた執事が頭を下げる。
どうも僕らの飲み物を準備していたようだが、それらを放置したまま、すぐに退散していった。
「まずはご足労をかけたね。無駄に広くて疲れただろう、ははは」
「……そうですね。キックボードが欲しいくらいでした」
「キックボード?」
彩音が何も喋らないので、適当に応答してみたが、晴臣は首を傾げてきた。
掴みとしては微妙らしい。彩音が横目で睨んでいやがる。
……いや、お前が黙るからだろ。まあ頷きながら愛想笑いで応じてたっぽいけど。
「チョイスが面白いね。姫香が気にかけるのもわかる気がするよ」
「はぁ、そうですか……」
「井堂君。君の話は姫香からよく聞いていたよ。男子の友達を持ったのは、君が初めてじゃないかな」
「えっと、光栄です?」
「本人に言ってやりなさい。喜ぶと思うよ――と言いたいところだが」
晴臣の表情と声調が下降する。
「二人にはせっかく会いに来てもらったのに申し訳ない。姫香はここにはいないんだ」
そりゃ現象としては行方不明だし、現実としてはとうに死んでいるのだからな。
「実は行方がわからなくてね。もう二ヶ月近く探してるんだが、一向に見つからんのだよ」
「そう、だったんですか……退学だと聞いていたのですが」
「うむ。余計な混乱を招きたくなくてね。君たちには悪いことをした」
彩音も心なしか顔色が芳しくない。割とドライな奴で、知り合いは多いが友達は少ないタイプなのに。いや、だからこそか。
姫香は、彩音にとって貴重な友達だった。
僕にとっても。
だが、僕にとってはそれ以上に、決して見逃すことのできない脅威だった。
彼女を殺したことは今でも間違いだとは思わない。
これっぽっちも。微塵も。
「こんなことを訊くのは申し訳ないんだが、少しでも手がかりが欲しくてね。姫香の様子について何か気付いたことがあったら教えてほしいんだ」
「最後に会ったのは五月十二日だけど……」
彩音が僕を見る。
日付だけ言われても覚えてるはずないだろ。
「ほら、姫香が小説の相談をしに来た時よ」
「相談……」
僕はとっさに顔を伏せ、
――この流れはまずい。
日付はさておき、相談の件は、日常に無関心な僕でも覚えている。
姫香がテレポートを題材にした小説について相談してきた時だ。
あの時、姫香が説明してきた設定は、明らかに僕らが所持するテレポートそのものだった。自身もまたテレポーターであった姫香が、それを僕らにぶつけてきたということは、十中八九僕らを疑っていたということ。
だからこそ僕は危機感をいだき、麻衣に童貞を捧げてまで殺害を依頼したんだ。
……ここで相談の件を掘り返されるわけにはいかないよな。
相手は天神晴臣。超が付くほどの天才、かどうかはわからないが、ただ者でないことは肩書きから明らかだろう。
姫香がテレポート小説を書いていたと聞かされたら、テレポートの存在を予想するかもしれない。
一般的に賢ければ賢いほどそういった突飛な発想は切り捨てるが、さて、この人はどうだろうか。
「……すいません。突然で申し訳ないんですが」
僕は顎に当てていた手をお腹へとずらし、気分の優れない演技をする。
演技というが、優れないのは本当だ。
もし晴臣から疑われ、それもテレポートという超常現象の可能性までその頭に置かれたとしたら――考えたくもない。隣の幼なじみを誤魔化すのにもわりかし苦労する僕が、こんな権力の集合体を相手にできるはずがない。
僕は間違っていた。
ここに招待された時点で、逃げても仕方が無いと結論付けていたが、そうではなかった。
話せば反応が出る。
僕はただの淡白な高校生男子で、相手は世界をリードする大物。今まで多数の人間と接してきたはず。相手を観察し、様子を探ることなど容易かろう。
向き合っちゃいけなかった。
今、こうして晴臣と、面と向かって喋ること自体が自殺行為なのだ。
「腹痛がひどいので……その、帰ってもよろしいでしょうか」
僕の取るべき選択肢はただ一つ。
――戦わないことだ。
この人と。天神家と。
「ほう。緊張したかな?」
「はい。平気なつもりでいたのですが、体は正直でした……」
「くつろいでも構わんよ。希望があれば薬を持ってこさせよう。何でも揃っているぞ」
「……あの、緊張の原因を取り除かない限りは無意味と言いますか」
「ふむ。それもそうだね」
会話する限りは、人畜無害なおじさんと話しているようにしか思えない。
それがこの人の恐ろしいところなのかもしれない。なんていうか、雰囲気に従ってリラックスしたが最後、心の奥底まで見透かされてしまいそうな、そんな怖さがある。
「すいません。せっかくご招待いただいたのに……」
僕は席を立ってみせる。
強引だが、だからこそ効果がある。よほどの理由が無い限り、非常識な輩を好き好んで止めようとする者はそうはいない。
「ははは、構わんよ。また遊びに来てくれたまえ。一人で平気か?」
「はい、何とか」
彩音はと言うと、僕を怪訝そうな顔で睨んだ後、晴臣に向き直った。
「綾崎さん。君はどうする?」
「そうですね、私は――」
聞こえてくる前に僕はドアを閉めた。一応、音を立てないように静かに。
ドアノブから手を離して、いざ歩こうとすると、対面に控えていた執事と目が合う。
さっき出て行ったばかりの、確か白山とか呼ばれていた人か。
「出口までお見送り致します」
「あ、はい」
「では」
案内されて、早速ついていこうとすると、再びドアが開いて「本当に失礼しました」会釈をする彩音の後ろ姿が。
間もなく、ぱたんと静かに閉めて、ふぅと一息。
それから僕を振り向いて、キッと睨んできた。
「ヘタレ」
「……仕方ねえだろ。あの天神グループの会長さんだぞ」
「こっちが緊張しないように気さくに応じてくれてたじゃない」
「僕は肩書きだけで萎縮するタイプだ」
「あっそ」
胡散臭い占い師を見るような目をしやがって。
……こりゃ仮病は確実に見抜かれてるな。まあいい、敷地を出たら話すとしよう。
僕らは執事に先導されて、だだっ広い敷地を後にする。
正門の前で解散し、二人並んで歩き出す。
黒服が見えなくなったところで、彩音が口を開いてきた。
「……どういうつもりよ」
「どうって。お前こそ何ともないのかよ」
「何がよ?」
僕は立ち止まり、言い訳を脳内で復唱する。
彩音が振り向いたのと合図に、本番へと移行した。
「――怖くないのか?」
彩音は黙ったまま、視線で続きを促してくる。
「姫香も麻衣も行方不明――僕の身近にいた人間が二人も、だぞ?」
一連の出来事を、彩音はどう捉えているだろうか。
「僕の交友関係は狭い。彩音、麻衣、姫香の三人だけだ。そのうちの二人なんだよ。次はどうなる? 僕か? お前か?」
「……偶然かもしれないじゃない」
「本当にそう思うか? これを偶然で片付けていいのか?」
「偶然じゃないとして、じゃあどうするのよ?」
なんという茶番。
抹殺ゲームは既に終えている。もう何も起こることはない。
ありえるとしたら、天神家が僕らを探るに来るくらいだろう。
そういう意味では、僕にはまだ少なからず不安があるが、だからこそ演技にもリアリティが出る。
「……とりあえず天神家と関わるのは避けたい。これはただの勘だが、天神家が絡んでる気がしてならないんだよ」
「それで仮病まで使って逃げた、と」
「ああ」
みんみんと蝉がうるさい。
さんさんと日光が眩しい。
「僕か彩音か。あるいは二人ともか――何かに巻き込まれているのかもしれないな」
「不吉なこと言わないでよ」
否定はしないのな。
ということは彩音自身も、今回の事件について引っかかる点があるということか。
「……あー、もう」
俯いた顔からだらしのない声が漏れる。彩音にしては珍しい。
「どうした?」
「どうしてこうなっちゃったのかな……」
こう、が何を指しているのかはわからないが、これ以上この話題は引っ張りたくない。
敵は天神家だけじゃない。彩音もなのだから。
僕の唯一の幼なじみで。
もしかすると今後付き合い、結婚するかもしれない、おそらく唯一の人物で。
ラノベさえ読めればいいという僕の平穏ライフにも足してもいい、と、そう思えるほど大切で、当たり前の存在で。
だからこそ、敵対したくはない。
しかし人の性格は変わらない。
もし彩音がテレポートを知り、一連の犯人が僕だとわかったら。
姫香ほど正義感に燃えるタイプじゃないから、なんだかんだ容認してくれる可能性はある。といっても数パーセントも無いだろうけど。
仮に容認されたとしても。そんな状態で、僕は平穏であり続けられるだろうか。
テレポートが世間に露見される恐れがあるから、と他のテレポーターを皆殺しにした僕が。
「……本屋寄るわ。先帰っててくれ」
「ラノベ?」
「ああ」
「私も行く」
「僕は構わないが……たぶん長くなるぞ」
「いいわよ。私も本に溺れたい気分」
彩音が顔を上げる。
逡巡していたかのようにも見えた表情は、どこかさっぱりしたようにも見える。
「私もラノベを読んでみようかしら」
「既に僕のをちょくちょく読んでるだろ」
「自分で選びたいの」
「やめとけ。頭が悪くなるぞ。僕としては好都合だが」
「愛するラノベをそんな風に言うもんじゃないわ」
「愛するからこそだ。お前なんかを近寄らせたくない」
「ひどい言い草ね。殴っていい?」
肩パンした後に言うのはやめてくれ。
普通に痛いんだよ。少しは手加減しろっての。
――幼なじみのいる日常、か。
これがあとどれだけ続くか。
全ては、僕にかかっている。
僕は殴られた肩をさすりながら、幼なじみと並んで歩く。
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