38 取捨選択

 五月二十九日、月曜日。


 放課後、ショッピングセンターにて麻衣とデートする。

 ゲーセンで一緒に音ゲーをして、クレーンゲームで大きなぬいぐるみを取って、プリクラを撮った。いわゆるキスプリも撮影。スマホの裏面に貼ることを強制された。


 その後は映画を見て、フードコートで晩飯を食べてからホテルへ。

 今日のコンセプトは『普通のカップルらしい過ごし方』だった。最後にエッチをもってくることで、それまでの時間を『焦らし』に使うことができ、より一層興奮するはずだ――とは麻衣の言葉。

 確かに、楽しそうに動き回り、表情を変える麻衣を見ては、早くヤりたいと思えたもので、実際今日のプレイはいつも以上に興奮した。






 五月三十日、火曜日。


 昼に用事があるから早弁しておくように、と麻衣。

 一体何をするかと思えば、なんと部室でのセックスだった。

 麻衣はスリルがあると興奮するタイプらしく、絶賛していたが、僕はバレるんじゃないかと終始ひやひやしっぱなしだった。

 とはいえそんなことは些細な問題である。麻衣が新しい楽しみを覚えてくれたなら、これに越したことはない。

 今週、いや来週くらいは延命できそうな気がしてきた。






 五月三十一日、水曜日。


 麻衣が僕の家に来た。

 麻衣は存分に猫を被って、僕の両親とそつなく挨拶を交わしてみせた。


 その後は当然のように僕の部屋へ。

 両親には絶対に部屋に来ないよう念を押しておいた。父も母も微笑ましいものを見るような目で僕を見たが、ごめん、そんなレベルじゃない。


 予想通り、僕の部屋でセックスが始まった。

 彩音はまだ帰ってきてないし、いつ帰ってくるかもわからない。もし見られたら何と言い訳しようかと思いつつ、どうでもいいか、とすぐになげやりになって、僕は麻衣に没頭した。


 いつもより声と動作を抑えなきゃいけないのがもどかしかった。

 なぜ高値を出してまでラブホテルを使うのか理解に苦しかったが、なるほど、騒音を気にせず思い切り遊べる点は大きいんだなと勉強になった。






 六月一日、木曜日。


 精が枯れ果てているという理由で休息日にしてもらった。

 明日はホテルで普通に楽しむ予定となっている。麻衣曰く、今週遊んできたプレイがどれだけ気持ち良かったのか比べたいらしい。

 それはさておき、貴重な休日である。有意義に過ごさなければ。

 そうだな、ラノベの新刊でも読み漁るとか。


 しかし僕が足を運んだのは書店ではなく、通学路だった。


 いつも通る小さな丘。

 墓地が点在していて、人通りも殆ど無い、不気味だけど静かな道。


 ――全てはここから始まったんだよな。


 ここで紙切れを拾ったんだ。

 紙切れの出現方法が非現実的だったから、僕は偽物だと疑わなかったんだよな。

 始業式そっちのけで早口言葉三千回を唱えて、そうしたら黒い腕が生えてきて。

 懐かしい。あれからもう二ヶ月が経とうとしている。


 僕は脇道に逸れて、丘の頂上を目指した。

 ただでさえ人のいない道の、更に脇道だけあって誰もいないし、いた形跡さえ見当たらない。

 ここで僕はテレポーターに覚醒し、テレポートを試したんだっけ。


「考え事には最適か」


 地面には草が生えていて、芝生ほどではないにせよ寝心地は良さそうだ。


 寝っ転がってみる。

 空を見る。

 大海原のように漫漫と広がる青空に吸い込まれそうに……なんてことはなく、どんよりと曇っていた。そういや少し早い梅雨が襲来するとか。


「全然余裕が無かったよなぁ、僕」


 空を見上げること自体が久しぶりだと感じた。

 青空がどんな景色だったのか、思い出せない。

 今、頭に浮かぶのはただ一人――


 ……無理だ。

 どうやっても勝てねえよ、あんなの。


 麻衣が死ぬビジョンを全く思い描けない。

 百歩譲って殺せたとしても、死体の後始末という問題が残っている。


 越えられない二つの壁。

 それでも越えるしかなくて、僕は粘って、でも麻衣と連日のように楽しんでいる。ふりではなく、本当に楽しんでしまっている……。


 ……やめろ、考えるな。

 僕はまだ諦めちゃいない。

 そうだ、これは時間稼ぎなんだ。麻衣を倒す作戦を練るための足掻き。作戦のための作戦。


 だけど、稼いでも稼いでも、一向に何も思い付かなくて。


「諦めるしかないのか」


 今も麻衣がこっそり僕を尾行していて、口元にテレアームをかざして僕の独り言を読み取っているかもしれない。

 普段の僕なら、たてえ人気ひとけの無い場所でも、わざわざこんなことをつぶやく真似はしないが、もはや僕は自棄になっていた。


 僕が麻衣を殺す以外の道があるとしたら、一体何があるだろう?




 一、麻衣と共存する。


 ……無理だろうな。麻衣にその気があるとは思えない。用が済んだら僕を殺すに決まってる。僕が麻衣だとしてもそうする。

 麻衣が僕を生かしているのは、僕を脅威と思っていない上に、僕のそばにいて、いつでも、どうにでもできる状況下にあるからだ。

 後者を崩せば、僕は脅威と認定されてしまう。




 二、夜逃げする。


 もし麻衣が僕をさほぼ危険視していないなら、僕が行方をくらましても無視してくれるだろう。

 夜逃げというと極端だが、もう少し賢い逃げ方もあるはずだ。たとえば引っ越しとか。……ああ、両親と彩音をどう説得すればいいんだろう。それはそれで骨が折れそうだが。

 ……いや、違うな。麻衣の本質を見誤っちゃいけない。

 この行動は、獣に背を見せて逃げるようなもの。

 麻衣は僕を見逃さない。

 ゲーム感覚で、僕を狩りに来る。




 三、彩音に打ち明けた後、成り行きに任せる。


 優秀な彩音であれば、何かしら解決策を見つけてくれるかもしれない。

 戦闘能力も僕よりはるかに高いし、もしかしたら麻衣にもひけをとらないかもしれない。

 ……が、テレポーターじゃない時点でダメだよなあ。体内に何かをテレポートされただけですぐに死ぬ。話にならない。

 そもそも打ち明けるということは、テレポートの存在、ひいては僕が今まで犯してきたことも全て伝えるということだ。

 僕の罪が問われるだろう。彩音はそこを見逃してくれるほど都合のいい性格はしていない。




 ……どれもダメじゃないか。


 やはり麻衣を消す以外に、僕が生きる道はない。

 その麻衣が、僕如きでは殺せる隙が見当たらない怪物で。

 仮に殺せたとしても死体の始末とか後処理が無理ゲーで。


 だからまずは後始末が可能で、僕の殺人がばれないようなTPOに麻衣を誘導する必要がある。

 その上で、麻衣を殺し、死体もろもろを処理する、か。――言葉で言えば簡単だが、行動はとてつもなく難しい。


 無理だ。

 無茶だ。

 無謀だ。

 不可能だろ、こんなの。

 ……結局この結論に行き着く。


 今まで頑張ってきたのに。頭を必死に振り絞って考えてきたのに。

 ……いや、考えているようで、実は考えていなかったのかもしれない。

 最初から無理ゲーだったという厳しい現実を、直視できなかっただけなのかもしれない。


「はぁ……別に高望みはしてないんだがな」


 僕は平穏な生活が欲しいだけなのに。

 ラノベを読んで過ごせればそれでいいのに。

 それさえも高望みだというの――


「あっ」


 ……。


 僕の脳がいったん灰色の空を認識して。

 直後、ついさっきかすったそれを、もう一度手繰り寄せようと試みて。


「それだ!」


 がばっと跳ね起きた。


 僕の取るべき作戦の全容が、どばっと。

 濁流のように、一瞬の間に流れ込んできた。


 ひらめいた。

 繋がった。


 そんな感覚だった。


「確かに繋がったぞ。……待て、落ち着け。冷静に整理しよう」


 僕は突発的な直感の解釈を試みた。

 うっかり忘れてしまわないように頭をフル回転させる。メモを取りたくて、スマホを取り出そうとしたが、書き言葉に変換するプロセスさえもどかしく感じた。


 忘れないことを祈って、思考の渦に潜り込む。

 潜って、潜って――


 ……整った。


 なんだ。

 単純なことだったんだ。




「僕は――欲張りすぎたんだ」




 理想は、力が無ければ夢想にしかならない。

 僕には力が無いから、当然僕の理想は叶わない。

 テレポートがある? 敵は同じくテレポーターの麻衣だ。アドバンテージになりはしない。

 叶わないのだ。


 ならどうするか。理想を実現できないからと諦める他はないのか。


 違う。


 物事は1と0だけではなく、白と黒だけでもない。

 無数のあいだが存在する。


 ――妥協するということ。


 言われてみれば当たり前の発想。

 だが僕は、そんなことにも気付けなかった。僕の掲げる目標が平凡で、理想と呼ぶに値しない、些細なものだったからだろう。

 でも、その道を塞ぐのは麻衣――あの非凡な怪物なのだ。


 では、僕にとっての妥協とは?

 この現状にとっての妥協とは?


 僕は麻衣を殺したい。

 殺したらそれでいいか?

 違う。殺人犯になってしまっては意味がない。


 僕は麻衣を殺したい。

 殺したことを誰にも知られたくない。

 知られなければそれでいい? なら目撃者を全員殺すのはどうだ? 麻衣以外の人間であればテレポートで物体を送り込める。誰であろうと即座に殺せる。ならそうすればいいのに、なぜしない?


 ばれたくないからだ。

 僕がテレポートが使えることはもちろん、不可思議な能力で人を殺せるという事実、いや嫌疑でさえも残してはいけない。

 なぜばれたくない? ばれても別に構わないのではないか?


 いやいや、ばれたらダメだろう? 超常的な存在の末路など決まっている。消されるか、研究動物モルモットか、道具という名の奴隷か。

 ……整理しよう。


 僕は麻衣を殺したい。

 僕は殺したことを誰にも知られたくない。

 僕は自分が特別な能力を保っていることも知られたくない。


 理想は全部手に入れること。


 なら、妥協は?

 ……取捨選択を妥協というのなら。


「――答えが出たな」


 選択肢は一つしかないじゃないか。




 死ぬくらいなら、捕まった方がまだマシだという、ただそれだけの話だったのだ。




      ◆  ◆  ◆




 六月二日、金曜日。

 雨音で目を覚ました。外はまだ暗い。

 昨日は遅くまで練習していたから、起床できるか不安だったが、さすが神経質なだけある。今日だけは感謝する。

 スマホで天気予報を見ると、例年より早い梅雨入りを告げていた。ついてるな。これで目撃されにくくなるというものだ。


 僕はいつも通りに行動して、家を出た。

 学校に行って、授業を受けて、麻衣と彩音にイジられて、そして放課後。

 麻衣は即行で教室を出る。

 僕は彩音と雑談を交わしつつ、のんびり下校して、途中で分かれた。

 約束通り、麻衣が待つ、いつものラブホテルへと向かう。


 ホテルに到着した。

 制服の高校生が堂々と入室する様は中々にシュールだと思うが、慣れとは恐ろしいものだ。

 ホテルに入り、スタッフに会釈をしてフロントをスルーする。エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押下。到着するまでの間、僕は脳内で作戦の最終確認を行った。


 ……大丈夫。ぬかりない。いける。

 いつも通り、麻衣と楽しみ、麻衣で楽しめばいい。

 その延長で――最後の最後で、ほんの少しだけ手順を追加するだけだ。


 たったそれだけ。

 気付かれさえしなければ、できる。


 何も考えるな。

 備える必要さえないんだ。

 トリガーは、ただ一つでいい。それは、いつも通りならちゃんと訪れる。

 それだけで僕は確実に思い出せるし、思い出してから動いても間に合う。


 ――よしっ。


 思わずつぶやきそうになるのを堪えて、胸中で気合いを入れた。

 普段の僕はそんなことは言わない。もし麻衣がテレアームで僕の口元を読んでいたとしたら怪しまれるからな。


 到着したエレベーターに乗り込み、最上階へ向かう。

 微かな振動に身を委ねることしばし。ドアが開いた。

 正面のきらびやかな案内板が、ノンストップで最上階まで来たのだと教えてくれる。

 迷い無き足取りで角部屋、901に向かうと――がちゃりとドアが開いた。


「やあやあ、待ってたよ」

「……また見てたのか」

「うん」


 案の定、テレアームを使ってやがったか。

 麻衣も今日は楽しみにしているらしい。いつも通りだと助かるのだが、はてさて。

 僕は黒い企みを隅に追いやり、可愛い彼女のことだけを意識する。

 その場にリュックと傘を放り投げ、麻衣を早速抱き寄せた。


「だーりん、気が早いよ」

「一日置いただけなのにな。麻衣が恋しい」

「わたしも。だーりんの匂いがクセになっちゃった」


 胸元に顔を埋めてすんすんと嗅ぐ麻衣。

 僕が頭を撫でてみると、麻衣は局部を撫でてきた。


「本当は先にシャワー浴びたいんだけどな」


 雨と湿度のせいでじめっとしているし。


「だーめっ――というか反応するの早いね」

「麻衣が上手なんだよ」


 入室早々、僕らは一回戦を開始した。






「いやっ、や、あああああああああっ!」


 ベッドの上で、いわゆる寝バックの姿勢で突いていた時だった。

 麻衣が絶叫を発し始めた。


 ――絶頂に入ったのだ。


 出したい衝動に駆られていた僕は、唐突に我に返る。……決戦の時だ。


 麻衣と繋がったまま、首だけ動かして、まずは周囲を確認する。


 外は大ぶりの雨。

 内は見慣れた内装で、お目当てのブツは――テーブルに置いてある。


 それとの距離感を確認した後で、僕は視線を麻衣に落とす。

 悲鳴を上げながら、びくびくと全身を痙攣けいれんさせている麻衣。……いつも通りだ。これなら行ける。


 さて、あとは行動するだけだが。


 意識すると、体と頭が強張こわばってくる。

 余計なことを考えてしまいそうになる。じっくり様子を見たくなる。念入りに策を練りたくなる。

 だけどダメだ。あまり時間はない。

 強行する以外の道はないんだよ。そうするって決めたばかりじゃないか。


「……」


 ごくりと生唾を飲み込んだのを合図に、僕は麻衣から離れた。


 素早くベッドから降りて、テーブルまで駆け寄り、目的の凶器――果物を切るペティナイフを手に取る。

 それを左手で持ち直し、刃先を地面に向けてからしゃがみ、峰の上に右足を載せた。体重をかけて切断するような格好だ。

 この体勢のまま、僕は麻衣を見据える。

 テレアームを操って、麻衣の体を捉える。

 尻、胴体と来て、首筋にまで移動。

 そこからテレアームを真上に上げる。狙いがずれないように、慎重に。

 大丈夫だ、昨日しっかりと練習した。終盤は百パーセントの成功率で、必要十分の精度を発揮できた。


「……ふぅ」


 もう後戻りはできない。


 成功したら地獄、失敗したら死。

 明るい未来は、当分は無いだろう。


 それでも構わない。

 たとえ暗くても、生きてさえいればそれでいい。

 それが僕の出した結論――妥協という名の選択であり、最悪を回避するシナリオだ。


 地面に目を向ける。

 この景色が、次にどう変化するかを頭でシミュレーションする。

 同時に右手を、挙手のように垂直に掲げて、テレポート後の体勢調整に備える。

 最後に左手の親指を内側に曲げ、残りの指で覆ってから。


 ぐっ、と握り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る