36 淫乱と殺意

 五月二十日、土曜日。


 中間テストが来週に迫っているが、僕は朝からホテルに通い、麻衣と行為に及んだ。

 数時間ものプレイで朝食のエネルギーをごっそり消費した後、僕はうつ伏せの麻衣に覆い被さったまま身を休めていた。


 ふと置き時計を覗くと、いい時間になっている。


「……ルームサービス頼む?」

「そうだな」


 僕が答えると、麻衣はそばのサイドテーブルに手を伸ばし、メニューと子機を取る。片手で掴んでいて器用である。僕がやると指がりそうだ。

 麻衣はそれらを枕元に置き、早速スタッフをコールしつつ、ページをめくっていく。真横から覗かせてもらうと、やはり大人向けのアルコール類やおつまみが多い。


 迷った末、僕はピザとジンジャーエールを注文。

 麻衣はワインだった。


「未成年だよな」

「殺人鬼には言われたくなーい」

「お前もだろ」

「だーりんよりは殺してないもん」

「でも僕は未成年飲酒はしてない」

「いやいや比較にならないから」

「知ってる」


 こんなやり取りを平然と出来てしまうあたり、僕も麻衣も相当こじらせてるな……いや、もはやそんな段階ではないか。自覚は無いんだけどな。


 会話が途絶える。

 沈黙という名の気まずさは少しも感じない。

 麻衣の柔らかい身体にただただ身を預けながら、僕は幼なじみの事を考えていた。


「だーりん」

「……ん? 重たいか?」

「ううん。そうじゃなくて」


 遠慮無く体重を掛けているのだが、麻衣は平気らしい。

 器用さといい、日常の至る所でスペックの高さを思い知るばかりだ。もはや劣等感を抱く気も失せる。


「――何を心配してる?」


 しかも鋭い。


「いや何も」

「うそ。ちょっと上の空だったもん。わたしはこんなに夢中なのに、心外だなあ」


 言い訳が思い浮かばない。遅かれ早かれ、伝えるつもりだったから、僕は正直に告げた。


「彩音だよ」


 その一言で言いたいことが伝わったようで、麻衣はすぐに口を開く。


「ひめっちの死で気が乗らないからやめた、でいいんじゃない?」

「今週のホテル通いは、小説のための取材ってことになってるんだが」

「やめるのは同好会だけだよー。創作自体は個人で活動を続けるって体でいいやん?」

「うむ……怪しまれないものか」


 僕はこれまで文芸同好会という隠れみののおかげで、帰りが遅いことを誤魔化ごまかせていた。

 しかし今は姫香が退学し、麻衣も多忙を理由に学校を休んでいるため、同好会は僕一人だ。通う理由はもはや無い。

 にもかかわらず、こうして今日も朝から出かけているわけで。

 一応彩音には創作のためと伝えてあるが……内心どう思われているやら。


「心配性だねぇ」

「そりゃな」




「……邪魔だなぁ」




 ぼそっとつぶやかれた声調トーンが、僕を底冷えさせた。

 思わず表情をうかがうと、麻衣は僕を振り向いて、にこりと微笑む。


「なあに?」


 キスでもして誤魔化そうと思ったが、全て見透かしてますと言わんばかりの笑みを見て、怯んでしまった。

 ……まずいな。麻衣の心を繋ぎ止めておかなきゃいけないのだが。


「……殺すなよ」


 それでも、この件は譲れそうにもなかった。


「なんで?」

「僕の家族だからだ」

「うそ。血は繋がってないよね。幼なじみでしょ?」

「血縁の問題じゃない。積み重ねた時間だ」


 言い終えた途端、僕の体が浮いた。何の体術か知らないが、面子めんこみたいだと思った。

 そのわずかな滞空の間に、麻衣はくるりと仰向きになり、落下する僕を受け止める。

 直後、ぶわっと風圧に襲われたかと思うと――目前には麻衣の笑顔。


 唇を塞がれた。

 ねっとりと舐め回されながら、視界の奥に見えるのが天井だとわかり、僕が覆い被さられたのだと知る。


「ぷはっ……ねぇ、だーりん。わたしとどっちが大切?」

「……比べられない」

「選択肢も一つになれば必然になるよね」

「だから殺すなよ」

「だからなんで? わたしとだーりんの仲じゃん」

「恋人と家族は別物なんだよ。ほら、甘いものは別腹って言うだろ?」

「――ぷっ」


 麻衣の口元が緩み、間もなく「あはははは」盛大に吹き出した。つばが少し散った。


「なにそのたとえー。だーりんって面白いね、あはは」


 麻衣は僕の隣に寝っ転がってきたが、あまりにおかしかったらしく、目に涙が溜まっている。


「……からかってたのかよ」

「うん。いわゆるヤンデレってやつ。どう? 興奮した?」

「緊張しかしなかったぞ。麻衣はやっぱり人懐っこいのが似合ってる」


 ただのジョークとは思わない。

 僕が頼んだとはいえ、自分の幼なじみを殺した女だ。こいつは何だってする。僕の幼なじみを殺したところで何ら不思議ではない。


「さわさわ……あ、大きくなった」


 脈絡も無く局部をさすってくる女。

 麻衣のふざけた言動を見ると、僕の懸念は全て杞憂じゃないかと思えてくる時がある。

 油断は禁物どころか、一刻も早く殺したいのに、つい流されてしまう。下半身は元気になりやがるしな。


「口で慰めてあげるよ」

「ルームサービスが来るだろ」

「じゃあわたしの前菜ってことで」

「絶対マズそうだが」


 逆の立場なら僕は絶対に勘弁していただきたい。食欲と性欲は相容れない。


「むしろメインディッシュにしちゃう? ピザを食べながらだーりんのだーりんをしゃぶるの……って何、そのうげえと言いたそうな顔は?」

「悪いが僕でもひく」

「えへへ」


 照れくさそうに頭をかく麻衣。


「褒めてねえっての」


 くそっ、調子が狂う……。

 堪らず頭をガシガシかいていると、とんとん、とノック。


「来た」


 ルームサービスか、早いな。

 どうする麻衣、と問う前に、僕は強引に押し退けられベッドから落下していた。……打ち所が悪くなかったのが幸いだ。

 ベッドにつかまりながら起き上がると、麻衣は既にバスタオルを巻いていて、スタッフから小さなワゴンを引き継いでいた。

 スタッフは麻衣の姿を見ても微塵も動じない。さすが高級ラブホテルだけあって鍛えられている、というか慣れているのだろう。


 麻衣がワゴンを押して戻ってきた。

 配膳を手伝い、「いただきます」二人して合掌。ピザを食す。


「美味いな、このピザ」

「わたしのジュースとどっちがおいしい?」

「食事中に下ネタ言うな」

「あーい」


 全裸でピザを食べる童顔美少女。

 そんな姿も可愛らしく、一方で顔に似合わない豊満なボディがいやらしい。


 ほんの数ヶ月前までは恋人はおろか、友達すらいなかった僕が、今はこんな女の子と付き合って、毎日ヤりまって、あまつさえジュースの味まで知っている。

 僕は誰よりもリア充なのかもしれない……そんなわけあるか。




 僕は今、追い詰められている。




 僕と麻衣はテレポーターとして、恋人として、短いながらも濃密な時間を過ごしてきた。

 接すれば接するほど、この怪物の本質が変わらないことをつくづく思い知らされる。

 麻衣の行動原理は至って単純だ。


 ――いかに退屈を潰すか。


 これに尽きる。

 そして、そのためには手段を選ばない。

 ……いや、逆か。普通の人が選ばないような選択肢も見えていて、かつ躊躇い無く選ぶことができる、と言うべきだろう。

 その心持ちというか、たがの外れ具合というか――それこそが麻衣の本質なのだと思う。

 医学はさっぱりだが、精神的な障害を持っているのかもしれない。そうとでも思わないと、こいつのクレイジーさには合点がいかないのだ。


 そんな麻衣は今、僕という性的玩具おもちゃに溺れている。

 セレブでハイスペックな割には――だからこそなのかもしれないが――処女だったのだが、幸か不幸か性欲は強いらしく、おかげで僕は毎日しんどい。だが、今は耐えるしかない。

 僕が生かされている価値は、おそらくここしかないのだから。


 価値がなくなれば、僕は死ぬ。麻衣に殺される。

 僕はテレポーターだから。麻衣にしてみれば、テレポートという超能力を知る、唯一の人間なのだから。

 僕がそうしてきたように、麻衣とてそんな存在を野放しにするはずがない。まして僕の抹殺ゲームを間近で観察してきたんだからな。最初そうでなかったとしても、感化されている可能性だってある。


 麻衣は僕を見逃さない。


 性的に飽きられた時が、見捨てられる時。


 見捨てられた時が、殺される時。


 ……僕は、殺される。


「このピザ――レシピ教えてもらおうかな」


 麻衣のつぶやきで我に返る。


「できるのか、そんなこと?」

「うん。このラブホテル、パパがひいきにしてたところだから」

「ああ……どおりで平然と利用できてるわけだ」


 ピザで汚れた指を舐めながら、麻衣がさりげなくカミングアウトしてくる。

 今更そんなことでは驚きはしないが。慣れって怖いな。


「芸能人の子供は遊んでるからねぇ、珍しいことじゃないよ」

「そんなもんか――っておい、食べるの早いぞ」


 僕としては半分の四切れは食べたかったのだが、このままだと三切れも危うい。

 麻衣が掴んでいた切れ端を強引に奪い取ろうとして、しかしあっさり交わされた。


「まだまだだね」

「……三切れは残しとけよ。もう一枚頼んでもらうぞ」

「めんどくさいからやだ」


 その食いっぷりを見て、僕は早々に諦める。

 本当に食べたければ僕が頼めばいいし、麻衣ならおごってくれるから金銭的心配は要らない。

 さて、そんなことよりも。

 たった今、一つのアイデアがひらめいたので、早速考えてみる。


 ――このピザに毒を盛るのはどうか?


 食べ物に毒を仕掛けて麻衣を毒殺する。

 ……アリじゃないか、これは。

 肉弾戦ではまず勝てないし、不意打ちしても勝てそうにないし、そもそもテレアームを達人のように使いこなす麻衣が相手では、その前に確実に気付かれる。


「あっ」

「……なんだ、どうした?」

「バックだ」


 ……何の話だ。

 僕が視線で問うと、麻衣はあっさり答えた。


「え? 援交だよ? 隣の隣――903かな、バックで突かれてる女の子、高校生っぽい」

「……どうしてそこまでわかる」


 テレポーターにはテレアームがある。僕でも903の様子を探ること自体は簡単だ。

 しかし、これは手探りで触感を頼りに探っているようなもので、今も試しているが、僕にはせいぜい女性の胸が小ぶりであるといったことしかわからない。


「毎日鍛えてるからねぇ。だーりんも鍛えなきゃダメだよ?」


 これだ。麻衣の厄介な武器の一つ。

 この、テレアームによる情報収集能力。


「もう使うつもりはねえよ。誰かにバレたら面倒だからな」

「テレアームだけならバレないよ」

「そのうち調子に乗ってテレポートも使うようになる。そんな心変わりを危惧してるんだ」

「くそまじめ。いくじなし」

「言ってろ」


 麻衣は呼吸するかのごとくテレアームを使いこなす。僕の急所を弄っては報告してきたり、心臓や肝臓の動きを伝えてきたりもするのも日常茶飯事だ。


 もし僕が凶器を隠し持っていたとしても、すぐに気付かれてしまうだろう。


 でも、毒なら。

 さすがの麻衣も、食事に含まれる小さな毒物には気付けまい。飲み物に溶かせば、もはや認識すら不可能なはずだ。

 ……まあ毒物なんてそう簡単に入るはずもないのだが。フィクションじゃあるまいし。


 仮に手に入ったとしても、いつ仕掛けるかという問題もある。

 毒物の持参に気付かれた時点でアウトだから、麻衣のいない間に毒をセットして、麻衣に食べさせるしかなさそうだが――そんなシチュエーションがあるだろうか。


 ピザを食べながら色々と考えてみたが、それ以上の進展は無かった。




      ◆  ◆  ◆




 五月二十一日、日曜日。


 今日も朝からホテル通いだが、遊びすぎたせいか僕の僕が悲鳴を上げている。妙な排尿感というか残尿感というか、神経質な僕は病気のサインでないかと不安で仕方がない。

 来週からテストということもあり、僕はテスト勉強を提案。しつこく食い下がって、何とか麻衣の了承を得る。

 麻衣はやはり頭脳明晰で、教え方は控えめに言っても上手だった。


 しかし麻衣がずっと勉強だけで過ごせるはずもなく、休憩と称して結局プレイが始まる。

 麻衣はたくさんの道具――いわゆる大人の道具を持ってきていて、僕はひたすら麻衣を虐めた。

 僕にそんな趣味はなかったはずだが、不思議なもので、興奮を覚えなかったというと嘘になる。疲れ切っているはずなのに反応しちゃって、思わずヤりたくなったほどだが、そこは堪えた。

 行為に献身しなくてもいい今は考え事のチャンス――殺し方を考えるチャンスなのだから。


 夕方頃、帰宅する。

 今日も妙案は思い浮かばかった。






 五月二十二日、月曜日。


 麻衣が登校を再開した。

 彩音との平穏な学校生活が、だいぶやかましくなる。


 僕らはもう恋人関係を隠さなかった。

 教室でも可愛く甘えてくる麻衣と、それを当たり前のように受け流す僕。晴れてリア充の仲間入りである。

 無論、本心はそうじゃない。僕は迫り来る寿命に焦り、でもそれを表に出さないようにして、ひたすら麻衣を観察し、殺し方を考えていた。


 一つ意外だったのは彩音か。

 てっきり僕らに配慮して距離を置くのかと思いきや、相変わらず僕の隣にいるし、どころか麻衣と僕を取り合う始末。

 間違いなく賑やかさを助長する主因だが、僕としては助かったと言いたい。麻衣が彩音を相手にする分、僕が考え事に意識を割きやすくなった。

 それに彩音は僕よりも喋るのが上手で、麻衣から色んなネタを引き出してくれる。わらにもすがりたい僕としては、とにかく麻衣の情報を頭に叩き込んだ。


 この日はホテルに寄ることもなくストレートに帰宅。

 両親と、彩音と、いつもどおりの夜を過ごして、これが僕の目指すべき平穏だと改めて思った。


 依然として麻衣の対処法は見つからない。






 五月二十三日、火曜日。


 テストが始まった。

 麻衣と彩音に教えてもらったこともあり、今まで以上に好感触だったように思う。


 学校は午前で終了し、僕は彩音と麻衣から同時に誘われる。どちらもテスト勉強のお誘い。

 三人一緒はどうかと提案したが、「「却下」」見事に一蹴された。二人の息はぴったりだった。

 迷ったあげく、僕は麻衣を選んだ。


 向かった先はホテル。

 麻衣は僕に虐められたいらしく、激しいプレイを所望してきた。

 柄ではないが、麻衣を退屈させないためなら、やむを得まい。

 僕は間違いなく黒歴史になるであろう嗜虐的なキャラクターを演じて、道具にも頼って麻衣をいたぶり続けた。しかし――


「なんか飽きたなぁ……」


 一通り遊んだ後、麻衣の口から出た言葉だった。

 何気なくつぶやいただけなのかもしれないが、僕をぞっとさせるには十分だ。

 飽きられたらおしまいなんだからな。それこそ、気まぐれで「もういいや」と今から僕を殺しに来る可能性だってあるかもしれない。脳内再生もはっきりとできる。

 悠長なことは言ってられない。早く繋ぎ止めなければ。

 僕は思い付いたことを口にした。


「そういや絶叫も聞いてないな」


 麻衣はエッチの時、絶頂に達すると絶叫を発する。冗談抜きで耳を引き裂くような、爆弾とも呼べる音量で、長い時は数十秒も続く。

 そういえばここ数日は聞いてなかった。


「そだねー。やっぱりだーりんのだーりんが一番みたい」

「そう言ってもらえると嬉しい」

「もうちょっと大きくてもいいと思うけど」

「余計なお世話だ」


 麻衣が僕の局部を弄ってきた。


「……やるか?」

「うん」


 これで退屈から遠ざけられそうだ、と僕は胸中でほっとしていたが。


「んー……だーりんは気持ちいいけど、ちょっと飽きてきたんだよねえ」

「……」


 まだだ。まだ不十分だ。

 今までと同じでは麻衣を繋ぎ止められない。


 何か無いのか?

 気持ちいいってことは認めてるんだよな。なら、これをベースに、バリエーションを増やして飽きを紛らわすとか――


 ……あった。


「なら、調べてみるか?」

「調べる? なにを?」

「――体位だよ」


 興味本位で軽く調べたことがあるが、エッチ時の体勢――いわゆる体位には何十という種類が存在する。

 中には思わず笑ってしまうような、ネタとしか思えない体位もあったりして、人間の業の深さを痛感したものだ。


「だーりん。面白そうですな?」


 プレゼントを待つ子供のような無邪気な笑みを見せてくれた。

 上出来だ。これであと数日は稼げるだろう。たかが数日だが。……いや弱気になるな。されど数日だ。数日もある。


 僕らは早速備え付けのパソコンで調べ始めた。

 本当ならテスト勉強の予定なのだが、そんなことはどうでもいい。


「体位の解説って下手なAVより興奮するよね」


 体位について調べ、麻衣と雑談を交わしながら、僕は吟味していた。


 これら体位とどのように付き合えば麻衣の興味を持続できるか。

 腹上死という言葉があるが、女性が感じすぎて死ぬということはありえるか。

 ありえるとして、麻衣をどうやって導くか。

 エッチを繰り返せば、心身ともに消耗して、意識すらおぼつかなくなって、そうなると殺せるチャンスも増えるんじゃないか? いや体力的には僕が参るのが先か。参らないようにするにはどうしたらいい?


 全ては麻衣を殺すために。


 僕の頭は、忙しなく回転していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る