32 バトルもの 前編

「明日の早朝、時間取れる?」

「はい? 構いませんが……」


 休日練習の運動部も引き上げ始め、校内に静寂が戻ってきた、そんな土曜日の昼時。

 美山高校特別棟の空き教室――文芸同好会の部室では、二人の女子が顔を合わせていた。


「一人で来てほしいの。行き先連絡も護衛も無しで」

「……」

「この際だから言っちゃうけど、わたし、能力者テレポーターなんだ」

「……はい。わかっておりました」


 しゅんに特大ミッションを与えられた後、麻衣はこうして迅速に行動に移していた。


「誰にも相談しちゃダメだからね? こっそりわたしを捕まえようとするのもダメ。そんなことしたらわたし、縛りを解除するから」

「縛り――それは縛りプレイ、のことを仰っていますの?」


 縛りプレイ――ゲームを面白くするために、自らに厳しい制約を課してから遊ぶという上級者のプレイスタイル。

 箱入り娘の姫香には縁の無い言葉であったが、瞬の影響でラノベを読み始めて以来、着実にそういう語彙を増やしている。


「高校で久しぶりにお会いした時、わたくしに仰いましたわね。縛りプレイだから、と。それで一言も口を利いてくださらなかったわけですが――あれは、幼なじみのわたくしとあえて口を利かないという制約を楽しむ、という意味でしたのね」

「うん」

「今の縛りは……瞬くん、ですか?」

「そだよ。だーりんのおかげで毎日が楽しいんだ」


 麻衣に正体を明かされ、こうして話していくことで、姫香の携えていた疑問がみるみると溶けていく。


 到底恋人をつくるタイプには見えなかった麻衣が瞬と恋仲になったのは、やはりテレポートが原因だったのだ。

 こんな能力を誰かと分かちあうなど、姫香には恐れ多いことだったが、相手が瞬ならば――天神家の自分にも怯まなかった彼なら、わからないでもない。


 もし仮に。

 麻衣ではなく自分が、先にアプローチして、相談できていたとしたら。

 このような未来が訪れることは、無かったのだろうか。


「でも、ひめっちが敵なら、捨てなきゃいけないかも」

「……瞬くんも、殺すんですの?」

「ううん。見捨てるだけ。そんな暇はしばらく無さそうだしね」


 けれど現実は違う。

 今まで起きてきたことと、今起きていることこそが現実であり、対処しなければならないことだ。

 目前の幼なじみと、その恋仲である瞬はもはや敵。何人もあやめてきた殺人鬼。決して逃してはならない。


「わたしにはさ、もう一つやりたいことがあるんだよね。あれあれ、バトルものってやつ?」

「……」

「暴走したいの。人とか物とか、たくさん破壊するんだー。ほら、弱い虫をいたぶったら面白いじゃん? わたしらは、それを人間に対しても行えるだけの力があるんだよ。だからねひめっち――もしひめっちが、ひめっち以外の力に頼ってわたしを何とかしようっていうのなら、わたしは生き方を変える。殺戮さつりくマシーンになる。手始めに天神家の人間を殺してあげるよ。おじさんが死んだら世の中どうなるかな? パパの時みたいに騒がしくなるかな? 面白そうだよね。えへっ」

「麻衣ちゃん……」


 今すぐにでも止めるべきだと姫香は即決したが、手段が思い浮かばない。

 机上には麻衣の左手が置かれていて、軽く握られている。もし姫香が迂闊なことをすれば、すぐにでもテレポートで逃げられるだろう。

 麻衣の発言は冗談でもなければハッタリでもない。この幼なじみは、こんな状況でさえ楽しんでいる――


「ひめっちがわたしに素直に応じてくれたら、わたしを止められる可能性があるよ」

「な、何をなさるおつもり、ですの……?」


 姫香は身構える。

 同時に護衛にも意識を寄せる――が、少なくともこの会話を傍受できる位置にはいない。かといって録音できる機器も所有していない。


 天神家にとって二階堂家は古くからの付き合いであり、娘の麻衣も例外ではない。父は彼女の底知れないポテンシャルに警戒を抱いているが、表向きは親しい間柄。二人きりで出会うことも特に咎められない。

 麻衣は、おそらくそこまでわかっているのだろう。その上で、こうして堂々と正体を打ち明けている。


 ――誰にも頼れない。


 もし理不尽な要求をされたら、どうすれば?

 姫香は焦った。


「――タイマン」

「たい、まん……?」

「うん。ひめっちと本気で殺し合いの喧嘩がしたいだけ」

「いわゆる決闘、のことですわね?」

「だって面白そうじゃん? ひめっちは昔から一緒に鍛錬してきた仲だもん。今はテレポーター仲間だしね。素敵なバトルものになるよ! うん!」


 何とかして彼女を止められないか、姫香は必死に頭を働かせる。

 一方で、用意周到であろう麻衣を出し抜ける気もしなくて、だったら決闘に向けて作戦と調子コンディションを整えるべきか、と葛藤する。


 そもそも、こうして逡巡している間に、不意を突いて殺すことこそが麻衣の真意ではないかとも勘ぐってしまう。

 しかし、ここで殺せば犯人は麻衣だと言っているようなもの。さすがの麻衣も天神家から逃げるのは骨が折れる。そんな事態は避けたいはずだ。

 いや、もしかするとそれさえも楽しみにしているのかもしれないが。


「それと、死後暴露するのもナシだかんね」

「しご、暴露……?」

「ひめっちが死んだ後に、テレポートの存在やわたしがテレポーターであることを暴露することだよ。文書なり映像なり、方法はいくらでもあるよね」


 麻衣は席を立ち、顔を目一杯姫香へと近づける。


「テレポーターの存在あるいはわたしがテレポーターだってことが第三者にばれた場合、わたしはひめっちが暴露したとみなして、生き方を変える」


 つまりは怪物が世に解き放たれる、と。

 それだけは避けない姫香だったが、かといって彼女を野放しにしておくつもりもなかった。

 いやらしい笑みを浮かべた眼光に怯むことなく、抵抗を試みる。


「仮に誰にもばれなかったとして、それで麻衣ちゃんが生き方を変えない保証がどこにありますの?」

「どこにもないね。でも、少なくとも天神家に喧嘩を売るような真似はしないよ。楽しそうとはいえ、命を賭けるほど酔狂ではないからねぇ、わたしは」


 姫香は自分が取り得る選択肢を脳内で並べていた。


 もし暴露した場合、天神家の力で麻衣を追い詰めることができる。ただし被害も免れない。


 もし暴露しなかった場合、天神家が直接被害に遭うことはおそらくない。しかし麻衣がテレポートで悪事を働いても誰も止められない。


 どちらが被害を小さくできるか。

 どちらを選ぶべきなのか。


わたくしは――」


 姫香は「ううん」と首を左右に振り、


「暴露はしません。わたくしが勝てば済む話ですから」

「ふふっ、そうこなくっちゃ」


 楽しそうに舌なめずりをする麻衣を見て、姫香は確信する。

 少なくとも自分との勝負は真剣に行うつもりだと。そうでなければとうに殺されているはずなのだからと。

 残念ながら他に彼女を止める方法はない。

 彼女がそうしているように、自分もまた、命を賭して望むしかない――


「そういうわけで、細かい日時と場所を伝えるねー」


 麻衣は顔を離し、再び席に着くと、すらすらと伝達事項を喋り始めた。

 並の人間なら覚えきれず、メモも追いつかないだろうが、姫香は問題無く記憶する。

 どころか不意打ちで麻衣を取り押さえようとさえ画策していたが、机上には麻衣の左手。やはり軽く握られており、これを出し抜いて拘束することは不可能だった。


 結局、姫香は終始麻衣のペースで運ばれ、その日は散会することとなった。




      ◆  ◆  ◆




 日曜日の朝七時。

 姫香は美山市みやましの北端、三つ並んだ美山の一つである左角ひだりつのに来ていた。

 坂道を二キロ以上進んだ先にあるのは、標高百五十メートルの公園。


「左角運動公園……」


 姫香は出入口にある、かすれた字のかんばん見てつぶやいた後、園内を見渡した。

 遊具もなければ管理棟やトイレさえも見当たらない。学校のグラウンドよりも広いが、公園というよりも空き地としか呼べないようなさびれ具合だ。

 その一画に小さな丘と、見るからに勾配のきつそうな階段が見える。あそこを上った先が、麻衣に指定された決戦の舞台だ。


 姫香は息を切らしながらも、砂利を踏みしめて歩き出す。

 続く階段を上がる頃には、心拍は落ち着きを取り戻しており、上がり切っても再度乱れることはなかった。

 そんな姫香の出で立ちは上下ともジャージ。上は半袖、下はハーフパンツで、下肢をスポーツタイツで覆っている。靴は黒とピンクを基調にしたランニングシューズだ。


「ふぅ……」


 姫香はポケットからハンカチを取り出し、額と首筋の汗を拭う。

 いつもの長くてきらびやかな髪は鳴りを潜めている。代わりに、大きなお団子ヘアーがつくられていた。

 とても世界有数のご令嬢には見えないし、OLの女性ランナーと言われても違和感が無いくらいだったが、体力はその範疇ではない。現にここまで軽々走ってきた。


 丘の上もまた広場、というより空き地になっていたが、中央に人影が一つ。


「――麻衣ちゃん」


 麻衣は正々堂々タイマンを張ると言っていたが、姫香は警戒心を解くつもりなどなかった。

 不意でも打たれて殺されてしまえば、全てが終わる。自分の命ならまだしも、テレポートという強大な力を悪用する幼なじみを野に放ってしまうことになるのだ。


 姫香は左手を軽く握り込むように丸めつつ、歩みを進める。

 距離差にして十メートル程、といったところで、麻衣が振り向いた。


「おはよう、ひめっち」

「麻衣ちゃん。おはようございます」


 気さくに手を挙げる麻衣と、丁重に頭を下げる姫香。


「家は大丈夫? 護衛とか、少しでも臭ったらアウトだよ?」


 両者ともさほど声は張っていないが、まるでそばにいるかのように届く。


「ええ。抜かりありませんわ」


 姫香は今朝、屋敷からひっそりと抜け出している。

 最近始めた創作趣味について、昨日から執筆に集中したい旨を伝えているため、あと数時間は誰も不在に気付かないはずだ。


「秘密の抜け道、そのままだった?」

「そのままでしたわね。おかげで助かりました」

「昔二人で苦労して開拓したよね。まだ残ってて良かったね」

「ええ、本当に……」


 今日は麻衣との約束を臭わせないで、一人でここに来る必要があった。それが麻衣の指示だったからだ。

 裏を返せば、それができなかった時点で姫香の不戦敗――麻衣という怪物を世に解き放つ結果となっていたわけで、姫香はまずここまでたどり着けたことに安堵していた。


「ずいぶんと気合いの入った格好だね」

「激しい運動になると思いましたから。麻衣ちゃんこそ、動きやすそうですわね」


 麻衣の格好は無地の白Tシャツに、太ももまで大胆に露出したホットパンツ。自己主張の激しいボディラインと肉感が目に眩しい。

 瞬はこういうのが好きなのだろうかと一瞬考えて、すぐに頭の隅に追いやった。


「それで、タイマンとは、どのように進めますの?」

「そうだねぇ。この位置のまま、必要なら準備運動とかして、整ったら始めよっか」


 麻衣が両手を広げてみせる。


「競技内容はタイマン。ひめっちはわたしを無力化したら勝ち。わたしはひめっちを殺したら勝ち。競技場はこの空き地のみで、ひめっちが一歩でも外に出たら無効試合――わたしは今すぐこの場から逃げて、ひめっちの大事な人達を殺しに行く。武器は、競技場にあるものだけ使ってもいい」


 空き地の広さを示すように、麻衣は手を広げたままくるくると回っているが、その左手が軽く握り込まれていることを姫香は見逃さなかった。

 彼女は今、どこにテレアームを掲げているのだろうか。

 仮に姫香のそばを指しているのだとしたら、握り込み一つで、一瞬のうちに懐に迫られてしまう。

 気は抜けない。


「麻衣ちゃんは外に出てもいいんですの?」

「んー、考えてなかったけど、そだねー、わたしが一歩でも外に出たら、競技場の範囲制限は解除ってことで」

「それでは麻衣ちゃんの有利ではありませんか? いざとなったら逃げることができますわよね?」

「逃げないよ。わたしはひめっちと遊びたいだけ。この範囲制限もひめっちをやる気にさせるためのものなんだよ。逃げずにわたしと向き合ってもらうためのね。むふっ」


 麻衣は突如、にやついたかと思うと、手で口元を拭った。


「楽しみだなあ。ひめっちといっぱい遊んだ後は、ひめっちでいっぱい遊ぶつもりなの」


 前者は殺し合いを指すとして。後者は何を指すのだろう?

 姫香は軽い気持ちで尋ねた。


「わたしで、とはどういう事ですの?」

「別に大したことじゃないよ。ひめっちの死体を屍姦しかんするってだけ。わたし、だーりんには内緒だけどバイを目指してるから。ほら、守備範囲が広い方が楽しいじゃん?」

視姦しかん……?」


 姫香にとってそれは最近学習したばかりの言葉だった。

 とあるライトノベル上で見つけたそれは、意味が国語辞書には掲載されておらず、インターネット上で発見した。

 性的な目で執拗に、舐め回すように見ることを揶揄する言葉のはずだが、どうにもそぐわない。


「死体、しかばね……屍、姦……っ!?」


 そんな言葉が存在するとは思えなかったが、直感は正直だった。

 ぞわりと身の毛がよだつ。


「そんなに怯えなくても大丈夫だよう。死者は何も感じないし、わたし、これでも優しいよ? ひめっち、たぶん初めてだよね? 優しくしてあげるからさ」

「麻衣ちゃん……なるほど、そういうことでしたのね」


 いつもと変わらぬ笑顔で、とんでもないことを語る麻衣に、姫香は身震いした。

 しかしそれは恐怖のためだけではなく、いわゆる武者震いでもあった。


「ようやく氷塊しましたわ。それがあなたの本質ですのね。――いえ、たぶん王介おうすけさんも」


 麻衣の父を思い浮かべる。


 ――二階堂王介。


 芸能界の絶対君主。彼は男としての魅力と女癖の悪さでも有名で、何十という有名人女性に子をはらませているが、姫香が出会ったことのある子は麻衣一人だけだった。


「五十点。パパとわたしには感情という制約が無いだけだよ。その分、人より選べる選択肢が多いんだ。でも、何を想ってどう生きるかはだいぶ違う。パパは本気で世界征服目指してたからねぇ。めぐみんが殺してなかったら、そのうち天神家も危なかったと思うな」

「星野めぐみさん――やはりあなたが殺したのですね?」

「んー、ま、そういうことにしといてあげる」


 姫香の脳裏に、唯一気になっている男子の顔がちらつく。

 それを脳内で頭をぶんぶん振ってかき消す。


「わたしは自分が満足できたらそれでいいんだよ。今は、早くひめっちを味わいたい」

「……ません」


 姫香は俯き、右手を力強く握って、ぶるぶると震えていた。

 麻衣が黙ってその様子を眺めていると、姫香の顔が上げられる。


 そこにはもはや、取り繕われた表情は無かった。

 お嬢様をお嬢様たらしめる仮面――幼なじみにすら例外なく適用されていたそれが、完全に外されていた。


わたくしはあなたを許しません」


 姫香が腰を落として構える。


「――むふっ」


 麻衣は舌なめずりをして、


「わたしはあなたを犯しまーす」


 不気味な笑顔を張り付かせたまま、姫香とは異なる姿勢で構えた。


 柔らかな風が吹き、砂地が微かに舞い上がる。

 両者は瞬きもせず睨み合い――


 麻衣が先制を仕掛けた。

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