31 提案

『姫香のことだが、どう思う?』


 晩飯と風呂を済ませた後、僕はスマホでいつものチャットサービスを立ち上げていた。


『体拭いてるからだーりんからよろぴこ』


 秒単位で返事が来る。末尾にはピコピコハンマーの絵文字付きだ。

 麻衣もちょうど風呂上がりか。ということは、あの愛くるしい容姿には似合わない豊満なスタイルが、今は裸なわけで……だが今はそんなことにうつつを抜かしている場合ではなかった。




 ――文芸同好会に入れてくださいまし。




 そんな姫香の要求を自然に断れる理由などなく、僕と麻衣は三人目の会員として迎え入れるしかなかった。

 意外だったのが彩音か。てっきり四人目になるかと思ったのだが。


 彩音は頭の隅に置いといて、僕は姫香の件で私見を書いていく。


『少なくとも僕らがテレポーターであることには気付いてる』


『もっと言うと、ガード範囲レンジの存在に気付いた上で、少なくとも僕らへの体内テレポートは試している』


 そうでなければ、テレポートを題材にした小説を書いている、などという回りくどい設定をわざわざぶつけてくることはあるまい。

 僕らがテレポーターであると確信した上で、揺さぶりをかけにきているのだ。


『だが姫香にしてはやり方が中途半端だ。あの性格なら普通に訊いてくると思うんだが』


 僕が認識する天神姫香という人間は、疑わしい対象には遠慮無く踏み込んでくる。それこそ「瞬くんはテレポーターですか?」と訊いてくるくらいに。

 何か踏み込めない理由があるのかもしれない。

 その理由とやらがまるでわからないのだが。


 フリック入力に勤しむ指が止まる。思考は続く。


 疑っていることがばれたら殺されるから? ……いや違う。あんな露骨な相談をしてきた時点で、そのリスクは抱えている。

 むしろ逆か。牽制なのかもしれない。

 ガード範囲がある以上、テレポートで迂闊に殺されることはないのだから、天神家の守備に囲まれた姫香としては大した危機ではない。

 どころか、僕が下手に殺そうと近づいてくれば返り討ちにできる。カウンターを狙っているのかもしれない。


 慌てるな。焦るな。自棄になるな。相手の思うつぼだ。

 詩織の時はワケが違う。

 姫香は超一流グループのご令嬢なのだ。

 家も桁違いに広いし、忍者みたいな護衛だってついている。何より本人も相当強いと思われる。僕如きでは凶器を持っていても勝てまい。

 そんな奴を殺すのは正直言って無理ゲーにも程がある。

 だけど……いや、だからこそ、僕は粘るしかないのだ。些細な行動や言動にも目を向け、活路を見出そうと踏ん張る他はない。

 そうしないと未来が無いだろうからな。僕には姫香が僕らを許して見逃してくれるイメージが全く思い浮かばない。

 いや、そういう思い込みこそが固定観念なのか? 見逃してもらえる口上が、実はあるのかもしれない。


 などと思索に耽っていたところで、メッセージを着信する。


『だーりんもまだまだですな』


 どういう意味だ、と打とうとして、


『戦いはもう始まっているのだよ』


 打つの速えよ。……麻衣が一通り打つまで待つか。

 今日のチャットは長くなるかもしれない。


 椅子からベッドへと移動して、再びスマホに目を落とすと、間もなく新しいメッセージが表示された。


『直接問えば犯人が焦って自棄を起こすかもしれない。でも間接的に伝えれば犯人は冷静に焦る。被害の拡大を防ぎたいなら後者がいいよね』


 パソコンでチャットでもしているかのようなスピードだ。フリック入力選手権とか出たら良い線行くんじゃないか。


『ひめっちが考えてるのは自分の事だけじゃない。だーりんとは違ってね』


 否定はしないし、何なら麻衣も殺すつもりだが、今はこいつの恋人だ。話の途中で割り込んでしまうがフォローを入れておく。


『僕自身と、あと麻衣もだぞ』


 一応ハートマークも付けておいた。


『犯人が誰かを人質に取ったら大変だからねー』


『それこそつまようじ一本で一秒あれば殺せるわけだし』


『射程範囲も半径三十メートル以内だしね』


 連投されるメッセージに目を通していると、僕が書いたフォローにハートマークのリアクションが付いたのが見えた。


『そもそも天神家にも警察にも頼ってないのが、その証拠』


『ひめっちは優秀だね。テレポートという力の危険性を想像できるだけの想像力がある』


『ひょっとしたら誰かさんがラノベを教えたからかもね?』


 そこで投稿の嵐は収まった。

 姫香がラノベを知ったかどうかで人生が分岐したとは思えないが、その優秀さについては僕は感謝したいくらいだけどな。

 もし姫香がテレポートのことを家の誰かに相談していたら、もはや収拾が付かなくなっていただろう。権力者に超能力の存在を知られるということだからな。ろくな未来にはならなかったはずだ。


 そう考えれば現状はまだマシなのだ。

 姫香一人を相手にすればいいのだから。

 無理ゲーだと言ったが、まだ、ただの無理ゲーでしかない。


『姫香が誰かに頼る前に、かたをつけたいところだ』


 姫香が心変わりでもして、天神家の力に頼ってしまう前に。


『ひめっちを殺す?』


『しかないだろ』


『どうやって?』


『……それがわからないからこうして悩んでるんだろ』


『駆け落ちでもしますかい?』


 麻衣と結婚? 内心を言うなら、勘弁してくれ。


『姫香を殺してくれたら結婚してやってもいいぞ』


 冗談で書いたつもりだった。


『ホントに?』


『……おい待て。殺せるのか?』


『たぶん無理』


 んだよ、期待させるなよ。

 ……でも、完全に否定はしないのな。


 ……待てよ、……これって、もしかすると。


『今って僕たち、割とピンチだよな?』


『だーりん脳天気すぎ。大ピンチだよ』


 知っているさ。あえて程度を軽くして言ってみたまでだ。

 予想通り麻衣は訂正してくれた。

 僕にとって、だけではなく、麻衣にとっても同じわけだ。




 ――この無理ゲーの攻略方法がわかった。


 あとは僕の手札で足りるかどうか、か。

 残るは三枚――




 僕は一枚目を切った。


『やはり姫香は殺すしかない』


『殺せないって言ってるじゃーん』


『僕ならな。でも麻衣は違う。麻衣なら、もう少し成功率は高いんじゃないか?』


『か弱い女の子なのに?』


『ほざけ。姫香や彩音にも普通に勝てそうなイメージがあるぞ』


 僕が麻衣と相対してきて感じたのは底の知れなさだ。

 僕の脳内に物体をテレポートさせようとしたり、テレポーターを殺したいとする僕の計画にも喜んでついてきたり、今も何の抵抗も無く幼なじみの殺害について話し合っている。僕が言うのもおかしいが、普通の精神じゃない。

 だからなのか知らないが、やたら身体能力や戦闘能力が高い気がする。

 護身術を嗜む彩音や、お嬢様の嗜みとして鍛えているであろう姫香とは違う。なんていうか、まるで必須技能であるかのように磨きに磨きをかけているというか、裏社会で暗躍していても不思議じゃないというか――そんな想像さえしてしまう。


『買い被りだよぅ』


『じゃあ僕と初めて部室で会った時のあれは何だ?』


 明らかに常人離れした動きと力で追い詰められたのをはっきりと覚えている。

 こいつが僕をストーキングし始めた事実と併せて、野放しにしておくわけには絶対にいかないと、あの時点で僕は思ったんだ。


 画面を見ると、麻衣からの返事は来ない。

 代わりに、僕のメッセージにクエスチョンマークのリアクションが付いていた。

 まあいい、しらを切ったところで内心では覚えているだろう。僕より優秀なんだからな。

 そんな表面的なやりとりに価値はない。

 僕は、この怪物のやる気を起こさせなきゃいけないんだ。


『とにかく、姫香を殺さねばならないことと、殺せる確率が僕より麻衣の方が高いこと。この二つは確定している』


 またもや反応が無い、かと思いきや、ぴこっとリアクションが付いた。

 スマイルの絵文字か――肯定と取っていいのだろうか。


『もちろん殺人のお願いなんて気軽なことじゃないからな。相応のお礼は払うつもりだ』


『お礼!?』


 おおぅ、口頭で返されたのかと錯覚したぞ……。

 そう食いつかれると怖いんだが、もう引き返せない。


 二枚目を切る。


『僕の童貞をくれてやる』


『だーりんの唇も?』


 もう奪われてるけどな。

 リアクションとしてスマイルの絵文字をセットしてやる。


『だーりんのお尻も?』


 そのチョイスが来るとは思わなかったが、スマイルもう一つ。


『だーりんの棒も?』


 ……まあそうなるよな。スマイル。


『だーりんのミルクも?』


 ミルク瓶のアイコンが五個並んでいた。そんなに出るわけねーだろ……。不安しか感じないが、スマイルを付けておく。


『わたしにも注いでくれる?』


 それを見た瞬間、複数箇所に注ぐシーンを想像してしまった僕は変態なのだろうか……スマイル。


『だーりんがそんな変態だとは思わなかったよ』


『やる気を出してくれたら幸いだ』


『でも勘違いしちゃダメだよ、だーりん』


 もしかして僕に対する性欲すら演技だったというのか?

 だとしたら詰みだが、そうじゃないと信じたい。麻衣は得体は知れないが、欲望には割と素直なはず。


『主導権はわたしにあるの』


 ……なるほど、そっちか。


『わたしはね、いつでもだーりんを襲うことができるんだよ?』


『だろうな』


『だーりんの童貞なんていつでも奪える。わたしが部室でどれだけ我慢してると思ってるのさ?』


 麻衣の我慢の程が知る由もないが、前者はそうだろうな。他ならぬ僕が思い知っていることだし、ついさっき、そうだと自ら白状したようなものだ。

 だからこそ麻衣も、こうして強気に出てきたのだろう。


 麻衣は知ってしまった。

 僕が麻衣を恐れていることに。


 こうやって足下を見られちゃうから、出来れば知られたくなかったんだけどな。

 僕を脅して、屈服させて。羞恥や恐怖という名のスパイスを振りかけて味わうという――僕にとっては地獄でしかない、新たな遊びの選択肢を与えてしまったわけで。


 だが、そんなことは、今はどうでもいい。

 姫香を殺さなければ未来は無い。麻衣も大ピンチだと言った。

 今は姫香を始末するべきなんだ。

 そのためなら何だってくれてやる。


『一つ勘違いをしているぞ、麻衣』


『ほぇ?』


『僕がくれてやるのは童貞の身体だけじゃない。心もだ』


 麻衣の性癖が少数派マイノリティでないことを祈るばかりだ。


『麻衣が僕を襲ったら、それはレ●プでしかない』


『でも、もし麻衣が姫香を殺したら、もう何も心配事はないし、僕は麻衣を見直す。僕と合意の上でエッチができる』


『強●と和●。一方通行と双方向。片思いと相思相愛。どっちが興奮する? 僕は断然後者だけどな』


 アダルトビデオしかり同人しかり――いわゆる十八禁の世界には前者のジャンルも多数存在する。

 でもそれは架空だからこそだ。現実でも楽しめる奴がいるとしたら、そいつはとち狂ったサイコ野郎でしかない。麻衣はそんな気がしなくもないが、さて。


『僕はしたい。麻衣と想い合って、存分に楽しみたい』


 最低にも程がある台詞だが、僕は遠慮無く書き殴る。


『むしろ前からしたかったくらいだ。我慢と言ったな? それはこっちの台詞だ』


『僕が今までどれだけ麻衣の誘惑に耐えてきたか……』


 フリックのしすぎで指が疲れる。手を止めて「ふぅ」と思わず一息入れると、麻衣が返事を出してきた。


『それって結局だーりんが楽しみたいだけじゃない?』


『僕も、だ。姫香を殺したら、もうテレポーターはいない。抹殺ゲームは終わりだ。存分に淫らな日々を過ごそうじゃないか』


 無論、ゲームはまだ終わりじゃない。

 麻衣を殺すまでは終われない。


 だけど、今はそのことは考えるな。

 麻衣に僕の本心を悟らせるな。


 心から麻衣を愛し、欲する彼氏になれ。プライドも打算も全部捨てろ。


 僕は麻衣の彼氏だ。

 僕は麻衣を愛している。

 麻衣といちゃいちゃしたい。抱き締めたい、揉みたい、舐めたい、挿し込みたいしねじこみたい――


『やー、そう来るとは思わなかったよ。一理ありますな。わたしも後者の方が好き。前者はいつでもできるからね』


 さらりと怖いことを書いてくれるが、気にしないことだ。


『でもなぁ……』


『うーん……』


 そんな台詞がぽんぽんと吐き出されている。麻衣の逡巡が伝わってくるようだ。


『やはり難しいのか、姫香殺しは?』


『そりゃそうでしょ。確実な殺し方が思い浮かばなくてねー。だーりんの提案も魅力的だけど、リスクとてんびんに掛けてみたら、大差が付かないんだよ』


 くそっ、これでもまだ動かないのか……。


 ……仕方ない。最後の一枚だ。


『まあ相手は天神家のご令嬢だからな、仕方ないだろ』


『むぅ』


『でも、だからこそ面白い』


 麻衣の本質は何かと考えて、結局のところ面白さを求めているのだと僕は思う。

 そうでなければ、僕にわざわざ接触なんてしない。手紙なんて渡さずにさっさと殺して、麻衣一人でテレポーターライフを楽しめば良かったのだ。


 だけどそうしていないのは、僕が面白いから。

 僕と過ごせば退屈を潰せる、と麻衣が踏んだから。


 ――勝機はある。


『考えてもみろよ。「姫香という優秀なテレポーター」、こんなおもちゃはたぶん二度と無いぜ?』


『どうせ殺す相手だ。だったら徹底的に楽しんじゃおうぜ?』


 打ち終えて、しばし待つ――メッセージは来ない。リアクションも付かない。


 三十秒……一分、と待ってもまだ無反応。


 僕はベッドに身を任せて背中から倒れ、大の字になる。

 麻衣はどうしてる? 僕の言葉は、その琴線に触れてくれただろうか。


「……ふぅ」


 一段と大きなため息が漏れた。


 これで断られたら為す術が無い。

 が、それは麻衣にとっても同じことだ。麻衣がそのまま黙って降参するはずがない。ピンチなのだから。るしかないのだから。

 そして、どうせ殺るなら、できるだけ楽しい方が良いに決まっている。


 外発的動機付けも、内発的動機付けも。

 出来る限りの、思い付く限りのモチベーションを僕は与えたぞ。


 スマホを握る手に力が加わる。

 喉元に唾液がひっかかったのを飲み込もうとして、飲み込みづらくて体を起こす。

 ごくっと飲み込んで。

 手を眼前に引き寄せて、視線を降ろす。

 ……どうなんだ、麻衣。


『だーりん』


 ……来た。




『やっぱりだーりんすごい。すき』




『いいよ。ひめっちを、殺したげる』





「よしっ!」


 僕は立ち上がっていた。

 スマホを持たぬ左手が握り込まれていて、ガッツポーズをしたのだと認識する。……って危ねえな、テレポートが発動するじゃねえか。まあテレアームは腹に収めてるからガード範囲が働いて何も起こらないわけだが。

 僕はベッドに座り直して、返事を打つ。


『ありがとな』


『どういたしましてー。んじゃ、早速ひめっち攻略作戦を考えたいから、もう行くね』


『ああ。いってら』


『いってきまーさ』


『<MAIさんがログアウトしました>』


 最後一文字、打ち間違えてるぞ。

 それだけ気持ちがはやっているということか。やる気を出してくれて何よりだ。


「間一髪だったな……」


 今頃になって鼓動が忙しくなってきた。


 ――天神姫香は死ぬ。


 天神家は大きな騒ぎになるだろうな。麻衣はそのあたりも含めて上手くやれるのだろうか。

 まあ僕みたいな素人が口出しすることじゃないな。そもそも玄人なのかどうかもよくわからないが。というか玄人って何だ。


「一件落着……ではないけどな。あと一つ」


 仮に姫香を殺して、上手く逃げ切れたとして。

 待ち構えているのは麻衣だ。


 姫香以上に殺せる気がしないモンスター。が、殺さねばやはり先は無い。

 あるいは僕がずっと麻衣の欲求を満たし続けられたなら、生き残れる道も。

 殺すにしても、僕一人ではなく、今回みたいに誰かを利用する手もあるな。

 たとえば彩音、は使えないだろうか。


 彩音か……。

 僕の平穏ライフに欠かしたくない存在ではある。

 一番大切な人は誰かと言われたら、僕は彩音を挙げる。唯一の幼なじみで、血は繋がっていないけど家族も同然なのだから。


 彩音を使わなければ麻衣に負ける。

 僕は最悪死ぬ。彩音はたぶん被害は無い。


 彩音を使えば麻衣に勝てるかもしれない。

 最悪僕も彩音も死ぬ。


 ……いや、彩音を使う以上、テレポートは明かすことになるか。そうなったら彩音も一連の事件が僕の仕業だと気付く。見逃してくれるだろうか。

 見逃さなかった場合はどうなる? 彩音も殺さねばならないのか?


「わかってはいたが、簡単じゃないな」


 もう一度嘆息。これで何度目だ。

 嘆いたところで、どうにもなりはしない。もうさいは投げられている。


「……疲れた。寝るか」


 洗面所へ向かい、歯を磨いてから。

 午後十時どころか、九時を半分も過ぎないうちに就寝した。

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