30.5 捕捉

 引き戸が閉じられて、足音が遠ざかったところで、ふと麻衣ちゃんがつぶやきました。


「やっぱりいいなぁ、だーりんは」


 お二人は恋仲とのことですが、わたくしにはどうにも違和感があるのです。私が知る麻衣ちゃん――二階堂麻衣にかいどうまいという人物像と、どうにも符合しないと言いますか。


「……麻衣ちゃん。瞬くんとはどのようにして出会いましたの?」

「んー、二年になってからだよ-。わたしの一目惚れ」

「ひとめぼれ、ですか」

「ひめっちは違うの?」

「はい。わたくしは容姿は気に致しませんわ」


 大事なのは外見よりも中身です。外見は、それこそお金と手間をかければいくらでも整えられるのですから。


「じゃあなんでわたしのだーりんを好きになっちゃったのさ?」

わたくしは……」


 わざと言葉を詰まらせて、思い出すふりをする私ですが、きっかけははっきりと覚えています――


 以前、北河内晴人きたごうちはると君のグループに絡まれて、返り討ちにして差し上げた時のこと。

 私は支配者呼ばわりされ、周囲が怯えていることにも改めて気付き、何をしているんだろうと自らを心底見損なって、嫌気が指して。

 そんな時に目に付いたのが、私など意に介する様子もない二人――綾崎彩音あやさきあやねさんと、井堂瞬いどうしゅんくんで。

 彩音さんは一目見て『出来る人間』だとわかりましたが、瞬くんはそうではなくて、でも話してみると一風変わられたお方で。


「譲らないからね」


 麻衣ちゃんを見ると、私を信用していないかのような目つきで、けれどどこか笑みも混じらせて睨んでいました。

 略奪愛が望ましくないことはわかっています。彩音さんもしているように、これは瞬くんや麻衣ちゃんをからかう『空気』や『ノリ』というものなのでしょう。


「恋仲は両名の意思ですわよ」


 私はその『ノリ』に従って、表面上は麻衣ちゃんをいじります。


「麻衣ちゃんにお譲りいただかなくとも、瞬くんが心変わりすればそれでよろしいのです」

「さらっと自分勝手なこと言うね、ひめっち」

「恋とはエゴである、と何かで読みましたわ」


 私のこれは恋、と言えるほど大きくはありません。けれど瞬くんは、私の中では最も大きな割合を占めている殿方ではあります。

 今まで見たことのない性格や視点に対する興味。ライトノベルを始め、私が知らないことを教えてくださるという期待。それと。


 ――テレポーター。


 そうです、瞬くんはテレポーターなのです。

 こんなこと、誰かに相談したところで信じていただけないのは目に見えていますが、それでも私は断言できます。


 私もテレポーターですから。

 テレポーターとして考え事を重ねて、想像して、仮説して、検証してきましたから。


 その結果、最悪の事態が起こり得ると私は結論付けています。


「昔からひめっちは頑固だよねぇ」

「麻衣ちゃんに言われたくはありませんわね」

「まぁ心配はしてないよ。だーりんは巨乳派だし、美人系よりも可愛い系だからねー」


 そう言うと、麻衣ちゃんは私の体を舐め回すように眺めてきました。

 最近の私はライトノベルを読んでいることもあって、麻衣ちゃんの言っていることも理解できます。

 ……確かに麻衣ちゃんは私よりも胸が大きくて、童顔で、可愛らしさが満開です。


「容姿で言えば、わたしと彩姉を足して二で割ったみたいな、中途半端なひめっちは、一番望みが薄いと思うなぁ」

「女は見た目だけではありません」

「でも見た目も重要だよ。特にだーりんは年頃の男の子。性的に魅力が無いと、ね?」

「せ、性的、ですか……」


 そういう方面のことが考えるとどうにも顔が赤くなってしまう私ですが、そうですわよね、殿方と付き合うということは、いずれそうなるわけですし、殿方は最初からそれを少なからず期待する生き物なわけですから、もし私が瞬くんと本当に付き合うとしたら、そういうことも……いいえ。


 私の想像はあっさりと断ち切られました。

 たぶん、そうなることは無いと思うから。


 だって、私と瞬くんだけでなく――麻衣ちゃんもまたテレポーターなんですもの。

 そして麻衣ちゃんが瞬くんと付き合っている理由は、そこにあるのではないか。

 そのように私は確信しています。


 そうでもしなければ、麻衣ちゃんが誰かと付き合うことなど考えられないもの。

 恋はエゴだと言いましたが、エゴと聞いて真っ先に思い浮かぶのは麻衣ちゃんなのです。

 昔からそうでした。麻衣ちゃんは――二階堂王介おうすけの娘は、この私、天神家の娘と同じくらいに、いえ、それ以上の存在感でしたから。


 あれは私が六歳の時でしょうか。父は決して弱音を吐かない人間でしたから、妙に印象に残っています。




 ――二階堂王介。あれは人間じゃない。いいか、絶対に敵に回すなよ。


 ――何番目の子供かは知らんが、王介にひっついてる麻衣とかいう女の子。あの子もだ。


 二階堂家は、いわゆる社交界のセレブという位置付けではなく、どの組織やコミュニティにも属さない一匹狼のような家柄でした。

 しかしながら天神家とは、私が生まれる前から対等の関係を築いていたようです。

 だからなのか、私は物心付く前から王介さんを知っていましたし、その娘である麻衣ちゃんもよく一緒にいました。


 麻衣ちゃんは自由で、怖い物知らずで、容赦も躊躇もない女の子でした。

 いたずらを仕掛けては使用人や来客の方を困らせたり、敷地内を探検して抜け道を見つめたり、秘密基地をつくったり、虫を捕まえて無惨に殺したりもしていました。

 そんな様子が、当時生粋の箱入り娘だった私には疎ましく、そして羨ましく見えて、私はついつい当たり散らしていました。

 殴り合いの喧嘩に発展したことも一度や二度ではありませんが、私が勝てた試しはありませんでした。

 父からは「嫌なら引き離してもいいぞ」と難しそうな顔で仰っていただけましたが、私は一度も頼りませんでした。

 どころか、どうしたら強くなれるかを相談して、その事が王介さんにも伝わって、稽古をつけていただくことになって――




「……懐かしいですわね」

「ひめっち?」

「いえ。少し昔を思い出していただけですわ。……麻衣ちゃん、今度うちで稽古していきませんか?」


 個人的に稽古という言葉では好きではありません。嫌々やらされている、あるいは仕方なくやっているという消極性がありますから。

 実際に私が身体能力や身体技能の維持向上に取り組む際は『鍛錬』『訓練』『修練』といった言葉を使います。今の私は、自らの意志と意思を以て、能動的に取り組んでいるのです。

 けれど、当時は『稽古』そのものでした。


 このニュアンスは、麻衣ちゃんにもすぐに伝わってくれたようで、


「藪から棒だねぇ。パパはもういないよ?」

「うちの先生方がいらっしゃいますわよ」

「やだよぅ、せっかくパパがいなくてフリーダムなのに」

「自信をお持ちでないようですわね」

「そりゃそうだよー、ひめっちは今も鍛えてるんでしょ?」

「はい。体は資本ですし、喧嘩が強いに越したことはない――王介さんの言葉ですわよ」


 すると、麻衣ちゃんは私を訝しむ眼差しで見つめてきました。


「ひめっちってさ、パパのこと、好きだった?」

「……尊敬はしておりました」


 正直言えば初恋だったと思うのですが、恥ずかしいので伏せておきます。

 けれど、私が抱いたのはそれだけではありませんでした。

 王介さんは魅力的な方であると同時に――恐ろしい方でもありました。


 父曰く才知に恵まれているらしい私。

 天神家の娘として、幼少期より英才教育を受けてきた私。

 そんな私でさえも、王介さんを同じ人間とは思えなかったのですから。それほどに、彼は優れていましたから。

 天神家を世界に押し上げた祖父と、それを盤石に整えた父。この偉大なるお二方に追いつけるビジョンは描けるのに、王介さんに対してだけでは、まるで想像もつかなかった。


「ふうん」


 麻衣ちゃんはいつの間にか、机の上に腰を下ろしていて、足をぷらぷらと揺らしていました。

 幼き頃の私なら「はしたないですわよ」と注意して、また喧嘩になっていたかもしれません。時の移り変わりというものは早いものです。……もうあの頃に戻ることはありませんが。

 そして今の、楽しくも穏やかな日常も、おそらくはもう長くない。




 二階堂麻衣という人物がテレポートという能力を持っていること。


 恋人をつくるという、らしくないことをしていること。


 一方で、テレポーターによる殺人が起きていて。

 たった今、私が超能力小説という体裁でアプローチした時にも、あっさりとテレポートだと返してきて。




 私はどうにもきな臭く思えてならないのです。

 幼なじみの麻衣ちゃんを疑いたくはない。一方で、幼なじみだからこそわかる――麻衣ちゃんだからこそありえる、とも思ってしまう。


「それだけ、ですわ」


 私はわざわざ麻衣ちゃんの目の前まで移動して、向き直り、決意を固めます。


わたくしがお慕い申し上げているのは瞬くんですの。負けません」

「強情だなぁ」


 もし麻衣ちゃんか、瞬くんか、あるいは二人ともが一連の事件を引き起こした犯人であるならば――絶対に逃しはしません。

 仮にそうでなかったとしても、テレポーターであることに変わりはなくて、かつ別に犯人が存在しますから、やはり目は離せません。


 私が今やるべきことは、二人のそばから離れないこと。


「天神家の娘ですから」


 微笑で顔を合わせる私と麻衣ちゃん。

 けれど内心では対峙しているはずですわね。少なくとも麻衣ちゃんは、私が疑っていることに気付いているでしょう。


 と、その時、がらりと引き戸が開かれます。

 瞬くん、次いで彩音さんが入ってきました。


「一緒に戻ってきたのー? 仲が良いんだねぇ、だーりん」

「ああ。彩音が僕がトイレから出るタイミングをうかがっていたみたいぐぁっ!?」


 瞬くんが彩音さんに右手を背中に回されて捻られています。護身術を習っているとうかがっておりますが、鮮やかな手つきです。

 そこに麻衣ちゃんが加わって、瞬くんがいいおもちゃにされているの眺めながら、私は考えます。


 麻衣ちゃんは手強い。だけど瞬くんは、そうじゃない……。

 こう言うと申し訳ないのですが、諸能力は平凡以下。

 だから警戒すべき相手は瞬くんではなく、麻衣ちゃんです。考慮すべき因子は少ないに越したことはないのです。


 私は直近の作戦を頭で組み立てながら、三人に話しかけました。


「瞬くん、麻衣ちゃん。――わたくしも文芸同好会に入れてくださいまし」

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