30 宣戦布告
あれほどの事件でもほとぼりが冷めるのは早いらしい。
金曜日の放課後にもなると、生徒達の話題はいつもどおり週末に向いていた。
とはいえ校内ではまだ警察関係者を見かけたり、テレビでも報道は続いていたりして、完全な沈静化には時間がかかりそうだ。
「それで相談とは?」
そんな中、僕らは部室に集まっていた。
といってもメンバーはいつもどおりではない。最前列に座るのは窓側から彩音、僕、麻衣。
「はい。お二人は文芸同好会で小説を書いているとお聞きしました」
教卓の前に立つ姫香が静かに、だが厳かな雰囲気をまとわせて口を開く。
本来なら部室に部外者――姫香と彩音を入れるはずなどないのだが、姫香があまりに神妙な面持ちで頼んできたからか、麻衣が折れたのだ。
「それは間違いだよひめっち。文芸同好会とは名ばかりで、ここはわたしとだーりんの愛の巣なのさっ」
麻衣がミュージカル俳優のような挙動で意味不明なことをほざき始めた。くるりとターンして僕に向き直り「ねっ?」と同意を求めてくる。ねっ、じゃねえよ。
ここはテレポーターである僕と麻衣の秘密基地だ。易々と入れるべきではなかったのでは。
「……
麻衣の奇行を華麗にスルーする姫香。
「ほぅほぅ、それは殊勝なことだ」
と、今度は僕の頭頂部にあごを載せてくる麻衣。頼むから落ち着いてくれ。
僕が頭を揺らして拒絶の意を示すと、すんなり離れてくれた。
「どんなの書いてるの?」
「超能力の話ですわ」
「バトルもの?」
ええ、と姫香が頷く。
「どんな能力が出てくんの? サイコキネシスとかパイロキネシス? 色々あるよねぇ」
「あまり広げても収拾が付かなくなりますから、一つに絞りましたの」
やけに矢継ぎ早に展開するなあとか、姫香がバトルものとはどんな話なんだろうか、などと思いながら聞いていたのだが――どうやらそんな状況ではなさそうだ。
僕はさりげなく目を伏せた。姫香と真正面から見つめ合って平静を保てる自信がない。
代わりに麻衣の横顔を見る。
「そっか-、絞っちゃったかー。なんだろうねー」
麻衣は間の抜けた口調で喋っていたが、直後、にやりと笑って、
「――テレポートとか?」
「はい。地形や地名ではなく、テレポーテーションの方です」
「ほー、渋いところに目を付けたねぇ。何かきっかけはあるの?」
「強いて言うなら必要だから――と言えますわね」
「なにそれ答えになってなーい」
麻衣が「ぶーぶー」と文句を垂れている。特に口元が可愛らしくて、こいつの中身を知らなければ和みそうだし、何なら惚れそうだ、と感想を抱ける程度には僕は冷静だった。
姫香が何のつもりでこんな話をしてきたのかは推測が付く。
僕としてはボロが出ないように沈黙したいところだが、姫香のことだ、僕に絡んでくるのは目に見えている。
なら、痛いところで突然絡まれて怯んでしまわないように、今のうちに会話に参加して慣れておくべきか。
顔を上げる。
姫香と目が合う。
さすがお嬢様だけあって、華やかながらも取っつき悪さのない外面を構えている。何を考えているのかはわかるはずもない。
「で、その瞬間移動バトルもの小説が相談内容なのか?」
あえて瞬間移動という言葉を使ってみる。紙切れでも、その後の説明書でも一貫して『テレポート』だったため、違う言葉を使えば疑いが晴れるかもしれない……んなわけないか。
「はい。設定を煮詰めたくて。ご助言をお願いしたいのです」
「僕は構わないが」
「ひめっちの頼みだもん。おっけーおっけー」
「ありがとうございます」
姫香が丁寧にお辞儀をする。一方で「私は聞き役に徹するわ」そのつまらなそうな声音に振り返ると、彩音がつまらなそうに肘をついていた。
校内一のクールビューティーも、気心知れた相手だけだと気を抜く。その対象は学校では僕だけだと思っていたが、今や姫香と麻衣もそうらしい。
そんな彩音は、この中では唯一テレポーターではないわけで、単に創作に興味が無いという以上に蚊帳の外にいる。下手に喋られても邪魔なだけだし、仲間はずれだと変な気を起こさなくて良かった。
僕は姫香に集中したい。集中しなければならない。
「それでは早速。テレポートにおいて最も恐ろしい側面は何だと思いますか?」
「思いますか? 思いますか?」
マイクをかたどった手を押しつけてくる麻衣を押し返しながら、僕は答える。
「そうだな、一瞬で地球の裏側にも行けるという時間的制約を無視した移動性能か?」
「麻衣ちゃんは?」
「んんー、飛びたい先に正確に飛べる空間認識能力?」
「なるほど。一理ありますわね……」
姫香は何度か首肯し、「ですが」と切り返す。
「
「……」
僕も麻衣も黙ったまま続きを促す。
「テレポートした先の空間が壊れること。たとえば
「物理的に重なっちゃうねー」
「しかし物理法則上、それはありえません」
「じゃあどうなるのさ?」
「そこは設定次第ですわ」
設定、ね……。
テレポートの仕様に則れば、言うまでもなく『テレポートされた物体が優先される』だが、これを答えたら、はい、あなたはテレポーターですね、とでも言うつもりだろうか。
決定的証拠を突きつけない限り、僕らがテレポーターであることはわからない。
姫香は知っているのだろうか――ガード
「ですが、テレポートされた物体が残るようにするのが自然です。そうでないとテレポート先を間違えただけで死んでしまいますから」
「死ぬ? ってどういうことよ?」
視線が一斉に彩音に向く。傍観するんじゃなかったのか。
「たとえば壁の中にテレポートした場合、テレポート先の壁が優先されてしまえば、テレポートされてきた自分自身は消滅してしまいます。そういうことですわ」
「それは怖いわね。迂闊に使えなそうね」
「はい。ですから、キャラクターがテレポートを積極的に使えるようにするという意味でも、テレポートされた物体が残る、という挙動が自然なのです」
「自然、ねぇ……」
彩音が姿勢を正す。授業でもよく見る完璧超人の雰囲気。いや、それ以上に集中せんと気合いを入れているように見える。賢い彩音でも、こういう話題にはサクッとついてこれないのか。
「とても自然には思えないわ。テレポート先にあった物体はどうなるの? 押し退けられるの? 押し退けられるスピードは? テレポートが時間量の無いイベントなら、押し退けられるのも一瞬ということになるわよ。これは物理学で言うなら――」
「そこは単純化させていただきますわ。サイエンス誌のエッセイではありませんから」
「どう単純化するのよ」
「跡形も無く、綺麗さっぱり消滅する――これだけです」
「うーん……」
なまじ賢いからか、彩音はピンと来ないようで、姫香と質疑応答を繰り返している。淀みなく返す姫香もさすがである。
……って感心している場合じゃないんだよな。
――戦いはもう始まっている。
姫香は僕ら――僕なのか、姫香なのか、両方なのかはわからないが――を疑い、揺さぶりをかけにきている。
あるいは挑発かもしれない。やれるもならやってみろと。
同時に、彩音という
姫香は持論を語っているようで、その実、テレポートの性質を述べているのだ。記憶力にも優れる彩音に記憶させるために。
これでは仮に姫香を倒したところで、彩音の頭にはまだ残ったままだ。不審な出来事がある度に結びつけようとするかもしれないし、ひょっとするとテレポートという超能力の存在に勘付く可能性さえある。
……やってくれるじゃねえか。
「瞬くんの意見も聞かせてもらえませんか?」
不意に姫香が話を振ってきた。
「その頭良さそうな話には全くついていける気がしないんだが」
「話は落着してますわ。
思わず彩音を見ると、肩をデコピンされた。
「相談されてるのはあなたでしょう? 何ぼけっとしてるのよ」
「ああ、ちょっとな……」
しまった。考え事に集中しすぎた。
「瞬くん。
くすくすと優しげに苦笑する姫香が妙に腹立たしいが、焦ってはいけない。
そうだ、麻衣はどうしてる? と思って目を合わせると「ぷっ」失笑された。お前は味方なのか敵なのかどっちだよ。つか他人事じゃないからな?
「……で、僕の意見とは、テレポートの設定がどうあるべきか、に対する持論でいいのか?」
話がどこまで進んでいるかわからないなら、これを利用させてもらおう。僕は適当にテーマを挙げ、
「だとして言わせてもらおう」
間髪入れずに語ることにした。冷静さを取り戻すために、どうでもいいことをすらすら喋るくらいしかとっさに思い浮かばなかった。
「僕の言いたいことは一つ。超能力の仕組みそのものに詳細な設定を盛り込まない方がいい」
「と、言いますと?」
「テレポートでいうなら、自分が意思した通りに自らをテレポートできる――これくらいの設定でいいんだよ」
「瞬くん、仰られていることの意味がわかりません。テレポートを使う以上、テレポート先の空間がどうなるかのルールは必要なのでは?」
僕に創作について話し合える友人が出来るとは夢にも思わなかった。これがテレポーターの心理戦でなければ、楽しかったろうな。
「そこは曖昧でいいんだよ。テレポートとは自分自身を任意の場所に瞬間的に移動させる力だ。言ってしまえばワープでしかない。他の作品でもそうだろ? その程度の扱いが一番使いやすいってことだ。壁の中とか、水の中とか、そういった移動先は考えなくていい。もちろん、あえてそういった詳細を煮詰めるのもアリだが、それだと超能力の仕組みだけで膨大なルールになる。劣等生じゃあるまいし、趣味でやるにはハードルが高いな」
「劣等生? というのはわかりかねますが、一理ありますわね。さすが瞬くん。素敵です」
「劣等生を知らないとはまだまだだな」
姫香が聖女のごとき微笑みを向けてくるが、騙されちゃいけない。
こいつは今や直近の抹殺対象であり、今まで以上に手強い、言うなればボス級の相手だ。
まあボスと言えばもう一人いるんだがな……。おそらくラスボスになるであろう、僕の恋人に目を向けると――何だその表情は。
「……麻衣?」
一切の演技をやめたような無表情が張り付いていた。
単に真顔だっただけ、と言われればそれまでかもしれないが、少なくとも僕は初めて見る表情だった。思わず声を掛けてしまうほどに。
「だーりん。見直したよ」
へらっと相好を崩す。
「別に大したことじゃない。誰もが当たり前に結論付けていることを、ただ言葉にしているだけだ」
「だーりんってちょっと変わってるよね。視点というか、物の考え方がちょっと独特」
「見直してるようには聞こえないが?」
「ひめっちが気になるのもわかる気がするよ」
「僕は麻衣の言ってることがわからんが……」
しかし麻衣は僕を無視して、どころか立ち上がって、姫香に向き直る。
びしっと人差し指を指して、
「ひめっち! 負けないからね」
「……望むところですわ」
姫香が穏やかに受け止めた。
そんな様子を眺めていると、不意に彩音が耳打ちしてきた。
「ラブコメの主人公みたいね。それにしては優しさと可愛げが全然足りないけど」
「あと幼なじみの色気もな」
彩音の胸をガン見しながら言ってみたら、手がピストルみたいに飛んできて、僕のおでこを弾いた……普通に痛くて涙が出そうだが、おかげで目も覚めた。
そうだ、僕らは負けるわけにはいかない。
姫香は僕ら二人が犯人だと疑っていて、麻衣もその事に気付いている。
その上で、お互いに宣戦布告をしているわけだ。
これはラブコメなんかではない。
食うか、食われるのかのデスゲームだ。
ラブコメと言うなら、その後の話だ。
相手は姫香でもなければ麻衣でもない。
――お前なんだよ、彩音。
僕は彩音が好きだ。
恋愛感情は無いが、愛着もあるし、たぶん執着もある。
僕の平穏ライフに加えたって構わない。多少騒がしくても、彩音ならまあいいかと思えてしまう。
そんな唯一の存在。幼なじみ。家族。
好き、とはたぶん、こういう気持ちなのだろう。
「フッ」
「あ、だーりん。今、鼻で笑った?」
「なんでもない。一緒に頑張ろうな」
「一緒に?」
「そこでとぼけるのかよ……」
せっかく恋人らしい台詞を吐いてやったのに。
まあいいさ。お前は姫香の次に殺すのだから。必ず。
……と意気込むのはいいんだが。
どう殺すかは依然として思い付かないわけで。
「……ちょっとトイレ行ってくる」
「私も」
気分転換に立ち上がると、彩音も便乗してきた。
麻衣と姫香はというと雑談で盛り上がっている模様。いちいちリアクションや表情の大きい麻衣と、控えめながら上品に笑う姫香。そこには何の隔たりも感じなくて、「仲良いわね」彩音の言う通りだった。
部室を出て、しばし並んで歩く。
喧噪も、焦燥も、すっかりと鳴りを潜めている。無言の沈黙だから余計に際立つ。
だけど気まずくない。むしろ心地良いくらいだ。
突き当たりのトイレで別れた。
男子トイレに入り、用を足しながら僕は考える。
とりあえず言えるのは、可及的速やかにというレベルの迅速さは求められていないということ。
姫香は今すぐ僕らをどうこうするつもりはない。もしそうでなければとっくに殺されているか、捕まっている。
僕らが殺されてないということは、姫香がそういう人間ではないということ。
僕らが捕まっていないということは、姫香が天神家の力に頼っていないということ。
お姫様の事情など知る由もないが、モノがモノ――テレポートなどという人知を凌駕した能力だ。迂闊に誰かに知られる真似はできまい。
……そうだな、間違いないだろう。
十中八九、姫香は一人で真相を究明しようとしている。
というよりそうすることしかできないのだ。
それが彼女の視野だから。
僕が私利私欲のために抹殺するという選択肢しか選べなかったように。
今の状況は、幸運ではないが不運でもない。
もし姫香がもっと狡猾で利己的な人間だったならば、僕らはあっさりと殺されていたに違いないのだから。
形勢はまだ悪くないんだ。こっちは二人なんだしな。
しかし……。
「……」
弱音をつぶやこうとして、思い留まる。
もしかしたら姫香がテレアームで僕の様子を探っているかもしれない。
唇を触り、読唇術みたくつぶやいた内容を当てるかもしれない。その内容次第では、僕がテレポーターとして姫香との心理戦に疲労していることを悟られる可能性がある。
「くくっ」
考えすぎか。思わず苦笑する。
だが、それでこそ僕だ。
もはやまともな考えでは姫香を殺せない。
姫香だってそれがわかっているから強気で攻めてきた。
テレポーターとしては一人でも、立場は天神家の一人娘。
固くて、硬くて、堅くて……難い。
一般人では背伸びしても勝てない。
だから、それでいいんだ。
考えすぎて、いいんだ。
常識も、劣等感も、ルールも。全てにとらわれないで、解を探せ。
レバーを引いて水を出す。
軽く手を洗った後、ばしゃばしゃと顔も洗ってやった。
さっぱりした。
さて、部室に戻ろうか。
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