28 水面下の決意
「この遊園地はもうおしまいだね」
「ああ、ゴンドラが落下するようじゃあな」
眼下に崩壊したゴンドラがある。原型がわからないほどにガラスが割れ、飛び散り、また人が倒れていて、中には大量出血している人もいて、泣き叫んでいる人もいて。
まるでテロが起きたような惨事だ。
無論、中にいた塩見親子はまず間違いなく即死だろう。
「わたしらもパニクった方がいいんじゃない?」
嬉々として腕に抱きついてくる麻衣は無視して、他のゴンドラを覗いてみる。
唖然とする老夫婦、落ち着きの無いカップル、ガラスをバシバシ叩いて救助を要請している女子グループ――
まあ自分が乗っている観覧車の、ゴンドラの一つがああも無惨に落下してしまったら、普通はそうなるか。
しかしこの現象は普通じゃない。言うまでもなく僕自身が、塩見詩織を殺すために、テレポートを用いて引き起こしたことだ。
やり方は単純で、ゴンドラの上部に取り付けられたシャフト――観覧車との接合部を切断しただけ。
「きゃー、たすけてだーりん」
麻衣が棒読みしながら胸を押しつけてくる。無感情キャラ路線で来たか。別にそういうフェチはないが、柔らかい感触に包まれているのは事実なわけで、どうにも居心地が悪い。
麻衣を押し返し、「むぅ」などと拗ねて睨んでくるのも無視して、僕は座席に座る。
「明らかに不自然な現象だが、バレることはないはずだ」
シャフトを切断するのに用いたのはルーズリーフ。
紙類は入手も携帯も容易な上に、広い面積に渡ってテレポート先の物体を消滅させることができる。テレポーターには重宝するアイテムだ。
もっとも現場には残ってしまうが、ルーズリーフ二枚を見たところで原因にまで結びつくはずがない。念のため手袋を付けてテレポートしたから指紋も残ってない。
「よっこらせっと」
麻衣が隣に腰掛けてきた。
「だーりんにしては衝動的だったよね」
また他人事みたいに言いやがって……だが、麻衣の言うとおりだ。
今回の殺害は事前に計画して行ったものではない。
今日の朝、旅行から帰ってきて、麻衣と別れた後、疲れは取れてなかったが詩織が気になって仕方がなくて、マンションまで様子を見に行ったら、ちょうど母親と出かけようとしていたところだったから、そのまま尾行したのだ。
麻衣はなぜか途中で合流した。偶然だと言い張っていたが、怖いので詳細は訊けなかった。
にしても新幹線と遊園地とはな……。思わぬ出費だ。ただでさえ旅行のせいで金欠なのに。
「新幹線の行き先を見るためにしおりんのすぐ後ろに並んだ時はどうしようかと思ったよ。しおりんがだーりんの顔を覚えてたらどうするのさ? だーりんもまだまだだね」
「……そうだな」
ぐうの音も出ない。
僕は僕なりに色々と考えたつもりなのだが、この件も含め、既に麻衣から複数の穴を指摘されている。……僕はやはり平凡であり素人だ。
だからこそテレポーター達を速やかに皆殺しにする必要があるんだよ。その存在が世間に露呈する前に。収拾が付かなくなる前に。
僕は焦っていたのだ。
中々殺せる隙を見せない詩織に。
背後に控える姫香と、今も呑気に足をぷらぷらさせている麻衣に。
今のところテレポートが世の中に知られている様子はない。詩織も、姫香も麻衣も、上手いこと付き合っていると言える。露呈は杞憂とさえ言えるかもしれない。
だからといって、テレポーターが存在する以上、リスクそのものは消えないし、そこを容認できるほど僕はお人好しではない。
僕が目指しているのは平穏な人生。ラノベを読むだけで過ごすような、そんな静かな生活なんだよ。
リスクを抱えたままではおちおち寝られもしない。
殺せばリスクはゼロになる。
だから殺す。
多少無理をしてでも、必ず。
全員を。一人残らず。
……とはいうものの、今回はさすがに強引すぎたが。
僕に繋がるような穴が無いか、もう一度考え直した時だった。
がくん、とかごが揺れ、アナウンスが流れる――緊急停止らしい。
「宙吊りだよだーりん」
麻衣は膝の上で器用に頬杖をつくり、その上に小さな頭を載せて、ジト目で僕を睨んできた。
「パンツ見えてるぞ」
「事故が起きたらこうなるの、わからなかったかなあ。何分かかるかなあ。いや何時間かもねー」
不機嫌でいらっしゃる……。
「し、仕方ねえだろ。外からだとテレアームが届かないんだから」
「ここをラブホテルにしてもいいんだぜぃ」
「それは勘弁してください」
隣から普通に覗かれるぞ……いや、パニクっててそんな余裕はないみたいだが。
ってそうじゃない。
こいつならやりかねない。死守しなければ。
「冗談だよう。面白い光景が見れたから、ちゃらにしてあげる」
「面白い、ねぇ……」
地上の惨状を見てそう言っているのだから、こいつもやはりぶっ飛んでいる。
実行犯が何を言ってんだって話だが。
ともあれ襲われるルートは回避できたようだ。内心ほっとつく。
それから緊急停止が解除され、僕らが地上に降ろされたのは一時間後のことだった。
刑事に観覧車の様子や不審人物について訊かれた。テロの可能性を疑っているのかもしれない。最後の一言、
――君たちはやけに落ち着いているね。
これには動揺しそうになったが、ただの雑談のつもりだったらしく、直後に「引き留めて悪かったね、ありがとう」と挨拶されて終了した。
「やっと出られたねー」
麻衣が大きく伸びをする。たぶん豊満な胸が強調されているのだろうが、僕の目は周囲に釘付けになっていた。
救急車に、パトカーに、ゴンドラを撤去する作業車――
観覧車から見下ろした時とは違う。
生の音が、声が響く惨状。
これを――僕がやったのか。
唖然とする。
この現場じゃなくて、自分に。
だって、何とも思わないから。
バレたらどうしようとか、死刑だろうなとか、死にたくないとは思うが、それ以外のこと――たとえば罪悪感は微塵も感じない。
むしろこういう破壊行動を気分転換や娯楽として楽しむのもアリかもしれないとさえ考えてしまった。
「……そんなことはどうでもいい」
そういうのは僕が知っている普通という名の偏見にすぎない。
そんなものは重要じゃない。ただそれに従うことが社会で生きるために必要だから仕方なく従っているにすぎない。
僕は僕だ。
僕は平穏に、ラノベに溺れる生活を続けられればそれでいい。
そのことだけを考えろ。
「さすがのだーりんも参っちゃった?」
ぎゅっと手を握られる。
柔らかく、温かい、だけど意外なほどに小さい、麻衣の手。
「みたいだな。今日こそは休む。もう帰るぞ」
帰るまでラブラブタイムか。
まあ過剰なスキンシップでなければ悪い気はしないが、と思っていると、手はすぐに離れた。
「そっか。わたしはもうちょっと遊んでくよ」
「……わかった」
園内は遊べる状況じゃないと思うけどな。あるいはこの光景を見ておきたいのか。
余力があれば付き合ってもいいが、今はいい。
まだ大ボスが二人残ってるんだ。さっさと回復して、殺し方を考えないとな……。
僕は背中越しに手を挙げて散会した。
◆ ◆ ◆
――もしテレポートを悪用されたら。
私の懸念は、どうやら現実となってしまったようです。
のほほんとティータイムを楽しんでいる場合では断じてありません。
「白山さん」
カップを置いて、そばに控えていた執事を呼びます。
「はい」
「美山高校のコンピュータールームと教職員ネットワークのフルコン権限を今すぐ使いたいのですが、取り計らってもらえますか」
「……探偵ごっこをなさるおつもりで?」
白山さんの視線は私ではなく、壁に設置された大型ディスプレイに向いていました。
速報として報じられているのは、近隣の遊園地で起きた大事件。死亡が確認されているのは塩見春子、塩見詩織の二名。
「詮索しないでいただけると助かりますわ」
「かしこまりました」
白山さんは淡々と頭を下げ、てきぱきとカップを片付け始めます。
お付きとして長らく仕えてきただけあって、私の考えていることなどお見通しですわね。
「お嬢様。三十分後に玄関にお越しください」
確定事項のように告げる白山さん。
たった三十分で調整しきれる手腕と、そもそも塩見詩織が美山高校の三年生であることを知っている事実。さすが白山家の筆頭執事です。
「では失礼致します」
音もなく戸が閉められました。
惨状の喧噪が画面越しに届くのを聞きながら、私は改めて決意を固めます。
――やはり偶然ではない。
きっかけは麻衣ちゃんの父、二階堂王介の死因について小耳にはさんだ時でした。
曰く、脳内から糖分が検出されたと。
それがテレポートによる仕業で、おそらく糖分を含む食べ物か何かを送り込んで殺したのだろうことは容易に想像できます。王介さんが父と同等、いやそれ以上の超人で、死亡することなど夢にも思えなかったからなおさら。
そんなことが行えたのは、状況から見てただ一人――私の同級生で、女優でもあった星野めぐみさんのみ。
しかし彼女もまた現在進行で行方不明なのです。
それからしばらくが経って、ゴールデンウィークが始まった三十日の日曜日、つまり今日の朝。
横川先生の死亡が報じられました。自宅が丸ごと焼失していた光景に唖然としたのもつかの間、今度は塩見詩織さんの事故死。
ニュースでは観覧車の整備不良や経年劣化、あるいはテロの可能性が疑われていますが、どれも違う。
――犯人はテレポーターだ。
付け加えて言うなら犯人は美山高校の生徒あるいは教職員であり、当日遊園地に訪れていて、しかも塩見親子と同じタイミングで観覧車に乗っていたはず。テレアームの可動範囲からみて、そうとしか考えられません。
犯人はテレポートを使って、ゴンドラと観覧車を繋ぐ部分を全て物理的に切断した。
彼女の乗るゴンドラを落とすために。
彼女を殺すために。
となると容疑者は相当絞られます。警察に任せれば確実に絞り込めるでしょう。
けれど、そのためにはテレポートの存在を教えなくてはなりませんし、当然、口先だけでは信じてもらえないでしょうから、私自らデモンストレーションすることにもなるでしょう。
超能力の存在が警察に、世間に、そして父に知られてしまう。
暗殺も破壊も行えるこのような武器を、あの人が黙って見逃すはずがない。私を
父は――現天神家の当主はそういう人間です。
カップを取ろうと手を伸ばすと、間もなく
「……」
白山さんに頼るという選択肢が思い浮かびます。
私が退屈で窮屈な箱庭と操り人形の世界から逃げようと父と戦った時、白山さんは私を支持してくれました。彼がいなければ私は美山高校に通えず、今も社交界で人形として振る舞っていたに違いありません。
信頼できる執事で、頼れる味方。今だって高校のアクセス権限を権力乱用で使おうとしているのに、黙って見逃してくれている。
彼なら父に告げ口せず、親身になって考えてくれて、その優秀な能力で迅速に対処してくれるはず。だけど……。
それでも、いざ相談しようと考えると尻込みしてしまいます。
テレポート。
この世にあるはずのない超常現象……。
「……支度しましょう」
結論は保留にして、私は支度部屋へと向かいました。
◆ ◆ ◆
美山高校のコンピュータールームと言えば、情報の授業でお邪魔する部屋。普段は生徒達の声や打鍵音が程よいBGMとなるのですが、今はHDDの駆動音が虚しく響いているのみです。
護衛は外で見張らせています。
この広い部屋を、たった一人で、しかも私は教職員席のコンピューターに触っている私。権力乱用もいいところですが致し方ありません。
物事には優先順位というものがあります。
テレポーターの
全てが終わってから謝りましょうか……と胸中で正当化しつつ、私は出席管理システムを開いていました。
お目当ては星野めぐみさん。行方不明となった彼女の足取りを知りたかったのです。
めぐみさんの登校は四月十四日、金曜日が最後でした。授業は全て出席しています。
翌十七日には……行方不明の知らせが教職員間で共有されていますし、事実システムでも以降は全て欠席となっているので――彼女はこの間に消えたことになりますね。
さらに手かがりを得ようと、私はファイルサーバーを辿ります。
めぐみさんの件についてまとめたと思しきフォルダを発見。ダブルクリックで開き、現れたファイル群を舐めていきます。
……。
……、……ありました。
めぐみさんのご両親が十四日の夜、「娘が帰ってこない」と学校に問い合わせている、という記録が残っています。
ここから言えるのは、めぐみさんが消えたのは十四日、それも放課後以降だということ。
「――整理しましょうか」
私は席を立ち、頭を働かせるために室内を歩き回ります。
行儀が悪いので外では決してしませんが、今は構いません。働かせるためです。
仮説その一。王介さんはめぐみさんが殺した。
これは状況からみて間違いないでしょう。王介さんはテレポートでもなければ殺せないはずですし、脳内から糖分が検出されたという話も聞いています。
仮説その二。横川先生と塩見さんは犯人Xが殺した。
Xが誰なのかはわかりませんし、なぜ二人を殺したのかも不明です。けれど、タイミングから考えれば事故ではなく、同一犯による、明確な目的に基づいた殺人と考えるのが自然です。
仮説その三。Xはめぐみさんで、彼女は姿を隠している。
……これは可能性が低そうですわね。殺し方が違いますもの。
めぐみさんは王介さんを体内テレポートで殺しています。一方で、Xは体内テレポートを使っておらず、火事に転落死、とまわりくどい方法ばかりです。
仮説その四。めぐみさんもXに殺された。
行方不明になっているのも、まわりくどい殺し方の一つだと考えることができます。
……そう、このまわりくどさが目に付くのです。Xの事情が絡んでいるのかもしれません。
だとすると。
仮説その五。Xはテレポーターの皆殺しを企んでいる。
テレポートという超常的なアドバンテージを絶対的な価値にするためか。
テレポートが世間に知られて騒ぎになることを防ぎたいのか――
動機まではわかりかねますが、そう考えると全ての筋が通ります。
少なくともXはテレポートを誰にも知られたくない。だから体内テレポートを使わず、なるべく非超常的に殺そうとしている。
……にしては、ゴンドラを切断して落としたのはいささか強引ではあります。もしそれがXのミスなのだとしたら、Xもそこまで優秀ではありません。
だからといって油断できる相手でもないのですが。
「三人、ですものね……」
Xは既に三人も殺している上、容赦も躊躇も無いことは明らかです。
テレポーターだと知られたら、私も間違いなく殺されます。
しかし逆を言うなら、知られさえしなければ殺されることもありません。
Xが典型的な
私は、Xはそうだと思っています。そんな気がします。
だって、Xからは感じられないから。父のような雰囲気――ぎらぎらした欲望を燃料に、目的のためなら手段も選ばず猛進する暴走列車のような圧力や意図が。
どちらかといえばなるべく事を荒立てず、最小限に済ませようとする、
この直感を信じるなら、皆殺しの後、Xがテレポートで猛威を奮うことはありません。何事も無かったかのように平穏な日常が戻るでしょう。
私が抱く最大の懸念、テレポートの存在が世間に流出してしまうことも、無いでしょう。
下手に首を突っ込んでも殺されるだけ。
なら、私は黙って静観しておけばいい。
それだけでいい。たったそれだけ……。
――そんなわけないでしょう!?
理由がどうであれ、三人も
世界を支える天神家の人間として。
一人のテレポーターとして。
私がやるしかない。
私にしかできない。
私がXを捕まえてみせる。
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