27 キリングトラベル 後編

 学内に殺人鬼がいるかもしれないというのに。

 逃げなければ殺されるかもしれないのに。

 ほとんど何も行動できないまま一週間が過ぎて、現在。ゴールデンウィーク二日目の夜。


「どうしたんだい? 元気が無いようだけど」


 テーブルにはあつあつの鉄板が三枚ほど載っている。その下では新聞紙をはさんだ板が緩衝材の役目を果たし、その上ではやたら分厚いお好み焼きがじゅうじゅう鳴いていた。


「ううん。執筆で煮詰まってるだけ」

「そうか。無理しちゃダメだよ詩織しおり

「うん。ありがと、お父さん」

「……切ってやろうか?」

「自分でやるわ」


 私はへらを受け取り、力を込めて切っていく。

 今日の夕食は広島風お好み焼きだ。料理好きの母が以前の広島旅行で惚れたらしく、最近は週一ペースで登場する。


「さあ、食べましょ食べましょ」


 母もへらを操ってカットしていく。私よりもだいぶ手際が良い。


「お店みたいに鉄板テーブルでも用意しようかしら」

「よしてくれよ。リビングが狭くなっちゃうよ」

「うふふ、冗談よ。詩織は鉄板テーブル欲しい?」

「普通に要らない。それより本棚がもう一つ欲しいわ」


 私は上手に切れた一片をへらですくい、しっかり息を吹きかけて冷ましてから、口に運んだ。

 ……美味しい。ボリュームがありすぎるけど。


「相変わらず本の虫ね。お母さん感心するわ」

「よしてよ。ラノベなんだから」

「累計三十万部の大作家だもんな。謙遜しなくてもいいんだぞ」

「お好み焼き、もう一枚焼いてあげるわよ?」

「一枚で十分だから……」


 むしろ一枚も食べきれるか怪しい。二回に一回は結局父に食べてもらってるし。

 その父は最近お腹が出てきている。先週は普通に二枚食べてたし、もうちょっと自重してもいい。私と足して割ったらちょうどいいと思う。


「……」


 不安が表に出ないよう努めて振る舞う。

 両親が私の話題で盛り上がっている。よく飽きもしないでと毎回思うんだけど、嫌じゃないし、嬉しいし、励みにもなっている。だからこそ。


 絶対に巻き込みたくはなかった。


 私がテレポーターになった件も。

 校内に殺人鬼テレポーターにいるかもしれないことも。

 出来るだけ早く逃げてしまいたいということも。


 私は、一言も相談できていない。

 だって二人とも優しいから。

 絶対に親身になって聞いてくれて、信じてくれて、力になってくれるから。


 一方で、当面は大丈夫だという楽観視も私の中にはある。

 この一週間で考えてきたことを振り返ると――






 まずテレポーターが存在するのは美山高校の関係者のみ。

 何人いるのかはわからないけど、三週間近く経っても目立った事件は起きていないし、早口言葉三千回という条件を考えても、数はそう多くない。

 十人はいないと思う。五人……あるいは数人。もっと少ないかも。


 ただし、その中には殺人鬼が潜んでいる可能性がある。

 あくまで推測でしかないけれど、二階堂王介――芸能界の王と呼ばれ圧倒的存在感で君臨していた傑物が突然死したことが事の発端だと考えられる。

 総理大臣よりも厳重と言われる彼が死ぬことなど信じられなかった。レアなイベントだ。


 そしてイベントと言えばもう一つ――星野めぐみが行方不明になったこと。

 彼女とは面識は無いけれど、女優しながら学業に勤しむ境遇も女子高生作家として親近感が感じられて、親しくなりたいと思っていた。

 それは永久に叶わなくなってしまったけれど、ともかく、身近の人間が行方不明になるという出来事もまた珍しい。


 稀な事象が二件も起きたということ。


 もしこれが偶然でないとして、両者の繋がりが二階堂王介の死と関係があるのだとしたら、それはテレポーターしか考えられなくて。


 星野めぐみはテレポーターだった。

 そして理由は不明だが二階堂王介を殺した。おそらく内臓に何か物体をテレポートさせることで。

 報道タイミングやツブヤイター等から総合すると、彼はドラマ撮影の現場で殺されたと思われる。

 そこにいることができたのは、校内では彼女しかない。事実、彼女も仕事で学校を休んでいた。


 その彼女は現在行方不明となっている。

 偶然でないという仮定なら、何者かに殺されたとみて間違いない。

 問題は誰が殺したかだけど、私は。


 他のテレポーターに殺されたのではないか――と睨んでいる。


 最初は二階堂王介の関係者による報復だと考えたけど、突然死の翌日、彼女は登校していた。

 もし報復だとするなら登校する前に殺されているはず。

 そもそも関係者にとって、星野めぐみの命を取ることに価値があるとは思えない。芸能界も、その他の世界も、絶対王者を失ってパワーバランスが狂ったせいで、それどころではないのだから。


 そうなると、他に星野めぐみを殺す動機を持つ人物はワンパターン――テレポーターだけだ。

 彼女を殺した犯人を殺人鬼Xと呼ぶことにして。Xはどうやって調べたのかはわからない――私と同様に二階堂王介の不審死から勘付いたとは思っている――けど、とにかく星野めぐみがテレポーターだと突き止めて、殺した。

 殺害の理由は色々考えられるけど、たとえば自分以外のテレポーターを根絶やしにして自身の優位性を示したいとか、全員殺すゲームを楽しんでいるとか、そんなところだと思う。

 いずれにせよ、幼稚で無知な人間だ。


 こういう言い方は不謹慎だけど、状況はそこまで最悪ではない。テレポート絡みで目立った事件はこの件だけだし、そもそもこれさえも私の推測でしかないから。


 もしテレポートが安易な人間に渡っていたとしたら、もっとニュースは起きていたはず。惨事か、発見か。考えたくないけれど、賑わっていたはずなのだから。

 逆を言うなら、Xを含め現存するテレポーター達は極めて冷静沈着だと言える。

 少なくともXは星野めぐみを行方不明という形で始末している。テレポートによる殺人は簡単でも、死体の処理は簡単ではないはずなのに。

 他のテレポーターも、いるとするなら、今のところは日常を乱すことなく過ごしている。厄介なことを企んでなければいいけど。


 ともあれ私が警戒するべきはXだ。


 Xは存在していて。

 テレポーターを始末しようと、血眼になって探している――


 妄想ならそれでいい。むしろそうであってほしい。

 だけど、そうじゃないと言い切れない要因が、事象が、兆候が、確かにある。


 ……私は、どうすればいいんだろう。


 Xを逆に殺すだなんてことはしたくないし、モノが超能力だけに警察に相談するわけにもいかない。

 両親に打ち明けて、ひっそりと夜逃げみたいに転校するのは……無理ね。巻き込みたくない。それに下手に動いた方がかえって怪しまれる。


 今のままなら、たぶん私は安全だ。まだ殺されていないのがその証拠。

 Xは私がテレポーターであることを知らないに違いない。

 だって、Xはテレポートで人を簡単に殺せるのだから。もし私に気付いているなら、さっさと殺してしまえばいいのだから。






 ――先延ばし。

 何度考えても結論はこうなる。


 仕方ないじゃない。他にやりようがないもの。

 これは都合のいい妄想じゃない。念を入れた推測であり、想定だ。

 外れていればそれでよし。当たっていたとしても当面は無問題。私はマークされてない。


 そうよ、今までだって、小説家であることをずっと隠してきたじゃない。

 美山高校の入学面接では学園長に教えたけど、ペンネームや作品名を含めて知っているのは彼だけ。それ以外の先生には小説家としか共有されていないし、仕事で私が休む時は『家庭の事情』で通してもらっている。そういう契約だ。


 先生から見れば、私はよく休むどこぞの小説家でしかない。

 生徒から見れば、私はよく休む病弱なぼっち地味女子でしかない。


 Xが先生だろうと、生徒だろうと、私には気付かない。

 今までもそんな兆候――たとえば不自然な接触や観察を受けたことはなかった。


 だから大丈夫なのよ。

 私がヘマをやらかして、Xに悟られない限りは。


 ふと満腹感を感じたので、鉄板を見てみると、九割以上を平らげていた。……考え事をしていると食が進むのよね。

 意識すると胃が急に重たくなってきた。

 満腹もそうだけど、たぶんストレスもある。何度も何度も考えては、震えたりもしたから。おかげで執筆も全然捗っていない。

 ……そうね。


「お母さん。明日空いてる?」


 上品に食べていた母はペースを崩さずしばし咀嚼。へらを置いて、コップの水を飲んでから、


「空いてるわよ?」

「明日、遊園地に行きたいんだけど」

「取材?」

「うん。どうかな」

「大歓迎に決まってるじゃない」


 母が微笑んだ。


「詩織、お父さんを忘れてるぞ?」

「仕事でしょ」


 情けない顔をする父に、私は自分のへらを授ける。全部食べるの無理だから後は任せた。


「有給取ろうかな」

「バカなこと言わないの」

「二人だけずるいじゃないか」

「あなたが毎日頑張ってくれてるからよ」


 母が父のコップをかっさらって水を汲む。


「来週後半は連休なんでしょ? 旅行にでも行きましょう」


 母はそのままキッチンへと行き、ワインボトルを持って戻ってきた。


「詩織。準備は明日の朝でいいのよね?」

「うん」

「一緒に遊ぶ友達がいたら文句無いんだけどねぇ……」

「私はお母さんがいたらいいの」

「もう、誤魔化ごまかさないの」


 私には珍しく甘えた声を出してみたんだけど、全然通じなかったな。

 そのうち頑張ります。そのうち。今は創作が一番だから。


「ごちそうさまでした」


 私は立ち上がり、重たい鉄板をキッチンに運ぶ。




      ◆  ◆  ◆




「はぁー、長かったー」


 思わず柄にもない声を出してしまう程度には消耗した。

 美山市から新幹線で二駅ほどにある位置する、どちらかといえばローカルな遊園地。

 だけどゴールデンウィークだけあって人が多く、アトラクションはおろか、売店でもトイレでも至るところで待ち時間が発生していた。この観覧車に至っては三十分だ。


「それではごゆっくりお楽しみください」


 係員の笑顔と共に扉が閉められ、私達を乗せたゴンドラが少しずつ高度を増していく。


「詩織、大丈夫?」

「景色が見えるまで休憩させて」

「ふふっ。だいぶ強くなったわね」


 私は昔から人混みが苦手で、中学生になるまでは親がいないと一人で買い物もできないくらいだった。今は単独行動も余裕だけど、長時間晒されるのはまだまだしんどい。

 座席にだらしなくもたれてだらけていると、ぱしゃっとシャッター音。

 前を見ると一眼レフのデジカメが構えられていて、にゅっと横から母の顔が出てきた。満面の笑み。楽しそうだ。


「珍しいショットが撮れたわ。凄い顔してるわよ?」

「お父さんには見せないでね」

「はいはい」


 母は鼻歌を奏でながら撮影画像をチェックしていた。

 年の割には童顔だし、肌も綺麗だし、身だしなみも若々しくて、二十代後半でも通じそうだ。というか一回ナンパされてたし。学生時代もモテたんだろうなぁ。

 一方で血を受け継いでいるはずの私は、恋人はおろか友達もいない。事情があるならともかく、単にラノベに逃避しているだけなのだから、怒られても仕方が無いと自分でも思う。

 けれど母も、父も、そんな私を尊重してくれている。


「詩織の写真も見せて頂戴」

「風景だからつまらないよ」


 バッグからコンデジ――スマホサイズの小さなコンパクトデジタルカメラを取り出して、気怠げに渡そうとすると、母が立ち上がって隣に座ってきた。

 ぴたっと密着してきて、一緒に画面を覗き込む格好となる。

 我慢しようと思ったけど、いいよね……。私は母の肩に頭を載せた。

 母がちらりと私を見て、微笑んだのがわかったけど、すぐにカメラの操作に戻ってくれた。


「……本当に風景しかないわね」

「取材だもの」

「着眼点が謎ね。適当に撮ってるの?」

「ううん。風景を文章に変換できる程度の情報を集めているだけ」

「ふうん」


 どんなカメラでどこをどのように撮るかは作家次第だと思うけど、私の場合、風景を文章化するための資料を残すために撮る。

 ついつい頭で覚えてるから大丈夫と怠けちゃいがちだけど、そのせいで中学生の時に行った遊園地の情景が上手く書けないわけで、こうして来ているわけで。

 そうでなくとも流行は絶えず変化しているわけで、書くたびに取材するのが理想ではある。特に今回は思い入れのあるデートシーンなわけで。


「どう? 書けそう?」

「何とかね」

「アスカとアキトのデートシーン?」

「……うん」


 母は私の作品をよく読んでくれている。

 嬉しいけど、それ以上に恥ずかしい。一応男子中高生がメインターゲットで、その、えっちなシーンもあるわけで、それらも読まれているわけで。


「お母さん、そろそろ返して。観覧車も撮る」


 私は半ば強引にカメラを取り返し、向かい側の席に移動して撮影を始めた。

 気付けばゴンドラは地面よりも最高点の方が近くなっている。園内の大半を見下ろせる高度だ。

 景色を頭に入れつつ、まずは内装と、隣のゴンドラと、観覧車のフレームあたりを撮影。景色は最高点に近づいた時にまとめて撮る予定。


 ゴンドラが揺れない程度にあちこち動き回ってぱしゃぱしゃする私。

 ちらちらと微笑の母が目に入るけど、照れくさいので気付かないふり。


 そんな風にして幸福な取材を噛みしめているうちに、ゴンドラは最高点へ。

 今や遊園地の全景だけでなく、遠方の高層ビルや山々まで見える。

 いよいよ忙しくなってきた。慌てない慌てない、と小声で口ずさみながら眺望を収めていた、その時――


 地面が揺れた。


 ……地震、というより急停止?

 母と顔を見合わせて、お互いに首を傾げる。何が起こったんだろう。

 外を見ると、ひらりと宙を漂う何かが見えた。白くて、薄くて――ルーズリーフ?

 それが急激に上昇して、あっという間に視界から消――違う。


 あっちが上がっているんじゃない。

 こっちが――ゴンドラが落下している!?


 急降下を嫌でも思い知らせてくる景色の流れと、凄まじいまでのG。

 身の危険を察知した身体が、全身が一瞬で寒気に襲われて。


 直後、轟音と共に衝撃が走り――私の意識は途絶えた。

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