26 キリングトラベル 中編

 どうして人間なんかに生まれてしまったのだろう。

 人間は跳べても、飛べないのに。


 飛行機?

 ヘリコプター?

 そういうことじゃないんだ。もっと気軽に、自由に、思い通りに飛びたいんだよ。

 せめて自転車に乗るような、あるいはキックスケーターを蹴るような感覚で。


 スカイダイビング?

 ウイングスーツ?

 あれは飛行じゃなくて落下じゃないか。

 俺は落ちたいんじゃない。上がりたいんだ。


 フィクションを読んで溺れろ?

 フィクションをつくってなりきれ?

 所詮フィクションはフィクションだ。現実でなければ意味がない。




 ――将来の夢は空を飛ぶことです。




 中学一年の作文発表時、俺はそう発言した。

 友達も、喋ったこともないクラスメイトも、先生さえも俺を笑った。

 ネタにされたこともあった。


 どうでも良かった。

 そんなことを気にする暇なんて無かったから。

 いつから憧れたのかはもはや覚えていないし、空を飛んで何をしたいのかもわからない。

 ただただ飛びたくて、飛んでみたくて。


 でも人間が飛べるようになるのは恐ろしくハードルが高かった。

 だってそれは、空を飛べる装置をつくることと同義だったから。


 俺は良くも悪くも平凡で、歴史に名を残せるような者では決してない。

 歴史などどうでもよいが、それくらいのポテンシャルが無ければ成し得ないことではないかという気がしていた。だからといって諦められるほど賢明でもなかった。


 俺にできることはただ一つ。

 調べて、勉強して、訊いて、聞いて、考えて、試して。そうやって一歩ずつ、少しずつ、地道に着実に歩んでいく。

 そうするしかない。それしか選択肢がない。

 そう結論付けて、今までそうしてきたのに――


「……」


 腹部から生えた黒い腕に目を落とす。

 俺にしか見えないこれはテレアームと呼ばれ、テレポート時に移動先を指定するポインタとしての機能を持っている。

 ……自分でも何を言っているのかという話だが、もう慣れた。


 要するに俺は――西広志にしひろしは選ばれたということだ。


 空に追い求め続ける俺に、神がギフトを与えてくれたのだ。


 突如目の前に降ってきた紙切れ。

 早口言葉を唱えたら超能力が得られるという、質の悪いイタズラにしか見えなかったそれ。

 俺はそのチャンスを見逃さなかった。

 紙切れは落ち方が自然ではなかった。

 冷静に物理学を用いて計算し直して、不自然であることを突き止めて――俺はテレポーターになったんだ。


 神なんて存在は信じないが、こんな非現実をもたらされりゃ信じたくもなる。


「……」


 置き時計を見ると、午後八時が近づいていた。

 練習の時間だ。

 俺は手早く着替えて、いつもの場所へ出かけた。






 美山市の眺望が眼前に広がる。

 風圧とともにそれが近づいてくる。

 右手を真っ直ぐに立てて。テレアームを上げて。左手で親指を丸め込むように包んでから、ぐっと握り込んで。

 すると少しだけ景色が離れて、また近づいてくる。


 重力の暴力性をひしひしと感じる。

 自由落下から最初の一秒では五メートル下降するが、さらに一秒経った頃にはそれが二十メートルにまで拡大する。

 落下する物体のスピードはぐんぐんと伸びて、理論上は終端速度にまで達する。そのスピードは時速二百キロ。

 新幹線が激突するようなもので、地面に落ちたらまず助からない。

 そもそもたった二秒の、二十メートルでさえも、学校の屋上から飛び降りるようなものであって、それだけでも十分殺傷に値する。

 重力はかくも恐ろしい。


「……」


 体を撫でる風が気持ちいい。

 びゅうっと耳を切り裂く音が爽快だ。

 夜の肌寒さも、地上にはない静寂も心地良くて。

 ライトアップされた、ミニチュアのような街並みが美しくて。神秘的で、どこか幻想的ですらあって。


 ハトはいない。カラスも、ワシも見かけない。

 もったいないよなぁ。こんな景色を見ないなんて。

 もっとも鳥の頭脳に景色を楽しめる感性など備わっていないのだが。


「昼か……」


 目立ちたくないから、俺は夜にだけ飛ぶことにしている。

 そもそもまだまだテレポートをマスターしたとは思っていない。

 小さい頃、自転車に乗りこなすのにどれほどの時間をかけたか。自分が決して器用ではないことは俺自身がよくわかっている。

 まして今はテレポーターで、しかも離散的デジタルに空を飛ぶという応用技をしているのだ。


 落ちたら物理的に死ぬ。


 ばれたら社会的に死ぬ。


 練習しすぎてもしすぎることはない。少なくとも一月ひとつきは必要だろう。


「びゅ、ぐっ――びゅ、ぐっ――」


 びゅ、でテレアームを真上に伸ばし、ぐっ、で左手を握る。これをぴったり一秒で行う。

 続く一秒は自由落下に身を任せる。

 計二秒。これで三十メートルほど上昇し、十から二十メートルほど降下する。つまりは一秒に五メートルは上昇するペース。


 この緩やかな上下運動を、俺は歩行のように自然にこなすことができる。こなせるようになった。

 とはいえまだまだ満足はしていない。

 テレポートについても、応用した飛行技についても、考えることは盛りだくさんなのだから。


「びゅ、ぐっ――びゅ、ぐっ――」


 こんな便利な能力があっさり手に入るなら、今までの努力は不要だったかもしれないと一瞬思ったが、後悔はしていない。

 その努力があったからこそ、俺はテレポートのチャンスを逃さず手に入れ、こうしてすぐに適応できたのだから。

 並の人間ならこうはいくまい。

 そもそもあの紙切れが超常的な事物であることにすら気付けまい。


 やはり俺は選ばれし者なんだ。


「びゅ、ぐっ――はぁ、はぁ……」


 疲れた。

 建物がもはや点にしか見えないほどに高い。


 俺はスカイダイビングしながら腕時計を確認する。暗くて見えないのでライトボタンを押して点灯。午後九時十分――そろそろ帰るか。

 飛行練習のスケジュールはしっかりと定めてある。

 午後八時に家を出て、三十分かけて美山の右角へ向かい、そこから五十分ほど練習。で、九時半まで休憩して十時に帰宅。


 人はシステマチックな生き物だ。いつ、何をやるかを固定し、習慣化してこそ仕事に集中できるというもの。

 勉強だってそうだった。がむしゃらに、その場の思いつきで気の済むままにやるのはバカのすることだ。それで成長できるのは天才だけだ。

 俺は違う。

 違うが、自覚はしている。

 だから堅実に歩んでいける。

 継続は力なり、だ。

 それゆえ俺は美山高校でも学年一位の成績を取れているのだ。


 ……一位か。今期は無理だろうな。

 テレポートが手に入った今、そんな余裕はないし、当面そのつもりもない。


 俺は体勢と方向を修正しながら、美山の三つ並んだシルエットの右端、通称右角みぎつのへと向かう。

 本音を言えば直接家に帰りたいところだが、上空から街に近づけば夜とはいえ目撃されやすい。さしあたっては多少遠回りでも確実に人目につかない場所で離着陸するべきだ。

 右角に接近したら、目印となる大きな一本松を探す。

 真っ暗で木々の起伏もおぼつかない中、その松だけは圧倒的存在感を示している。目印にはもってこいだ。

 程なくして発見し、高度を落としていく。


「はぁ、はぁ……」


 一番難しいのは地面への着地だ。

 調整をしくじると高所から落下することになる。人間は脆いため、たかが三メートルから落ちただけでも足を痛める。理想は一メートル以内の空間にテレポートすること。一メートルなら、足下がおぼつかなくても無傷で着地できる。


 実を言えば、一番楽なのは地面にめり込んでしまうことだ。

 物体あるいは自身をテレポートした時、その対象に働いていた慣性は無効化される。極端な話、高度千メートルから落下していて、地面に激突する寸前に、地面からちょうど一メートルの高さにテレポートした場合でも、その後は一メートルから落ちるだけだ。千メートル分の運動エネルギーが綺麗さっぱり消える……のだが。

 地面にテレポートするということは、地面が占めている空間を自分の体で上書きすることに他ならないわけで、要するに地面に不自然な穴が空く。

 ここは現在使われていないキャンプ場だとはいえ、日中に人が来ないとも限らない。不自然な跡は出来る限り残したくない。


 そういうわけで微調整の着地に体を張らねばならない。

 これもテレポートの訓練だと思えばいい。


「うぐっ」


 着地の衝撃が足裏と膝に響いた。

 油断した。三メートルは無いが、二メートルはある。たぶん二メートル後半くらい。痛いというより、これの蓄積で骨や関節を痛めてしまうのではという精神的ストレスが辛い。

 地に足が付いたことで、全身に重力が加わる。

 一瞬だけ懐かしい感覚だと錯覚して、直後軽い目眩がやってくる。

 続いて発汗と息切れ。


「はぁ、はぁ……はぁ……」


 心臓がどくどく脈打っている。

 ……いつもこうなる。

 滞空中は思っている以上に心身を疲弊するらしい。何と言えばいいのか、脳がテレポートや飛行という、人間にとってありえない事象についてこれてないというか、そんな不具合を一気に受けている感じだ。


 俺はよろよろしながらも、定位置の岩へ腰を下ろす。

 岩は冬を思わせるくらいに冷たいが、尻と大腿部は汗で湿っていて生暖かい。

 今すぐにでも風呂に入りたいところだが、休憩を惜しんではいけない。十分ほど休憩するのが俺のルーチン。まだ崩さない。せめて一月は続けて、問題が無さそうだとわかってからだ。

 慎重に行くべきなんだ。せっかくの超能力、夢のまた夢だった飛行術なん――


 ガツン、と。


 後頭部を金槌で殴られたような衝撃だった。

 俺は前のめりに倒れる。

 地面に寝転んで汚いなどと思うことはなく、頭が働かない。

 体も動かない。指先一つさえも。


 何が起きたのだと考えることすらだるい、と思っていると、すとっ、と。……足音か。

 これは知っている。空から着地する時、俺が毎回やる動作だ。

 音の静かさから察するに、中々に習熟しているじゃないか。……そうか。


 思考が急に加速し始めた。

 ついさっきのこと、昔のこと――過去の記憶が高速な早送りのように次々と想起される。

 いや、これは思考というより、いわゆる走馬灯というやつでは……。


 幼少期までさかのぼったところで、ぱんっと乾いた音と共に。


 俺の意識が暗転した。




      ◆  ◆  ◆




「クリーンヒットだったねぇ」

「あぁ。トドメ刺さなくても死んでたっぽいな」


 頭部から大量出血した広志ひろしの死体を見下ろしながら僕は言った。


「最初から拳銃で撃った方が早いのに」

「僕は不器用なんだよ。広志に気付かれず、隙を与えないように接近する自信がなかった」


 テレポートで広志のそばに接近した時、僕が着地を間違えてしまったら、拳銃を構えて発砲するまでの時間オーバーヘッドが長くなる。その間に広志に気付かれ、テレポートで逃げられでもしたら終わりだ。

 そのリスクを抑えるため、僕は広志の休憩位置に張り込み、真上から岩をテレポートさせて頭に落として怯ませるという作戦を取った。

 このために岩を落とす練習は何度もしたんだ。幸いにもここ、元キャンプ場には川があって、石や岩が豊富で、人気ひとけも無かったからな。


「着地に失敗して顔を擦りむくくらいだもんね」

「うるせえ」


 あはははと声に出して笑う麻衣。暗くて見えないが、可愛らしい笑顔をしてるんだろうな……って違う違う。

 さっきディープキス食らったからって、これ以上こいつは意識するな。今はターゲットの処分が最優先だ。

 僕はポケットからつまようじを取り出し、広志の足にテレポートさせてみた――よし刺さった。こいつはもう死んでいる。


「あとはこれの処分だ。手伝ってくれ」

「やだ。だーりんの死体以外は持ちたくない」

「……ディープキスに付き合ってやっただろ。本当ならあんな突発的な勝負事に従う必要性なんて無かったんだぞ」

「仕方ないなあ」


 麻衣は死体を乱暴に蹴って丸まった体勢を崩した後、片足を掴んで引きずり始めた。

 僕は反対側に回り、手を持とうとしたが、頭部が血まみれのせいで確実に汚れてしまう。麻衣側に移動し直して、空いていた足を引っ張ることに。


 川まで死体を引っ張りながら考える。


 大きな懸念がまだ二つ残っている。


 一つ、姫香をどうやって殺すか。

 一つ、麻衣をどうやって殺すか。


 姫香はかの天神グループ会長の一人娘。

 家は大豪邸だし、学校生活でも密かに護衛を潜ませていたりするし、で正直今までのターゲットとは格が違う。

 いくら僕がテレポーターで、テレポートについて多少詳しいとはいえ、個人の力で殺すのは無理だ。


「なぁ麻衣。姫香を殺すの、手伝ってくれないか」

「絶対やだ」

「なんで?」

「だーりんは自殺したいの? 天神家に手を出すってそういうことだよ」


 だから麻衣のお力をお借りしたいところなのだが、この通り一蹴である。


 そんな麻衣もただ者ではない。今は亡き芸能界の王、二階堂王介の娘で、姫香とは幼なじみという間柄だ。

 どころか、どういうバッググラウンドがあるのかは知らないが、ただの女子高生を超越した身体能力と精神を持っている。実際、他のテレポーターを殺し回る僕に平然と付き合っているし、幼なじみである姫香を殺すことにも何とも思っていない。

 そういうわけで味方にしたら百倍頼もしいのだが、そう現実は甘くないか。

 麻衣も言っているとおり、やはり姫香は一筋縄にはいくまい。


「だよなぁ。殺せるビジョンが全く思い浮かばない。仮に殺したとしても、徹底的に犯人捜しするんだろうなあ」

「だーりんがどうするか楽しみ楽しみ」

「他人事みたいに言いやがって……」


 それにターゲットと言えばお前もそうだからな。


 ……とはいうものの。こいつも姫香と同じくらいに厄介な存在である。

 見た目は小柄童顔の巨乳美少女でしかないのだが、ナイフを持った僕が十人でかかっても殺せそうにないくらいに戦闘力が高い。といってもガチの喧嘩や殺し合いは見たわけではないが、間違いない。片鱗なら何度も見ている。

 そこから感じた強さというか底の知れなさは、幼い頃から護身術やら何やらに手を出している要領モンスターの彩音や、天神家の英才教育で鍛錬し続けているらしい姫香に匹敵する。

 絶対に敵に回したくないし、ずっとそばに居続けるつもりもない。

 殺さなければならない。ならないんだが、どうやれば殺せるのかさっぱりわからないわけで……くそっ、既に何十回と繰り返している堂々巡りだ。


 水の流れる音が耳に届いた。川まですぐそばだ。

 いつもどおり何の策も思い浮かばないまま、僕は思考を中断して、死体を河原に引き込んだ。

 石や岩でごつごつしていて引っ張りづらい。強引に引っ張って、内へ内へと運んでいく。


「ここらへんでいいだろ」


 雨が降ったら丸々埋まりそうなところで死体の脚を乱雑に降ろした後、僕はそばの石――片手で何とか持ち上げられるサイズのそれを掴んだ。

 テレアームで死体をポイントし、左手を握る。

 テレポート発動。右手の硬質な感触が消えた。

 死体を見ると、ポイントした部分に石があった。本来そこにあったはずの死体の一部は消滅している。当然、そこと繋がっていた断面からは更に出血。暗くてもわかる、血だまり。


「てきぱきとこなすだーりんが恐ろしいぞぅ」


 この、この、と肘で肩を突いてくる麻衣。テレポートの邪魔だ。

 何度も言ってるようにな、安寧のためテレポートという超常現象を知る人間は根絶やしにしなきゃいけないんだよ。こいつらの犠牲は致し方ないんだ。


 僕は石のテレポートを繰り返し、死体を隠滅した。

 暗くて見えづらいが、人間はこんな多量の血液を抱えているのかと感心してしまうくらいの分量が溜まっているのがわかる。臭いもきついし。

 本当なら血の痕跡も含めて処分したいところだが、血の付いた箇所全てをテレポートで上書きするとなれば非常に骨が折れる。

 いつかは誰かに発見されて、通報されて、事件になるかもしれないが、たかが知れているだろう。

 テレポートがバレることはなければ、僕に辿り着くこともない。


「あとは詩織だな……と言いたいところだが」

「だーりん、もう疲れたの?」

「むしろピンピンしてる麻衣が異常なんだよ」


 僕は昨日、今日とここまで四人を殺しているのだし、テレポートで何十キロもの距離を飛行している。身体的にも精神的にも疲労は溜まっていると考えるべきだ。

 ……ほら、意識したら急に疲れてきたじゃないか。


 僕はその場にへたれ込み、間もなく、石ででこぼこしているのも構わず寝そべった。背中に石の丸みが押しつけられて痛い。

 麻衣はというと、石を高所にテレポートさせては落とすというよくわからない遊びをしているみたいだ。さっきから落下音がうるさい。


 しばし休憩した後、僕は地面に放置していた拳銃に石をテレポートさせた。

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