25 キリングトラベル 前編
ゴールデンウィーク二日目の夜。
美山市の地方局では珍しく大事件が取り上げられていた。
『昨日二十八日未明、
リモコンの電源ボタンが押され、ぷつんとテレビの電源が落ちる。
「隣の市の……田舎町じゃったな。物騒じゃのう」
枯れてはいるが脳天気な声音でつぶやいたのは
築何十年を感じさせる木造の自宅にて、時折淹れたてのコーヒーをすすりながら作業をしていた。
年季の入った机にはノートパソコン。文書管理ソフトが立ち上がっており、見る人が見れば数学の資料を作っているのだとわかる。
「……これでええわ。あいつも最近は飽きとるようじゃからの」
時雄が思い浮かべた人物は生徒ではなく、学園長である。
「俺も数あるコンテンツの一つでしかないし、クビになることはないじゃろ」
美山高校は自由という点で人気が高い。
たとえば授業中のスマホを許したり、今始まったばかりのゴールデンウィークについても、間の平日を全部休みにして大連休にしてしまったりするほどだ。
これらは生徒の自主性を重んじるとする校風によるものなのだが、それは表向きの理由でしかない。
「金持ちは気楽でええよのう」
時雄は知っていた。
美山高校の真の存在意義は、学園長個人の好奇心を満たすところにあるということを。
小説家、プログラマー、芸能人、YooTuber、ブロガー――
美山高校には個性的な人材が揃う。学校側が生徒に自由と便宜が図ってくれるためで、そういった特殊な生徒も利用しやすいのだ。
その代わりに、彼らには本職について、学園長に共有する義務が生じる。たとえば週一や月一で面談という名の雑談をしたり、講義やレッスンを行ったりする。そのような義務を入学時の契約として交わされる。
そうやって学園長は、様々な分野の知識や世界観を得ている。
かくいう時雄もその一人であり、数学の面白さを伝えよとのミッションで教員契約を交わしている。
講義は週に一回。時間は一時間に満たない時もあれば五時間以上に及ぶ時も。
学園長は最近ゲームにハマっている。前回は
連休明けはヒットアンドブローというゲームを取り上げる予定で、さっきまでこれの説明資料と数学的考察をまとめていたのだった。
「まあ今も悪くはない。生徒の子守なんてゴメンだからな」
時雄は担任業務や事務業務を免除されており、立ち位置としては大学でいう非常勤講師に近い。
授業をするだけで良く、生徒と同じ時間帯に来て、講義して、帰ることができる。要領の良い時雄は毎日定時で帰れていた。
もっとも授業資料作成や課題、宿題、テストの採点などもあるが、問題は使い回せば作る手間がないし、テストもマークシートを使えば手を動かさずに済む。
時雄は数学だけでなくコンピュータにも詳しく、そのような自動化や省力化はお手の物だし、むしろ楽しんでやれた。
その上、給料も持ち家や新車や高性能パソコンを買えるほどに悪くない。
「さてさて」
そんな時雄の表情が一段とニヤつく。
「明日はどこで物色しようかなっと」
パソコンでブラウザを立ち上げ、お気に入りから地図サービスを開く。
検索キーワードは『小学校』。
いくつもヒットする候補に対して、衛星写真ならぬ風景写真を見れるストリートビューワー機能を開き、詳細を調べていく。
「成熟した女子高生はさすがに飽きてきたからのう、いひひ……」
不気味な笑い声を響かせながら、時雄は下腹部に手を伸ばす。
元々時雄は性に関して無頓着な人間だった。
幼少期も、思春期も、教師になってからも、ただただ数学とコンピュータに没頭していた。
いや、無頓着という表現は不適切だろう。頻度は少ないがアダルトコンテンツを物色して、自慰行為を行う程度ではあったのだから。
どちらかといえば、大好きな趣味に溺れることでその欲望から背け続けてきたのだと言える。
そんな時雄を壊したのがテレポートだ。
「テレアーム――あらゆる物質をすり抜け、物理的にいかなる干渉も及ぼさないくせに、その感触はきっちり伝えてくるという、まさに変態に打って付けの器官よの。俺は恵まれている」
テレポーターに覚醒して以来、時雄は美山高校の女子生徒をひたすら物色した。
普通ならまず触ることのできない身体を、外側から内部まで隅々を、何度も、何度も堪能した。
それは授業や趣味がおろそかになるほどだったが、やめられなかった。むしろ五十年の間、まともに満たさず我慢してきた結果、屈折した欲望を満たすには、まだまだ足りなかった。
「ひひ、いひひ……」
時雄は下腹部をズボン越しに弄りながら思い起こす。
女子の髪、頬、胸、二の腕、尻、太もも、ふくらはぎを。
頭蓋骨を、脳みそを。
躍動する心臓に、入り組んだ腸を――
皮膚も、骨も、内臓も、全てが愛おしく、いやらしくて、時雄を興奮させる。
「小学校のグラウンドは解放されておることが多い。遊びに来る女児も多かろう。いや公園の方がええか。あるいはショッピングセンターは……人が多くてシコりづらそうじゃの」
右手でマウスを操作し、左手で自らを慰め、頭では感触の想起と明日の予定を並行して処理している。
長年学問にのめり込んできた時雄にとって、その程度の動作など何でもないことだった。
「器用だな」
突如背後から聞こえた台詞に、時雄が動きを止めた。
もちろん時雄がつぶやいたものではないし、自宅には自分の他に誰もいない。
一体誰なのか、どうやって来たのか、何のために来たのか。
疑問はたくさんあっただろう。優秀な時雄なら、それこそ脳を目まぐるしく働かせていただろうが、叶わなかった。
ぱん、という乾いた音と同時に。
物理的に貫かれてしまったのだから。
頭に空いた風穴からおびただしい量の出血が
程なくして、死体と化したそれは椅子ごと地面に倒れ込んだ。
その様子を眺めていた男が「ふぅ」嘆息して、構えていた拳銃を降ろしたその時。
隣に一人の女性が出現した。
「死んだ?」
「待て。腕に送ってみよう」
男は一瞬で現れた女には微塵も驚かず、死体を見据えたまま拳銃をしまう。
代わりに取り出したのはつまようじ。
だがそれもすぐに手元から消えた。
どこに消えたのかは女の視線が示している――死体の右腕だ。男が手にしていたはずのつまようじが突き刺さっていた。
「よし、送れたな。ガード
「ほー、だーりんの言う通り、死んだらすぐに解除されるみたいだねー」
「感心してないで後始末だ。二階の放火を頼む」
「あいあいさー」
女こと
その左手が握り込まれた瞬間、麻衣が消えた。
無論テレポーターで移動したのだということを、もう一人の男――
「やはり死体は完全に消しとくか」
瞬は飛び散った血に触れないようにリビングを出た。
迷い無き足取りで隣の部屋に入り、押し入れから冬用の掛け布団を引っ張り出す。
それを運んで戻ってくると、掛け布団を二回ほど折り畳んだ後、下から右手を入れた。
「重たいが、何とかいけるだろ……」
右手だけで掛け布団を持ち上げ、その体勢のままで瞬は死体を見据え、左手を握った。
瞬間、死体の頭部と上半身が存在していた空間に掛け布団が介入する。テレポートの性質で、テレポート先に存在していた物体は消滅する。結果として、死体の一部が丸々消滅することになる。
残る下半身の断面から大量の血液が溢れた。
布団が数秒も経たずに真っ赤に染まり、むせかえるような鉄の臭いが充満する。
「あと敷き布団と毛布で消せそうだな。……にしても、リアルスプラッタってそこまでグロくないんだな。嘔吐は覚悟してたんだが」
感想をぼやきつつも、瞬はてきぱきと作業をこなしていき――数分後には血まみれの寝具と血だまりだけが残った。
続いて瞬はキッチンに向かい、ガスコンロのレバーを捻る……も反応が無く、首を傾げるが、すぐに下扉を開き、ガスの元栓を開けてから再度捻ると、火がついた。
火力を最大にしてからその場を離れる。
行き先は寝室。上着から下着まで衣類を運び込み、まるで導火線を伸ばすように並べてから、最後に一際燃えやすそうなカッターシャツをコンロの上に置いた。
炎が燃え上がり、燃え移る様子を眺めていると、背後からすたっと軽快な着地音。
「だーりんだーりん。ごきぶりがいたからテレポートしてみたの。どうなったと思う?」
振り返るまでもないが、一応振り返ってみると、麻衣は満面の笑みを浮かべていた。
「……普通にテレポートできるだけだろ。で、終わったのか?」
「ばっちぐー」
グッドのサインを麻衣の右手を見て、瞬は少しだけ顔をしかめた。
「ひっさつ、ごきぶり触った手でタッチ」
「やめろ。ゴキブリがどれだけ不衛生か知らねえのか」
「ドアノブやつり革やキーボードと比べたらマシだよー」
「精神衛生の事を言ってんだよ」
「へりくつだーりんにはイイモノをあげよう」
麻衣は右ポケットに手を突っ込んでから左手を握る。
嫌な確信を得た瞬は逃走を図るが、一歩を踏み出す前に、ぽとりと頭上に何かが落ちた。
かさかさと動き回る感触がダイレクトに頭皮に伝わり「うぉっ!?」思わず頭部を払いのけた。
払われたそれはコンロ側へと飛んだ。
「おー、ごきちゃんが燃えちゃう」
「燃えちゃう、じゃねえよ。何してんのホントに……」
全く悪びれない麻衣を見て、瞬はわざとらしく嘆息を漏らす。
「そろそろ行こっか」
「……そうだな。天井がもう熱い」
「木造は火が回るのが早いからねぇ」
「いや早すぎだろう。コンロがあるわけでもないのに一体何をした……」
「見に行く?」
「行かない。ミスって火の中にテレポートしてしまったら死ぬ」
「火の位置はテレアームで探ればわかるよ?」
「そもそもそんな暇はない。出るぞ」
「あーい」
間もなく瞬が消え、麻衣も追いかけた。
テレポート先は裏庭。
時雄の自宅は峠道から逸れた一本道の行き止まりに位置しているが、私有地立入禁止の看板を掲げていることもあり他の車が入ってくることはまずない。さらに大きな家屋で阻まれた裏庭ともなれば、人目に付く心配はまず無かった。
「よし、次の狩り場へ行くか」
「んじゃあ競争だね。負けた方がディープキスおごりで」
足下もおぼつかない闇の中、かろうじて見えていた麻衣のシルエットが消える。
「空を飛ぶのにも躊躇が無いんだな。……つか勝っても負けてもダメじゃねえか」
瞬はしばし夜空を眺めながら、次の目的地の方角を頭に描く。
「……行くか」
左手を握って、空に飛び出した。
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