23 ロマンと現実
「空を、テレポートで……?」
「ああ。原理上は可能だろ」
「そうだけど。まさか、そんなことが……」
麻衣はしきりに「ほー」とか「へー」などと言っている。よほど意外な着眼点だったようだ。
感心するのも無理は無かった。このテレポートの使い方は――面白い。
「ここなら離着陸を誰かに見られる心配もないし、ビルやタワーもないから飛行中に目撃される恐れもない」
「んー、でも見た感じ、この辺の上空には彼はいないみたいだけど」
「街に出たんだろ」
「出たらバレるくない?」
「高さがあったら見えないと思うぞ。高度百メートルとかな」
試したい。今すぐにでも試してみたくなる。が、今は広志を見張るのが最優先だ。我慢するしかない。
抹殺ゲームを終えた後の楽しみとして取っておこうか。
「だーりんさんや」
「なんですか、麻衣さんや」
「近いうちに空中デートしようね」
「麻衣はともかく、僕にはできる気がしないんだが……」
テレポートで空を飛ぶ――
それはすなわち、上に向かってテレポートを繰り返すということ。
たとえばテレアームを真上に十メートルほど上げてからテレポートすれば、十メートルの高さに移動できる。その後、すぐに重力に伴い自由落下するから、またテレアームを上に伸ばしてテレポートする。
このように反復していくことで、地面に着くことなく空中に留まり続けることができるのだ。
「ゲームでたとえるなら長さ三十メートルで、打ち出す速度もかなり速くて、任意の空間に刺すことができるフックショットみたいなものだ。それで空中に滞在し続けるようなものだな」
「ごめんだーりん、わかんね」
某謎解きアドベンチャーを知らないとは人生の半分を損してるぞ。まあ僕もムズくてすぐに投げ出した口だが。
……戯れ言はともかくとして。実際はそう甘くない。
体の向きだ。
フックショットであれば体の向きは常に直立だが、テレポートは違う。
自己テレポート時、自身の体の向きは、右手がテレハンド――テレアームの手の部分に重なるように修正されるという厄介な仕様がある。
たとえばテレアームを、発表を当ててほしい子どものようにピンと伸ばして、十メートル上方に掲げてからテレポートしたらどうなるか。
もし自分の右手が、同じようにピンと伸ばして掲げてあれば、テレポート前の体の向きはそのまま維持されるだろう。
では、気を付けの姿勢で右手を下向きに降ろしていたとしたら?
自分の体は――体の向きは、天に向かって伸びるテレハンドに右手が重なるように修正される。
これが何を意味するかというと。
頭が下で、足が上で――上下逆さまになってテレポートされてしまうということ。
だから何も考えずにテレポートをすると、思わぬ向きで移動してしまう。
空を飛んでいるならなお厄介のことで、周囲の景色と自分の向きを把握しづらくなる。把握できなければテレポートが間に合わない。最悪転落死だ。
「西広志。正気かよ……」
楽しみにはなりそうにないな。文字通り命懸けじゃないか。
体の向きだけじゃない。途中で左手が疲労したらどうするんだ? そのまま落ちて死ぬぞ?
景色や落下スピードを楽しむ余裕などあるまい。
「だーりんはびくびくしすぎ」
「……ああ?」
想像に集中していたせいで、似合わない返事をしてしまったが、麻衣だし別にいいか。「簡単なことだよ」麻衣もスルーして続けてるし。
「心がけるルールは二つだけ。一つ、右手は常に手のひらをピンと張って、手を挙げた状態で固定しておくこと。もう一つ、テレアームは必ず上方にだけ飛ばすようにして、その先端――テレハンドも同様に常に真上にピンと張るようにすること。ね、単純じゃん?」
麻衣のルールを念頭に置いて想像してみる。
右手を挙げたままにして、テレアームを掲げて、テレポート。
移動後、自由落下が始まる。焦らずに、またテレアームを掲げて、テレポート。この時、右手は固定したままだからテレアームさえちゃんと掲げていれば体の向きは乱れない。
これを繰り返せば、どんどん上昇していけるが……。
「横に移動したい場合はどうするんだ? テレアームを斜め上に伸ばすのか? そしたら向きが乱れ……いや、大丈夫か」
「うん。少しは乱れるだろうけど想像できるよね? テレアームを下方に伸ばすとか、テレハンドの
麻衣の言う通りだ。
右手を固定して、テレハンドも固定して、テレアームだけを動かすようにする。
そうすればテレポート後の体の向きも比較的単純な変化で済む。いきなり仰向けになるとか、上下逆さまになるとかいった事態にはならない。
「……なんかゲームみたいだな」
「ゲームだよ。右手とテレアーム、コントローラーが二つだけの、単純なフライトシミュレータ」
「
「そだね」
広志を調査している最中だし、ずっと張り込んでて疲労も溜まっているはずなのに、どばどばとドーパミンが出ているのがわかる。
麻衣もおそらく同じで、口数が皆無になった。……広志の監視はちゃんとしろよ。
にしても、これは凄くないか?
空を飛ぶんだぞ!?
飛行というよりは短距離ワープの繰り返しだが、それでも滞空し続けられることに変わりはない。
妄想が広がる。
テレアームは三十メートルまで伸ばせる。
伸ばしきるまでに要する時間は一秒、いや半秒とかからない。腕を伸ばすのと同じようなものだからな。
左手で親指を握り込むのも同様、一瞬で済む。
そうだな……二回。
頑張れば一秒に二回ほど、三十メートルまで伸ばしてテレポートできる。
仮に水平方向に行えるとしたら、秒速六十メートル。
時速にして――二百キロ超。
そんなスピードで空を移動できるんだぞ?
鳥じゃねえか。いや鳥より速いだろ。
「……まあ、そう甘くもないけどな」
ふと致命的な欠陥に気付く僕。
「人に見られたら終わりだからな。使えるシーンは非常に限られてしまう」
それこそ、おそらく広志がやっているように、夜の上空を飛んで遊ぶくらいしか用途がない。
日中に移動目的で使うなどもっての他だ。
「だーりん……。ロマンの無いこと言っちゃだめだよ」
「仕方ねえだろ。生きるためだ」
テレポートという超能力を知られるわけにはいかない。
個人では到底敵わない組織というものがあるし、何より人間の業は深い。
金儲けか、
ろくな未来はありゃしない。バトル展開になるのも御免だ。
「広志の奴、いつ帰ってくるんだろうな……」
僕はあえてつぶやくことで現実に戻った。
「そんな何時間も飛べないと思うけどねえ」
麻衣がその場に腰を下ろすのを見て、興奮した脳内が少し冷めてしまったことを自覚する。
……ああ、急に疲労が押し寄せてきた。僕も隣で
「時間はともかく、場所は決まっている。一本松の周辺に戻ってくるのは間違いないはずだ。あのでかい木は、空から見ても良い目印になるだろうからな」
「なるほどなるほど」
その妙にふざけた応答に嫌な予感がするかと思えば、「えいっ」胡座の上に座ってきやがった。
「待て待て、圧迫されて痛いんだが」
「だーりんのだーりんが?」
「足だよ足。僕は筋肉が少ないんだ、何十キロもの物体が乗っかったら骨に響く」
「じゃあ足を広げたまえ」
手で押し退けながら答えているのだがびくともしない。
麻衣も広志の帰還を待つだけでは退屈なのだろう。僕ももうテレアームは動かしたくないし……仕方ない。
僕は体育座りから開脚するような格好で、間に麻衣をすっぽりと収めた。
こてんと麻衣がもたれてくる。
――顔が近い。匂いも相変わらず悩ましい。
「えへへ。だーりんはちょっと汗臭いね」
「臭いだろ? 離れた方がいいぞ」
「大丈夫。だーりんは
僕の首元に鼻を押し当ててくる麻衣。
くすぐったいし、いい匂いだし、体も柔らかいし……普段ならおかしくなりそうだが、幸いなことに僕は身体的に疲れていたし、テレポート飛行のおかげで高揚が冷め切ってない。
今なら。
「およっ、だーりん!?」
僕は麻衣をぎゅっと抱き締める。
「少し肌寒いからな、いいだろ?」
「……いいけど。珍しいね」
今までは麻衣からアプローチされ、当惑し、我慢するばかりだったがそれじゃダメだ。
麻衣の色香に負けないためには。
いざという時に判断を見誤らないためには。
僕は麻衣にも慣れる必要がある。
麻衣のペースでやられるのではなく、僕から攻める。
攻められる時に、自分から攻めるんだ。
今はまさにそうだ。体の疲労と心の高揚で、性欲が入り込む余地はない。
誘惑に負けることなく、麻衣を近くで感じることができる。
感じるという経験。
経験も積めば慣れになる。
いつ慣れるかはわからないが、何事も一歩からだ。
「麻衣。ありがとな、付き合ってくれて」
「いきなりどしたの? 熱でもある?」
「麻衣って温かいんだな」
僕の読み通り、性的な興奮はあまり生じない。
麻衣の匂い、感触。体温と、吐息――ただただ冷静に、けれど穏やかに、麻衣という存在を噛みしめる。
これは……あれか。
純粋に一緒にいたいという気持ち。
いないと物足りなさを感じる存在。
彩音には及ばないが、その類の感情。
愛おしさ。
――いける。この路線だ。
これなら僕は、自分を見失わない。
麻衣は僕を狂わせるサキュバスじゃない。
ただの恋人で、大切な人間。
「空中デートだったな。行こうぜ。全員殺したら」
無論麻衣も殺すつもりだから叶うことはないのだが。
それでも今は。
こいつを始末するまでは。
恋人とのリア充ライフを満喫するとしよう。
広志は一時間以内に戻ってきた。
ふっとシルエットが出現したからすぐにわかった。
それは一本松のそばに着地した後、ふらふらとした足取りで河原に向かい、座りやすそうな岩に腰を下ろした……と思う。薄暗いし、距離も遠いしで正直よく見えない。
「んー……もうちょっと近づく?」
麻衣が手で双眼鏡をつくって覗き込んでいる。
「いや、勘づかれたら面倒だからこのままだ」
「気付かれないように近づけばいいんでしょ?」
「……自己テレポートする気か。僕はそこまで器用じゃないぞ」
確かに自己テレポートなら一瞬で接近できるが、着地時に音が鳴る。
麻衣なら鳴らないよう調整できそうだが、僕は出来そうにない。地面にずでんと不時着するイメージしか湧かない。
「とりあえず今日は尾行に徹しよう。深入りは十分に作戦を練ってからだ。万が一気付かれて、逃げられでもしたら、たぶん僕らでは追えない」
自己テレポートによる自己飛行の要領は、現時点で広志が頭一つ飛び抜けていると言っていい。
実際の飛行を見たわけではないが、わかる。
なんたって不器用ながらも学年首席をキープするほどのモチベーションとポテンシャルを持っているのだ。そしてそれらは今、テレポートにも向けられている。
「第一、捕まえたとしてもどうやって殺すかがまだ決まっていない」
殴るか、蹴るか、絞めるか。
当たり前だが僕は殺人に関してはてんで素人だ。
広志がどうなのかは知らないが、火事場の馬鹿力という言葉もある。ナイフを持っていたとしても仕留める自信はない。
「だーりんは人の殺し方を学ぶべきだね」
「さらっと恐ろしいことを言うな……」
「そんなに難しくないよ? まーわたしも経験は乏しいけどね」
少しは経験してるってことじゃねえか。
……触れちゃいけない闇だな、うん。
「とにかく、捕まえるというプロセスは無しだ。気付かれないように一瞬で殺すしかない。何か良い手はないものか……」
深く座り込んで頭を垂れているシルエットを見ながら考える。
あいつの息の根を止めるにはどうしたらいい?
気付かれずに
スナイパー……は非現実的だな。
ピストルは……警官から奪えばいけるか? 警官ならテレポートで瞬殺できるが、騒ぎになるだろうな。
それともボウガンとか、猟銃とか。詳しい話は知らないが、どちらもライセンス制だったはず。勉強して、試験に合格すれば入手できるはず……いや無いな。時間がかかりすぎる。年齢制限で高校生は弾かれる気もするし。
なら既に持っている人から盗む? 強盗して? 殺して? じゃあそういう人はどうやって探す?
……違う、そうじゃない。
そういう考え方はダメだ。
僕は平凡な素人。危ない道具に頼ればそこから足が付く。
やはりテレポートに頼るしかない。
しかし広志はテレポーターで、ガード
体外のどこかに送って殺すしかない。
真上から何かを落として頭に直撃させるとか?
何を?
そもそも外したらどうする? 広志ほど賢ければ、テレポートで狙われたのだと気付くだろう。
「だーりん、ひろっしーは今何してんの? よく見えないよー」
「燃え尽きたボクサーみたいに項垂れたままだ。相当自分を追い込んでるみたいだな」
「そんなに疲れるものかなあ? 左手親指とテレアームが痛むだけじゃん」
精神力もタフそうな麻衣ならそうなんだろうが、普通はそうは行かないだろうな。
なんたって落ちたら死ぬんだ。プレッシャーは半端じゃない。精神的な負担も相当だろう。想像しただけでも玉ヒュンものだ。
広志でさえそうなら、僕だったら習得まで一体何日かかるんだろうな……あ。
「いけるかもしれない」
「ふぇ?」
ラノベヒロインみたいな声を出すな。可愛いけど。
「むしろ出来るだけ早めに実行するべきだな。広志が適応して、ああやってじっくり休まなくなる前に」
「……どういうこと?」
「僕が思うに広志の行動は読みやすい。ルーティン、ではないが何事も計画的に、かつ規則的にこなそうとする神経質なところがある。たとえば時間。今日、広志が家を出たのがおおよそ午後八時で、ここに着いたのが三十分後。今は九時二十分だから、五十分くらい飛んでいたことになるな」
「それが何だって言うの?」
今度は退屈と苛立ちの混じった声。
狙ってるのかどうかは知らんが、そういうところまで器用なのか。案外声優とか向いてるかもな。メンタルも負けてないだろうし。
「あと数日は観察したいところだが、この行動パターンは明日以降も同じだと思うぞ」
「律儀に計画に沿って動くマシーンだから?」
「ああ。それも休む場所や体勢まで同じかもしれない、重度のな」
もしそうだとしたら、広志は毎日――かどうかはわからないが、午後九時二十分頃からあの岩で、あの体勢で休むことになる。
それはターゲットが特定地点に、確実に留まる時間帯があることを意味する。
「落石だ」
「……河原に落ちてる石を使うの?」
さすが麻衣。僕の意図がわかったようだ。
「ああ。広志が休んでるタイミングで、その頭の上に落とす」
「死ぬかなぁ?」
「どうだろうな。大きな岩が理想だが、僕の力ではテレポートできない」
これも個人的に調べたことだが、テレポート可能な物体は、テレポーター自身の右手で持ち上げられるものに限られる。『持ち上げる』の定義はまだ詳しく調べられていないが、ともかく何でもテレポートできるわけじゃない。
「かといって小さすぎると殺傷能力に欠ける。ギリギリ持ち上げられる程度に重たくて、できれば鋭利な石を使うことになるだろう」
「あ、立ち上がった」
ここで休憩タイム終了か。
シルエットがこちらに向かってくる。ふらふらした様子はない。
「少しやり過ごしてから後を追うぞ」
「あそこは調べないの?」
「調べるのは明後日の早朝だ。明日の夜も広志がここに来たら、僕の仮説が正しかったと判断する。調べるのはそれからでいい」
「なるへそ」
移動し始める麻衣。僕も後を追う。
大きな木の後ろに、二人でひっついて隠れた。
「麻衣。テレアームで様子を探ってくれ」
「おっけー」
小声で応じる麻衣。間もなく、
「捉えた」
「……早えな」
「歩き方に乱れは無いみたい。気付かれてはないね」
そういやこいつは僕の仮病を僕の歩き方から見破ったんだったな。
それが始業式のことだ。あれからまだ二週間も経ってない。長いというか、短いというか。
麻衣との出会いを思い出していると、「行こうか」麻衣に手を引かれて、僕も歩き出した。
それからは特に何かが起こることもなく尾行を続けた。
広志が自宅に戻ったところで時刻は午後十時。
程なく僕らも解散した。
――それが先週末、土曜日の出来事だ。
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