22 彼女と星空とターゲットと

 西広志にしひろし

 隣のクラスに在席する、学年首席常連の秀才にして、テレポーター。

 当然ながら僕の始末対象ターゲットであり、先週末も隙を探すために尾行していたのだが、これがすこぶる大変だった。


 話は先週末、土曜日の夜にさかのぼる――






「どこ行くんだろうね」

「普通に考えれば能力テレポート絡みで、人気ひとけの無い場所を目指してるんだろう」


 僕と麻衣はテレポーターの一人である西広志にしひろしを尾行していた。

 気付かれるわけにはいかないためテレアームを使っている。振り返られても視界に入らない位置から、テレアームで広志の体に触り続ければ、絶対にバレない尾行が可能なのだ。

 といっても、要は動く物体を手探りだけで追い続けるわけだから、中々に、いや非常に難しい作業なのだが。油断すると見失う。


「だーりん、疲れてる?」

「まあな……」


 そりゃ刑事よろしく一日中家にこもってるテレポーター達に張り込んでたわけだからな。

 しかもただ見てたわけじゃない。家の中を、テレアームで、だ。

 テレアームはテレポーターに生えた第三の腕だが、不可視で透過的で三十メートル伸びる点を除けば、普通の腕と変わらない。つまりは疲れる。


「麻衣は相変わらず元気そうだな。腕とか疲れねえのか?」

「鍛えてるからねー、むきむき」

「始めたのは同時期のはずなんだがな……」


 ボディビルダーのポーズでおどける麻衣は可愛らしいが、騙されてはいけない。

 僕が個人的に行った検証によると、テレアームの『腕としての強さ』は自身の右腕と同一である。

 僕のテレアームがすぐに疲れるのは、僕の右腕が大して鍛えられてないからだ。

 一方で麻衣は僕と同じく、いや僕以上にテレアームを振り回しているはずなのに、疲れた様子がまるでない。

 それは麻衣の右腕がそれだけ鍛えられていることを意味する。

 僕も身体能力は高い方ではないが、麻衣の体力は明らかに高度すぎる。ただの女の子には思えない……おっと、広志を見失いそうだ。集中せねば。


「おっ、右に逸れたねー。右角みぎつの方面かな」


 僕らが今歩いているのは美山市の北エリアで、この先には市名の由来である美山がある。

 美山には三つの山があり、遠目では全く同じ形をした三角錐が三つ並んでいるように見える。人工的に整えたのではないかと思えるほどに整然としている様が美しく、市は観光名所としてゴリ押ししているのだが、知名度はまだまだだ。

 それはともかく、そのトリオは西から左角ひだりつの中角なかつの右角みぎつのと呼ばれていて、広志が向かっているのは右角だ。


「なあ麻衣。僕の腕は割と限界だから任せていいか」

「だーめ。抹殺計画ゲームのプレイヤーはだーりんだよ? わたしに頼るなんて言語道断」


 とか言いつつお前もテレアームで追ってるじゃねえか。

 だが不満を口にしたところでどうにもならない。


「そこを何とか。頼む」

「だーりんの腕に抱きついてくんかくんかし放題をプレゼントしてくれたらいいよ?」

「またそういうことを……」


 騙されるな。惑わされるな。

 僕と麻衣は恋人で、麻衣は僕のことを好いているどころかやたら誘惑してくるが、こいつもまたテレポーターであり、敵なのだ。

 しかし僕のテレアームが疲労困憊なのも事実。調査は翌日以降も続けるため、ここで酷使するわけにはいかない。かといって休めば間違いなく見失う。


「……る」

「なあに?」

「やる。くれてやる」

「よっしゃ」


 言うな否や、僕の左腕が柔らかな感触に包まれた。


「だーりんの手のひら、前腕、二の腕、そして脇……」


 優しい手つきで順に揉まれる。胸に、顔に、鼻に押しつけられる。どんな表情をしているのかと思えば、「くんかくんかだぜぃ」だらしない笑みを浮かべていた。よだれ垂れてますよ……って、バカ、僕の袖で拭くな。

 ……まあいい。これなら変に気がたかぶることもなさそうだ。


 麻衣が僕と恋人で居続けるのは、僕がいい暇つぶしになるからだ。

 逆を言えば、僕と過ごすことが退屈になった時点で、麻衣は僕を見捨てる。僕はこいつの中身を知っている。円満に別れることはあるまい。――たぶん僕は殺される。


 麻衣の退屈を凌ぐ、僕のカードは二枚。

 僕が今まさに行っている、他のテレポーターを皆殺しにする計画――テレポーター抹殺ゲームに対する興味と。

 僕の身体を物理的に、性的に味わいたいという欲望。


 僕が常日頃から神経を使うのが後者だ。

 僕だって男なわけで、麻衣のような美人で、胸も大きくて、自分に懐いている女子とヤりたいかヤりたくないかと言われたら、ヤりたい。

 だが、僕が童貞を捧げてしまうことは、麻衣にとっても大きな刺激となる。そしてそれ以上の刺激はない。刺激がなければ退屈が待っている。

 だから欲望にも、誘惑にも負けるわけにはいかない。好奇で手を出してみるわけにもいかない。

 出来るだけ引き延ばさなければならないんだ。

 こいつを殺すまでは。


 道の勾配がきつくなってきた。民家も街灯も少なくなり、夜の闇が顔を出す。――山に近づいている。

 ふと麻衣が立ち止まった。


「どうした?」

「登山道に入ったみたい。この時間は閉鎖されてるはずだけど……あ、門の端っこから抜けられるね」


 がっしり僕の腕を抱えたままでも、麻衣は広志をトレースしているらしい。どころか周辺も走査して、登山道を塞いでいるであろう門の端にスペースがあることまで突き止めてやがる。

 正確で、迅速だ。僕もそこそこ練習しているはずなのに……何なんだこの実力差は。

 仮に敵に回られたとしたら、こうやって僕もいとも簡単に追跡されてしまうのだろう。考えただけでも恐ろしい。


 麻衣に先導されながらしばらく坂道を登っていると、やがて大きな鉄門に着いた。阻まれた先にも道路が広がっている。

 右端を見ると大きな看板があった。かろうじて『立入禁止』の四文字が見える。その下に注意事項が書いてあるみたいだが暗くて読めない。近づいて読もうとすると、「だーりん」小声で腕を引っ張られた。

 僕と麻衣は門の左端、力士でもなければ人一人通れそうな隙間を抜けた。


「しーだよ、だーりん。足音も」


 またもや小声の麻衣だが、人差し指を口に当ててきた。

 言われるまでもなくわかっている。ここから先は登山道で、一本道だ。音もよく響く。足音さえ気を付ける必要があるだろう。

 麻衣が歩き出した。もう僕の腕にはまとわりついてない。

 僕はその後ろをついていく。


 右角の登山道は初めて歩いたが、中々悪くない。

 車がすれ違える程度に広い道路が、豊かな木々に囲まれて伸びていると思われる……というと何とも適当な言い方だが、暗すぎてシルエットしか見えないのだから仕方ない。目が暗闇に慣れてなければ歩くことすらままなるまい。

 僕は麻衣と一緒だからまだしも、広志はここを一人で歩いているのか。

 大した度胸というか、ただならぬ目的があると見た。一体何をするつもりなのやら。


 一言も喋らず、足音を殺して歩き続けた。

 居住地の喧噪は何一つ聞こえず、風の音と、よくわからない虫だが鳥だが獣だかの鳴き声だけがアトランダムに響くような、そんな不気味な世界に。ふと穏やかな清音が届く。

 それは気のせいではなく、進む度に明瞭になっていく――川か。


 やがて拓けた場所に着いた。


「元キャンプ場だね」


 麻衣が耳元でささやいてきた。吐息が当たってこそばゆい。

 月明かりと街灯のおかげで朧気おぼろげながらにも全景が見える。

 奥側には何十人と水遊びで楽しめそうな川、その手前には岩の転がった河原、木々の生えた広場と続いて小さな丘がある。

 僕らは丘の上から、広場に居る広志を見下ろしているという構図だ。


 広志は、というより広志と思われる人型のシルエットは、淀みない足取りで歩いていき、間もなく周辺でも一段と高い一本松と思しきシルエットのそばで立ち止まった。……くそっ、よく見えん。

 暗視ゴーグルでもあれば見えるんだろうけど、そんなのフィクションの世界だよな。いや麻衣なら入手できるかもしれないが、そのふたを開けるのは怖いのでやめておこう。

 などと考えていたところで、


「……あれ」


 いつの間にかシルエットが消えていた。


「どこかに飛んだみたい」


 麻衣は他人事のようにつぶやくと、その場で寝っ転がった。


「星ってこんなにたくさんあるんだねー」

「奴はどこに行った?」

「粒々がたくさんあってグロテスクだねー」

「地中か……? 秘密基地でも作っている?」

「こういう夜の過ごし方も悪くないぜぃ」

「……さっきから何くつろいでんだ」

「気配は無いから大丈夫だよだーりん。死角からテレアームで探られてたらアウトだけど」


 つまり広志に気付かれたという可能性か。そこは考えたくないどころだが、


「その心配は無い。広志はそういうタイプじゃない」

「……と、言いますと?」


 麻衣が大の字であまりに気持ちよさそうにくつろいでいるせいで、僕も力が抜けてきた。

 隣に寝転がってみる。


「広志は自宅で一切テレポートを発動しなかったし、勉強に集中していた」

「勉強しながらテレアームの練習をしてたかもよ?」

「あいつはそこまで器用じゃない」

「だーりんが言う?」


 僕も不器用だからこそわかる。

 広志は彩音や麻衣みたいにハイスペックな人種ではなく、桁違いの努力量を費やしている努力家だ。

 学年首席の立ち位置も、才能ではなく圧倒的努力で維持しているにすぎない。

 実は密かに憧れてるんだぞ。努力の人なんだ。……だからといって見逃すつもりは毛頭無いが。


「一度に一つのことに集中したい、いやそうしないと集中できないタイプなんだよ。そして今はテレポートの時間だ」

「で、それは追跡者を意識してない理由にはならないと思うけど」

「もう一つある。広志はなぜわざわざこんなところまで来ているのか。それも危険な夜に」

「人目を避けたいからでしょ? いちゃいちゃする時だって避けるもんね? ちゅっ」

「ね、じゃねーよ、キスするな」


 しかも頬じゃなくてリップトゥーリップだし。

 僕は唇を袖で拭って――ってなんか湿ってるし臭うし……ああ、そういやこいつが拭いてやがったな。


「麻衣だったらどうする? わざわざこんなところに来るか?」

「来ないねー」

「それは麻衣が器用だからだ。テレポートを使いながらも周囲に注意を払えるほど要領が良いからだ」

「それくらい普通だと思うけど……」

「要するにマルチタスクってやつか。苦手な奴もいるんだよ。広志の場合は単に嫌いなだけかもしれないが」


 僕は体を起こし、一本松のシルエットに目をやる。

 周辺に人型のシルエットはまだ無い。


「だーりんは何が言いたいのさ?」

「絶対に誰にも見られない場所で思う存分試すってことさ」


 そういう場所ならそもそも誰かにバレるリスクを考えなくていい。

 ただテレポートを行うことだけに集中できる。


 一点集中――それが不器用にとっての最適解だ。


 そのためなら多少の苦労など安いもの。

 僕だって、もし自己テレポートを行う必要性があるなら、広志くらいの苦労は平気で負う。


「……なるほどね。そう考えるんだ」

「器用星人のお前らにはわからんだろうけどな」

「このおっぱい星人」

「おい、それは関係ねえだろ」

「認めてはいるんだね。触る?」

「……話を逸らすな」


 仰向けでもボリューミーな胸部のことは考えないようにして、僕は広志の意図について考える。


 自己テレポートに取り組んでいるのは間違いない。

 だが、どこで、何のために、どんな練習をしている?

 一本松まで行ったところで突然消えたのはなぜだ? どこに行ったんだ?

 一本松が関係あるのか? まさか木の中に秘密基地……いや何言ってんだ僕は。木の中をくり抜いたら間違いなく折れるじゃないか。

 案外周辺にテレポートしまくっていたりするのか?

 だが耳を澄ませた限りでは人の足音など聞こえてこないし、そもそも暗くて視界も悪いから何の練習にもなるまい。

 暗い……? そうだよ、暗いんだよ。

 今は夜だ。しかも登山道。真っ暗に近い闇の世界。不気味で、一人で来ようなどとは思わない。

 そこまでするからには相応の理由があるはずだ。

 単に人気ひとけを避けたいだけか、それともそれ以外の理由があるのか――


「月が綺麗だねぇ……」


 麻衣の気の抜けた声に、僕も空を見上げた。

 ここでは月の存在感も薄れるらしい。星の数が段違いに多い。街中で見た時よりも、はるかに。

 人々が憧れ、思いを馳せ、全てを知り尽くそうとするのもわかる気がした。


「あれ? 告白したつもりなんだけど?」

「夏目漱石ネタかよ……」


 麻衣とは恋人関係だから、ここは相思相愛を演じるべきなんだろうが……ストレートに返すのは気恥ずかしい。僕は月を眺めながら、


「ああ、確かに綺麗だな」

「ほんとに?」

「本当に本当だ」

「えへへ」


 はにかむような声音だった。たぶん、そういう顔をしているのだろう。

 僕はあえて見ないようにした。


 ……にしても星空すげえな。

 息を飲むほどに神秘だ。

 もしこれが無かったら、僕はたぶん麻衣を見て、また惑わされていただろうな。


 麻衣含め、全てを解決まっさつした後、また見に来たいものだ。そうだな……隣が彩音だったら幸せだろう。


 そうでなくとも、一人でも定期的に見たいくらいである。

 毎回ここに通うのはしんどいが。他に良い場所は無いんだろうか。

 たとえば、街中なら光が多くとも、その上空ならそうじゃないとか。

 上空なら自己テレポートを繰り返すことで行けなくもない。もっとも空を眺める余裕など無いだろうし、誰かに見られたらそれこそ大ニュースだ。いや夜なら暗いし、見られな――そうか。わかった。


「麻衣。引き続き一本松周辺の監視を頼む」

「なんだい? 藪から棒に?」

「そのキャラがなんだいだよ……ダメか?」

「もう疲れた」

「腕に抱きついてもいいから」

「同じご褒美は受け付けませぬ」


 だろうな。そんな気はした。

 なら、これならどうだ。


「じゃあ広志が何してるのかを教えてやると言ったら?」


 直後、麻衣が隣に出現した。

 ――テレポート。口で言うのは簡単だが、地面に寝てた状態から、ちょうど僕のそばで直立するような位置と角度を計算してテレアームをセットしたということだ。

 瞬時に行ったんだろうな。もはや匠だな。テレポートの匠。


「いいよ。乗ってあげる」

「おい、なんで抱きつく?」

「さっきのお礼はまだ続いてるんだよ?」

「だったら広志を監視する役目もまだ続いてるはずだろ」

「さあさあだーりん、解説を」


 マイクの形をつくった手をぐいぐい押しつけてくる麻衣。人の足下見やがってからに……まあ良い。

 僕は麻衣の手を押しのけて、


「広志はな――空を飛んでるんだよ」

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