20 彩音

 四月二十三日、日曜日。

 僕は重たい足取りで家の敷居をまたいだ。


「ただいま」


 彩音みたいに大きな声は出さないからリビングには届かない。当然誰が来ることもない。

 静かな玄関で靴を脱ぎ、腕時計に目をやると午後八時。普段ならとうに晩飯も夕食も済ませ、自室でゆったりラノベを読んで過ごしているところだ。


 その場に寝転がりたい衝動を堪えながら洗面所へ。

 シャワーの音がする。鍵は掛かっていない。両親にしては早いから彩音だろう。

 構わずドアを開ける。スリムなシルエットはスルーして、手洗いとうがいを済ませてから二階の自室へ行き、荷物を置いてからリビングに顔を出した。


 冷めた夕食をレンジで加熱し、淡々と食しながら、テレビを見ている両親ととりとめのない会話を交わす。

 口ぶりから見て、僕と麻衣が付き合っている事は知らないようだ。知っていたらイジられるに決まっている。彩音なら真っ先に喋って、僕を困らせる気がするのだが意外だ。

 それはそうと、言葉の中身も、テレビの内容も、ちっとも頭に入ってこないな。

 酷使しすぎてじんじんと痛む足が、座っている今は心地良い。重力から解放されてじんわりと溶けていくような感触。座ってこれなのだから、ベッドで寝たらさぞ気持ちいいだろう。神経質な僕でも、今なら数分で眠れそうだ。




 今週は本当に忙しかった。


 美山高校の関係者全員を調べて、テレポーターを洗い出して。

 そいつらを殺すための情報収集も行って、というかこの週末、朝から晩まで、今の今まで行ってたばかりで。


 どれだけ歩いたか。

 テレアームを動かしたか。

 ばれないよう気を張ったか。


 麻衣は終始元気だったが、こんな日常が続いたら僕はたないぞ……。

 早いところ決着けりをつけたいところだ。

 できれば来週中、ゴールデンウィークが始まるまでに。

 さっさと終わらせてラノベを読みたい。読み耽りたい。ただただ空想に溺れていたい。買い逃してる新刊も多いしな。




 だが現状はそんなに甘くない。

 課題も、問題も、まだまだあるのだ。


「ごちそうさま」


 たっぷり三十分かけて食べ終え、リビングを出ると、洗面所を出た彩音と鉢合わせした。


「お風呂、空いてるわよ」


 彩音は上下ともグレーのスウェットを着ていた。

 首にかけたバスタオルで、髪をはさむようにして丁寧に拭いている。


 ――僕が入ったのに気付いてたのか。悪いが帰宅後の手洗いうがいは譲れないんだ。


 ――ケアが大変そうだな。切ったらどうだ?


 ――ふう、彩音の残り湯か。


 いくつか台詞が思い浮かんだが、幼なじみ相手のやりとりさえ今はだるい。


「……ああ」


 僕はぶっきらぼうに答え、彩音の横を通り過ぎる。

 何か言われると思ったが、彩音もすぐに歩き出した。

 間もなくたん、たんと階段を登る音が――まだ帰らないのか。明日から学校だが、泊まるつもりなのだろうか。後で部屋に来られて絡まれたら正直面倒くさいが、あの様子だと今日はもうあるまい。


 部屋から着替えを持ってきてから洗面所に入る。微かに漂うのは、彩音の残り香か。

 脱いだ服と下着をドラム型洗濯機に放り込もうとして、彩音の下着が見えた。味気ないスポーティーなやつ。似合いそうだな。


「……ついでにやっとくか」


 今更彩音に欲情することはないが、麻衣は別だ。

 顔もスタイルも僕好みだし、僕によく懐いている。演技かもしれないが、それでもそう見えることには変わりない。

 正直何回も妄想したし、おかずにしたこともあるくらいだが、だからといって溺れることは許されない。

 しかしながら僕も男なわけで、日々溜まる性欲はどこかで発散しなくてはならない。我慢もできなくはないが、溜まっていると経験上冷静になりづらい。麻衣の色香と誘惑に間一髪で負けそうになったことだってある。

 だから、定期的に出しておく。


「まだいるみたいだしな」


 僕は手早く体と頭を洗い、湯船に浸かった。

 テレアームを浴室の外、二階の一室に向けて伸ばす。

 しばし探っていると、人体の感触にヒット――言うまでもなく彩音だ。

 どうやらベッドの上に寝転んで、本を読んでいるらしい。動かないのなら好都合である。


「人のこと言えないよなあ……」


 テレポーターの一人、横川先生はテレアームで女生徒の体を触りまくっているみたいだが、なるほど確かに、ハマるのも無理はない気がする。

 体の、どの部分であっても、相手に気付かれることなく、好きなだけ触ることができるのだから。

 油断しているとすぐに筋肉や骨や内臓にまで届いてしまうのが玉に瑕だが、相手が静止していればコントロールは容易い。

 変態なのはわかってる。

 だがせっかくの能力だ。活用しないと損だろう。テレアームの練習にもなるし。


 僕はテレアームで彩音の全身を撫でながら、自分を慰めた。






「遅かったのね」

「あ、彩音!?」


 風呂から上がって、部屋に戻ると彩音が居た。

 途中でどっかに行ったと思ったら、僕の部屋だったのか。面倒くさがらず追跡しておくべきだった。そうすれば狼狽することもなかっただろうに。

 ベッドに腰掛ける彩音が不敵な笑みを浮かべた。


「取り乱しちゃって。どうしたのよ?」


 さっきまであなたをおかずにしてました、とは言えない。


「びっくりしただけだ。帰ったんじゃなかったのか」

「今日は泊まろうと思ってね」


 彩音の上半身が真後ろに倒れる。

 ばふんと気持ちよさそうな音が響いた。


「おい、人のベッドで寝るな」

「一緒に寝ない?」

「……いきなり何だ」

「昔はよく寝てたじゃない」

「いつの話をしてんだよ」


 僕はベッドを叩いて起きるよう促すが、彩音は一向に起きてくれない。どころか僕の枕を抱き枕にする始末。「瞬の匂いがする」そりゃ僕の枕だからな。

 ……わからない。この幼なじみは何を考えてるんだ?

 立っていることすらだるいので、僕はベッドに腰を下ろし、続く彩音の言葉を待つ。


 五秒、十秒、三十秒……何か喋れよ。


 彩音を口が開かれたのは、一分以上経ってからのことだった。


「ねえ瞬。あの子と付き合ってるの?」

「……ああ」


 麻衣の話題か。一体何を疑っている?

 少なくともテレポートの話題は何一つばれていないはずだが。


「おかしいわよね。最初はただの先輩って言ってなかったっけ?」

「恥ずかしかったんだよ。どうせいじられるに決まってるし」

「ふうん」


 僕の背後で彩音が体を起こしたのがわかった。

 何をするかと思えば――どん、と。背中に何かがぶつかる。

 首筋に髪の毛が当たってこそばゆい。お互いを背もたれにしている状態か。


「私ね、瞬のことが羨ましいって言ったじゃない?」


 ずいぶんとハイコンテキストな話だが、僕にはわかる。彩音が僕を羨む要素は一つしかない。


「僕がラノベに熱心なことか?」

「ええ。別にラノベでなくてもいいのだけど、私は何かに熱中したいのよ。脇目を振らずに没頭してみたい。でも、私は淡白だから」

「そうか? 何事も真面目に取り組んでるじゃないか。熱中できることがたくさんあるってことじゃないのか?」


 心にもないことを言う僕。見抜かれたのか、背中で背中をどつかれた。


「違うわ。私はただ必要なことを要領良くこなしてるだけ。能力が高いから、難なくできてしまうのよ」

「要領悪いマンの僕に喧嘩を売ってるのか……」


 今度はこつっと後頭部をぶつけられる。


「だけど私は楽しんでない。集中してるだけで、熱中してないの。これじゃ作業をこなす機械よ」

「別に病気ってわけじゃないんだろ? 人より少しだけ冷めてるだけだ」


 僕からしてみればずいぶん贅沢な悩みに聞こえる。

 授業受けて宿題こなすだけで一桁順位の成績を取って、並の運動部男子さえも敵わない運動神経があって、化粧もしてないのに美山高校随一の美女と評価されていて、対人関係を無難にこなす要領もあって――そんなチート級のスペックを持っているくせに。




 こいつは昔からそうだった。

 僕は覚えてるぞ。少なくとも幼稚園の年長時点で、彩音には何で勝負しても勝てなかったことを。

 幼稚園だぞ? 努力どうこう以前の問題だ。


 状況は小学生になっても変わらなかった。何をしても不器用で、ろくにこなせない僕とは違って、彩音は何でもすぐにマスターした。たちまち人気者になって、でもそんなヒロインでありヒーローが僕みたいな奴とつるんでいて、それが周囲は面白くなくて僕は虐められて。

 それで彩音が怒って、男女を巻き込んだ大喧嘩に発展して。

 それから彩音は護身術やら格闘術やらに手を出して、誰も敵わないくらいに強くなって、てっきり支配者にでもなるのかと思いきや、みんなと仲直りして。

 一番近くで見てきたからこそわかる。


 ――彩音は化け物だ。


 僕は羨望し、嫉妬し、時には憎悪もして、最後には諦めた。


 そんな時にライトノベルと出会ったんだ。


 魅力的な女の子達が。

 壮大な世界観が。

 息を飲むバトルシーンが。

 僕を、救ってくれたんだ。


 国語辞典と格闘するのは大変だったけど、僕でも、こんな能なしでも輝くことができたんだ。


 誰のせいだと思ってんだよ?

 僕がラノベにハマった……いやハマるしかなかったのは、他ならぬお前のせいなんだぞ!?

 僕がどれだけ苦しんだか。苦労したことか。

 その末に掴んだのが今の生き方なんだよ……――




「……しろよ」

「何か言った?」


 これ以上は言うな、と直感が告げているが、口は止まらない。


「努力しろよ……」

「してるわよ」

「もっと努力すればいいだろうが。熱中できないなら、できるものが見つかるまで色んなことに手を出せ」


 わざとらしいくらいに苛立ちをまとわせてしまう。

 当然、彩音に伝わらないはずがない。


「な、……なによっ!?」


 彩音が感情を込めて叫ぶのは非常に珍しい。僕はとっさに立ち上がって部屋を去ろうとしたが、尻を浮かせる前に両肩を掴まれていた。

 物凄い力で押し倒され、ふっと影が差し込む。

 彩音が馬乗りになったのだ。


「あなたに何がわかると言うの!?」


 普段から鋭くも美しい表情が、今は怒気に満ちている。


「努力が足りないことはわかる」

「足りないって何よ? どうすればいいのよ?」

「アプローチは二つある。広く浅く色んな物事に手を出すか、狭く深く一つのことを極めるかだ。あとはどこを掘るか、どうやって掘るかといったノウハウや知見を勉強して試――」

「ごめん」


 両肩への加重が緩み、やがて彩音の手が僕の肩から離れた。

 起き上がるかと思えば、今度は顔の左右に置き直される。……さっきよりも顔が近い。吐息が当たる。


「取り乱しちゃった……」


 ばつの悪そうな顔をする彩音。鋭利な雰囲気の取れた、年相応の女の子という感じで、不覚にも可愛いと思ってしまった。


「……いいから早くどいてくれ」


 僕は顔を背けながら言った。

 照れてしまった内心も筒抜けかもしれないが、お互い様だろう。むしろ普段から余裕ぶってる分、彩音の方がダメージは大きい。早々に出て行くはずだ――と確信していたのだが、動く気配がない。


「……彩音?」


 呼び掛けつつ、顔の向きを戻してみると、さきほどと変わらぬ可愛さが残っていた。


「ごめん」

「謝るのはもういいからどいてくれ」

「違うわ。さっきのごめんとは別物。二回目の方は、こういうことだから――」


 何を言っているのか全くわから――


「んぐっ!?」


 唇が重なっていた。

 いや、押しつけられたと言っても過言ではない。

 彩音が、僕に……? これって、キス……だよな?


 全く想定してなかった事態にフリーズした僕だったが、間もなく顔を上げた彩音と目が合い、我に返る。


「瞬の言う通りね」

「……何がだ」

「思い切って努力してみたのよ」


 彩音が爽やかな微笑を浮かべる。

 さっきからレアな表情ばかり見せてくるせいで全く目を離せないし、頭もどこか働かない。しかし眠気は吹き飛んでいて、なんていうか落ち着かない。

 僕は強引に彩音を押しのけ、ベッド上で胡座をかいてみせる。

 彩音はと言うと、正座で向き合ってきた。


「……いまいち意図が見えないんだが」

「一つだけあったのよ」


 僕が尋ねてみると、彩音は人差し指を立てた。


「私が唯一熱中できているかもしれないものが。……ううん、人が」


 綺麗な指が僕を指す。


「それが僕だと言うのか?」

「ええ」

「……僕のことが好きなのか?」

「恋愛感情は無いわ」


 彩音は指を解き、自分の胸に当てる。

 目を閉じて、何かを思い出すように語り始めた。


「だけど、瞬とは小さい頃からずっと一緒にいる」


 そうだな。物心つく前からいた。


「そばにいるのが当たり前で、いないとどこか物足りなくて。でもあなたはラノベに夢中になって以来、私に見向きもしなくなった」


 才能が妬ましすぎて逃避してたからな。


「最近は二階堂さんにもメロメロよね」


 とんだ誤解だが、恋人関係ということにしているから訂正はできない。


「あなたが恋にうつつを抜かすような人間じゃないってことはよくわかってる。だけど、あなたは今の自分を壊してまで、彼女と付き合っている。相当のことよね」


 そりゃテレポートなどという超常現象だし、命も懸かってるからな。四の五の言ってられないんだよ。


「あなたと過ごす時間が減って、初めて気付いたのよ」


 ……待て。この流れは、まさか……。


「取られたくないって――瞬は私のものなんだって」

「おい、彩音……落ち着け」

「こういう感情って何て言うのかしらね。恋愛感情ではないけど、家族や弟みたいな存在というのもちょっと違う。だって瞬となら……いいかなって思えるもの。……別に、その、エッチしてもいいかな、って」


 彩音があやしく微笑みながらにじり寄ってくる。

 いつもの軽いノリや冗談ではないことが肌でわかる。動機はどうであれ――本気だ。

 僕は後ずさりながら説得を試みる。


「何を血迷ってるか知らんが、さっさと自分の部屋に戻れよ。これ、たぶん黒歴史だぞ?」

「構わないわ」


 説得? ――そのとおりだ、説得だ。

 目前の彩音とどう向き合うべきか、僕は瞬時に答えを出していた。


 彩音は単なる幼なじみじゃない。

 僕にとってもかけがえのない、唯一の存在だ。

 ラノベを読むこと以外には何のやる気も起きない僕だけど、彩音のためなら頑張ってもいいかと思えてしまう。

 そういえば姫香に褒められたことがあったな。




 ――友達がいなくて、でも堂々としている。


 ――自分を持っている。




 買い被りすぎだ。

 確かに僕には友達がいない。

 しかし幼なじみがいる。憎たらしいほどにハイスペックだが、物心つく前から一緒にいて、お互いの家も行き来して、寝泊まりもするような、家族みたいな存在。

 一番遠くて、でも一番近くて――そんな彼女がいてくれたからこそ、僕は救われている。


 わかるんだ。たくさん読んだから。

 読んで、妄想して、想像して、投影してきたから。

 僕は平凡な人間なんだ。それは精神面も例外じゃない。本当に一人で過ごせるほど、僕は強くはない。


 どすっと背中が壁に当たった。

 彩音の接近は止まらない。


「冷静になれ。目の前にいるのは何の取り柄も無い、不器用で不細工な男だぞ?」

「男は顔やスペックではないわ」

「じゃあ何だってんだよ」

「相性と、積み重ねた時間よ」


 彩音の手が僕の肩を捉えた。

 思わずはね除けようとして、しまった、腕を強く振りすぎたと思ったのもつかの間、あっさりと交わされて、また掴まれ――正面から抱きつかれた。

 ほのかな匂いに包まれる。洗面所で匂ったのと同じはずなのに、頭がくらっとする。


「彩音。離れてくれ。……気が狂いそうだ」

「嫌なの?」

「むしろ逆だ。このままだと理性が壊れる」

「壊れてもいいわよ。瞬となら、大丈夫……」


 しおらしく言うなよ。そんなキャラじゃないだろ……。


「お、親父とお袋もいるんだぞ?」

「見て見ぬふりをしてくれるわ」


 だろうな。母はさておき、父はむしろ「ようやくだな!」と喜ぶまである。


「なんで受け入れてくれないの?」


 幼なじみが僕の胸にもたれている。

 間近で、上目遣いで、僕を見つめている。

 こんな状況を誰が想像しただろうか。


 ……いや、正直に言おう、したさ。


 想像も、妄想も、一度や二度じゃない。

 僕だって男だし、ラノベを読んでるだけあって幼なじみという属性への憧れもある。まして彩音は誰もが認める美人なのだ。


 でも、それでも。

 認めるわけにはいかないんだよ。


 僕はテレポーターだ。

 平穏な未来のためには、テレポートというありえない事象を隠すしかない。

 そのためにはテレポートを知る存在――テレポーター全員を根絶やしにするしかなくて、だからこそ身を粉にして動いているわけで。

 彩音は間違いなくその邪魔になる。いや、場合によっては彩音を――あやめるパターンだってありえるのだ。


 嫌なんだよ、彩音がいないのは。

 別に彩音がいなくても生きていける。僕が目指す平穏にはラノベさえあればいい。

 でも、彩音がいたら、もっといい。


 無論ずっと一緒にいられるほど甘くはないし、僕の自惚れもいいところだけど、それでも。

 その可能性を自らの手で潰してしまうほど、僕は愚かじゃない。


 考える。

 彩音の匂いと生の感触に包まれながら、僕は頭を働かせる……が、結論は変わらない。

 そこに至るまでの過程を明らかにしているだけで、もはや思考ですらなかった。




 ――彩音を巻き込むわけにはいかない。


 ――相手が誰であっても、たとえ彩音であっても、テレポートの存在を知られるわけにはいかない。




 それが現時点での最優先事項で。

 でも少なくとも説得は無理そうだと来た。


 なら、僕のするべきことは。


「なんで受け入れないかって? 親になんてなりたくないからだよ」

「……親?」


 吐息がかかるくらいに顔を近づけて、僕は投げつける。

 最低な台詞を。

 嫌われるために。


「僕は我慢しないし配慮もしない。高確率ではらんじゃうのは目に見えてる」


 彩音の瞳に逡巡が宿ったのを僕は見逃さなかった。


「そりゃ今すぐヤりたいけどな、孕んじゃったら面倒くさいだろ。親父でも殴るだろうし、学校も最悪退学になるし、そもそも切開するのはお前なんだからな」

「……」


 絶句する彩音。

 よし、演技だとはばれてないな。

 念のため行動も起こすとしようか。


「ま、挿入しなくても楽しめることはたくさんあるけどな」


 投げ飛ばされるか、捻られるか。

 制裁を覚悟の上で、僕は右手を彩音の下半身――下腹部へとねじ込んだ。

 当たり前だが、男にあるはずの突起物はない。

 感触自体は既にテレアームで触ってるから目新しさはなかった……って、彩音の攻撃がまだ来ないな。


「触る、嗅ぐ、舐める、こする、押し当てる――色々あるんだよ」


 僕は妄想の限りをアウトプットする。

 口だけではなく手にも反映させて、下着越しに彩音のデリケートな部分をすりすりと――


「大したものね」

「ぐぁっ」


 僕の右腕がいとも簡単に捻りあげられた。

 ぴくりとも動かない。というか動かすと余計に痛い。


「痛いんだが。なんだ、怖じ気づいたか?」

「呆れただけよ」


 彩音は露骨に嘆息してみせると、僕の腕から手を離しベッドから降りた。


「私は本心のつもりだったけど、もしかしたら気の迷いかもしれないわね」

「気の迷いだろ。そして黒歴史になるな」

「あなたほどじゃないわよ。中学二年の時、洗濯機に入れていた私の下着であなたは――って、ふふ。面白い顔をするのね」


 そりゃ幼なじみの下着で慰めていたのを本人に見られたわけだからな。

 いじられる度にうあああああと頭を抱えたくなる。


「ラノベで中二病を卒業した主人公が黒歴史をほじくりかえされて身悶えるシーンがよくあるんだが、それってたぶんこんな気持ちなんだろうな」

「中二病と一緒にしちゃダメよ。あなたのはただの変態。もっとタチが悪いわ」


 一応言い分はある。下着に欲情するキャラをトレースしてみたくて試したのが一番の動機だったんだ。性欲よりも好奇心が勝っていたとも言える、のだが……今更言い訳しても見苦しいだけか。

 まったく、最後まで油断ならない幼なじみだな。


 部屋を出ようとする彩音が、ふと振り返る。

 それは唐突だった。


「今日はありがと。来て良かったわ」


 弾んだ声と。

 とびっきりの、今日一番の――いや、ひょっとすると人生至上で一番の、笑顔。


「彩音……」

「おやすみ」


 戸がぱたんと閉まる。

 静まり返る室内で、僕は言葉を失い。


 目蓋まぶたに焼き付いたそれを、ただただ眺めていた。

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