19 法で裁けない変態
四人の
「この自然数の和の公式と言えば、かのガウスのエピソードが有名じゃな。皆が一つずつ足していく中、ガウスはこの考え方を使って、あっという間に計算してみせたのじゃ。ここは証明ごとテストに出すからの」
担当の横川先生が黒板をチョークでこつこつと叩いてみせる。
テストに出るとなれば黙って見過ごすわけにはいかない。シャーペンを走らせる音が慌ただしく連なる。
そんな中、僕は手も動かさず、ただただ先生を観察していた。
横川時雄。教職員唯一のテレポーターで、数学教師。
右手には新品のチョーク、左手にはチョーク入れ。その両刀スタイルでやたら達筆な字や数式を書く。彩音は「綺麗」と言っていたが、僕にとっては読み辛いだけで正直好きじゃない。
教卓にはやや湿ったハンドタオル、伏せて置かれた教科書、それからタブレットみたいに薄いノートパソコンが開いて置いてある。
教科書を見る前には必ずタオルで右手を拭き、生徒に問題を解かせて手持ち無沙汰な時はパソコンをいじる。そんな神経質で、ちょっと変わった先生なのだが――僕は見逃さなかった。
少なくとも去年、一年の時には無かった変化が一つだけある。
包帯が巻かれているのだ。
左手の親指に。
「それじゃ今から配る演習問題を解けい。後で何人かに当てるぞ」
教卓の中からプリントを取り出し、配り始めた。
廊下側に座る僕の列に先生がやってくる。
僕はプリントを受け取りながら、間近でその親指を注視する。包帯は思っている以上に分厚そうで、これでは親指を曲げることも敵わないだろう。
普通なら骨折でもしたのかと考えるだろうが、そうじゃない。
これはテレポートの誤発動防止だ。
テレポートは左手の親指を内側に曲げてから強く握り込むことで発動する。親指をポキポキ鳴らす癖でもない限り、うっかり誤発動させるケースは生じづらいのだが、先生は万が一のために物理的に封じる道を選んだのだろう。
僕も同じようなことを考えたことがあった。けれど親指が曲がらないのは不便だし、何より他のテレポーターに見られたら怪しまれる。
先生はそこまで考えが及ばなかったのだろうか。
「早う終わったら予習復習でもしておれ」
配り終えた先生はよろよろと椅子に腰を下ろし、教卓に張り付くように間を詰める。
それから慣れた手つきでしばしキーボードを叩いた後、画面を睨んだまま身動き一つしなくなった。
怪しまれないよう演習問題を解きながら、僕は思考する。
なぜ自分はテレポーターですと主張するような真似をしているのか。バカなのか?
それとも何か狙いがある?
あるいは本当に怪我でもしたか? そんな無茶や間抜けを犯すようには見えないが。
第一親指が曲がらないのは本当に不便で、よほどの事が無い限り封印などしないはず。パソコンを使いこなすならなおのこと――使いこなす……?
ふとした違和感が僕のそばを横切った。
耳を澄ます。
シャーペンが走る音。
消しゴムがこすれる音。がたがたと震える机。
咳払い。くしゃみ。
ぼりぼりと頭をかく音。
……無い。
僕はもう一度先生を見て、しばらく見続けて、ようやく気付いた。
パソコンをいじっていない……?
去年の数学を思い起こす。
そこには何があったか。足りない音があったんじゃないか。
そうだ、――キーボードの打鍵音だ。
横川先生は脇目も振らずカタカタと叩いていたはずだ。クラスの誰かが「集中しづらいんだよなー」とぼやいていたのを、内心で肯定しながら聞いていた覚えがある。
整理しよう。
横川先生の変化は何だ?
とりあえずは二つ――左手親指に包帯を巻いていることと、演習時間中にキーボードを叩かず画面を見つめてばかりいること。
他に何か無いか?
……ある。
先生は時折顔を上げて、生徒の様子をうかがっているが、よく考えればこれも怪しい。
僕のイメージでは、先生は演習時間中ずっとパソコンに張り付いたままで、時間が満了するとすぐに解説を始める。
そんな先生がなぜ? 何のために?
以前授業で嬉々として喋っていたのを思い出したが、確かコンピュータに複雑な計算をやらせたり、統計やら集計やらを工夫して実行したりすることが好きなんだよな。
授業中もするくらいだから熱心な趣味なのだろう。
それを中断してまで行うことは一体。
普通に考えるならテレポート絡みか。
だが左手は封じられているからテレポートは行えない。他にできることと言えばテレアームを動かすくらいだが……いや、まさか。
そういうこと、なのか? ……いやいや。そんな、麻衣みたいなことを……。
念のために、僕は調べることにした。
テレアームを横川先生めがけて伸ばす。
その華奢な体内に潜り込ませると、筋肉の、血管の、内臓の気味悪い感触が伝わってきた。いいかげん慣れたが、気分のいいものではない。
僕はプリントに目を落としたままテレアームを落とす。胸部から腹部、腹部から
そして目的の部位に到達し、その感触に集中する。
僕の予想が正しければ、そこは膨脹し、固くなっているはず――見つけた。
……見事的中してくれた。
年の割には元気じゃないか。たぶん僕よりも大きいし。
それにしても、まさか授業中に、堂々とそんなことをするとはなあ。
なるほど、どおりでやけに教卓に張り付くように座ってるわけだ。そうしないと見えちゃうもんな。勃起したそれが。
放課後の部室にて。僕は麻衣に共有した。
「さすがだーりん、同志だからすぐに気付けたんだね」
「同志じゃねえよ。どちらかというとお前だろうが」
麻衣がテレアームで僕の体を弄ってます発言をしたことは忘れてないぞ。と言いつつ、僕も麻衣や彩音や姫香の体を触ったことがあるのだが、気にしないことだ。
「麻衣に感謝だな。おかげですぐに気付けた」
さっきまで僕は横川先生の跡をつけていた。もちろん露骨だと怪しまれるので、視覚的に見えない位置から、テレアームで触りながら、だ。今日だけでだいぶ尾行の要領を覚えたまである。
それはさておき、尾行の甲斐あって、先生の本質を確定付ける行動を見ることができた。
先生はなぜかグラウンドの端、スタンドに腰を下ろして、ノートパソコンを広げて作業していた。
そばでは女子陸上部がウォーミングアップしていて、先生がたまに視線を送っているのもはっきりと見て、僕は確信した――テレアームで触ってやがる。
不審がられないよう、必要最小限に目で見てターゲットを選んでから、あとはパソコンに目を落としたままテレアームで触る。ノートパソコンは股間部分を隠すためのカモフラージュ。そんなところか。
答え合わせに、テレアームで先生のそれを触ってみると。
不自然に大きく、固くなっていた――
「先生が左手親指を封じているのは、テレポートを使う意思がないからだ。もっと言うとテレアームで変態行為ができればそれでいいんだろう。女子達には悪いが、しばし先生を引き留める
「わたしも触られたのかなー」
麻衣は他人事のような声音でそう言うと、「うーん」と艶めかしい声を出しながら伸びをした。ブラウスを押し上げる胸が強調されている。
「触られてると思うぞ。メガネで
「それってだーりんの感想?」
「……客観的なコメントだ」
思いっ切り主観ですが何か。
「ふうん……気持ち悪いから殺しちゃう?」
伸びを解除し、買い物に行くようなノリで喋る麻衣。
「そうしろそうしろ」
「冗談だよー。だーりんのゲームに茶々を入れたらつまらなくなるもん」
僕がどうやって先生を殺すかも楽しみにしているってわけか。
残念だ。麻衣の力でサクッと殺していただけると楽なのに。
……ダメ元でもう少し粘ってみるか。
「その言い方だと麻衣なら簡単に殺せる、という風にも聞こえるが?」
「うん。よゆーよゆー。夜にテレポートで先生ん家に忍び込んで、ナイフで一突き。これだけだから」
「そういうことが簡単にできりゃ苦労はしないんだがな……」
「なんで? だーりんの身体能力でもイケると思うよ?」
必要なのが身体能力だけだと思ったら大間違いだぞ。
「テレポートで殺すのとはワケが違うんだ。自分の手で、凶器で、人の体を刺すんだぞ? 少しくらい躊躇はするだろ」
「そこは少しなんだね……」
「少しでも問題だ。火事場の馬鹿力って言葉もある。相手がたとえ老人でも油断はできないんだよ」
だからこそ心を鬼にして、全力で殺すべきだろう。……って、こういう思考を平然としてしまうあたり、僕もだいぶ毒されているな。
「それに殺したらはい終了、じゃない。先生が独り者とはいえ、連絡が付かないとそのうち話題になる。れっきとした殺人を隠し通すのは、そう簡単じゃないだろ?」
「簡単だよ」
麻衣は笑顔で、あまりにあっさりと言ってのけた。
「……は?」
「だから、簡単だよ。警察を本気にさせなければの話だけど」
「どういうことだ?」
「既に十人以上の児童を残虐に殺してる連続殺人犯だったら、逃げるのは大変だろうねー。要人や警察関係者の殺人もそう。警察も本気で来るから。でも一市民の殺人事件程度なら大したことないよ。知ってる? 日本でどれだけ殺人事件が起きてて、そのうちどのくらいが未解決のままなのか」
これは違和感か。ギャップか。違う。
――恐怖だ。
「本気にさせなきゃいい。関連を疑わせなきゃいいんだよ」
「……そ、それが難しいんだろうが」
僕はかろうじて言葉をひねり出した。
こいつに恐怖を抱いていることを悟られたくない。
もしそこを見透かされて、つけ込まれたら。
脅されて、いたぶられて、舎弟や奴隷みたいな扱いにされてしまったら。
僕には為す術が無い。こいつには何一つ勝てないのだから。
僕は麻衣の恋人だ。
麻衣は美人でエッチな、僕の彼女だ。
対等な関係なんだよ。怖れなんてあるはずもない。あってはいけない。
この戦略は間違ってないはずだ。こいつを殺すまでは、この関係性を以て手綱を引いておくしかないんだ。
「まあね。ムズいというか、めんどいんだよねぇ……」
緊張が伝わらないよう、僕はひたすら頭を働かせる。
麻衣に殺してもらうどうこうについては、今はどうでもいい。こいつ相手に心理戦などもってのほかだ。
麻衣以外の四人をどうやって殺すかだけを考えよう。
整理だ、整理。ついさっきまで横川先生について共有して、どうやって殺すかの話になって、麻衣は簡単に殺せると言ったが、現実的には証拠隠滅が大変で。
……そうだよなあ。やはり一番のネックはそこだ。
殺害そのものは道具を使えば、それこそ簡単には手に入らないだろうが拳銃なり猟銃なりボウガンなり使えば済むし、テレポートなら一気に距離を詰めて不意を突ける。殺すのは難しくない。
難しいのはその後。殺人だとばれないよう証拠を消すことだ。たとえば死体とか。
「テレポーターじゃなかったら簡単なんだがな……」
テレポーターにはガード
早い話、死体に対して物体をテレポートさせれば、体の一部を消せる。これを繰り返せば死体を丸ごと消すことも可能だ。
この超常的な力で、簡単に、かつ完全に証拠を隠滅できるというのに。
ガード範囲……本当に厄介な性質である。
これさえなければ。
あるいは無効化する手段があれば……いや待て!
「どしたのだーりん? いきなり立ち上がって」
「その手があったか。麻衣、旧校舎に行くぞ」
首を傾げる麻衣に、僕は用件を告げる。
「めぐみの死体に用がある」
◆ ◆ ◆
いったんコンビニでアイスロック――味の付いた氷菓子を購入した後、再び学校に戻った。
旧校舎の建つ小丘、その途上の坂道で僕は足を止める。
「何するの?」
「後で話すさ」
アイスロックを開封しつつ、テレアームを地中に潜りこませる。
ノーヒントで探るのは無謀だが、以前麻衣がその辺に転がっていた石で目印をつくってくれている。これに従って伸ばしてみると、いとも簡単に辿り着いた。
生き埋めになった、めぐみの死体。腐敗が進行しているのか、生きている人間よりも明らかに柔らかい感触だ。
僕はそこに、アイスロックの粒をテレポートさせてみた。
数粒ほど試してみて、いずれもテレポートできたという結果を得る。
すぐに部室に戻ってから、僕は口を開く。
「麻衣。僕が何を試してたのか、当ててみな」
「めぐみんの死体にテレポートできるかどうかを調べた?」
「……鋭いな。つまらん」
「褒めて褒めてー」
ずいっと頭を差し出してきたので、仕方なく撫でてやる。
「この結果からまた一つ知見が増えた。テレポーターのガード範囲は本人の死後、解除される」
「えー、そうなのかなぁ?」
「テレポートできたんだから間違いない。嘘だと思うなら麻衣も調べてこい」
「何言ってんのだーりん、アイスロックはもう溶けてるよ」
「まあアイスロック分の穴が空いてるけどな」
さすが麻衣。僕がアイスロックを使った理由までわかっている。
テレポートで問題となるのは、テレポート後の物体がそこに残ってしまうことだが、氷なら溶けるため残らない。
もっとも氷が占めていた空間分の穴は空いてしまうが、そこはテレポートの代償だと割り切るしかない。テレポーターに知られない限り、テレポートの存在がばれることはないだろう。もちろん多用は厳禁だが。
「そういやパパって、何をテレポートされて死んだんだろ?」
「パパ? ……ああ、二階堂王介のことか。星野めぐみがテレポートを使って殺したんだったな」
「めぐみんはだーりんが殺しちゃったから、真相は闇の中だね」
芸能界の唯一王として君臨していた絶対者の不審死。当然死因についてもしっかり調査されたはず。
「でも死因は聞いてるよ。脳に不自然な穴が空いてたって。解剖してみたらなぜか糖分も検出されたみたい。アメでも送ったのかなあ?」
なるほど、脳に送ったのか。
しかし糖分か……。テレポートを知らなければ、ただの不可思議現象でしかないはず。ばれることはない、よな……?
そんな不安が顔に出ていたらしい。麻衣は励ますように微笑んで、
「大丈夫だよだーりん。陰謀だとか何とか盛り上がってるけど、超常現象を疑ってる人はいないと思う。それにみんなパパの死因なんてどうでもよくて、パパが抜けた穴をどう埋めるか、誰が埋めるかでどっろどろに争ってるところだから」
「そうか。ならいいんだが……」
麻衣に嫌なことを思い出させてしまったか、何か言って励ますべきかと思っていると「だーりん、コーヒー飲む?」まるで気にした様子もなく尋ねてきたので「僕はいい」と断っておく。この時間にカフェインを摂取すると夜眠れなくなるからな。つーかいつのまにコーヒーセットなんて用意したんだ。
麻衣が湯気の立つカップを二つ持ってきて、座ったところで、
「とりあえず話を戻すぞ。僕の見解に疑問を呈したよな? なぜだ?」
「疑問って、ガード範囲が本人の死後に解除されるってやつ?」
「ああ」
「その結論自体は正しいと思うけど、ちょっと不明点があるなって」
「不明点?」
麻衣がずいずいとカップを押しつけながら問う。こぼれるだろうが。
要らないと言ったのに。……まあいい。僕は仕方なく受け取り、ふーふーと冷ましている間に、麻衣は続けてきた。
「解除されるタイミングが不明なんだよ。死後すぐに、とは限らないと思う。一日後かもしれないよ?」
「良い質問だが、それはない。死後すぐだ」
飲もうとした麻衣が手を止めた。
「このテレポートという超常現象をつくった存在は、そこまで意地悪じゃない。むしろありがたいくらいにフレンドリーだ。なんたってテレアームという手段を用意するくらいだからな。意思だけで自在にテレポートできるなどという、フィクション向けでちっとも現実的じゃないインターフェースは、人間には扱いかねるんだろう。ともかく、ルールは極力シンプルにするはずなのさ。解除タイミングも死後即時で間違いない」
麻衣はのんびりとコーヒーをすすりながら、胡散臭そうな目で僕を見ている。
……仕方無い。僕の持論を語ろうか。
「そのような存在を仮に『神』と呼ぼう。たとえ『神』でも、娯楽の本質は変わらないと思ってる――つまりは観察だ。人間も虫や動物、微生物から粒子に至るまで、下等な存在を観察して楽しんでるだろ? それは科学というカテゴリで研究されているし、その成果が社会に還元されているところもあるが、所詮は好奇心の充足。遊びの延長だ。――なら、僕ら人間からは遠く及ばない『神』なる存在が、下等生物の人間を観察していたって何ら不思議じゃない」
こんなに一気に喋ったのは久しぶりだ。喉を潤したい気分だが、コーヒーがまだ熱い。猫舌は地味に不便である。
ちびちびと飲んでいると、麻衣が椅子ごと僕に寄ってきて、
「やっぱりだーりんはだーりんだ。そういうところもすきー」
すりすりと頬ずりをしてきた。飲みづらいからやめろ、と邪険にしかけて、でも気に入ってもらえたのなら良いかと考え直す。
断じてもちもちの柔肌を堪能したいからではない……っていつまでやってんだ。
「むぅ。けち」
「とにかく、横川先生はただの変態だとわかったから後回しにして。残る二人も週末に調べ切るぞ」
「二人? ひめっちは?」
そこで姫香の名前を挙げたあたり、麻衣もよくわかっているとは思うが、一応答えておく。
「あの豪邸を調べるのは無理だ」
「じゃあどうすんの?」
「言うな。とりあえず後回しだ……」
「ここに来て後回しが増えたねえ」
その筆頭はお前なんだがな。
それから僕たちは週末の行動について打ち合わせてから、部室を後にした。
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