17 単独行動説

「なあ麻衣。なぜ姫香は僕に懐いてるんだ?」


 昼休憩の部室にて。

 僕は机に顎を乗せてだらしなく座りながら尋ねた。


 妙に疲労感があるのは気のせいではあるまい。

 姫香がテレポーターだったこと。

 なぜか僕に興味を持っていること。

 麻衣と姫香が関係を隠さず接するようになったこと。

 これに伴い、僕の周囲が一気に華やかになって、久々に悪目立ちと嫉み羨みの嵐を浴びたこと。


 はぁ……。本当に勘弁してほしいものだ。僕は静かにラノベに読み耽りたいだけなんだがな。


「だーりんでもわかるんだ?」


 とん、と真隣に何かが置かれた音がする。

 横目で見ると、麻衣が同じような体勢で座って、顔だけこっちに向けていた。近い……。

 僕は反対側に顔を逸らしてから答える。


「サンプルが一つしかないから何とも言えないが、なんとなくだ」


 姫香が僕以外の男子と話している姿はほとんど見たことがない。というより基本的に一人でマイペースに過ごしているイメージだ。


「興味は持ってると思うよー」

「だよなぁ。なんでだ、こんな平凡な地味男に……」

「だーりんは自分をおとしめるのが好きなんだね。マゾ?」


 脇腹をくすぐられながら、内心で違えよとぼやく。

 周囲の奴らがハイスペックすぎて、自分の弱さを嫌でも痛感してしまうというだけだ。

 まして姫香は超が付くお嬢様。僕よりいい男なんて吐いて捨てるほどいるだろうに。


「んー、臆せず向き合ってくれたから、じゃないかな」

「……どういうことだ?」


 それが疑問に対する回答だということだけはわかった。

 僕が麻衣側に顔を向けると、吐息がかかる距離に童顔。

 ――近くでも可愛いんだな。肌も綺麗だし。


「自覚が無いだーりん。天然のじごろだね」


 にししと微笑みながら僕の頬をつんつんする麻衣。


「童顔あざとい星人の麻衣には言われたくねえよ」

「芸能人とかセレブって案外ちょろいんだよ? 富裕社会の人間しか見てないから、ちょっとそこから逸れた人がいたら新鮮に感じちゃって、ころっと落ちちゃうの」


 そんなものかねぇ……。

 かく言う麻衣もそっち側の人間だ。そういう人を見てきたのかもしれない。どうでもいいけど。


「ほら、一般人と結婚する芸能人とか多いじゃん?」

「ほらって言われてもな。テレビ見ないし」

「普段何見てんのさ」

「ラノベ」

「オタクめ」

「褒め言葉をどうも」

「でも今はわたしを見てる」

「やっぱ可愛いなと思ってな」

「んちゅー」


 艶やかな唇が迫ってきたので、椅子から立ち上がって距離を取る。「だーりんのいけず」いけずで結構だ。……割と危うかったが。

 追撃されないよう、僕は弁当箱を開封して食事を始めた。

 麻衣も観念したのか、いつものサンドイッチを片手に、パソコンを操作する。

 器用な手捌きで、あっという間に四枚のウィンドウを立ち上げた。


 僕は遠目に覗き込んだが、見えづらいので、弁当箱ごと麻衣の隣に移動する。

 改めてディスプレイを眺める。




 横川時雄よこがわときお。五十一歳、数学教師。


 塩見詩織しおみしおり。三年C組、図書委員。


 西広志にしひろし。二年A組、成績首席。


 そして天神姫香てんじんひめか。僕らと同クラスの二年B組。天神グループのお嬢様――




「さてさてだーりんさんや。どうやって消しますかいの?」

「そうだな……」


 美山高校の関係者全てを洗い出した結果、見つかったテレポーターがこの四人だ。

 もちろん口では言ってないだけで、麻衣も殺すつもりだから本当は計五人。


 ――五人。


 こいつら全員を殺せば、僕の抹殺ゲームが終了する。

 テレポートを知る者は僕だけになる。テレポーター同志の争いも、まぬけがテレポートを世間に晒してしまう危険もなくなり、平穏な生活が戻ってくるのだ。

 ゴールはもう見えてる。見えてるのだが。

 ……殺人の方法など簡単に思い浮かぶはずもない。

 モンスタースペックの麻衣と姫香に至っては見当もつかない。

 特に姫香は学校以上の広さを誇る別邸に住み、姿は見えないが護衛もついているレベルのお嬢様だ。テレポートがあるとはいえ、一般市民が殺害するのは無理ゲーだろう。


 むしろ警戒するのは僕らの方だ。


 もし姫香が他のテレポーターの存在に興味を示したとしたら?

 天神グループの力で活用できるとしたら?


 ……瞬殺だ。為す術も無い。

 たとえば今も麻衣が見ている、僕らにとってはお馴染みのチャット。これも所詮は海外企業が運営するクラウドサービスにすぎない。天神グループほどの力があれば干渉は簡単だろう。


「とりあえずターゲット四人の情報、まとめとくね」

「ああ。頼んだ」


 今もこうしてモロに書き込んでいるわけだし。

 テレポートを知らない人ならまだしも、テレポーターである姫香に見られたが最後、誤魔化ごまかしようがない。


「……なあ麻衣。もし姫香がテレポーター探しを始めたとしたら、どうなる?」


 麻衣の手が止まる。僕の方は見ない。考え込んでいるのか。

 口を開く気配がないので、僕は続けた。


「天神グループの力を以てすれば、校内のテレポーターを探すことなど容易い気がするんだが」

「どうやって?」

「たとえば盗聴。たとえば盗撮。――もしかしたら既にゲームオーバーかもな」


 テレポートに関する話題も、実践も。

 テレポーターの殺害計画についても。

 この部室で、今の今まで。

 僕と麻衣は、全てを晒してしまっている。


 それを見られていたとしたら?

 聴かれていたとしたら?


「心配無用だよ、だーりん」

「……は?」


 そのいつもどおりの呑気な声が、最悪の可能性ばかり膨らんで絶望しかけている僕を殴った。

 続きを問う前に、麻衣がすらすらと喋る。


「悪事を楽しむためにはね、自分の安全と潔白を担保しなくちゃいけないの」


 麻衣が体ごと僕に向き直った。


「わたしは盗聴や盗撮という世界も知っている。知っているから対策も講じれるし、必要なら講じる。だーりんの抹殺ゲームは、わたしにとっても絶対にばれちゃいけない、最大級の悪事なんだよ?」

「だから対策済だ、とでも言いたいのか? 何も対策してるようには見えないが」

「テレアームだよ」

「テレアーム?」

「そっ。部室をくまなく探ってるの。何か仕掛けられてたらすぐわかるよ」


 まさかそんなはずは……。

 だって、それは……。現実的な方法じゃない。もちろん手間暇をかければ不可能ではないが、今まで麻衣にそんな素振りは無かった。


「毎回やっているというのか?」

「うん、そだよー」


 おいおい、嘘だろ……部室がどれだけ広いと思っているんだ? 教室より広いんだぞ?

 こんな部屋に対してドア、壁、天井、地面、棚、黒板、テーブル、蛍光灯――部室内の全てを調べる必要がある。

 ただ調べるだけじゃない。元々の感触を覚えておいた上で、だ。

 そこまでしてこそ、異物が紛れ込んだ時におかしいと気付けるわけで。


「だーりん、どした?」

「……いや、さらっと凄技をやってのけるなって。麻衣の彼氏で良かったよ」

「じゃあエッチする?」

「しない。でも本当に凄いと思うぞ。さすが麻衣だ」


 麻衣が「えへへー」とだらしなく相好を崩すのを見ながら、僕の胸中では不安が霧のように広がっていた。

 改めて思う。こいつは敵に回しちゃいけない存在だと。


「でも天神グループが本気出したら敵わないけどねー」

「麻衣でもか?」

「当たり前だよー。わたしを何だと思ってるのさ」

「何って……」


 化け物、と言おうとして、思い留まった。


 僕と麻衣は恋人関係だが、危ういバランスの上に成り立っている。

 麻衣は僕に飽きたら、この抹殺ゲームに飽きたら、おそらく僕を捨てる。殺すことも厭わないだろう。

 殺すはずがない、とは楽観視できない。

 こいつはそういう奴だ。内に猛獣がんでいる。


 出会った時のことを思い出せ。

 手紙で呼び出されて、殺されかけたよな?

 ガード範囲レンジがなければ死んでいたとも言ってたよな?

 今さっきも底知れない闇の臭いがしたよな?


「……そうだよな。個人の力じゃ限界があるよなあ」


 気分を害しちゃいけない。そう思って、つい適当な事を言って誤魔化してしまった。

 すっかり慣れたつもりでいたが、この感覚――麻衣を心の底から怖いと感じたのは久々だ。


 ……僕は、どうすればいい?


 麻衣を飼い慣らしたまま四人を殺せるのか?

 殺した後で、この怪物に勝つことができるのか?


 ――無理だ。


 僕一人では背伸びしてもできない。

 頭も、体力も、精神力も、テレポートの技能さえ。何一つ勝てない。

 ……いや違う。そうじゃない。僕なら無理でも、僕じゃなかったら?


 たとえば姫香は?

 たとえば彩音は?


 彼女らを上手くコントロールして、麻衣を始末するよう仕向けることはできないか?

 現実的にはテレポートを知る姫香か。麻衣には内緒で姫香と内通して、麻衣を始末するよう算段を立てるとか。

 ――僕にできるか? あの天然で、掴み所のないお嬢様を掌握できるか?


「……ああ、そうか」


 僕がつぶやくと、パソコンをいじっていた麻衣が再び僕を向いた。

 その手にはやはりサンドイッチ。口ももぐもぐと動いている。


「麻衣。姫香の件――天神グループの力で攻められる可能性は、おそらく杞憂だ」


 麻衣はむしゃむしゃと食事しながら、視線で続きを問うてきた。相変わらずマイペースな奴だ。

 一方で、僕の頭はめまぐるしく稼働している。

 麻衣の殺し方はいったん保留にするしかない。

 が、代わりに、一つ懸念を潰せそうだ。


「姫香は天神グループの力には頼らない。いや、頼れない。もし麻衣が姫香の立場だったらどうする? 誰かに頼ろうとするか?」


 咀嚼しながら虚空を見つめる麻衣は、餌を頬張った小動物のように愛くるしい。写真に収めて壁紙にしたいくらいだ。

 ……この暴力的な可愛さも危険の一端だよな。自制自制。

 その元凶は、喋る気がないのか、今度はペットボトルに手を出した。


「テレポートには世界をひっくり返す力がある。どんな物体も壊せるし、どんな生物も殺せるんだからな。まして天神グループとなれば、いくらでも活用のしようがあるだろう。そんな劇薬が悪用されるリスクが犯してまで、姫香が誰かに頼るとは思えない」


 こくこくと小気味よい音で飲み干した麻衣は、ペットボトルを手元から消した。

 直後、部屋前方のゴミ箱からしゅこっと何かがインした音。言うまでもなくテレポートで運んだのだ。

 今更驚きはしない。麻衣にとってはもはや日常的な動作である。


「ひめっちってそこまで頭が回るかなあ?」

「回るだろう。天神家の傀儡かいらいとなる運命に抗うほどだぞ」


 姫香がこの美山高校に通うまでのいきさつを、簡単だが聞いたことがある。といっても彩音と喋っていたのを脇で聞いていただけだが。

 そうでなくとも僕は姫香にシンパシーを感じている。

 世の常識やルールよりも自分の考えを優先するというか、今の平穏な生活を大事にしているというか。

 言葉には表せない、直感みたいなものだが、だからこそ妙な確信があった。


「んー、でも、信頼できる人には頼るんじゃない?」

「護衛とかか?」

「うん。他にも天神家じゃなくてひめっちについてる人、結構いるみたいだし」

「僕が姫香だったら、それでも頼らないけどな」

「わたしがひめっちだったら、頼るかもしれないなー」


 麻衣が手を伸ばしてきたかと思うと、僕のおかずをかっさらっていく。


「……まあ、麻衣は僕に接触してきたくらいだしな」

「だーりんは極端なのさ。工夫すればリスク無しに頼れるもん」


 その台詞はまるで僕と接触したのも僕相手なら負ける心配はないから、と言っているように聞こえて。

 少しの悔しさがぽっと湧いてきて、でもそれを押し殺す。

 まずは麻衣以外の四人からだ。


「とにかく、天神グループの力に圧倒されることはないと考えていい、というのが僕の見解だが、それでいいか?」

「うん。いーよ。わたしならともかく、ひめっちならだーりんと同じように一人で抱え込んじゃいそうだし」

「よし。それじゃ四人の殺し方を検討するか」


 とりあえず天神家というバランスブレイカーに蹂躙される心配は潰せた。

 まだまだ先は長いけどなあ……。


 長いが、少しずつでも進んでいくしかない。

 抹殺ゲームと呼んでいるが、これはただのゲームではない。

 人生を担保にした、デスゲームなのだから。

 諦めたら試合どころか人生が終了してしまうのだから。

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