15 お嬢様の好意

 金曜日の朝、校門前の大通りにて。

 僕は最後の一人、天神姫香てんじんひめかの足下に物体をテレポートさせてみた。

 結果はテレポートされず。

 テレポーターはガード範囲レンジ――体から五十センチ以内の空間にはテレポートを受け付けない性質を持っているわけで。つまり彼女はテレポーターである。……よりにもよってこいつか。


 天神姫香。

 知らぬ人はいない世界的大企業『天神グループ』会長の一人娘で、絵に描いたような大金持ち。

 僕はこんな奴を……殺さなくてはならないのか。


 早速途方に暮れていると、その時。

 優雅な後ろ姿が振り返り、優しい双眸が明らかに僕を捉えた。

 すらすらと綺麗な歩き方で近づいてくる。

 お嬢様の逆走に、道行く生徒達の視線が集まり、それらは間もなく彼女の目的地たる僕にも向けられた。


「瞬くん。おはようございます」

「おはよう、姫香。どうしたんだ?」

「ボディーガードさんが真後ろに一名ほど変わった視線があると仰っていまして。瞬くんでしたのね」


 そんな存在がいやがるのかよ……。

 さっき見回した時は見つけられなかったのに。もう一度探してみたいが、怪しまれすぎるのも考え物だ。首を動かしかけたところで、何とか堪えた。


「変わった視線ね……で、何か用か?」

「ご一緒に登校しませんこと?」

「学校まであと二分もないぞ」

「十分ですわ」


 その返しは暗に『二分もあれば済む』と告げている。僕に用件があるということか。


 姫香と並んで歩く。

 普段彩音と過ごしているせいで視線は気にならないが、こいつ、歩くスピードはやや遅いな。

 横顔を覗いてみても、のんびりというかおっとりしていて、なんていうか隙だらけに見える。誘拐とかあっさりされそうだ。無論油断してはならない。

 僕にわざわざ話があるみたいだが、何についてだ? まさかテレポート絡みじゃないよな。


 何も喋らないまま、しばし歩いたところで、姫香が口を開いた。


「麻衣ちゃんに彼氏がいたんですね」

「……そうみたいだな」

「いつ、どこで知り合ったんですか?」


 有無を言わさない声音。どころか表情も至って真剣で、思わず目を逸らすほどだった。


「……馴れ初めをぺらぺら喋る趣味はない。麻衣に聞いたらどうだ? 幼なじみなんだろ?」


 キザなことを言ってしまったが、さして会話や心理戦の得意じゃない僕が下手に喋ったところで墓穴を掘る可能性が高い。

 ここは僕よりもはるかに賢くて猫かぶりも得意な麻衣にお任せするべきだろう。

 もっと言えば、僕にできる事には一つのみ。


 この雑談という舞台から一刻も早く降りること。


「麻衣ちゃんとは疎遠でしたの。学校では他人のふりをすると言って聞かなくて……」


 目立ちたくないからじゃないか?

 容姿を隠すためにダサいメガネをつけてるほどだし。


「彩音さんと知り合っていなければ、わたくしはぼっちでしたわ」

「お嬢様の口からネットスラングが出るとはね」

「うふふっ、これでも勉強していますのよ?」


 姫香が破顔する。

 麻衣みたいに性的な魅力には欠けるが、聖女の微笑みというか、つい気が緩んで落ち着いてしまうような、そんな心地良さがある。

 ……溺れるわけにはいかないよな。

 ここは彩音と同じく、嫌われる作戦でさっさと引き離してやるか。


わたくし、やはり瞬くんに強い興味があるみたいです」

「気のせいだろう。彩音のそばにいて、少し話す機会があるから親近感を覚えているだけだ」

「いいえ。違いますわ」

「違わない。僕自体は極めてゲスな男だ。今も姫香と、もしかして一発できるんじゃないかってことしか考えてない」


 僕は姫香の体を舐めるように見回した。

 体の起伏は穏やかで、スカートから覗くのは生足ではなく黒ストッキング。


「一発……?」


 姫香が首を傾げる。


「男子高校生の性欲を舐めちゃいかんな。まして姫香は良いところのお嬢様。男子なら誰もが憧れるさ」


 自分でも気持ち悪いだろうなと確信する笑みをつくってみせた。

 意味が通じたのか、姫香を目を見開き、口をぽかんと開けた。あ、これはちょっとまぬけっぽくて可愛いかも。

 と思ったところで、可愛らしい口がすぐに両手で塞がれる。


「まあ。そうでしたの」


 丹念なケアの施された綺麗な手が降ろされた頃には、笑顔は消えていた。

 だいぶ効果があったか? このまま幻滅して、さよならしてくれると助かるのだが。


「そうやって麻衣ちゃんともいちゃいちゃしておりますのね、ラノベみたいに」


 ラノベの発音に全く違和感が無い……本当に勉強してやがるのか。ジャンルは偏ってるようだが。

 姫香も一応数少ない喋る仲だし、オタク友達になれれば楽しいかもしれない。……テレポーターじゃなかったらな。


「……否定はしない」

「彩音さんとも?」

「彩音とはしてないな。あいつはガードが高いんだ」

「プレイボーイですわね」

「それほどでも。姫香も加わるか?」

「はい。ぜひ」


 別に麻衣ともいちゃいちゃなどしていないが、相手を不快にするキモイマンの演技無なら任せてほしい。台詞がスラスラと出てくるぜ。

 と少し自己陶酔していたからか、一瞬、その返事に気付けなかった。


「……今何て言った?」

「はい、是非に、と申し上げました」


 僕をからかっているのか……?


「からかうならやめとけよ。僕は本気だ」

わたくしも本気ですわよ。よろしければ今度別邸に遊びにいらしてください。何も邪魔の入らない広い庭で、二人きりで思う存分いちゃいちゃいたしましょう」

「青●かよ……」

「今日の放課後、早速行いませんこと?」

「青●をかイッ!?」


 突如、尻に強烈な衝撃が走った。

 この蹴りの感触には覚えがある。とっさにテレアームで後方の人体を弄ってみて、なおのこと確信する。


「あら彩音さん、おはようございます」

「二人とも校門前で何話してんのよ」

「瞬くんに告白したら、えっちなことがしたいというので、それでは早速とお誘いしていたところでしたの」

「おい」


 言ったのは僕ではなく彩音だ。

 鋭利美女の睨みと男口調と胸ぐら掴みのトリプルコンボ。マジで怖いなこれ。

 僕は両手を挙げて投降の意を示す。


「姫香に何吹き込んでるのよ」

「こいつが男心をおちょくってくるからだろ……」


 彩音は僕を締め上げたまま姫香を見る。

 そろそろ話してもらえませんかね。苦しいよ。


わたくしは本気ですわよ。殿方に対してこんな気持ちを抱いたのは初めてですの」


 ばっと彩音の顔が僕を向く。さっきから忙しない奴だな。どう見ても冗談だろこれ。あとそろそろ離してくんない?

 僕がばんばんと彩音の腕を叩くと、ようやく解放してくれた。


「姫香が変わってるのはわかってたけど、まさかそう来るとは……」


 彩音は僕を締め上げた両手で、今度は自分の頭を締め上げた。新手のプレイ――いや、単に頭を抱えてるだけだな。

 とてもイジれる雰囲気ではないのでそっとしておく。


「モテモテだねだーりん」


 げっ、この声は……言わずもがな。


「麻衣ちゃん……」

「やっほー、ひめっち。学校で話すのは久し――もう、ひめっちってば」


 姫香のタックルみたいな飛び付きが麻衣にヒット。

 しかし麻衣は軽々受け止め、姫香を抱き締め返した。何だ、この感動の再開みたいなシチュエーションは。つーか麻衣、メガネはどうした? 愛くるしい童顔が晒されてんぞ……って、待て待て。


 もはや見なくても肌で感じていたが、一応周囲に目をやってみる。

 軽く人だかりができてやがる。まあそうなるよな。


 頭を抱える校内一の美少女と、抱き締め合っているお嬢様と、これまた美少女と。

 そこにおまけみたいにぽつんと立つ僕。

 確かにもう隠さないとは言ったが、いくら何でもこれは目立ちすぎだ……。


 僕も頭を抱えてしまった。




      ◆  ◆  ◆




 まるでハーレムラブコメの主人公みたいだ……。

 はぁ、とため息が漏れる。漏らしたくもなるわな。校門で、いや教室でも美女三人にいじられるという見世物状態だったわけで――思わず体調不良を訴えて保健室に来てしまった。


 カチッ、カチッと壁時計が時を刻む。

 生徒教室のない一階だからか妙に静かだ。養護教諭も所用でいなくなったし。

 ばふんと仰向けにベッドに倒れ込む。寝心地は悪くない。朝だというのに、油断すると爆睡してしまいそうだ。……立ったまま過ごすか。


 僕は立ち上がり、一応どこからも覗き見されないポジションに移動してからスマホを取り出した。

 いつものチャットサービスを開き、テレポートのために作った複数の部屋を流し読みしていく。

 麻衣との雑談部屋、学校資料アップロード部屋、テレポート仕様まとめ、TODOリスト、学内外ニュースRSS、テレポートを用いた殺し方検討、星野めぐみ殺害計画――ずいぶんと作ったものだ。おかげでフリック入力もタッチタイピングもだいぶ上達した。


 とりあえず山場のテレポーター探しは越えた。

 あとは一人ずつ殺していくだけだ。


 僕は『ターゲット』という名前で新しい部屋を作り、判明したテレポーターの名前と名簿データをアップ――しようとしたところで、雑談部屋の通知アイコンが光った。


「なんだ……」


 時間的には一時間目の真っ最中だが。

 麻衣はメガネ無しで初めて登校したわけで、早速主に男子から注目を集めていたはず。こんなデリケートなチャットを堂々と行うのは危ない気がする。

 逆を言えば、それだけ緊急を要することなのかもしれない。悪いニュースでなければいいが。


 雑談部屋を開く。




『めぐみんが行方不明だってばれたみたい』




 一瞬だけ頭の中が真っ白になった。

 スマホが手からずり落ちそうになるのを、握力を込めて止める。


 ――失念していた。


 めぐみは旧校舎の建つ丘の中に生き埋めになっている。まず見つかることはない――と、たかをくくっていたのだが……僕はバカか。本人がいなくなれば当然そうなる。


『まだ学校に連絡が来た段階。生徒には知らされてない』


 そんなことよく知ってんな。学校のサーバにアップされた資料でも見たのか。スマホで見れたっけな……ああ、そういえばスマホから見れるよう仕組みを整えたとか言ってたな。

 設定が高度すぎて僕にはできなかったが。


『一人暮らしで両親も放任気味だったのが幸いしたね』


『もしかして気付いてたのか? その場で言えよ……』


『やだねー、わたしは傍観者だもん』


 末尾に音符マークが付いているのがまたいらっとするが、僕の落ち度だ。

 こうしている場合じゃない。他に落ち度が無いか?


 ……無い、はずだ。


 めぐみが誰かに尾行でもされてない限り、校内で消えたことを知る者はいない。仮にいたとしても神隠しにしか見えまい。テレポーターでもない限りテレポートの存在――まして僕らが犯人であるところまで辿り着くはずがない。


 他には、メールのログか。……そこも心配ないな。麻衣の提案で匿名性の強い『捨てアド』サービスを使ったのだ。アングラで犯罪者御用達のツールらしいし、あの麻衣が問題無いと判断したのだから問題無い。

 あとは、スマホの位置を逆探知されたら、とか。

 ……それもありえないな。地中十メートル以上の深さに埋まっているから電波など届かないし、とうにバッテリー切れだ。

 落ち度は無い、はず。


『それより今は授業中だろ? 誰にも覗かれてないだろうな?』


『だいじょぶだよ。覗き見防止フィルム貼ってるから。それに周囲は常に警戒してる。悪さするならこれくらい当然だよ』


 まるで前々から悪事に手を染めていたかのような言い方だが、あながち嘘でもないのだろう。何たって僕をストーキングしてて、初対面で殺そうとしてきて、素人離れした身体能力も持ってて、と闇の深そうな女だからな。

 内面はともかく、用心深さや能力は信用していい。


『ならいい。次の行動について早急に話し合いたいから、昼休憩はすぐに部室に来てくれ』


 本当なら早退したいくらいだが、今日は過剰に目立っている。慎重に行くべきだ。

 あと四人、いや麻衣も含めれば五人も殺さなければならないんだからな……。


「ふぅ……」


 深呼吸して気持ちを落ち着かせる。


 しばらくぼーっと過ごして、抜け漏れが不意にひらめいてくるのを待ってみる。

 ひらめきは大事だ。


 数分ほど待ってみて、何も思い浮かばないとわかったところで、僕は再びスマホに戻った。

 部屋『ターゲット』を開き、判明した四人のテレポーター情報を書き込んでいく。

 さて、こいつらと、あと麻衣か。

 五人のターゲットをどうやって消すか……現時点では策無しだ。


 だからこそ、今からでも考えなきゃいけない。

 ばれることなく人を殺すのが難しいことくらいわかっている。でも諦めるわけにはいかないんだよ。

 僕の平穏が懸かっているのだから。

 それに――既に一人をってしまっているのだから、今更後戻りはできない。


 これは確定事項なんだ。

 テレポートなどという非現実的で、超常的で、人知を超えた能力を手にしてしまった時点で、こうするしか選択肢が無いんだよ。


 僕は平凡だから。

 平穏に生きたいだけだから。

 革命家でもなければ遊び人でもない。心理戦もバトルものもまっぴらゴメンだし、テレポートが白日の下に晒されて権力だの何だのに追われる展開も勘弁願いたい。

 なら、そういったゲームオーバーを起こしうる要因を――テレポートを知る者の全てを根絶やしにする。

 それしか手段は無いじゃないか。


 そうだよ、それでいいんだ。

 そうするしかないんだ。


 ……僕は正しい。


「さて」


 抹殺ゲームはまだまだ終わらない。

 考えること、やることは山積みだ。


 だが僕は天才じゃない。頭の中だけで完結などできやしない。

 直近やること、課題、懸念、現状――いつもどおり僕はスマホでひたすら書き殴り、並び替えて、コピペして、併合マージして、と整理に務めた。

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