13 ブルートフォース

 つまようじのささくれでひりひりする右手。

 握りすぎてじんじんと痛む左手親指――


 ちらりと腕時計を見る。

 四月十七日、月曜日の朝八時。登校する生徒で最も賑わう時間帯。


 顔を上げると、次の生徒がやってきていた。一息つく暇もない。


「マン、ガー、クリア」


 二人通過。


「ガー、ガー、ガー、クリア」


 女三人通過。


「マン、クリア」


 男一人が通過したところで、少しだけ人が途絶えた。

 横目で隣に座る麻衣の手元を覗くと、英語の参考書にサインのような字が走っていた。麻衣曰く筆記体らしい。

 マスターしているだけでも凄いが、もっと恐ろしいのはこれが名前――通行した生徒たちの名字であるということだ。


 僕らは今、一階の渡り廊下前――通称『交差点』そばのベンチに腰掛けていた。

 ここは一階の玄関と各フロアを繋ぐ単一点シングルポイントであり、登校した生徒が必ず通行する場所でもある。

 ここで張り込めば全校生徒を調べられるというわけだ。


 何を調べるかと言えば、もちろんテレポーターである。

 ……くっ、またぞろぞろ来やがった。


「マン、クリア」


 マンは男子、


「ガー、ガー、クリア」


 ガーはガールで女子を指す。


「ガー、クリア」


 クリアとは調査済を示す区切りの言葉だ。


 調査と言葉で言うのは簡単だが、作業的には決して簡単ではない。

 通行する生徒めがけてテレアームをぶつけて、地面まで降ろして、右ポケットに大量に入っているつまようじの破片をつまんでから、左手親指を握り込む――僕はそんな作業をひたすら繰り返している。

 一度たりとも気は抜けない。


 もし照準を間違えて、たとえばうっかり足の中にテレポートさせてしまったら?

 そいつは痛みで絶叫するだろう。騒ぎになるのは間違いない。


 もし破片をつまみ損ねてテレポートしちゃったら?

 言うまでもなく自己テレポートが発動する。僕自身が生徒の足下にテレポートしてしまう。そいつの下半身が僕の身体で上書きされることになるだろう。非科学的な移動。大出血。惨事では済まない。


「ガー、マン、クリア」

「どっち?」


 不意に麻衣がつぶやいた。

 麻衣にはわからない時だけ口を開くよう言ってあるが……何がわからなかったのか。ただでさえ忙しいのにかき乱してくれるな、と一瞬イライラしかけて、「ああ」すぐにその意図を思い出す。

 どの生徒を調べたの? 人が多くてどれかわからないよ? ――と麻衣は問うているのだ。

 幸いにも直前調べた対象は、視覚的に表現しやすかった。


「……ガーはメガネ、マンはデブだ」

「おっけー」

「マン、マン、クリア」


 苛立つな。

 焦るな。

 本鈴が鳴る前までは通行人は途絶えない。むしろ増えてくるだろう。ここが一番の踏ん張りどころだ。


 ……くそ、奮戦したくないと言いつつ、早速してんじゃねえか。

 集中が乱れている間も、次々と登校者が通りがかる。


「マン、マン、マン、クリア」


 怒濤のラッシュ。何人いやがるんだくそ……。


「マン、マン、クリア」


 もう少しペースを上げねば捌ききれない。

 しかしそれでミスするわけにもいかない。

 一度でもしくじれば全てが終わってしまう……。テレポーターであることがばれるわけには絶対にいかないんだよ。

 無理するくらいなら見逃すべきだ。別に今日一日で調べ切らないと死ぬわけじゃないのだから。


「くっ……次の、あの美少――ポニーテールまでは全部スルーだ」

「およっ? いいの? 十人はいるけど」


 麻衣が参考書に目を落としてから訊いてくる。遠目から見たら問題を出しているようにしか見えないし、声量も絶妙な小声。器用な奴だ。


「ミスするよりはマシだ」


 僕とて自信が無いわけではない。一昨日、昨日と二日かけて、しっかりと練習してきたんだ。人の足下に破片を送り込む仕事なら誰よりも速く、かつ正確にこなせる自信がある。


 だが、人は機械じゃない。


 人はミスをする。


「ふぅ……」


 つかの間の休憩だ。僕は玄関を見据えたまま、ブレザーのポケットから両手を出して軽くほぐす。

 目印にしたポニテ女子が少しずつ近づいてくる。あいつから再開しよう――って、ちょっと待て。


「まずい。彩音だ」


 妙に美少女オーラがあると思ったら、うちの幼なじみじゃねえか。

 普段なら遠目でもすぐ気付くはずなのに。何してんだ僕は。


 ……本当にまずいな。

 今日もいつもより一時間は早く登校している。前々から文芸部の朝活と伝えていたが、渡り廊下で二人並んで座るなど、どう言い訳すればいい?

 というか、これってこの作戦そのものの欠陥じゃないか。言い訳を先に考えておくべきだった。何してんだ僕は、いや本当に。


「面白くなってきたね」


 麻衣が参考書で口元を隠しながら笑う。小顔で童顔な麻衣にはそういう笑い方も似合う。野暮ったいメガネのせいで台無しだが……ってそうじゃない。


「何か言い訳考えろ」

「早朝から校内デートしてたとか?」

「やめろ」

「なんで? もう言い逃れできないレベルだと思うよ?」

「ぐっ……」


 顔を隠したまま、僕にだけニヤついた笑みを見せてくる麻衣がしゃくだが、その通りだった。

 僕は目立つの防ぐために、麻衣との関係は学校では秘密にしていたが、今日に限っては皆が通る場所で、二人並んで座ってしまっている。

 こちらが全校生徒をチェックできる反面、相手もこちら側を目撃しているわけで。


 そうこうしているうちに、彩音が挨拶を交わせる距離まで近づいて――あ、目が合っちまった。

 彩音は少しだけ首を傾げた後、つかつかと歩み寄ってきた。


「デート?」

「ちが――」

「そうだよ」


 麻衣が顔を上げて答えた。

 彩音は胡散臭そうに僕らを交互に見た後、「よいしょっと」などとらしくない台詞を吐きながら、無理矢理僕と麻衣の間に腰を下ろしてきた。


「こんな往来ではしたないわね。リア充スポットだって嫌ってたじゃない」


 一階の渡り廊下にはベンチやテーブルが多数配置されており、カップルが利用することが多いため、僕はリア充スポットと呼んでいた。

 今も数組が勉強に勤しんでいる。


「だーりんはリア充になったんだよ。彩姉あやねえとは違ってね」

「彩姉? 私のことかしら?」

「そだよ。みんなは美人って言ってるみたいだけど、ぶっちゃけ年増感が凄いから、お姉さんって呼ぶことにしたの。どう? いいセンスでしょ?」

「いきなり何を言うかと思えば……喧嘩を売っているのかしら?」


 表情に乏しい彩音がぴくぴくしている。

 そんな横顔を見ながら、確かに同年代よりは少し色気が強いよなあ、と思っていると、その美貌が僕を向いた。


「私って老けてる?」

「……美人だと思う」


 棒読みしたら肩を掴まれた。というか握られた。ぐぐっと指が食い込む。握力、普通に五十キロくらいありそう。痛い。


「暴力ヒロインはモテないよ?」

「ダサいメガネよりはマシよ。あなたは知らないだろうけど、瞬にメガネ属性はないのよ。ソースは瞬の部屋にあるラノベ」

「え、彩音、それってどういう――」

「そんなこと知ってるよー。だーりんは美人系よりも可愛い系、貧乳よりも巨乳、大人っぽい下着よりも小中学生の下着が好きだからねー」

「麻衣まで何言って」

「なるほど……どおりで瞬が夢中になるわけね。下手な言い訳をして早朝デートするくらいに」


 二人とも聞いちゃいねえ……。


 ふと視線を感じて交差点を見ると、何人もの生徒が足を止めてこちらを見ていた。

 ……終わった。目立ちまくりじゃねえか。

 ほとんど彩音としか会話しないぼっちの僕が、見知らぬ女子と親しくしているという事実――これはできれば隠したかった。他のテレポーターが見たら、テレポート絡みで近づいたのだと推察される恐れがあったから。


 自意識過剰だろうか? そうではない。

 僕は校内でもそこそこ知られている。なんたってとびきりの美少女で、成績優秀で、体育祭でも大活躍するような有名人の幼なじみなんだからな。一緒にいるあの男は誰なんだ、と入学当初はずいぶんとやっかまれたものだ。

 今でこそ完璧幼なじみの尻に敷かれる情けない男、というポジションに落ち着いているが、知られていることに変わりはない。


 自意識過剰などでは決してないし、だとしても過剰なくらいがちょうどいい。

 これが生死のかかった戦いなのだから。相手がどう考えているかは知らないが、少なくとも僕はそのつもりだ。


 ――テレポーターは全員殺す。必ず。


 自分がやられてしまう前に。

 テレポートが世間に露呈してしまう前に。


 誰だってそう考えるんじゃないか?

 そんなこと考えるのは僕だけ? ラノベの読み過ぎ? こじらせてる? ……知るかよ。

 可能性がある以上、芽は摘んでおくべきなのだ。

 このテレポートという超能力は、あまりにも危険なのだから。

 根絶やしにしなければ、おちおちゆっくりもしていられない。


 そうだ。消すんだ。

 抹殺するんだよ。

 全員を。

 一人残らず。


 と、僕が改めて決意を固めている間も、生徒が続々と交差点を通り過ぎる。

 彩音と麻衣はというと、まだ言葉を戦わせている。

 そんな喧噪をBGMに、直近何をするべきか――僕の頭はフル回転していた。




      ◆  ◆  ◆




「八十一パーセントか……」


 昼休憩。僕と麻衣は部室でエクセルファイルを眺めていた。

 A列に学年、B列にクラス、C列に名前。D列には空欄あるいは『済』が並ぶ。今朝調べた結果である。


「だーりん。エクセルをデータに打ったわたしに言うことは?」

「麻衣様ありがとうございます」

「お礼にだーりんのだーりん触らせろやー」


 手をわきわきさせる麻衣。

 いつものおふざけだから一蹴したいところだが、この件は麻衣にお世話になりっぱなしなんだよなあ。


 今朝、僕は交差点に張り込んで通行する生徒を片っ端から調べた。その際、調べた奴の顔を見て、名前を記録していったのが麻衣だ。

 全校生徒は八百人を超える。名簿データがあるとはいえ、麻衣は全て暗記したのだ。

 しかも手書きで記録した名前をこうしてエクセルファイルに打ち込み、集計できるようにもしてくれた。ITの申し子である。

 と僕が迷っている間に麻衣の手が伸びてきたので、慌てて止めて、


「待て待て。自己テレポートの防御方法を教えただろうが」

「あれは調べた人の名前を記録するお手伝いの報酬だよー。エクセルの件は別。本当なら今もだーりんがヒーヒー言いながら集計してるはずだけど――隙ありっ!」

「うひっ!?」


 僕の大事なところを……しかもまた鷲掴みだ。


「可愛い声出すんだね。もっと鳴かせたいなー」


 優しく揉みしだいてきた。くすぐったいというか、むずがゆいというか、でも変な気分で、元気が出てきそうな……って何してんだ!?

 僕は椅子から立ち上がって後退する。


「……まだ防御は試してないんだよな?」

「うん。必要無いだろうし」


 平然と返しつつも、体勢は捕食者のそれである。


「こ、今週末、試さないか? 海岸デートだ」


 麻衣の動きが止まる。


「海岸? ……海で試すの?」

「違う。砂浜だ」


 僕が答えると、麻衣は目を輝かせて「だーりん素敵!」飛び付いてきた。

 いちいちくっついてくるのはさておき、股間弄りは回避できたようだ。

 それにしてもさすが麻衣、頭の回転が速くて助かる。




 ――自己テレポートの防御。


 麻衣に協力させるために、僕が切ったカードだ。


 めぐみを生き埋めで殺した時のように、テレポーターは自己テレポート先によっては身動きが取れず死亡するケースがある。早い話、テレポート後に左手親指を動かせなければアウトだ。

 僕は『テレポート後に手を動かせる余地』を作り出すアイデアを温めていた。まだ検証はしていないが、価値になると思い、麻衣に提示したのだ。




 麻衣が僕の胸をぐりぐりと突いてくる。その頭を撫でながら、


「麻衣はどうやって防御するつもりなんだ?」

「んー、ミトンを使うつもり」


 ミトン――指なし手袋だっけ。可愛いデザインのやつを女子が着けているイメージがあるが、なるほど、あれなら確かに余地を作れる。


 余地を作るのは簡単で、体に接触させた何かで覆うだけだ。


 自己テレポートした時、服や履き物、ポケットに入っている物まで一緒にテレポートされるのはなぜか。

 またその際、体と服の間のスペースも含めて空間の上書きが発生するのはなぜか――


 少し考えてみると、一つの仮説に辿り着く。

 このテレポートという力は、早口言葉しかり、テレアームというインターフェースしかり、人間が使えるように何かと配慮されている。服などが一緒にテレポートされるのもその一環と考えられる。

 この性質が正しければ、身に付ける物、もっと言えば覆う物を工夫することで、余地を明示的に確保できるかもしれない。そうすればたとえ地中にテレポートしたとしても、さらに左手親指を動かしてテレポートできるから生き埋めになることはない。


 僕はそう考えていた。

 さらに言うなら、近いうちに砂浜で試そうとも思っていた。砂であれば、たとえ左手が丸々埋まってしまっても、動かせなくなることはない。

 ちょうどいい機会だ。麻衣の貸しもチャラにできて一石二鳥だしな。


「ミトンか……悪くないか」

「だーりんはビニール袋を推してたよね」

「別に推してはいない」

「ビニール袋で手を包むのはださいと思うよ」

「……否定はしない」


 しかし本当にいい匂いがするよな、麻衣って。

 香水か、シャンプーか、それとも柔軟剤か。体臭も混じっている気がする。体臭というか、フェロモン……?

 おかげで内心では気合いを入れなきゃいけない。油断しているとちる。

 麻衣が僕に対して性的にオープンすぎることもあって、もし僕が負けたら、あとはもう一直線だろう。

 男として興味が無いと言えば嘘になるが、こいつに依存しすぎるのは危険だ。用が済んで、算段がついたら、さっさと殺してやる。


 名残惜しいが、さらさらの髪から手を離す。


「それじゃ作戦を練るか。あと十九パーセントも残ってるし、教職員もノータッチだからな。週末までに終わらせて、のんびりデートしようぜ……って、なんだその目は」


 いわゆるジト目というやつだ。普通に可愛いから悩ましい。


「だーりんから進んで誘ってくるとは珍しいですな。何か企んでる?」

「……別に企んでねえよ。今朝の一件で、僕らの関係は結構知れ渡ったかもだろ? もう隠すのも無理だろう。なら堂々と恋人らしく過ごそうかって気になっただけだ」


 実際、午前の休憩時間でも僕と麻衣に関する話題がひそひそ発生してたし。


「じゃあデートの後はホテル行こ?」

「なんでそうなる……」

「教室でもだーりんって呼んでいい?」

「できれば控えてほしいが……まあ任せる」

「よっしゃ」


 抱きつこうとしてくる麻衣を両手を押し留めながら、


「いいから作戦を練るぞ。放課後は教職員を調べる」

「どうやんの?」

「宮下先生の出番だ。いいか――」


 僕は作戦の全容を伝えた。

 また麻衣に貸しを作ってしまうかと心配になったが、宮下先生のコントロールは元から麻衣の仕事だからか、麻衣が見返りを要求してくることはなかった。


「だーりんってやっぱ凄いね。もっと大々的に暴れて心理戦とかバトルとかすればいいのに」

「僕は平凡だ。そんな展開になったらすぐにゲームオーバー。だからそうならないよう、この常識にとらわれない想像力で先手を打つんだろ」

「自分で言うかな。ぶっちゃけこじらせてるだけだと思うけど」


 こじらせてるか……そうとも言う。だが短所は長所にもなるんだよ。


 ともあれ、相変わらず麻衣の理解が早くて助かる。

 何よりテレポーターを殺すことについて何の反対もぶつけてこないところが大助かりだ。殺人が絡む行動となれば、普通ならどうしても道徳的なブレーキがかかる。

 僕みたいに冷静に、心を鬼にして行動できる人間はそう多くない。彩音でさえ無理だろう。

 そういう意味では、麻衣と出会い、仲間にできたことは幸運と言える。


 ……しかし裏を返せば、こいつを敵に回したら、それだけ手強いことも意味するわけで。

 そろそろ麻衣の殺し方も検討すべきなんだよなあ。何も思い浮かばないけど。


 食べ終えた弁当箱を片付けていると、予鈴が鳴った。


「それじゃまた放課後にな」

「何言ってんの? 一緒に戻ろうよー」

「……ああ、そうだな」


 今までは目立たないよう少しずらして帰っていたのだが、あんなことを言った手前、もうできない。

 僕は麻衣と一緒に部室を出て、廊下を歩く。


「あまり目立たないようにしてくれよ」

「だーりんっ」


 腕に抱きつくな……。

 また彩音にいじられそうだ。あと姫香も同調しそうだな……あ、そういえば姫香の奴、今日は来てなかったな。


 午前中の間に、うちのクラスについては全員を調査してある。テレポーターは僕と麻衣だけだった。

 今日唯一休んだ姫香はまだ不明なのだが、誰よりも忙しいお嬢様だ。あの紙切れを相手にするはずがない。そもそも八十パーセント超を調べた現時点で、僕ら以外には二人しかいなかったわけだし、単純計算するなら、あと一人いるかいないかだろう。

 もちろん姫香が登校してきたら調べはする。けど心配は要らない……と信じたいが、はてさて。


 麻衣と共に教室に入る。

 本鈴間近だからか、ちらちら視線を向けられる。

 その中には幼なじみの彩音と――姫香。来ていたのか。


「瞬くんと、麻衣ち……麻衣さん? お二人はそういう仲ですの?」


 僕の席は廊下側最前列で、彩音はその一つ隣。姫香はその前で行儀良く直立していた。彩音と話し込んでいたようだ。


「……そういう仲ってなんだ」

「瞬くんが彩音さん以外の女性と打ち解けているのは珍しいですわ。恋仲とお見受け致します」


 彩音が腕を組んでうんうん頷いている。まさか僕と麻衣のことをネタにしてたんじゃないだろうな……。


「僕の何を知っている?」

「尊敬していると申し上げました。瞬くんのことはよく見ていますのよ?」

「天神グループの一人娘にそのような事を仰っていただき光栄にございます」


 僕は姫香を怒らせるつもりで、ぶっきらぼうに棒読みしながら席に着いた。

 朝から何百回とテレポートしてて疲れてるんだ。悪いが姫香の相手をする気にはなれない。


「おい、マジかよ」

「井堂か……」


 教室がにわかにざわつく。……ああ、あの天神姫香を冷たくあしらうのが自殺行為にでも見えたのか。

 ここ美山高校は天神グループの傘下でもある。生徒どころか教員を退学させる力を持っているわけだし、そもそも姫香自身の校内武勇伝も多いからな。無理もない。


「まあ。こちらこそありがとうございます」


 惚れ惚れするようなお辞儀を示す姫香。

 僕だけでなくクラス中が注目したのがわかる。

 ……こいつは確かに規格外のお嬢様だし、スペックも彩音や麻衣のレベルだが、別に厄介な存在ではない。


「天然もここまで行くと清々しいな」

「うふふ、それほどでも」

「褒めてないわよ姫香」


 彩音が嘆息混じりに口を開いた。


「にしても瞬。姫香に対してやけに冷たいじゃない? 彼女ができたから?」


 彼女ができたからというよりもテレポートを手に入れたから、なのだが、もちろん正直に話すわけにはいかない。

 前者はもう隠さないと決めたことだし、ここは少しのろけてやるかと考えたが、彩音の視線は僕ではなく、その隣――さっきから黙って突っ立っている麻衣を向いていた。

 その麻衣と目が合う。


「だーりん。行くね」

「……ああ」


 さっさと席に戻ってしまった。

 テンション低いな。もっとはしゃぐと思ったのだが……もしかして姫香がいるからか? そういえば幼なじみで、学校では口を聞かないようにしているとか言ってたっけな。


「だー、りん……?」


 姫香が意味深につぶやいている。

 彩音が無表情で僕を睨む。

 クラスメイト達も僕を見ている。


 ――はぁ。早速目立ってしまったようだ。


「何こんなとこで突っ立っとんじゃ?」


 と、そこに後方から枯れた声。

 ――数学の横川先生だ。


「……先生。すみません」


 僕らは程なく散会し、間もなく本鈴が鳴る。

 号令を行い、先生が早速黒板に数式を書き始める中、僕は冷静に現状把握に務めた。


 焦ることはない。

 このクラスにテレポーターはいないんだ。多少目立ったところで勘ぐられることはない。気にするだけ労力の無駄。

 唯一の例外は姫香だが、この後、休憩時間か掃除時間にでも、足下に破片を送り込んでみればいい。たぶん白だろう。

 それでクラス内は少なくとも脅威でなくなる。麻衣、彩音、姫香のトリプルな絡みは煩わしいだろうが、適当に流せばいい。

 彩音については、そうだな、本当は恋仲だった、恥ずかしくて部活だと誤魔化ごまかしてた、でも部活も真面目にやっている――こんな感じの言い訳でいいだろ。

 ……よし、問題無い。


 僕は機械的に板書をしながら、放課後の作戦について思考を巡らせていた。

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