11 頼みのプリンセス
もうあの人に怯えることはない。
この世にいないのだから。
私が殺してしまったのだから――
二階堂王介に気に入られたとわかった時、最初はとても嬉しかった。
私――星野めぐみは女優としてはせいぜい二流。対して彼は超一流の大物俳優で、私如きが一緒に仕事できるような存在ではない。少なからず学べることがあったし、お褒めの言葉をいただけたことも光栄だった。
でもそれらは単なる口実でしかなくて。
――君の身体とは相性が良さそうだ。
彼の言葉が蘇る。その表情は普段からは想像もできないほど
――実力行使に出てもいいけど、そういうシチュはあまり好きじゃなくてね。
触られた時の手つきが蘇る。髪の毛、胸やお尻を撫でるのに一切の遠慮も容赦も無くて。
――五百万円だ。援助交際にしては破格の金額だよ。
渡された札束の厚みと重みが蘇る。それでも彼にとってはお小遣いにすらならない金額で。
幸か不幸か、私はお金で貞操を譲れる人間ではなかった。
最初はやんわり断ったけど通じず、あまつさえスルーされ。
周囲に頼っても皆見て見ぬふり、どころか「逆らわない方がいい」と警告されたり「むしろ羨ましい」と話す人までいて。
私がいけないの?
私が潔癖すぎるだけ? わがままなだけ?
……そんなはずはない。
こんなことが許されていいはずがない。
だけど、彼のアプローチは段々強引になってきて、それはまるで実力行使までそう長くはないと言われているようで、私は追い詰められていた。
そんな時だったのだ――妙な紙切れと出会ったのは。
「赤巻紙青巻紙黄巻紙。この早口言葉を三千回唱えよ。さすれば超能力を授けん……なんだこれ」
口を封鎖していたポストを掃除しようとして、中から出てきたのがそれ。私は独り言を言うタイプではないけれど、その時ははっきりと口に出た。
早口言葉とやらを、その場で口ずさんでみる。
噛んだのには苦笑した。女優なのに。
練習すれば気も紛れると思い、私は紙切れを持ち帰ってから早速唱えた。
二階堂王介を頭から追い出すように、何度も、何度も。
繰り返すうちにスラスラ言えるようになって、言葉の響きもどこか心地良くて、珍しく何時間とのめりこんだ。
我に返ったのは、お腹から黒い腕が生えた時だった。
それを現実として受け入れるのに更に数時間はかかったと思う。
あまりに突拍子なことで、しかも現実離れしているからか、実感は湧かなかった。
家で文房具や冊子をテレポートさせてみて、本当にテレポートできたのにはびっくりしたけれど、それでも湧くことはなかった。
湧いたのは、あの時。
持参した、小さな粒チョコを、彼に。
彼の脳内にテレポートした時だ。
出来心のつもりだったのに。
こんなことで本当に殺せたら苦労はしない。そもそも殺人に手を染めるつもりも毛頭無くて、ただ本当に、ありえないだろうけどもしかしたら、という軽い気持ちで試しただけなのに。
私の手元からチョコレートが消えて。別室からどさっと何かが倒れる音が聞こえて。直後、「二階堂さん!」と呼び掛ける大声が聞こえてきて、足音が集まってきて。
小休止中だった撮影はそのまま中止になった。
身じろぎ一つしない彼の死体。外傷がなくて、寝ているようにしか見えないそれは、決して生理的に気持ち悪いものではなかったはずだけど。
私は、盛大に嘔吐した。
――私が殺したのだ。
出来心? 何を言っているんだろう。
わざわざ小さな粒状のチョコを選んでおいて? 物体のテレポートも練習しておきながら?
そうだ、私は確信犯だ。彼が死ぬだろうとわかっていながら、自分の意思でやり方を考えて、試したんだ……。
それが水曜日の早朝にあったこと。
次に私が目を覚ましたのは夕方のことだった。
私は実家にいて、お母さんが看病してくれていた。
どうやらあの後、気を失って倒れたらしい。仕事の疲労と、目の前で人が死んだショックとが重なったせいだろうと。撮影もしばらくは無いだろうからしっかり休んでくれ、と。そんなマネージャーからの伝言を聞いて、私は素直に甘えることにした。
半日倒れていたおかげで体調は快復したらしい。今後について冷静に考えることができた。
私が最初に思ったのは、テレポーターは他にもいるんじゃないかということ。
確か説明書の宛名にも美山高校と書かれていたはず。学校に行けば他のテレポーターにも会えるかもしれない。
「お母さん、明日学校に行くよ」
気付けば私は主張していた。
「無理しなくていいのよ?」
「ううん。じっとしてても腐りそうだから。学校の方が気分転換になるよ。友達にも会いたいし」
心配してきたお母さんがあっさりと引き下がる。
嘘はついてない。ないけれど、本当の目的は別にあった。
私はこの力を一人で抱え込める自信が無い。
テレポート。二階堂王介ほどの人物を軽々と殺せてしまう力。
手を汚さないからか、殺した実感や罪悪感にも欠ける。事実、私は既に平然としている。といっても今週中くらいは夢でうなされそうな気がするけれど、とにかく、この能力は危ない。
誰かに相談したいところだけど、何かに巻き込んでしまうのでは、という嫌な予感があって、気が進まない。
学校に行けば、友達がいる。気が紛れるだろうし、何かテレポートに関する情報が得られるかもしれない。
翌日、木曜日。私は早速学校に行く。
学校中が二階堂王介の急死で盛り上がっていて、共演者である私にクラスの男子達が殺到してきて正直
今年も同じクラスになれたのが嬉しい。色々と喋りたかったけど、私はテレポーターの件が気になっていた。
どうすれば会えるだろう、どうやって探せばいいんだろう?
私はツブヤイターをチェックしながら、そんなことばかり考えていた。
ふと、このクラスにもいるんじゃないかと思って、クラスメイトの人間観察に勤しむ。男子からチラチラ見られているのはいつものことで、特に気にならないはずなんだけど、二階堂王介からセクハラを受けていたからだろう、いつもより不快感が強かった。
早いこと探したいんだけど、どうすれば……と悩んでいるうちに昼休憩が来て、午後の授業が始まって、体育で汗をかいて、更衣室で着替えた後に何気なくツブヤイターをチェックすると――新着メッセージが一件。
『私はめぐみさんの大ファンです。信じられないことに、めぐみさんは同志であることがわかりました。一緒にお話しませんか? よろしければご連絡ください。メールアドレスは――――です。誰にも言わないでくださいね? 黒き腕を持つ者より』
大した知名度でもない私でもこういうメッセージはたまに受け取る。いつもどおり深く考えずにスルーしようとして、
「黒き腕……」
思わず声が漏れた。
『黒き腕』がテレポーターを示唆する言葉だとしたら? しかもこのタイミング――相手は私がテレポーターだと知っていて、接触を望んでいる、ということ?
「どしたのめぐみー?」
顔を上げると、更衣室に残っているのは私だけだった。
部屋の外にはクラスメイトと、見知らぬ男子たち……は掃除当番か。
「ううん。行く行く」
入れ違いに更衣室を出て、友達と並んで歩く。
普段なら何見てるのと話しかけられるところだけど、今日の私はお疲れモードだと扱われていて、そっとしてもらっている。ありがとう、と声に出すと会話が始まりかねないので、心の中で。
それからどう返事を出すか考えているうちに掃除時間、ホームルームが終了し。
放課後、私は図書室に移動してから返事を出した。
『星野です。ご連絡ありがとうございます。失礼ですが同じ学校の方ですよね? 証拠として生徒手帳を映した写真を送っていただけませんか? 黒い腕の正式名称を記入した紙も併せて映してください。顔写真や名前などは隠していただいて結構です。疑うようで申し訳ありませんが、よろしくお願いします』
無難に丁寧語で。でも少しだけ強気に。念のために証拠要求も。
返事はいつ来るかな。今日中に来る保証は無いけれど、なんとなくすぐ来そうな気がする。
とりあえず集中しなくても読めそうな本を適当に集めて、しばし読みながら待つことにした。
スマホが振動する。返事が来ていた。
添付された画像を開く。
映っていた生徒手帳は――二つ。顔写真と名前は隠されているけど性別欄は見えていて、一つは男、一つは女。さらに『テレアーム』と書かれた丸文字も映っている。文字、手帳の並べ方、下に敷かれたポップなハンカチ、と全体的に女の子らしさが目立つ。二人はカップルなのかもしれない。彼女が主導して楽しそうに撮影する様子が目に浮かんだ。
良かった。これなら安心できそうだ。今すぐにでも会ってみたい。
……もしかしたらまだ校内にいるかも。
『ありがとうございます。写真を拝見させていただきました。この後はいかがされますか? 私はまだ校内にいますので落ち合うのも可能です。中庭はいかがですか?』
中庭は人通りが多く、放課後もそこそこ賑わうけど、ベンチやテーブルもあるためゆったり話し込むのにも適している。
一度そんな放課後をおくってみたかった、という個人的理由はおいといて、
次の返事は数分と待たずに来た、のだけれど……事態は思っている以上に深刻らしかった。
テレポートが内の者にばれそうになっていること。
監視もついており、迂闊な事ができないということ。
校内で堂々と会えば間違いなく怪しまれ、最悪私にも尾行が付けられるということ。
そんな中、目を忍んで他の人と接触する場所と方法を何とか整えたこと。あえて不便なメールを使っているのもその一環だということ――
どうやら相手はそういう家柄らしい。
遠回しに探りを入れてみたら、すぐに回答をもらった。そもそも本来ならお嬢様学校に通うはずだったのに、無理を言ってここに通っているという経緯があるんだとか。
お嬢様か……。
真っ先に思い浮かぶのは――
最初に届いたメッセージを見る。この時刻は体育の真っ最中だ。
天神さんと私は同じクラスで、一緒に体を動かしていた。メッセージを送る暇など無かったはず。
そうなると他クラスか他学年にもお嬢様がいる……? 女優の私も通っているように、ここ美山高校は何かと特別な生徒が多い印象があるから、別に不思議ではないけれど。
そんな推測を交えつつ、私達は、たぶん一時間くらいメールのやりとりを続けていた。
『所用がありますので今日はこの辺で。明日は昼休憩と放課後以降ならメールできます』
『わかりました。最後に一つだけ。お名前をうかがってもよろしいですか?』
早く会いたくて、知りたくて、つい先走ってしまった。
『すみません。学校で怪しまれるわけにはいかないので今は伏せます。明日校内で顔を合わせられるよう調整しますので、その時のお楽しみということで許していただけないでしょうか? メールではプリンセスとお呼びいただければと』
ところどころに絵文字が入っている。お互いにだいぶ敷居は下がったと考えていいのかな。
『はい。では楽しみにしております』
私もスマイルの絵文字を付けて返信した。
しばらく待って、返事が返ってこないことを確認して図書室を出る。
道すがら、ふと思った。
そういえばプリンセスさんはどうやって私がテレポーターだとわかったんだろう。
◆ ◆ ◆
「ふわぁ……」
次の日、金曜日の昼休憩。私は中庭のテーブルに陣取っていた。
……眠たい。昨日は夜遅くまでテレポートの練習をしていた。そうでもしないと思い出しちゃうから。二階堂王介を――私が殺したという事実を。
そして自己嫌悪に襲われる。殺人犯のくせにのうのうと生きてていいのか。自首するべきじゃないのかと。
売店で買ったばかりのパンを食べながらメールを開くと、プリンセスさんから一通届いていた。
話題はテレポートに関する事で、私の知らなかった性質がたくさん書かれている。テレアームは最大三十メートルまで伸びるとか、普通の腕みたいに筋肉痛の概念があるとか……どおりでテレアームがだるいわけだ。
『ひとまずこんなところでしょうか。テレポーターとして知っておいて損はないはずです。続いて今日の顔合わせについて展開しますが、その前に注意点を先にお伝えします』
メールはそこで終わっていた。すぐに続きが送られてくるんだろうけど、私は待ちきれずに、割り込みを入れてしまった。
『そういえばプリンセスさんは、どうして私がテレポーターだとわかったのですか?』
返事はすぐに来た。
『テレポーターかどうかを判別する方法があるんです。といってもかなり煩雑な手順で、正直書くのが辛いので割愛させていただきますが、女優の星野さんが珍しく登校していると知り、興味本位で判別してみたんです。そうしたらまさかのビンゴでして。こう見えて、実は星野さんのファンだったりします。この後お会いしたらサインをいただきたいなあと思ったり』
サイン、か……。私はもはやそんな人間じゃないんだけどな。
プリンセスさんは私の脱線にも丁寧に答えてくれているのに、私の指は止まらない。
『もし仮に、テレポートで人を殺めたとしたら、どうするべきだと思いますか?』
送信ボタンを押してから苦笑する私。突然にも程があるし、これでは私が犯してしまったと言っているようなものだ。
心臓がどくどく脈打っている。そわそわして、冷静に座っていられなくて、パンを口に詰め込むことで気を紛らわせた。
咀嚼も十分じゃないままうっかり飲み込んでしまって、詰まらせて、ゲホゲホ言いながら冷めたコーヒーを流し込んで……何してんだろう私。
ため息をついたら、ちょうどスマホが震えた。……来た。
『一般論を言えば自首するべきですが、個人的には違うと思っています』
……自首、しなくていいの?
『テレポートの存在を
自首しなくていいんだ。このままでいていいんだ――
スクロールして本文を読み進める毎に納得感が増していく。殺人を犯した事実に変わりはないのに。
自分勝手な解釈だとはわかっている。
それでも嬉しかった。救われた気がした。
……会うのが楽しみだ。
『いえ、謝りたいのは私の方です。先ほどから流れを乱してしまい、申し訳ありませんでした。続けてください』
それからプリンセスさんの連投が続く。内容は、私達の顔合わせについて。
日時か……学校限定なら最短で今日の放課後。ここを逃すと来週の月曜日。
今日は特に予定無しだけど、実際に顔を合わせるのには、やはり覚悟が必要で、今すぐは避けたいのが本音だった。
『週末にプライベートで会うことは可能ですか?』
『すみません。週末の方が拘束が厳しいんです』
お嬢様は大変そうだ。仕方ない……。
『わかりました。では今日の放課後、覚悟が決まったかどうか連絡します』
そう締めくくって私はスマホをしまう。
覚悟か……本音を言えば怖いんだけど、すぐ会いたいのも事実で。……うん。
『覚悟を決めました。放課後会いに行きます。詳しい場所と日時を教えてください』
私は放課後を待たずして送信した。
放課後。
私は荷物を教室に置いたまま指定場所――特別棟一階の女子トイレにやってきた。
トイレ前は行き止まりで窓も無い。なるほど人目につきにくい場所ではある。
誰にも見られてないことを確認してから中へ。人の気配は無いけど、一応全ての個室と用具入れも見ておく。
……異常無し。
一番奥の個室に入ってから鍵を閉めた。
「ふぅ……」
私は今からプリンセスさん達の居る場所――旧校舎に行く。
旧校舎と言えば私が入学した一年前からずっと閉鎖されているけど、テレポートを使えば入れるらしい。出入りするためのルートがいくつか開拓してあって、その内の一つがこの個室なんだとか。
スマホを取り出してメールを読み返す。
『テレアームをトイレレバーの位置から垂直に降ろしてください。十メートルくらい降ろしたところにビー玉が埋め込んでありますので感触で確認してください』
昨日、というより今日の早朝前まで練習したおかげで、この程度は造作も無い。
テレアームを指示通りに降ろしていく。すり抜けた感触全てがリアルタイムに伝わってくる。鉄製のレバー、トイレの床、コンクリート、水道管らしきパイプ、それから土……。
ビー玉らしき感触は一発では見つからず、何度か降ろし直してみた。
四回目。硬質な土の世界とは異質な、つるつるした感触を発見。そんな物体が真横に何個も並んでいて――これだ。
テレアームをうっかりずらさないよう意識しつつ、スマホをスクロールする。
『ビー玉は矢印を表すように埋め込んであります。矢印がどの方向に向いているかを感触で把握してください。その後、テレハンドをその方向へと向けます。人差し指で指差すような形で良いでしょう。テレハンドはそのままに、今度はテレアームを、地面と平行になるよう、旧校舎側に目一杯伸ばしてください』
『要するに、ビー玉矢印の指す方向を指差した状態で、テレアームを旧校舎側に、地面と平行になるよう伸ばす、ということです。アバウトでいいですよ』
手探りで周辺の感触を調べる。
……意外と難しい。油断しているとすぐに土の世界に逆戻りだ。
三十メートルまで伸びるだけあって、要求される精度は結構シビア。たとえるなら米粒の中から同サイズの金属片を探すような感じ。
内心を言えば、こんな面倒くさいことはせずに今すぐにでも会いたいけど、これも用心のため。さらにプリンセスさん曰く『星野さんはテレポートを知らなすぎる』と。手厳しい。
数分ほど格闘してビー玉の位置関係を完全に把握できた。
確かにビー玉で矢印が表現されている。緩やかに斜め上を向いていた。
どこに向かっているのだろう、と脳内で校内マップを描いてみてピンと来た。旧校舎だ。
旧校舎は現校舎よりもやや高い位置、小さな丘の上に建っている。丘の内部から入っていくルートなのだろう。もぐらみたいだ。
指示通り矢印の指す先をテレハンドで指差し、それからテレアームを伸ばす――というより平行移動させるイメージかな。まっすぐ動かせている自信は全くないけど、アバウトでいいから大丈夫。たぶん。
……ここまではいいとして。
『伸ばしたら、右手親指を握って自己テレポートしてください。すると地中に移動します。ひんやりとした、狭いところですが、問題ありません。最初はびっくりされると思いますが、地中はそんなものです、落ち着いて下さい』
『この時、テレハンドは動かさないようにしてくださいね。いわばコンパスですから。これを失うと迷子になっちゃいます。といっても心配は要りません。テレポートがあればどこにでも出られますし、旧校舎裏の林であれば、誰かに見られることもないでしょう。私も迷ったら林に出るようにしています』
『地中で落ち着いたら、今度はテレアームを地面からちょうど四十五度だけ上げて下さい。真上まで上げるのが九十度、そのちょうど半分の角度です。上げたら、もう一度テレポートを行います』
『二度目のテレポートもできたら、おそらくテレハンドが虚空を捉えているはずです。そこは既に旧校舎を指しています。三度目のテレポートを行い、旧校舎に到着します』
解説が長くのも仕方ないと思える。
自己テレポート。
物体ではなく自分自身をテレポートさせるということ。
私は怖くてまだ一度も使えてないけど、これを今からやらなきゃいけない。
『もし虚空を捉えていなかったら、周辺の空間を少し探ってみてください。校舎の内部らしき構造になっているとおわかりいただけるかと思います。うっかり壁や地面を消しちゃわないよう、微調整して入ってきてくださいね。かくいう私も失敗してて、不自然な穴が既にいくつかありますけど』
末尾に『(苦笑)』と付いている。この表現、久々に見た。
『手順は以上です。非常にお手数おかけしますが、テレポーターとしてこの程度は操れて然るべきなので頑張ってください』
……怖がることはない。
テレポートされた物体は、必ずテレポート先の物体を上書きする。自分が傷付くことは無いどころか、テレポート先の空間を確実に確保できる。
だけど、それでも、えいやと握れるほど私は強くない。
この親指を握れば、私は身体を丸ごと瞬間移動する――そう考えると鼓動が早くなる。得体の知れない恐怖に心臓を突かれているみたいだ。
親指を握ろうとして、握れずに緩めてはメールを読み返す。
また握ろうとして、やっぱり握れなくて、メールを見て……そんな傍からは茶番にしか見えないような行為も、私にとっては大真面目。真面目に怖い。
だけど握らなければ先に進めない。どうしよう……。
悩んでいるうちにテレアームがプルプルとしてきた。普通の腕と同じように疲れるんだっけ。言うなれば今はずっと腕を上げているようなものだよね……意識すると急に疲労感が押し寄せていた。
「うぅ……」
ここでテレアームを収めたら、また最初からやり直しだ。
精神的にも、当分後を引いちゃう気もするし……やるしかない。
壁にもたれて、天井を見上げて。
「あっ」
そうだった、間違ってテレポートしちゃわないように右手を空けておかないと。
スマホをポケットに入れた。
手順を復唱して。
目を閉じて。
親指を内側に曲げてから、強く握り込んだ。
――え?
体が丸ごとテレポートしたのは肌でわかった。
けれど、この凄まじいまでの息苦しさは何だろう。まるで生き埋めにされたかのような。
「ッ!?」
目が開かない。
指が動かない。
口はかろうじて開いたけど、直後、入ってきたのは……土?
思わず叫ぼうとして、声が出ない。
喉も……動かない!?
ぞくりと。
今まで味わったことのない悪寒が私を貫いた。
テレアームがめちゃくちゃに動いている。
一方で、左手の親指はぴくりとも動かない。動かせない。
脳が、精神が、爆発的な勢いでパニックに陥っていくのを自覚する。そんな、思考もままならない中で、唐突に理解した。
そっか。私は――
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