6 実験台
特別棟の隅に位置する化学準備室。
更にその隣にあるのが、僕らが部室として居座る空き教室だ。
ただでさえ校内の
今はカーテンも閉め切っており、息苦しいまである。
換気したいところだが、そうもいかない。話題が話題なだけに。
「とりあえずテレポーターが何人いるのか、分母を知りたいところだ」
「学校関係者なんでしょ? 千人もいないよ」
「テレポーター候補じゃなくてテレポーターだ。僕たちが始末するべきテレポーターが誰なのかってことを確実に把握したい」
テレポーターに覚醒するためには、例の紙切れに書かれた早口言葉を三千回唱える必要があるわけだが、そんなことに挑む物好きはそうはいない。
また、覚醒後に出現する説明書によると、紙切れは美山高校の関係者にしか配布されていない。
このことからテレポーター候補が美山高校の関係者であり、かつその中から何人かは知らないがテレポーターに覚醒する可能性があるのだとわかる。
「だが厄介なのは、誰がいつ覚醒するかわからないってことなんだよなあ……」
「わたしは今日の午前零時くらいだよ。だーりんは昨日の午前だよね。わざわざ始業式までサボっちゃって、ホントこじらせてるにも程があるよね」
「洞察力に優れてると言え」
僕は紙切れの現れ方が不自然であることに気付いたため、超常的な代物だと判断して即座に早口言葉に応じたわけだが、麻衣はどうなのだろうか。
他の生徒や教員に関してもどうだろう?
……先に他の人がどのように紙切れと出会ったかについて調べた方がいいか? でもどうやって? 聞き込み? 下手に動けば怪しまれないか? 僕みたいにテレポーターを始末しようとする奴がいないとも限らないわけで。
「ねえねえだーりん、いつ覚醒したかって知らないといけないことなの?」
「ん、ああ、そうだな。必要だ」
僕はいったん手で制して会話を中断し、言いたいことを頭でまとめてから、再び口を開く。
「たとえば今日と明日で学校関係者全員を調べて、テレポーターを全員発見したとしよう。その後、明後日以降になって新たに覚醒した奴がいたらどうなる? そいつを討ち漏らすことになる」
「あーなるほどねー。でもあの紙切れ、チャレンジする人はだーりんやわたしみたいに早々にやるだろうし、やらない人は永遠にやらないと思うよ」
「僕もそんな気はするが、保証はない」
胡散臭い紙切れをいつまでも所持しておいて、一ヶ月後や一年後に三千回唱えるというケースは考えづらい。が、ありえないことでもない。
「うーん、覚醒にタイムリミットがあれば理想なんだが――いや待て」
そういえばそんなルールがあった気が……。
僕はスマホを取り出し、まとめておいたルールメモを開く。スクロールを繰り返し、やがて該当の項目を発見。
「これだよ麻衣」
僕は麻衣のそばに移動し、机にスマホを置く。
「ふむふむ……インストーラーは提供から四日後に効力を失う――これ?」
「ああ。インストーラーってのはコンピュータ用語で、ソフトウェアとかゲームを文字通り
「あの紙切れだね」
「そのとおり。つまり四日経てば、もうテレポーターには覚醒できないってことだ」
僕は麻衣の目の前にあるパソコンを操作し、ブラウザを立ち上げる。スマホで使っているチャットサービスのPC版ホームページを開き、ログイン。機能として備わっているカレンダーを呼び出した。
「にしてもびっしり書いてるねー」
「人のスマホを勝手にいじるな」
「しゅごいしゅごい」
「感心してる場合かよ。説明書が時限式で消滅するんだから全部メモするしかないだろう? 超常現象の説明だぞ? 逃したら二度と手に入らないんだ」
「くそまじめー」
痛い痛い。僕のスマホで頬をぐりぐりするな。
横目で麻衣に不満を表明しつつ――全く効果無しだが――カレンダーに出来事を書き込んでいく。
「これを見ろ麻衣」
インストーラー――あの紙切れが出現したのが始業式の日だとすると、四月十日の月曜日だ。
それから四日後は十三日の木曜日。
「この後、十四日の金曜日以降なら新たにテレポーターが覚醒しない。探すのはこの日からだ」
「なるへそ。まだまだ余裕ありますな」
麻衣はまだ僕のスマホをいじっている。連絡先一覧を表示しやがった。「え? 家族と綾崎さんだけ?」ほっとけ。
「余裕は全く無いぞ。一番肝心な事が決まってない」
「テレポーターかどうかをどうやって判別するか?」
「そうだ。わかってるじゃねえか」
「脳みそに物体送ればよくない?」
「前言撤回。わかってないな」
テレポーターは物体を指定位置に送り込むことができる。そこに何があろうと、誰が居ようと関係が無く、どころか元々あったものを消滅させる。
しかし例外があって、テレポーターの体内にはテレポートさせることができない。
つまり麻衣が言っているのは、物体が脳みそにテレポートされれば白だし、されなければ黒だということなのだが。
「それだとテレポーターじゃない奴が死ぬだろ。学校関係者全員を調べたら死体の山が築かれてしまう。史上最悪の殺人犯として歴史に名を残すことになるぞ」
「いいんじゃない? だーりんカッコいいし」
よくねえよ。お前の頭はどんだけお花畑なんだ。物体を送り込みたい気分だぜ。
「第一何人も死ねば他のテレポーターにもばれてしまう。逃げられたらおしまいだ。いいか、美山高校の関係者ってところがポイントなんだ。外に逃げられたら、僕たち一介の高校生には為す術がない」
「そうかなあ? 権力者とか脅せば簡単に捜索できると思うけど」
「権力者を脅すこと自体が危ないだろ。もし超能力がバレでもしたらどうする。それこそ終わりだ」
そもそも権力者を脅すこと自体、一高校生に成せることではない。こいつはできるのかもしれないが。
「隠密に行動するのは大前提なんだよ。この高校のテレポーター達が油断しきっている間に、一気に殺す。そうするしかない」
「おー、怖い怖い」
僕の熱弁とは対照的に、麻衣はテレポートで遊びながら口を動かしていた。
さっきから小銭を空中にテレポートさせては、落ちてくるそれをキャッチし、またテレポートさせ……ということを繰り返している。
慣れた手つきだ。僕ももっと練習せねば。
「あとはスピードだな。悠長にしてると他のテレポーターが行動を起こすかもしれない。あるいはドジってテレポートが世間に知られるケースも考えられる。最悪なのは、目立ちたいからと自ら晒し者になるバカの存在だな。その可能性も考え、ニュースには目を光らせておこう。あと生徒が使ってるツブヤイターも見ておきたい」
再びパソコンに向き直り、チャットサービス上で新しい部屋をつくる。部屋名は
部屋に入り、TODO記法で『ニュース』『ツブヤイター』と書く。すると各メッセージがチェックボックス付きで表示された。
「なんか使いこなしてるねだーりん」
「ああ。こういうことは形に残さないと忘れちゃうからな」
「覚えればいいのに」
「僕は賢くないのでな」
「紙でよくない?」
「保管が面倒だ。誰かに見られるリスクも高い」
「めんどうくさいね」
そこだけは全面的に同意する。本当なら僕だって今頃ラノベを読んでいるところなのに……。
まったく、どこのどいつだよ、こんな危ない能力を寄越した奴は。今も僕たちを観察してんだろうなあ。わかるはずもないが。
僕はもう一つ書き加える。
『テレポーターの殺し方』
「――どういうこと?」
麻衣が食いついてきた。テレポートした小銭がそのまま地面に落ちる。せめてキャッチしてから来いよ。
「ああ。テレポーターにはテレポートできないだろ? なら殺し方を考えなきゃいけない。まさかナイフを持って近づくわけにもいかないからな」
「だーりんがチキンなのはわかったけど、それでどうするの?」
「チキンじゃない、慎重と言え。これはすぐには思いつかないだろうから、とりあえず書いておくだけだ。それよりも真っ先にやるべきことがある」
首を傾げて続きを問うてくる麻衣に対し、僕は答えた。
「少しだけ実験台になってもらうぞ」
「お医者さんごっこ? いいよ」
「よくねえよ。服脱ぐな。机に手を置いてくれ」
お手本として僕が置くと、その上に麻衣の手が重なってきたので僕は手を引き抜き、さらに麻衣の上に重ねた。
「いいか、動かすなよ?」
強めにバシバシと叩いて周知させた後、僕はリュックから筆箱を、その中から消しゴムを取り出してから右手でつまんだ。
続いてテレハンド――テレポーターに備わっている第三の手を右手に重ねて、全く同じ形になるように曲げる。
そのままテレハンドを水平移動させ、麻衣が置く手の甲と同位置に合わせる。最後にテレハンドを真上に動かして、天井近くまで離す。
「わくわく」
言いながら上半身を揺らす麻衣。少しはおとなしくできないのか……まあ手はそのままなのでよしとするか。いちいちツッコんでたら先に進まない。
僕は左手の親指を内側に曲げ、強く握った。
「いたっ」
つぶやいたのは麻衣だ。
消しゴムが手の甲に落ちたのである。
「この距離ではまだテレポートできるみたいだな」
「……あー、そういうこと」
両手をぽんと叩く麻衣。動かすなっての……。
「そうだ。テレポートできない距離が体内限定とは限らないだろ? もしテレポートできない距離――ああ、長ったらしいな、『ガード
「相手の体を傷つけずに判別できる!」
「そういうこと」
「だーりんすきっ!」
だから動くな。抱きつくな。さりげなく頬にキスするな。
「愛情表現だよう」
「真面目な実験だから。ほら、手を置いた」
何とか麻衣を言い聞かせて実験を続行する。
実験は思いの外、早く終わった。
何度か消しゴムのテレポートを繰り返したところで、早くもガード範囲の境界と接触。その後も物差しを使って距離を測ってみたり、なぜか正確に目測できる麻衣の力を借りたりして、色んな条件を試して。
「……こんなところだな」
僕は麻衣にお願いして、チャットに実験結果を書き込んでもらっていた。アニメで見るようなスピードで結果がタイプされていく。
ガード範囲とはテレポーターがテレポートされてくる物体を受け付けない空間的範囲のこと。
ガード範囲は身体から五十センチ離れた空間まで設定されている。
範囲は身体のどの部分からも有効で、テレポートした物体が一ミリでも? 範囲に触れていた場合はテレポートが実行されない。少なくとも一センチ以下であることは間違いない。
五十センチの起点は皮膚? 少なくとも髪の毛は起点にはならない。言い換えると髪の毛にはテレポートさせることができると思われる(もちろん範囲に接触しなければの話。まだ試してない)――
不明確な箇所にはクエスチョンマークを付けてもらったが……まあこれくらいわかれば十分だろう。
ちなみに麻衣が「他の毛も調べてみようよ!」と言いながらスカートを脱ぎだしたのにはさすがにびっくりした。もちろん全力で制止。理性が保つ自信はあったが、気が散らない保証は無いからな。
……ふう、とにかく、これでテレポーターかどうかを判別する方法はわかったことになる。
体内よりも外側で、かつガード範囲よりも内側――その範囲内に物体をテレポートさせてみればいい。
テレポートされたら白。そいつはただの人間だ。
テレポートされなかったら黒。そいつはテレポーターであり――始末の対象だ。
「よし。あとはどうやって関係者全員をチェックするかだな」
「全校集会は?」
「いきなり物体が出現したらおかしいだろ。そもそも隣の奴ならともかく、離れた奴にはテレアームが届かない」
そういえばテレアームを伸ばせる限界距離もまだ調べてないな。感覚的に二十メートルはある。三十メートルは、どうだろう。値が大きすぎてピンと来ない。
一応TODOリストに書き加えておく。
「じゃあ教室」
「うーん、確かに全員が射程範囲内ではあるが、物体が突然現れる怪奇現象を見られることに変わりはないな」
「こそこそしてると不便だねー。ごそごそ」
「どこ触ってんだ」
「だーりんのおちん――」
変態の手をはね
「ちなみにテレアームでも触ってるよ」
「そんな気持ち悪い自己申告は要らないんだが……」
恐ろしい使い方をしてくれる。
思えばテレアームは自分以外には見えないし、いかなる物体も透過するし、触れた感触は伝わってくるしで、変態には打ってつけの器官でもあるんだよな。お前の胸や尻も触ってやろうか……いや気が散るからやめよう。
さて、一番難しいのはここからだ。
「学校関係者全員を素早く、かつ漏れなく調べられる方法があればいいんだが」
「そんなのあるわけないって」
「ないのは当然だ。テレポーターを判別するだなんて仕事を経験するのは、人類で僕らが初めてだろうからな」
「わたしも含むの?」
「当たり前だろ。一緒に抹殺ゲームで遊ぼうって言ったじゃないか」
「えー」
麻衣が僕に身体を預けてきた。ちっとも加減していないようで結構な重みが肩にのしかかっている。
「だーりんばっかりずるいっ!」
「んなことはねえだろ。僕のファーストキスを奪いやがって」
「どうせ童貞なんだからいいじゃん」
「童貞だからこそだよ。いいか、僕はラブコメもたくさん読んでる。こじらせてるんだ。ファーストキスにはただならぬ憧れがあったんだよ。それをお前にあっさり奪われたんだ。この気持ち、わかるか?」
「わからないし、きもいと思う」
「だろうな。否定はしない」
本当はファーストキスも童貞もどうでもいい。いや、面と向かって言われるとむっとする程度には気にするけど、麻衣に捧げるならそれも十分アリだと思う。中身はともかく、外見もスタイルも人並以上なのは間違いないし。
僕が心配しているのは、ここで無闇に麻衣に依存して溺れることが果たして正しいかどうか、ということだ。
仮に、僕が今ここで麻衣の誘惑に全力で乗っかり、あまつさえセックスが始まったとしたら。
僕と麻衣は今後ただれた生活をおくることになるだろう。それはそれで正直言って興味はあるが、その先にはバッドエンドしか見えない。
麻衣に恋人関係を持ちかけたのは僕だ。
僕のストーカーで、僕では歯が立たないほどの戦闘力を持っていて、おまけにテレポーター。こんな奴を野放しにはしておけないし、敵として相対するのもまずいし、そもそもリアルに殺されそうでピンチだったこともあって、味方として取り込むしかなかった。
その際、僕が利用したのが、こいつが持つ僕への執着と、退屈を解消してくれる刺激への渇望――この二つだ。
僕が麻衣と肉体関係を持ってしまうことは、言わばそれら二つを急速に推し進めてしまうことに等しい。
こいつの狂気は既に知っている。飽きたからという理由で僕を殺すこともありえなくはない。
飽きられたらアウトなのだ。
飽きられないように麻衣と付き合い、殺せるチャンスをうかがい、期を見て殺す――これしかない。
そもそも僕には、麻衣と一緒に生き続けるつもりなど毛頭無いのだから。
「まーいいや。それでこそだーりんだもん」
「ひっつくな。
片腕に抱きつかれているせいでキーボードを打ちづらいったらありゃしない。
その腕は心地良い感触に包まれて――というか故意に押しつけられているわけだが、うっかり呑まれないように気を付けねば。
その後も下校時間ギリギリまで粘ったが、良い策は全く思い付かなかった。
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