5 意図せぬ一目惚れ

「それじゃ帰りの号令は……井堂いどうだな」

「はい」


 僕は立ち上がってから号令をかける。


「起立、礼」


 こうした方が視覚的に訴えやすく、声量が小さくても一発で通りやすいのだ。

 間もなく喧噪が訪れ、クラスメイトがぞろぞろと退室し始めた。僕も帰ろうかというところで、


「帰るわよ」


 当たり前のように話しかけてきたのは隣席の幼なじみ――綾崎彩音あやさきあやねだった。


「今日はパスで。図書室寄るから」


 僕はあらかじめ考えていた言い訳をなぞる。

 この後は麻衣とテレポートについて話し合う予定で、昼にも使った空き教室で落ち合うことになっている。見た目上は文芸同好会のていだが、今後麻衣と過ごす時間が増え、家に帰るのが遅くなることは間違いない。

 そうなると困るのが、この彩音の対処である。


「珍しいわね。図書室は嫌いなんじゃないの? 静かでも人がいたら集中できないんでしょ?」


 この通り彩音は僕を知り尽くしている。僕が彼女どころか友達すらいなくて、でもその事に危機感を抱かず行動を起こさない人間であることも知っている。

 そんな僕がいきなり麻衣と急接近して文芸同好会に入りました、となればどう考えても怪しまれる。彩音は学年トップクラスの成績を取るほど頭が良いわけで、僕ごときがあしらえる相手ではない。怪しまれた時点でアウトだと考えるくらいがちょうど良い。


「まあな」


 僕はあえて足を止めないまま応じる。彩音もすぐに隣に並んできた。


「事情が変わったんだよ」

「事情って?」

「あー、そうだな……耳を貸してくれ」


 僕を訝しみつつも形の良い耳を向けてくる彩音。吐息がかからないか心配だ、と一瞬考えて、別に彩音だしいいかと思い直す。


「昨日僕の夢について話したろ? ラノベ作家になるっていう……」

「ええ。痛いわよね」


 ずけずけと言ってくれる。別に本気で目指しているわけではないが、今後のためにはそう演じる必要がある。というわけで嫌そうな顔をつくっておいた。


「そのために文芸同好会に入った」

「……聞いたことないわね」

「ひっそり活動してるみたいだ。文芸といってもラノベだしな。僕が出会えたのも偶然だ」

「それって昼休憩?」

「ああ」


 彩音はもう顔を上げている。

 明らかに何かを問う気満々のご様子だが、はてさて。


「別にひそひそすることでもないんじゃない?」


 ……なんだ、そんなことか。

 確かにそのとおりではある。僕は周囲の外聞をあまり気にしないタイプだし、ラノベ作家を目指していることも別段隠したりはしない。それをあえて隠そうとするところがおかしい、といったところか。


「積極的に知られたいことでもねえよ」

「そうね。あのクオリティなら仕方ないわ」

「それは言ってくれるな……」


 僕は軽く嘆息を示しつつも、内心ではガッツポーズをしていた。

 これでクリアだ。深く突っ込まれたら危なかったが、予定どおり表面的な言い分で納得してくれた。

 彩音はラノベには興味を持っていないから、この話題が盛り上がることはない。せいぜい同好会ネタにちらほら雑談を交えてくる程度だろう。


 渡り廊下に差し掛かった。


「僕は図書室に寄る。じゃあな」


 彩音がついてこないという前提で挨拶する僕。


「ええ」


 軽く手を挙げて返し、すぐに背中を見せる彩音。

 ここも予想は的中。あとはここで散会するだけだ。僕だって彩音のことはよくわかっている。

 ……さてと、空き教室もとい部室に向かおうか。

 と、僕が意識を切り替えた瞬間だった。


「だーありんっ!」


 背後から抱きつかれた。背中のリュックが潰れるだろ、と言いたいところだがそんな場合ではない。


「麻……二階堂さん」

「呼び方ー。よそよそしいぞう?」


 頬を突っつくなと疎ましがっている場合でもない。

 後方から僕に直進してくる足音が一つ。


「あらま。珍しい組み合わせね」


 彩音だった。僕が女子に懐かれているというイレギュラーを見逃すはずがない。


「そう言ってられるのも今のうちだよ、綾崎さん」

「……はい?」

「だーりんはわたしのもの。今後だーりんはわたしといることが当たり前になるの。幼なじみはお役御免でーす」


 僕は麻衣を引きはがしながら、胸中では頭を抱えていた。

 何堂々と登場しちゃってんの!? バカなのか? 彩音は要注意人物だってチャットで共有したよね? 普段はそのノリで絡んでくるなとも言ったよね?


「なんだなんだ」

「修羅場?」

「綾崎さんと、あのメガネ女子は誰だ?」


 まずい。放課後間もない渡り廊下だけあって目立ちまくっている。


「いいから来い。彩音も……説明するから来てくれ」


 僕は麻衣を引っ張りつつ、早足で空き教室を目指した。






「なるほどね。……それにしてもこれに惚れるなんてね。長年幼なじみを努めてきた身として言わせてもらうと、全くもって推奨はしないわ」

「だから麻衣の言動は演技だって言ってるだろ……」


 放課後。僕たちは化学準備室隣の空き教室にいた。

 防音性に優れているらしく、グラウンドの喧噪はおろか吹奏楽の楽器音もほとんど聞こえてこないだけに、彩音の声がよく通る。


「だったらなおさらいーじゃん。推奨しないなら解放してあげなよー」


 対して麻衣の声色も負けてない。

 ちなみに普段付けている野暮ったいメガネは外しており、可愛らしい童顔が惜しげもなく晒されている。


「麻衣も。誤解されるから恋人面はやめてくれ」


 恋人契約を持ちかけたのは僕、受け入れたのは麻衣というわけで本当は恋人なのだが、まだ学校が始まって一日しか経ってないわけで怪しすぎる。

 別に彩音にからかわれることは構わないのだが、他のテレポーターにばれた時が厄介だ。目を付けられるかもしれないし、立場が逆なら僕も目を付ける。

 麻衣は自身のラノベのために演技で僕に馴れ馴れしくしているだけ――僕はそう主張し、麻衣にもアイコンタクトをおくったつもりなのだが、まるで通じていない。あるいはわかっている上でふざけているのか。


「あら、知らないのかしら? 幼なじみという関係は永遠なのよ? 解放という概念からして筋違いね」

「屁理屈言っちゃってさー、本当はだーりんが好きなだけなんでしょ?」

「ええ。大好きよ」


 僕の思惑とは無関係に、ラブコメみたいなことが進んでいる。

 このまま放っておくと面倒くさそうだな……。


「んじゃあ用事は済んだってことで」


 僕はバンッと机に手を乗せてから立ち上がり、


「活動の方針を決めるんだろ麻衣? 彩音も用は済んだならじゃあな」

「つれないわね」

「さっきから何なんだそのキャラ。普段は僕のこと一ミリも男として見てないくせに……」

「男として見てほしいの?」

「なわけあるか」


 普段なら意味深なその行動と台詞をもう少し意識しただろうが、今はテレポートのことで頭がいっぱいだ。正直早く帰ってほしい。


「……まあいいわ。少し寂しくなるけど、ぐうたらしてた瞬が何かに熱中するのは良いことよ。作品が完成したら読ませてね」

「気が向いたらな」

「大丈夫よ。力尽くで読ませてもらうから」


 彩音は意地の悪い笑みとセットでそう言い残していった。

 念のため外で聞き耳を立てられていないことを確かめてから、僕は麻衣に向き直る。


「……なんで一目惚れしてんだよ」


 対彩音用に僕が考えた言い分はこうだった。




 今日の昼休憩。僕は屋上前の階段に座って、ラノベを読みながら一人飯をしていた。

 そこに麻衣がやってきて、ラノベを読んでいる僕と遭遇。

 元々文芸同好会でラノベを書いていた麻衣だが、二年生になって先輩が卒業したため現在はたった一人の会員。いい機会だからと僕を勧誘し、僕も承諾した――




「だって本当のことだもん」

「目立っちゃダメだと言ってるだろう……」


 麻衣が「ちゅっ」などと投げキッスを寄越している。全く反省していないどころか、確信犯だよなこれ。

 僕も僕だ。麻衣との関係を隠す言い訳も考えておくべきだった。その場の思いつきだとどうしてもあらが出る。まあばれたとしても彩音だけだから大した問題ではないが、それでもバレないに越したことはない。


 その彩音だが、まさかノリノリで僕をからかってくるとは思わなかった。麻衣のキャラに触発されたんだろうか。初対面っぽいのにやたら挑発的だったもんな。

 淡白でフィクションに溺れてる僕なんて面白くないのに。


「まあいい。これで課題は一つクリアとして。今日はここからが本番だぞ」

「本番!?」


 麻衣が両手で胸を隠す動作を見せつけてきたけどスルー。


「チャットで伝えていたとおり検討を始めたいんだが、とその前に……」


 僕は窓側へと移動する。麻衣が今度は両手を広げて出迎えてきたけど、やはりスルー。


「……何してるのだーりん?」

「窓の外を調べてる」

「なんで? 営みを覗かれたくないから?」

「営みはともかく、大体合ってる」


 僕はこれからテレポートの検証を行うつもりだ。当然、テレポートも発動させることになるわけで、絶対に誰にも目撃されてはならない。

 この部屋が本当に安全なのかをよくよく確かめておく必要がある。


 窓から外壁と周囲の景色を見てみる。

 ……登られる心配も無ければ、覗かれる場所も無さそうだ。いや、外壁はロッククライマーとかフリークライマーなら登れそうな気がしないでもないが、そこまで考え出したらきりがない。

 それに幸運にもカーテンが付いている。

 僕は窓側のカーテンを全部引いた。


「だーりん」

「なんでしょう」

「ムラムラしてきたんだけど」

「我慢してください」


 少しはおとなしくしておけないのだろうか。

 いっそのこと、こちらから受け入れちゃった方が良かったりしてな。一度体験すればそのうち飽きてくれるだろう……いやダメか。

 僕も男だ。どんどんエスカレートすれば平静ではいられない可能性がある。抹殺ゲームどころではなくなるだろう。


「それより麻衣。僕はちょっと外に出てみるから、普段僕と話すくらいの声量で独り言を言ってみてくれないか?」

「おっけー」


 OKサインと共になぜか舌を出す麻衣。そういえばそんな芸能人がいたような。

 部屋の戸を開ける。瞬間、校内の喧噪が届いてきた。

 そのまま後ろ手で戸を閉め、室内に意識を傾けてみる。数十秒ほど待ってから再び入室した。


「大丈夫だよだーりん。わざわざホテルに行かなくても」

「……何の話だ」


 虚空に向かって喋っていた麻衣が僕を見る。


「え? だーりんがわたしにエッチしたいと言ってきた時の会話をシミュレーションしてたんだよ?」

「そんなシチュは未来永劫来ない」


 たぶんな。


「あとは化学準備室だが……宮下先生には聞かれてないと考えていいんだよな?」

「うん。どうせエロゲしてるだろうし」

「さらりととんでもない暴露をするね」

「本当だよ? 決定的瞬間を目撃したからこそ脅せたんだし」

「さらりとまた怖いことを……」


 見た目は先生に声掛けるのにもおどおどしそうな小動物フェイスのくせに、中身はこれである。詐欺もいいところだ。


「だが安心していい根拠にはならんな。むしろ脅された先生がお前に報復するために、たとえば今も弱みを握ろうとこっそり聞き耳立ててる、なんてことはないよな? もしくは盗聴器の可能性も――」

「ないよ。盗聴器の有無は調べてるし、ドアも分厚いから大声出さないと聞き取れないし、そもそも宮下先生はそういう性格じゃないからねー。わたしにはイチャイチャを覗かれる趣味なんてないんだから、その辺の対策は抜かりはないよ」

「イチャイチャを前提にするな。ともかく、これで部屋全体を調べ終えたことになるな。遠慮なく話せそうで助かる」


 僕は長机に腰を下ろし、本題に入った。


「どうやってテレポーターを探すか、考えるぞ」

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