第1章

1 黒歴史の犠牲

 喧噪が漏れる教室に入ると、新しいクラスメイトと担任が出揃っていた。まだ帰りのホームルームは始まっていないらしい。

 僕が次の行動に迷う暇も無く、担任が寄ってくる。


井堂瞬いどうしゅんだな……ってどうした、風邪か?」

「はい。病院に寄ってて、その、遅れました」


 僕は購入したばかりのマスクを装着していた。覇気が無いのはデフォルトだから特別な演技は必要ない。


「無理して来なくても良かったんだぞ」

「一応初日ですから……」

「後でご両親に電話するつもりだったが、必要はなさそうだな」


 危なかった。電話されていれば言い訳に骨が折れるところだ。


「プリントは後で渡す。とりあえず席に着いてくれ。よし、みんな席に着けー」


 担任がぱんぱんと手を叩いて叫ぶ。

 その隙に僕は教室内――クラスメイト達を観察した。


 僕は全くと言っていいほど注目されていない。というより目が合ったのはメガネをかけた地味そうな女子だけ。彼女は物思いにでも耽っているのか、僕と視線が合ったことに気付いていない。偶然こっちを向いているだけか。

 実質注目はゼロに等しい。当然と言えばその通りだろう。

 僕は見るからに冴えない男なのだから。これに興味を抱く方がどうかしている。


 でも、だからこそ、もし僕を注視する奴がいたとしたら、そいつはテレポーターかもしれないと推察できる。

 僕だったらそうする。サボって三千回唱えていたのかと、そう考える。


 僕の座席は廊下側の一番前だ。出席番号順だからわかりやす――おおぅ。


「……」


 声を上げそうになった。

 僕の隣、二列目の最前席に座る女子が僕を睨んでいたからだ。片肘を付いて、ジト目で。


 認めるのはしゃくだが、そんな表情も可愛い。いや、そんな表情だからこそ可愛い。いわゆるギャップというやつか。

 だからといって眼福などと喜べるはずもない。

 恋人も友達もいない僕だが、こいつだけは例外だ。いわゆる幼なじみという存在である。

 僕は気付かないふりをして自席に着こうと――


「瞬」


 ですよねー。


「……彩音あやねか。同じクラスだったんだな。どうかしたか?」


 綾崎彩音あやさきあやね

 クールビューティーと聞くと真っ先に彼女が思い浮かぶ。目元も雰囲気も鋭くて近寄りがたい感じの美人で、容姿だけでも一目置かれているのだが、加えて成績優秀、運動神経抜群と来ている。


「どういうこと?」


 その一言で、僕は彼女に嘘を見抜かれていることを悟る。

 考えてみれば当然か。今朝は彩音と一緒に食べたわけで、その時点では僕は健康そのものだった。


「あとで話すから」

「ふうん」


 彩音がわざとらしく発音する。

 ……上手く言い訳できると良いが。サボりが彩音にばれるだけならまだしも、親にも伝えられた場合が面倒だ。夕食が家族会議と化してしまう。


 僕は表面上は真面目に過ごしている。去年は何気に皆勤だったし。真面目すぎてつまらないと揶揄やゆされる程度にはキャラが通っている。

 そんな息子が高校二年生の初日を丸々サボったとなれば大ニュースだ。相当の事情を用意できなければ、激しい叱責しっせきが待っていることだろう。気が重い……。


 ホームルームが始まる。

 担任がせわしなく口を動かしているのを眺めながら、頭では直近のTODO《やるべきこと》を並べる。




 一、抹殺対象となるテレポーターを探すこと。


 二、テレポート能力の検証を進めること。


 三、彩音に対し、サボった理由を適当に誤魔化ごまかすこと――




 この三つだ。優先順位もこの通り。

 だが、今できることと言えば一つしかない。

 言い分は用意してある。そのためにラノベを買っておいたんだ。


「それじゃ気を付けて帰るように。起立、礼」

「ありがとうございました!」


 立ちそびれてしまった。

 先生の様子を見る限り、風邪で具合が悪いということで黙認されているようだが……。考え事に集中しすぎて聞き逃すのは軽率と言わざるを得ない。

 他にもテレポーターが存在するかもしれないのだ。もっと慎重に行動しなくてはならない。ボロを出したらばれてしまい、最悪殺されるかもしれないのだから。――もっとも僕の考えすぎかもしれないが、考えておくに越したことはない。


「瞬。帰るわよ」


 幼なじみから声がかかる。

 さて、最初の戦いが始まる。




      ◆  ◆  ◆




「ラノベの新刊……ねえ」


 彩音はライトノベル『僕に恋する姉と妹に恋する僕』を手に取り、胡散臭そうな目つきで眺めていた。


「今期最高の話題作なんだよ。厳格な家庭でひっそりと、でもドロドロに展開される三角関係。背徳感というスパイスがたまらないのはもちろんのこと、何よりキャラが可愛いんだ。一見しっかり者の姉と、一見おっちょこちょいな妹。どっちのヒロインにもギャップがあぐっ!?」


 思い切り顔に押しつけられた。鼻が痛いんだが。


「相変わらず気持ち悪いわね」

「相変わらずの馬鹿力で――」

「何か言った?」

「いやいや、幼なじみが可愛すぎて困るなあって」


 かばんで背中を叩かれた。


「なんだよ。可愛いなんて腐るほど言われてることだろ」

「心にも思ってないことを言われると腹立つのよ」

「そんなことはないんだが」


 彩音は客観的に見て間違いなく可愛い。どちらかと言えば可愛いというよりは美人なのだが、校内一と評する声も何度も聞いたことがある。

 学校での僕は、今でこそ彩音の尻に敷かれる、冴えなくて情けない幼なじみというポジションだが、入学当時は男子からの羨望や嫉妬に苦労したものだ。


「あんたの妄言は置いといて。それにしても珍しいわね。学校には真面目に通うタイプでしょ? 中身は気持ち悪いけど」

「気持ち悪いは余計だ。話題作だから仕方ないだろ」

「帰りに買えばいいでしょ。朝買っても読む時間そんなにないし、学校で読むキャラでもないでしょうに」


 登校の時にも通った丘を彩音と歩く。

 指摘が鋭すぎてぐうの音も出ない。まさかここでテレポートに覚醒しました、と白状するわけにはいかない。


「衝動だよ。優れたラノベには人を突き動かす力があるんだ。お前にはわからないだろうけど」


 ここは『俺とお前は違うんだ作戦』で行こう。

 僕は僕の価値観や思いをひたすら主張し、一方でこれに従わない彩音を非難する。偏った思考の押しつけに、彩音はすぐにでもうんざりするだろう。

 僕が彩音との会話を断ち切るのによく使うテクニックだ。


「ええ。わからないわね」

「だろ? いい機会だから読んでみるか? 読んだ後なら貸してもいいぞ」

「遠慮しとくわ」


 よし、あと一押し。もうちょっとアピールしておくか。


「弟と姉、兄と妹――この背徳的恋愛を知らないなんて人生の半分は損してるな。読みたかったらいつでも貸すぜ」


 彩音は僕を見たかと思うと、露骨に嘆息して足を止めた。


「……彩音?」

「不自然なポイントが一点」


 なんか人差し指を立ててきた。


「わざわざマスクを買ったのはなぜかしら?」

「なぜって、学校をサボった理由をでっち上げるためだが……」


 君がノリノリで僕を追及しているのはなぜかしら? と返そうと思ったが、目が笑ってない。ガチで追及しているということだ。


「そもそもなぜ学校に来たの? そのままサボれば良かったじゃない。どこかカフェにでもこもってそのラノベを読めば良かったじゃない」

「いやさすがに学校をサボるわけには」

「サボってるわよね?」

「……あ、いや、サボったけど、プリントとかあるじゃん? 少しは顔を出しておくべきかと思って」


 彩音が腕を組む。豊満、とまでは言わないが、形の良い胸が強調されている。


「私が知るあなたはそんな真面目ではないわね」

「皆勤賞候補の僕に何を言う」

「あなたはもっと打算的よ。彩音に持ってきてもらえばいいかー、と考えるはず」

「そうか? いつもお世話になってる彩音に苦労はかけられないよ」

「その白々しさからして怪しいのよ」


 上体を前に倒して顔を寄せてくる彩音。

 近くで見ると綺麗な肌をしている。美人は遠近問わずに美人らしい。見惚みとれるどうこう以前に、純粋に眺めていたくなる。


 そういえば、べっぴんの幼なじみがいて最高じゃないかと誰かが言っていたが、そんなことはない。一人が好きな僕には、このお節介属性は邪魔なだけ。

 何より今はテレポーターとして忙しいのだ。この追及から早く逃れないと。


「必要が無いのに、わざわざ学校に来た。来なければならない事情があった、という事かしらね?」


 冷や汗が出そうだ。

 マスクとラノベだけで誤魔化せると思った僕が浅はかだったらしい。が、ただでさえ優秀な彩音の先など行けるはずもない。

 このまま彩音が僕を不審に思い、あまつさえ言動に注意を傾けてくるようになったら、最悪テレポートの件がばれる可能性もある。


 僕が続く言葉を探していると、彩音はにやりと笑って、追い打ちをかけてきた。


「おじさんとおばさんに相談してみようかしら。瞬が深刻な事情を抱えているみたいよって」

「それはご勘弁を!」


 僕はとっさに両手を合わせ、頭を下げていた。


 ……勝てない。彩音と心理戦しても勝てるはずがない。スペックが違うのだから。

 だからといって、彼女を納得させる言い分など持ち合わせてはいない。

 さてどうしたものか。


「だったら白状してもらえる? やましいことじゃないなら言えるはずよね? もっともやましいことだったらなおさら白状してもらわないといけないけど」


 彩音がじゃれるように両手をわきわきさせているが、騙されてはいけない。

 こいつは容赦の無い人間だ。最近はご無沙汰だが、僕の嘘を白状させるために実力行使に及ぶこともある。永遠にご無沙汰でいい。本当に。マジで痛いから。


 その彩音は、両手を下ろしたかと思うと、普通に歩き出した。

 ……この場で尋問するつもりはないようだ。

 この隙に逃げようかと一瞬考えて、身体能力でも敵わないことを思い出す。

 素直に横に並んだ。


「秘密にしたいことの一つや二つくらい誰にでもあるだろ……」

「そうね。でも瞬はそういう人間じゃないでしょう? むしろ自分を押し通す方。ほら、ラノベ読んでることがおじさんとおばさんにばれた時もそうだったじゃない」

「いつの話だよそれ……」


 小学校の時だったか。美少女イラストの描かれたラノベに一目惚れした僕は、内緒で何冊も買っては読んでいたのだが、ある日父に見つかってしまい家族会議となった。

 ラノベを一方的に不健全だと決め付ける両親に腹が立って、当時親に従順だった僕は初めて反抗した。

 以来、僕は真面目オタクというキャラになっている。




 ――このバカが道を外さないよう、しっかり見てくれよ彩音ちゃん。


 ――うん! 一生見る!




 あのやりとりは今でも覚えている。まさか高校にもなって関係が続いているとは思わなんだ……。

 さすがに一生はありえないだろうが、もはやそんな呑気に構えている状況でもない。


 僕のためにも。

 彩音のためにも。


「……仕方ないな」


 絶交するだけなら簡単だ。無理矢理やましいことをすればいいだけなのだから。

 たとえばここで早速痴漢をして、家に帰っても下着を漁って、風呂場を覗いて――そんなことを繰り返すだけでいい。

 だがそれでは両親とも犬猿になってしまう。

 一人暮らしするつもりのない僕には許容できない境遇だ。


「まだ親には言うなよ」


 僕には将来のために温めておいたカードがある。

 彩音が昔を思い出させてくれたおかげで、このピンチを切り抜けられそうだ。

 少し早いが、切ることにしよう。


「いいか、笑うなよ」

「笑わないわよ」


 真剣な声音だ。

 だからこそ、この思いは必ず通じさせなくてはならない。

 大丈夫だ。嘘なら見抜かれるだろうが、これはあながち嘘ではない。


「僕は……作家になりたいんだよ。ラノベ作家に」


 さあ彩音はどう出る?

 内心を見透かされそうな気がして、顔を見る気にはなれない。青空を眺めながら彼女の言葉を待つ。


 やがて彼女は言った。


「……そう」

「わ、笑わないのか」

「笑うわけないじゃない。私を何だと思っているのよ。それに、知ってたから」

「へえ、そうなん……え? 知ってたって?」

「何度か読んだことあるわ。あなたが書いた痛々しい小説」


 ……はい?


「いやいや、僕は小説は読んでも書きはしないよ?」

「言ってることが支離滅裂よ。別に口外はしないわ。おじさんにもおばさんにもね」


 ちょっと待て。読んだって……まさか。


 確かに僕はラノベを書く。趣味で書いている。部屋に置いてるノートパソコンで。

 だが到底人目に晒せるクオリティではないからどこにもアップしていないし、その……鬱憤うっぷん晴らしに、幼なじみとイチャイチャする物語も書いていたといいますか……。


「クオリティが残念だったのは頑張ってねとしか言い様が無いけれど、そうそう、そういえば私によく似たキャラがあなたによく似たキャラとくんずほぐれつして――」

「スト――――ップ!」

「……そんなに慌てて、ど、どうしたのよ?」


 彩音を見ると、口角がぴくぴくしていた。

 どうやらこいつも僕をいじるカードを温めていたらしい。

 いつ見たんだ。ロックも掛けずに放置していた僕も僕だが。


 ……まあいい。

 現状を打破できるなら黒歴史など安いものだ。


「その件は忘れてくれ。話を戻すぞ」


 僕は学校に足を運んだ、偽りの理由を話した。

 ラノベに生かすために行動的に過ごすよう心がけていること。今日もその一環であり、特に始業式をサボるという非日常な経験は普段体験しない分、立派なインプットになりえるという想い――もちろん対彩音用に考えていた言い訳だが――を熱心に伝えた。


「――そうだったのね。納得したわ」


 穏やかな声音を聞いて安心する。


「だからといって褒められることではないけれど」

「全くもってその通りでございます」

「またすぐ調子に乗る。おじさんおじさんに言いつけるわよ?」

「勘弁してください」

「冗談よ」


 ふふっと笑みをこぼす彩音。

 普段の鋭さを感じさせない彼女の一面だ。これを見る度に、こういう日常も悪くないかなと思えてしまうから恐ろしい。

 今までは安住していれば良かったが……。

 残念ながら今は違う。


「今日も晩ご飯をいただくから」

「……母さんに言えよ」


 最悪これを手放すことも考えねばならない。そんな事態に陥らないのがベストではあるが。


 そんな未来を想像して、それもやむを得ないか、と僕は思った。

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