ビタースイート・5
ふんわりと甘い。
懐かしい味がする。
思い出がよみがえってきて、エリザはほろリと涙を流した。
その反応に、サリサは不思議そうな顔をしていた。
「……ごめんなさい……」
泣いていることに気がついて、エリザは思わず謝った。
「何を?」
口の中で、甘いものが広がっていくのと同時に、エリザの目から涙があふれつづけていた。
「……ごめんなさい……これ」
サリサが突然の涙にとまどっているのがわかる。エリザは思わず顔を伏せた。
「これ……ふるさとの味がするんです」
蜂蜜飴は、子供なら誰しもが大好きな食べ物だった。
特に、エリザのふるさとは、蜂蜜がたくさん取れた。蜂蜜飴を作っているところがあり、名産品でもあった。
泣き虫だったエリザは、いつも服のポケットにたくさんの飴を入れていた。辛いことや悲しいことがあると、いつもひとつ、口に入れる。
それだけではない。泣いている子供を見つけると、いつも分けてあげていた。
「弱虫のくせに世話をやくのが好きな子だねぇ」
そういって母はいつも笑っていた。
蜂蜜飴は、いつでも誰でも元気にしてくれる薬だったのだ。
巫女姫に選ばれて霊山に発つ三日前から、堅苦しい風習のために、エリザは自分の持ち物を処分した。部屋に篭って外部との接触を最低限にし、地元の食べ物を断ち、霊山から送られてきたパンと水だけで過ごした。
もちろん、蜂蜜飴を食べることもなくなるだろう。それにもう、卒業してもいい年齢でもある。
こっそり母が差し入れてくれた飴を、エリザは笑顔で断った。
母は、諦念の表情を浮かべ、エリザが着るだろう白い巫女姫の服を撫でた。
「お前には、平凡な恋をして、愛し愛されて、結婚してもらいたかったよ」
少し魔力は強いけれど、ごく普通のどこにでもいる平凡な少女。
母は、エリザという少女をよく知っていた。
「ごめん……なさい。泣くつもりじゃなかったのだけど……私」
ぼろぼろと涙が止まらない。
懐かしいふるさとの風景と母の姿が、目の前にあふれては消えてゆく。
「……帰りたいですか? ふるさとに」
優しいけれど、やや硬い声で最高神官が聞いてきた。
エリザは大きく首を横に振った。
「ここに……来れたこと、うれしかったんです。だから、ふるさとに帰りたいわけじゃないんですけれど……ヘンです」
どうしてなのか、エリザにはわからない。困れば困るほど、涙がわいてくる。
「選ばれたこと、誇りに思っていて……がんばって……やり遂げたいんです」
そう言いながらも、エリザは耐え切れずに号泣していた。
「帰りたくなんてないんです。ここに居たいんです。どうか、おそばにいさせてください!」
「泣かないで……。大丈夫ですから」
優しい手が髪に触れた。
最高神官が寂しそうに微笑んだ。
そう、どうにかやっていけそうな手ごたえを感じていたはずなのに。
なぜ、今、こんなに泣けてくるの?
胸が痛む。
この人のせいで泣いているわけではないのに。
必死で涙を止めようとすればするほど、無理をしているようで、誤解されてしまいそうだった。
――違うんです。
憧れの巫女姫に選ばれてうれしかった。帰りたいなんて思っていない。それは本心なのだ。
この仕事が辛いだなんて、もう言わない……言いたくないのに。
髪に掛かっていた手が、そのままエリザの頭をすうっと引き寄せる。
エリザは体をこわばらせた。その手に身を任せてなすがままに抱き寄せられたら、礼装用の絹の衣装に涙のシミをつけてしまう。
巫女姫らしく、ちゃんとしっかりしなければならないのに。
泣くのは子供っぽいこと。巫女姫として至らないことの証明になってしまう。
しかし、エリザの決意とは裏腹に、巫女姫らしさや衣装の心配で落ち着く涙ではなかった。
軽い拒絶もものともせず、最高神官はそのままエリザを抱き寄せた。
「泣かないで……わかりますから……」
エリザ本人でさえも涙の理由が分からないのに、耳元に響いた声には確信がこもっていた。
しかし、そのささやき声はやがて唇に引き寄せられて聞こえなくなった。
――長い口づけ。
若干強引に押し入るようにして舌が絡みつき、エリザを少しだけ動揺させた。
別の甘い味がする。そして、ふるさとの切ない甘味が絡みとられてどこかへ消えていってしまった。
いったん唇が離れると、最高神官は両手でエリザの頬を包み込み、こつんと額を額に押し当てた。そして微笑んだ。
「大丈夫です。あなたを途中で見捨てたりなどありえませんから」
額を伝わって、カリンと何かが割れた音がした。
「あなたは私が選んだ人です。自分をもっと信じて……。あなたは、立派に巫女姫としてやっていける素養があるのです」
頬を押さえる手がかすかに震え、力がこもった。くらりとして、目を閉じた瞬間に、エリザの目にたまっていた涙が再び頬を伝わった。
「大丈夫。泣かないで。ちゃんとやり遂げられますから」
巫女をやり遂げること。
どこかでやはり重荷に感じていたのかもしれない。
エリザはあまりにも平凡な少女だった。
――それでも、この方は私の力を見抜いてくださり、信じ、弱さまでも包み込んでくれる。
……挫けられない。
エリザは泣きじゃっくりを飲み込んで、自分を見出してくれた人を見つめた。
潤んだ瞳が痛々しく感じられたのか、今度はサリサのほうが目を伏せる番だった。
かすかに唇が動いたのは、何か言葉を飲み込んだようにも見えたが、それはエリザの気のせいかもしれなかった。ただ再び唇を重ねる前の、ほのかな緊張なのかもしれない。
我慢しきれなくなったしゃっくりを一度だけあげて、エリザは意識することなく、ごく自然に目を閉じた。
懐かしい甘味が、別のものに形を変えて口の中に戻ってきた。
すこし、角張っていて痛い。今までいた場所のぬくもりを運んでか、やや温かい。
蜂蜜飴は半分に割れていた。
「これは元気になる薬ですよ。私たちは、半分ずつ分けあった。だから……何か辛いことがあったら、お互い半分ずつ分け合いましょう」
エリザはこくりとうなずいた。
「ごめんなさい……」
「謝るのもなしですよ」
ぎゅっと痛いほどに抱きしめられて、エリザはやっと落ち着きをとりもどした。
神々しいまでの人――
しなやかな絹の感触が気持ちよく、響いてくる声は、まるで水の中で伝わるような不思議な音だった。
「大丈夫。ふるさとに帰るその日まで、必ずあなたをお守りしますから」
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