第386話 魔神の召喚者
この直前、ガストンは動きの鈍ったマトヴェイを徐々に追い詰めていた。
マトヴェイは横腹に受けた祐人の回し蹴りのダメージの回復もままならずガストンの執拗な追撃から逃れようと動き回っていた。
(まずいです。あの少年から受けたダメージが思ったより深い。どうやら私が傲慢になっていたようですね。彼は想像以上に厄介な人だったらしい。早く応援と合流しないと持ちこたえられるか分かりません。応援は何故来ないのですか)
祐人の実力を大幅に上方修正した結果、マトヴェイは応援を切実に願ってしまう。正直、身の危険が現実味を帯びてきたのだ。
(うん? 何をする気ですか、魔神アシュタロス)
この時、マトヴェイからガストン越しに魔神を内包した秋華が上方に大きな力を放とうとしているのが見えた。が、すぐにガストンに視界を遮断される。
ガストンの魔力の籠った爪をギリギリで躱し、マトヴェイは後方へ跳ぶがさらにガストンに追い込まれる。
(クッ、この方もなんと手強い! これほどの能力者なのに私はこの方を知りません。しかも何故、あの少年の味方をしているのですか)
戦闘にさほど興味がなかったとはいえ能力者としてマトヴェイは達人と言っても差し支えないレベルである。また、冷静さや判断力も兼ね備えている。
だがそのマトヴェイですらガストンが危険極まりない吸血鬼の一族とは気づいていない。
それはガストンが吸血鬼らしからぬ言動をしているのもあるが、吸血鬼自体が人外として判別しにくい種族であることが言える。
吸血鬼はそもそも受肉している数少ない人外であり、幽体、アストラルボディのあり方も人間と近い。そのため超強力な人外にも関わらず人間と判別しずらいのだ。
「ふむ、先ほどからあなたは何かを待っているようですね。仲間ですか? ではその前に終わらせていただきましょう」
ガストンの目が殺気に包まれると爪に高濃度の魔力が集束していく。
それを見て一瞬、マトヴェイの顔が強張るがすぐにニンマリと笑みを浮かべた。
「いいえ、どうやら間に合ったようです」
直後、ガストンは背後で強大な力が解放されたのを感じ取る。
アシュタロスが濃縮した魔力を頭上に放出したのだ。
「なんとこれは! 旦那⁉」
ガストンが振り返ると広大な空間のある幻魔の間が激しく揺れ天井が崩壊する。
祐人と英雄は直上から崩落してくる瓦礫から身を守り、琴音は大威の横で風精霊術で防御していた。
(ふむ、凄まじい力ですが……アシュタロスは本来の力の十分の一も出せていないようですね。原因はあの娘の中にいるという斉天大聖ですか? いやいや、まだ分かりません。それはこれから分かるはずです)
などと考え、マトヴェイは好物である未知と向かい合い気分が高揚する。
もちろんそれは自身の安全を確保できそうだと計算が立ったことも大きい。
辺りが轟音と土煙で空埋め尽くされるが同時に天井からは日の光が差し込んできた。
この時——、
英雄と祐人は上方から日の光を背に二つの影が舞い降りてくるのに気づいた。
「何だ、あいつらは⁉」
英雄が思わず口に出すがそれは全員の代弁でもあった。
その者たちは赤を基調としたローブを纏い、フードを深くかぶったまま秋華の左右に静かに着地した。
するとマトヴェイは胸に手を当てて殊更、安堵したかのような大げさな態度を見せる。
「やっと来てくださいましたか。さすがに私一人ではきつかったのですよ」
「マトヴェイ、こちらにおわすのがそうか?」
「はい、アシュタロス様でございます」
マトヴェイは確認をしてきた女性の質問に慇懃に応答すると闖入者たちは周囲を無視し秋華へ頭を垂れた。
だが秋華に降りたアシュタロスは憮然とし不快さを隠さなかった。
「うぬらは何者か」
この言葉と同時に魔力のうねりが周囲を襲う。触れただけで戦意を削られそうな圧倒的で傲慢な魔力の嵐だった。
しかし二人は頭を垂れたまま微動だにしない。二人のフードは外れ一人は女性、もう一人は男性の顔が明らかになった。
この明らかな新手の敵の登場に好戦的なはずの英雄が顔を歪めるだけで動かなかった。というより動けなかった。
この怪しげな二人からくる霊力と魔力のオーラに鳥肌が立ち、否が応でも警戒をさせられたのだ。
それは祐人も同様だった。これほどの敵の登場に安易な行動がとれない。
それに加えて状況が目まぐるしく変わり複雑になったことで眉間に深い皺を作った。
祐人は秋華を無事に救いたいだけだ。
たったこれだけのことのはずなのに難易度だけが跳ね上がっていく。
実はこの時、ガストンはフードが外れた女性の横顔を見ると急激に顔色を悪くし、体を震わせているようだった。
「私どもは新世界の〝鍵〟であり破壊と再生の使徒とお考え下さい、アシュタロス様」
アシュタロスを前に女性が淡々と答える。
「ふん、気に入らぬ。何よりもだ。うぬらは何故、跪かぬのか」
「我らはアシュタロス様の配下ではございません。言うなれば〝仲間〟でございます」
「ほう、我と同格と申すか。面白い、ではここで身の程を知るがよい」
「お待ちください、アシュタロス様。ここにアシュタロス様が顕現するための器を用意し、召喚しましたのは我らでございます。この後、我らがいなくなってはこちらの世界で得られるでありましょう益を失ってしまわれます」
「益とな。だがそれも我と手を結びたい方便であろう。こちらに顕現した今、うぬらのような者の助けなど必要ない」
「いえ、益はそうかもしれませんが不利益は避けられないと考えます」
「どういうことだ。我は下らぬ駆け引きなど好まぬ。すべてを言え。また情報の小出しで我を出し抜こうとするのならばこの場で殺す」
「もちろん、そのつもりでございます。ですがこれは極秘のことでございますのでここで口でお伝えはできませんし、時間もかかります。ですのでこちらを……」
女性はアシュタロスに近づきローブの内側に見える深紅のドレスより宝珠を取り出すとそれを差し出した。
アシュタロスは憮然とした表情で宝珠を受け取るとハッとしたような顔となり、そして徐々に喉の奥を鳴らすように笑い出す。
どうやら宝珠からすべての情報を瞬時に受け取ったようだった。
「ククク、そう言うことか。だがそれで良いのか、うぬらは。これではうぬらの世界がどうなるか分からぬぞ」
「それが我らの望みでございます」
「愚かなことだ。で、うぬらは何と呼べばよいのだ」
「後ろの者がマトヴェイ、こちらの者はシャフリヤール。私のことは【赤い魔女】とお呼びください」
この時、ガタッと音を立ててガストンが転びそうになった。
祐人はそちらに目が向き、いつの間にか距離を取り、どういうつもりか今も少しずつ階段の方へ移動しているガストンを見つけた。
(……?)
そのままを見ればガストンはこの場から離脱しようとしているように見える。
(まさか……ね。でも、どこへ行くんだ?)
ここからが死闘になると思っているところだ。
それに少なくともこの連中の一人はガストンに任せたい。というより任せられる実力があるのはガストンである。
だがそのガストンがついに階段のところにたどり着き、階段を上りだした。
「え? ちょっと、ガストン」
思わず祐人が声に出す。
その時だった。
ガストンが背筋をピーンと伸ばす。
「ガストン……?」
すると【赤い魔女】と名乗った女性がゆっくりとそれはゆっくりとガストンのいる方向へ振り向いた。
そして生気のない顔をし大量の汗を流すガストンと目が合う。
「あ、あ、あ、あなた……」
ガストンが後ろ歩きで徐々に階段を上っていく。
「マイ ビーラヴドゥ‼」
赤い魔女がまさに瞳がハートマークに変わり、黄色い声を上げながらガストンの方へ猛スピードで移動する。
あまりの豹変ぶりに祐人たちも仲間であるマトヴェイもシャフリヤールもアシュタロスでさえ茫然とした。
「旦那ぁぁ! なんてことをしてくれるんですか! ひー、私はここで退散します! このご婦人はどうかしているんですよ! ではまた連絡しますので、さらば!」
「ガストーン! どこへ行っていたのよ。私はあなたが見つからなくていつも空しい夜を過ごしていたのにぃぃ! あ、待ってぇ! マイスイートダーリン‼」
そしてそのまま二人は出て行ってしまった。
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