第382話 魔神の花嫁⑦


 雨花とニイナは敷地内の中国中庭の中央にある池の小島で祐人たちを待つことにした。

 アローカウネもニイナの横に控えている。

 そこには雨花たちに加えて黄家の従者たちが集まっていた。


「皆、聞きなさい。今から黄家は非常事態勢に移行します。敷地全域に結界を張るのです!」


 雨花は号令を発すると黄家の従者たちがすぐに行動に移した。


「雨花さん、聞いてもよろしいでしょうか」


「何ですか、ニイナさん」


「もし、答えられないのなら構わないのですが、何故、秋華さんの幻魔降ろしの儀を急ぐのでしょうか」


「それは言えないわ。それにニイナさんはそれを聞く勇気はあるのですか? 教えてもいいですが他人に漏らした途端、黄家はあなたと話を聞いた人間をこの世から消します。それぐらいの術はあるのですよ、この黄家には」


 二人の間の空気が固まる。

 ニイナは驚くが雨花の表情は冗談を言う人間のものではない。

 おそらく本気だろう。


(祐人は【憑依される者】はある一定の歳までに成さなければ死ぬ、もしくはそれに値するほどのペナルティがあるのではないか、と言っていました。ひょっとしたら当たらずも遠からずかもしれないです)


 能力者の世界は自分の常識では測れないことをニイナは痛感する。もし祐人の想像が正しければ黄家を絶やす方法ができる。例えば拉致して数年間閉じ込めておくなどだ。


「馬鹿なことを聞きました。結構です。忘れてください」


 ニイナが頭を下げると雨花は笑みを見せた。


「そうね、その方がいいわ。でも知る方法はあるわよ」


「それは何ですか?」


「英雄と結婚すれ……」


「お断りします」


「あら、残念ね。やっぱり秋華のライバルになっちゃうかしらねぇ。祐人君とキスぐらいはしていて?」


「ななな! 祐人とはそんな関係じゃ……!」


 雨花の言葉にニイナは極度に狼狽える。


(そういえば呼び方が〝祐人〟になっていますね。ここに来る前、突然、様子がおかしかったですがニイナさんの中で何か変わったことでもあったのかしら?)


〝雨花さん、ニイナさん!〟


「これは⁉ 琴音さん?」


 この時、二人に周囲に琴音の風が届いた。

 雨花とニイナは琴音の説明を受けると特に雨花は深刻な表情に変わる。


「【邪針】マトヴェイ・ポポフ……聞いたことがあるわ。ですが生きているような年齢ではないはず。子孫が名乗っているのか、偽物か……ハッ」


 雨花がニイナに視線を移すと顔を強張らせたニイナが頷いた。

スルトの剣や四天寺家を襲って来た能力者たちの情報が思い出された。


「雨花さん、その能力者は本物かもしれません! すぐに機関に連絡をして情報を取るのがいいと思います」


          ◆


 幻魔の間では事態が激変しようとしていた。

 英雄が祭壇に駆けよりながら怒鳴り声を上げる。


「おい、堂杜!」


「英雄君! ハッ、これは……」


 祐人が英雄に気づいた時、突如、秋華から放たれる烈風のような波動が消えた。

 すると得体のしれない何かは秋華の体になじむように沈み消えていく。


「魔力が入っていってしまう。これでじゃ、秋華ちゃんは……」


「心配するな! 【憑依される者】は魔力系の幻魔も受け入れられる! それよりも意識だ!」


「……⁉」


 祐人は驚愕する。英雄の言った内容は非常識なのだ。


(憑依される者はどれだけの能力なんだ!)


しかしそれを考える間もなく再び秋華を中心に魔力の烈風が吹き荒れる。


「何が秋華に⁉ 秋華……お前は一体何を呼び込んだんだ」


 英雄が未知のおぞましい力の魔力圧に愕然とした。

 この時、祐人に最悪の予感がよぎる。

 祐人は知っているのだ。

 この地肌をヤスリで撫でられたような感覚。

 心胆を凍てつかせ、生きる気力すら奪っていく波動。

 ひとたび敵対すれば人類に悲劇しかもたらさない最悪の存在を。

 すると突然、祐人が仙氣を爆発させる。


「ハアアア‼」


「ど、堂杜!」


「英雄君! ク・フォリンを降ろせ! 備えろ! 秋華さんがどういう状況か分かるまでは全開で対応する! 降りてきたのは魔神クラスだ!」


 英雄は祐人の戦神のような気迫を受けてハッとする。

 凄まじい存在感、そこにいるだけでビリビリと伝わる戦意、何かを為そうとする意志。

 祐人からそれを感じ取った。

 そしてその眼には苦渋の色が見える。

 不思議とこれだけで英雄は状況を理解した。


(堂杜……修行を施したお前でも秋華が暴走するかもしれないと思っているのか)


 だが英雄は祐人の今まで交わした言葉と行動からどういう男かは分かってきている。


(その上で秋華を救う道筋を探すというんだな)


 英雄の脳裏に秋華が暴走し文駿の胸を右の突きで貫いた映像が浮かんだ。

 それは前回の幻魔降ろしの儀のことだった。

 黄家の兄妹の生きざまを一瞬にして変えてしまった悲劇。

 英雄は周囲を威圧し始めたのはこの時から。

 そして茶目っ気はあったが素直で優しい少女だった秋華が周囲を翻弄する本音の見えづらい人間になった。

 だが変わらないものもある。


(俺は知っていた。秋華は苦しんでいた。俺が兄と慕っていた文駿さんを殺した自分を責めて、周囲と同等に付き合うことを止めた俺の変化を心配していたんだろうと。でも違うんだ、秋華。あの時の俺は強くなると決めたんだ。それで黄家も妹のお前も守ると。俺が揺るがない強さを得れば文駿さんの生にも意味を添えられて……文駿さんの死は無駄ではなかったと確信できれば、お前の苦しみも消えると信じていたんだ!)


 そう、英雄と秋華は黄家を愛し、そして二人はお互いを思いやっていたのだ。

 秋華は文駿の件で苦しみ、兄を変えてしまった自分の未熟さを責めた。

 その後、英雄を含めた皆が秋華に責任を感じさせまいと振舞った。

 ところが皮肉にもそれが秋華の自責の念に拍車をかけてしまった。

 だから秋華は今回の幻魔降ろしに全身全霊を懸けるつもりだった。

 成功して家族を安心させるか、失敗しても自分という不安要素を取り除く。どのような形でも結論さえ出れば、次のステップに皆が進むと思ったのだ。

 確かに兄妹の関係性は大いに変わったかもしれない。

 すれ違いや思い違いもあっただろう。

 でもこれだけは変わらない。変わるはずがない。


(秋華、暴走しようが何だろうが兄がお前を救うぞ! だってお前は苦しみっぱなしじゃないか!)


「来い! ク・フォリン!」


 英雄の呼びかけに応え、背後に純白の騎士が浮かびあがる。


「堂杜、秋華に自我を保つように呼びかけを続けるんだ! 聞こえているはずだ!」


 今の英雄に祐人に対してのつまらない対抗心などない。

 あるのは今、同じ方向を向いている堂杜祐人という能力者、という理解だけだ。


「分かった! 秋華ちゃん! 目を覚ますんだ!」


 英雄は力強く頷くと霊力を集中させる。

 その霊力の密度、収束時間、霊力操作、そのすべてが一流と呼ばれても良い完成度。

 新人試験の前から黄英雄の名は知れ渡っていた。

 名門黄家に現れた数代に一人の天才と言われ、四天寺瑞穂と並びゴールデンエイジと言わしめた前新人試験の筆頭格。

 この黄英雄は紛れもなく黄家歴代でもトップクラスの才能を秘めている。


(ふむ、良い面構えになったな。よかろう、今のお前とならさらなる先が見えるだろう)


 純白の騎士が英雄に乗り移る。

 すると英雄のいでたちが白色の軽鎧をまとった騎士に変わり、その右手に槍を左手に盾を掴んだ。


 その時だった。


 魔力の烈風は収まり秋華を磔にしていた鉄製の拘束具がはじけ飛んだ。

 そして表情のない秋華が上半身を起こす。


「秋華ちゃん!」


 祐人が秋華に近づいた時、ガストンが叫ぶ。


「旦那!」


そこに祭壇の向こう側から三人の蛇たちが忽然と現れて襲い掛かってきた。


「チイ、何だ⁉」


「こいつらは襲撃してきた連中!」


 祐人が即座に迎撃する。


「英雄君! こいつらは僕が抑える! 君は秋華ちゃんを!」


「あ、ああ!」


 祐人が常人離れした動きで二人の蛇を倚白で横一閃ではじき、もう一人を上段回し蹴りで頸椎を叩き折る。

 その戦闘力は自分と戦った時の比ではない。


(何だ……これは。俺はどこかでこの姿を……)


 ふと、英雄の脳裏にどこかでこの姿を見たことがあるような既視感を感じ取る。

 しかし、すぐに英雄は秋華に走り寄り力いっぱい抱きしめた。


「秋華! 俺だ、お兄ちゃんだ!」


(坊主、離れろ。危険だ)


「……⁉」


 ク・フォリンの声が聞こえたかと思うと英雄は強烈な衝撃を受けて背後に吹き飛んだ。



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