第348話 秋華の決意
「秋華さん」
「うん? どうしたの、お兄さん。突然、怖い顔をして」
「大威さんたちは幻魔降ろしの儀をしようと考えているそうだ」
「え⁉」
そう反応したのは琴音だ。
琴音は憑依される者についての話は聞いていないし、その成り立ちについても当然知らない。しかし、昨日、目の当たりにした秋華の状況からそれがいかにリスクを負うものかぐらいは容易に想像できたからだ。
しかし、そのリスクを一身に背負うはずの秋華は別に驚いた風もなくしている。
「ふーん、それで、いつ?」
「三日後に予定している、と言っていたよ」
琴音がそれを聞くと我慢できない様子で声を上げた。
「そ、そんな! あんなに危険なことがあったのに三日後ですか⁉ そんなのおかしいです。秋華ちゃんだって怖い思いをしたばかりで心を落ち着かせるのに時間が必要です。それでこんな重要な儀式を何で……!」
「分かったわ。儀式は三日後ね」
「秋華ちゃん!」
「あはは、ちょっと落ち着いて琴音ちゃん。儀式を受けるのは私なんだから。それに覚悟ならとっくにできているわ。まあ、昨日はさすがに予想外のことで驚いて恥ずかしいところ見せちゃったけど儀式自体は決まってたことなのよ」
「私が言っているのはそういうことではないです!」
琴音は珍しく引き下がらなかった。
祐人も琴音の言いたいことは分かる。きっと秋華だって分かっているだろう。
琴音が言っているのは「秋華が死ぬかもしれない」ということだ。
「秋華さん、今回の儀式はどうしても受けなくてはならないのかな」
「受けなくてはならないわ。それが黄家直系に生まれた者の義務よ」
祐人の問いかけにピシャリと秋葉は言う。
いつものおどけたような茶化す空気はない。
「そんな……」
「もう、二人とも深刻に考え過ぎよ。たしかに私は一回、幻魔降ろしに失敗してるけどその時の経験でどういうものかはもう分かったわ。だから次は自信があるの」
秋華はこちらを見つめてくる二人に呆れたかのような態度を見せる。
「それに楽際もその時の経験から今回の準備には抜かりはないはずだし、気合は私以上に入っているわ。楽際は経験深く優秀な人物よ。もちろん、私も優秀。だって失敗した理由が私が優秀過ぎたから、ってことなのよ。これって凄いと思わない? いかにも私らしいわ、うんうん」
腕を組んで自画自賛しながら頷くと秋華は満面の笑みで祐人と琴音に顔を向ける。
「分かった? つまり何か得体のしれない何かが私にあって幻魔降ろしの決定的な妨げがあるというわけではないの。単純に強度の問題。私、黄秋華の持つ才能のね。でもそれは前回で確認済み。だから二人が心配する必要はないの! それどころか黄家史上最高の能力者誕生の立会人になるんだよ。これでお兄さんにだって負けないわ。ふふん、どう? 二人はそれでも反対かしら?」
流し目でニッと笑みを見せる。いかにもいつもの秋華だ。
何度も何度もこの秋華に言い負かされてきた祐人は表情を変えず口を開く。
「反対だよ」
「私も反対です」
「ちょっ、二人とも……⁉」
調子が狂った秋華がさらに口を開きかけて言葉が出なくなる。
それは祐人が秋華の手を突然、握ってきたからだ。
祐人はまだ震えの止まっていない秋華の手をギュッと握ったまま秋華にも分かるように持ち上げた。
「……っ」
秋華が目を見開き、琴音もハッとしたような顔の後、眉をハの字にして秋華を見つめてしまう。
「反対に決まっているでしょ。僕たちは秋華さんが心配なんだから」
秋華は祐人の真っ直ぐな視線と自分の恐怖心が映し出されている手から目を逸らした。
「でも……止めはしないよ。秋華さんが儀式を受けるというのなら」
「え?」
それは祐人の意外な言葉だった。
秋華も琴音もその真意が分からずに祐人に顔を向ける。
「その代わりに教えて欲しい」
「お、お兄さん……?」
祐人の真っ直ぐな瞳。
実は秋華の最も苦手とする逃げ場のない想いの乗った視線を受け止める。
「秋華さんは何を自分に課しているのか、幻魔降ろしに臨むのに何を背負っているのか、本心を……教えて欲しい」
秋華は顔を硬直させた。
沈黙がしばらく三人を支配すると秋華が大きくため息を吐いた。
すると秋華から芝居がかった表情が消えていき、素の黄秋華の顔が姿を現す。
「お兄さん」
「うん?」
「すべては言えないわ。ううん、言いたくない」
「分かった。それでいいよ。それと憑依する者の秘密とか聞く気はないから」
「それと今から言うことを聞いた後に私に対する態度を変えたら許さないから。琴音ちゃんもよ」
「そんなことしないよ」
「そんなことあるわけありません」
「特にお兄さんは社会的に殺すから」
「ええ⁉」
思わず祐人が顔を青ざめさせて驚くと秋華は吹き出すように笑みを浮かべて、いつもの調子を取り戻す。
そして、秋華はベッドから見える窓の外の庭園に顔を向けると口を開いた。
◆
浩然が秋華の治療と様子を窺いに戻ってくると秋華の自室のドアの前から去ろうとする英雄を見つけた。
秋華の様子を見に来たのだろうと考え、首を傾げる。
「あ、英雄様、中にお入りにならないので?」
「何でもない! 通りがかっただけだ」
英雄をそう言うと足早に去って行った。
浩然は英雄の性格をしっているので、こういう物言いにも慣れている。
しかし、こちらに表情を見られないように顔を背けたようにも見え、訝しむ。
(何なんでしょうか? まあ、いつも通りともいえますが)
浩然は英雄を入れ替わりにドアの前に立ってノックをしようとする手が止まる。
ほんの僅かにドアが開いている。
おそらく英雄が開けかけてそのままにしていったのだろう。
すると中から賑やかな複数人の声が聞こえてきた。
「じゃあ、秋華さん、今日から当日まで僕に付き合ってもらうから」
「堂杜さん、私も同席させてください!」
「もちろんいいけど……かなりきついよ?」
「問題ないです!」
「きついの嫌だなぁ」
「秋華さんは当事者でしょ!」
「分かってるわよ」
(うん? 堂杜祐人か……まったく厄介な人です。ああ、それで英雄君は中に入らなかったのですね。毛嫌いしているようですから。まったく幼い。それにしても何者なのでしょうか、堂杜祐人とは。まあ、今、調査しているとのことでしたからそのうち正体も知れるでしょう。それよりも王俊豪が儀式まで居座る方が問題です)
そう考えると浩然は影のかかった表情を消し、ドアをノックした。
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