第257話 四天寺総力戦


 重鎮席の前面に大きく広がる敷地でまたしても強大な力が弾けて、左馬之助と早雲の防御結界に守られる瑞穂はさすがに黙っていられずに立ち上がった。


「明良!」


 そして視界が明らかになると、なんとか致命傷を防いだ四天寺の従者たちを見て安堵する。


「まったく、あなたはおとなしく座っていなさいと言ってるのに」


 朱音は嘆息しながら、瑞穂をたしなめる。


「でも、お母さん! このままじゃ、明良たちが!」


 今までも瑞穂は自分の中に生じる衝動と戦いながら事態の推移を見守ってきたが、この時はもう我慢できなかった。

 たしかに朱音の言う四天寺のあり方を諭され、理解もした。しかし、瑞穂にとって明良たち従者はただの四天寺の駒だとは思っていない。幼少のころから、生活を共にし、補佐されて、自分が皆に大事にされていることを知っている。

 それは自分が四天寺の主筋であり、また、精霊使いとしての才能がそうさせていたのかもしれない。だが、それでも瑞穂は成長するにつれ、彼らに対し感謝の気持ちを募らせていたのだ。


「私たちが出るのは孝明の要請が来てからよ。それまでは決して動いてはいけません。今、孝明が敵を分析しているはずよ、それは明良も分かっているはずです」


「お母さん! あいつらのあれは普通じゃない。とてもじゃないけど、明良たちだけで何とかできるレベルの相手じゃないわ。明良だってそれを知っているはずよ」


 朱音が瑞穂の剣幕に目を細める。


「あなた……あれを見たことがあるのかしら?」


「……あるわ。あれとはだいぶ違うけど、妖気を内包した能力者と戦ったことがある」


「なんと……お嬢、それをくわしく話してください」


 左馬之助が驚き、朱音と瑞穂の会話に割って入った。


「いえ、佐馬爺、実は私もよくは分かっていないわ。ただ、以前、戦った闇夜之豹たちを捕らえたときに、その闇夜之豹たちが突然、妖気を放ちながら化け物になったことがあったの。でも、あの時のあいつらは力が増したようだったけど自我を失ってなりふり構わずに襲ってきた……でも、こいつらは何かが違う。まず、自我を失っていない。それに闇夜之豹たちは完全に妖気に飲み込まれたようになって、霊力や魔力が消えてしまっていた。でもこいつらは違う。あの時のものとは似て非なるものだわ」


「むう……」


「たしかに……この肌を襲う寒気は妖気ですね。あの者たちは人外から妖気を取り込む新術を編み出したのかもしれません。しかも、あれほどの能力者たちが実力を底上げしたとなると……」


 瑞穂の話を聞き、左馬之助は唸り、早雲が思案するように呟くと、朱音は涼し気な顔で応じた。


「あらあら、これは四天寺家、存亡の危機かしらね」


「存亡は言いすぎです、朱音様。ただ、四天寺家の歴史の中で最も厄介な敵が来たというのは事実かもしれません」


 この場の落ち着いた空気に焦れたように瑞穂は拳を握った。

 瑞穂には分かるのだ。

 こういう事態になったときに、必ず困難の真正面に立つ人物がこの場にいることを。

 その少年はきっと生真面目に朱音の依頼を遂行しようと動く。

 また、それはひょっとすると自分のために、という理由が含まれている。

 瑞穂は四天寺家の従者たちが録音してきた祐人の言葉が思い出され、身体が熱くなる。

 それは祐人が自分のことを恋愛対象として言ったものだとは思っていない。

 それでも、祐人が自分のことを大事にしていることぐらいは瑞穂にだって分かる。

 しかも、今回の祐人の行動は自分の自由恋愛を勝ち取ろうという小さな話が発端だった。


(そう、それは小さな話。とても小さな話なのよ。それなのに……祐人は、あんなに考えを巡らせてくれて。しかも、こんな危険なことに巻き込まれているのに逃げ出さないで、あそこにいてくれている)


 瑞穂は視界の中に祐人を入れる。


(祐人、重鎮席の前に駆けつけてきて、そこで踏ん張っているのは、私の……ううん、私たちのことを心配してなんでしょう?)


 名門四天寺家に生まれ、自分の生涯の伴侶は自分では決められないことぐらい理解していた。そして、それが当然であることも分かっていたのだ。

 だから、家が用意した数々のお見合いも小さい時から受けてきた。

 しかし、今までのお見合いで自分と向き合った男性は誰もいなかった。

 初めてのお見合い相手は三千院水重だった。

 当時、まだ十二歳だった瑞穂はそのとき十七歳だった水重と会ったとき、その女性と見紛う中性的な美しい容姿に目を奪われた。どのような人物かは分からなかったが瑞穂は水重に興味を持った。

 この時の瑞穂はすでに精霊使いとして天才の片鱗をみせており、また、四天寺家の直系であるからか、特別な存在として同世代の大峰、神前の家のものからは距離を置かれていた。そして、大人たちも特別扱いをし、瑞穂は本心とは裏腹に自然と家族以外からは孤独さを感じていた。瑞穂は子供ながらにこの空気を読み、自ら親し気に他者と交わることを控えた。

 これは瑞穂が相手を気遣っての行動だったが、周囲は大人たちも含め、凡人には理解しえぬ天才ゆえのものと思い、手を差し伸べることはなかった。

 瑞穂は水重も三千院家において天才と謳われて、将来を嘱望されていることを事前に聞き、自分と重ね合わせた。

 それでまだ幼さの残る瑞穂は考えた。きっと水重も孤独かもしれないと。

 実は瑞穂という少女は天才でありながら、その内面は凡庸で、心根の優しい少女だった。

 瑞穂は水重と数度、両家に席を用意され、その度に二人きりの時間を過ごした。そして、その都度、瑞穂は水重を気遣いながら、互いの共通点を探そうとした。

 だが……それらすべてが水重に響かなかった。

 まさに水重こそが才能も内面も、皆が思う極度の天才ゆえの孤独さを持つ少年だったのだ。水重はまるで風景の一部かのように瑞穂を見て、瑞穂の問いかけや話題にも風の音を聞くがごとく、応対する。

 水重は心というものをまったく見せない。瑞穂には探せども、探せども水重の心が見当たらない。

 そして、瑞穂はついに理解した。

 水重の目には誰も映っていないことを、それは水重にとって自分も含めたすべての人が瞳に映すに値しないものなのだと。

 これに気づいたとき、瑞穂は少なからず絶望した。

 このような人と自分は生涯の契りを結ぶのかと思った。四天寺に生まれたからには恋愛への夢は持たないようにしていた。だが、それでもどこか、たとえ結婚後であろうとも互いに愛情を持つことに希望を捨てていなかった。

 歳相応の少女らしい内面を持ち、父、毅成が明らかに母、朱音を愛しているのを知っている瑞穂にしてみれば、それは当然だったともいえる。

 しかし、瑞穂は水重とは決して通じ合えないということを知ったのだ。

 これに遅ればせながらとはいえ、左馬之助が気づかなければ、この縁談は成立していたであろう。

 破談は名家である両家にとってあまり良い風聞にはならない。それでも左馬之助は瑞穂を想い、必死に三千院家に何度も赴き、穏便に話をつけてきた。

 この出来事は瑞穂という少女に想像以上の影響を与えた。

 とはいえ、その後も縁談というものは瑞穂にいくつも舞い込んできた。四天寺である以上、それは避けようがなかった。その度に周囲に言われるままに大人しく、瑞穂は応じてきた。

 だが、異性に対し感受性が高まってしまった瑞穂には分かってしまう。

 縁談できた男性が目を向けていたのは皆、四天寺の名。

 そして、必要以上に容姿や実力を褒め称え、美辞麗句を並べていながら、裏では自分の性格や才能のことを迷惑そうにしているのだ。

 この辺りからだった。瑞穂は極度に男嫌いになり、周囲を憚らず、自ら縁談を断るようになった。時には自分に相応しいかどうか、縁談相手に能力を見せろと言いだした。

 それが噂として広がり、いつしか、「四天寺瑞穂は自分より強い男性としか付き合わない」、「四天寺瑞穂に勝てば結婚できる」というものになっていった。

 これには瑞穂も驚いたが、放っておいた。好きに言えばいい、と。

 でも瑞穂は分かってはいた。

 それでもいつかは……縁談を受け入れなければならないと。


 ところが……そんな瑞穂にとんでもないことが起きた。


 瑞穂は出会ってしまったのだ。

 これらの瑞穂の経験、心の壁、異性に対する不信感、そして、自分自身を見てくれるはずもないという絶望を打ち破る少年に。

 そして、今、その少年はこんな恋愛観しかない自分のために、自分の将来の伴侶を自由に決められるというちっぽけなことを守るためだけに、体を張って、ここにきているではないか。

 瑞穂は熱い視線で、三人の敵を自分に誘う祐人を見つめる。


(私は祐人が……ううん、これで祐人を好きにならなかったら、誰を好きになるっていうのよ。あなたが私の自由恋愛を勝ち取ってくれるというのなら、私は思い切りそれを行使させてもらうわ! 待ってなさい、祐人。私は自分の好きな人に守られているだけの、待っているだけの女じゃないの。あなたが戦うのなら、私も戦う。一人で戦わせなんかしないから!)


 瑞穂は決意の、それでいて晴々とした表情をみせて顔を朱音に向けた。


「お母さん、私は行くわ! 止めても無駄……」


「あ! 瑞穂、そういえば孝明から連絡があったのを忘れていたわ!」


「……え?」


 朱音が突然、思い出した! というように和服の裾から小さな紙を取り出して広げる。


「ああ、ごめんなさい、こんな緊迫した状況になるとは思わなくて、お母さんついつい忘れていたわ……えーと、瑞穂様を婿殿の援護に出されるのはいかがでしょうか? ですって。どうする? 瑞穂」


「ちょっと! なによそれ! いつ受け取ったのよ!」


「えーと、祐人さんが広場に来たあたりかしら」


 瑞穂はこの上なく引き攣った顔で朱音の持つ紙を乱暴にひったくり、紙に書かれている内容を読む。

 朱音は「あらあら」と小首を傾げて、こちらを見つめる顔に怒り浸透だったが、祐人に襲撃者が一斉に仕掛けたのを見ると紙を放り投げて重鎮席から飛び出して行った。

 瑞穂がいなくなった重鎮席は一瞬、静寂に包まれる。


「朱音様、よろしかったので?」


 早雲が静かに苦笑いを浮かべながら朱音に言うと、朱音はニッコリ笑う。


「いいのです。ようやく、最後の最後で煮え切らなかった、あの子があんな表情を見せたのです。ここで行かせなければ女がすたるというものです」


「ふふふ……お嬢。幸せになってくだされ」


 横で感極まった左馬之助が涙を流すと朱音は呆れたような顔をした。


「もう……まだ、早いわよ、左馬之助は。でも、あとは祐人さんを頷かせるだけよ。ライバルは多いんですから」


「ははは! それでは何も始まっていないではないですか! 朱音様」


 早雲が思わず噴き出して笑う。


「何を言っているの? 四天寺の総力を挙げてうちの婿に迎えるのよ。決して、逃しません。これは四天寺家の決定事項です。分かっているわね、二人とも」


「もちろんです」


「もちろんですぞ。我らが一族も数度、救われています。婿殿は爺も決して逃しませんぞ!」


「さてさて、状況を見て、私たちもでますよ! 二人の門出を邪魔する不逞の輩はここで叩きのめします。私も久しぶりに舞います。準備を」


 朱音がそう言い立ち上がると、左馬之助、早雲は目を大きく広げ深々と頭を下げた。


「承知いたしました!」




―――――――――――――――――――

更新、お待たせですー。

4章も終盤に差し掛かりました。

書籍化作業も初稿をあげましたので、書籍としての発売までスピードが上がります。

イラストレーター様ももうすぐ解禁になると思いますので、お待ちください。

もうねえ、感動の絵でした。マリオンが可愛い。

何人かの方から質問がありましたので、お答えしますが、書籍は一章からです。

それともう一度前にも言いましたが、序盤が結構、改稿しています。新しい場面がたくさんありますし、Web版ではあまり出てこなかったキャラも出てきたり、こなかったり……この辺は是非本で確かめてください。

え?

更新頑張れ?

さらばだ!

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