第36話エピローグ

 

 瑞穂とマリオンは搬送された病院のベッドで、ほぼ同時に目を覚ました。


 瑞穂とマリオンが病院に搬送された際に、機関側からの配慮で一般の患者と隔離するため、広い一人用の個室にベッドを二つ置いたのだ。

 それで少しだけ狭い二人部屋となっている。


「ここは……あ、明良……?」


 瑞穂のベッドの横には、いつものスーツ姿の明良が座っていた。


「瑞穂様! お目覚めになりましたか!」


 安堵と喜びで明良らしからぬ、大きな声を上げる。

 瑞穂は明良の声に反応するようにゆっくり体を起こしつつ、軽く頭を振った。


「まったく! 今回は驚きましたよ。まさか私達に何も言わずに、マリオンさんと二人で吸血鬼に立ち向かうなんて……こんなことはもう二度と勘弁して下さい」


 明良は、かなり深刻な顔で説教をしてくる。

 瑞穂は、まだ起きたばかりなのと頭重感で、うまく明良の言葉が入ってこない。

 瑞穂は片手で頭を抑えながら、隣のマリオンのベッドを見るとマリオンも自分と同じく、上半身を起こしたばかりで頭を抑えている。

 少しずつ意識が明瞭になってくると瑞穂はハッとした。


「ノスフェラクは! 吸血鬼はどうなったの!?」


 瑞穂は食いつくように明良に問いかける。


「え? 何を言っているんですか……? 瑞穂様とマリオンさんとで食い止めて、最後は黄家の英雄君が倒したと聞いていますよ。……覚えてないんですか?」


「え? 何? それは本当? そういえば、ここは?」


「ここは病院です。瑞穂様達は丸一日、意識が無かったんですよ。それと今の話ですが、英雄君本人からの話ですから、本当だと思いますが……違うんですか?」


「本人って……あいつがそう言っていたの?」


 瑞穂は違和感を覚える。

 それは……何か整合性の取れていないパズルの解答を聞かされた気分に近い。

 丸一日、寝ていたことにも驚いたが、今はそれよりも、明良の話の違和感の方が大きかった。

 瑞穂は自然とマリオンと目が合うと、マリオンは額を片手で抑えながら顔を横に振った。


「私も……うまく、思い出せないです。ただ……何でしょうか? この感じは……」


 どうやら、マリオンも自分と同じ感覚のようだと分かる。

 そして、瑞穂は、何故だかそれは至極当然のことだとも思う。


 理由は分からないのだが……。


「明良。詳しくその話を聞かせて頂戴……」


「え? は、はい」


 明良の英雄から聞いた話だとこうだ。


 能力者機関主催の新人試験懇親パーティーに突然、ヨーロッパで能力者ばかりを襲い、機関を騒がした吸血鬼(ノスフェラク)が乱入。

 すぐに英雄がそれに気付いて迎撃。日紗枝が途中から参戦して、英雄と一緒に吸血鬼を抑え、その間に混乱した会場を収拾する。

 その後、日紗枝は受験者を引率し、そして英雄と瑞穂、マリオンが最後まで残り、吸血鬼を牽制し全員を逃がした。


 そして、うまく英雄が吸血鬼に重症を負わせて、瑞穂とマリオン、英雄も脱出。

 一端、外に逃げたが、瑞穂とマリオンがもう一度、ホテルに引き返したのを見て、危険だと思い英雄も後を追いかけた。

 現場に着くと、英雄はすでに倒れている瑞穂とマリオンを発見し、間一髪で吸血鬼から二人を救出。

 そして英雄が、すでに瑞穂とマリオンによって手負いの状態となっている吸血鬼と戦闘状態に入り、最終的に勝利をして、止めを刺した……というものだった。


「実際、英雄君が日紗枝さんに言って、病院への連絡等までしてくれたそうです。まあ、大した少年だったんですね。さすがは黄家の嫡男といったところですか……」


「…………」


 瑞穂もマリオンも黙って聞いている。記憶の曖昧なところが、確かに埋められていた。

 その二人の表情に、明良が心配そうな顔になり補足する。


「恐らく……瑞穂様の記憶が曖昧なのも、あの吸血鬼が能力者から奪った能力の一つ【イクイヴォーカル】の所為かも知れません。この能力は、対象の混乱を目的にした能力で、物事を全てにおいて決めない、決定させないというものです。つまり、相手に判断をさせません。人間、判断の無い何気ない行動は記憶には無いものです。干渉を受けている可能性がありますね」


 瑞穂とマリオンは考え込むように聞いている。


「……なるほどね」


「…………」


 瑞穂とマリオンは、何とか理解できるレベルまで落ち着けてきた。

 すると明良は微妙な表情でちょっと笑う。


「で、その英雄君から、お食事の誘いが瑞穂様に来ていますが……」


「な、何で私が! あんな奴と!」


「あんな奴と言われても、命の恩人ですからねぇ。まあ、目的は食事だけでは無いでしょうけど……断りますか?」


「くっ!」


 瑞穂は目一杯、嫌な顔をするが、無下にも断れないのは分かっている。

 我儘のように見えて、彼女自身の礼節を重んじる性格からもそれは出来ない。


「ふう……分かったわ。それは受けると伝えて。命の恩人ですものね」


「分かりました。そう伝えておきます。まあ、今日一杯はここで休んでいて下さい」


 既に2人は、病院に搬送された際に、体に異常はないと診断されていた。後は意識を取り戻して問題がなければ、退院となっていた。

 明良は立ち上がると、マリオンにも挨拶をして退出した。


 不機嫌そうにしている瑞穂とマリオンとの間に、しばしの沈黙の時間が流れる。

 すると、考え込むようにしていたマリオンが口を開いた。


「瑞穂さん……。さっきの話ですけど……本当なのでしょうか? いえ、本当なのでしょうけど……何か大事なことを、とても大切なことを見落としているような……」


 そう言うとマリオンは、まだ意識が明瞭ではないのか、頭を軽く振る。


「ああ、ごめんなさい、変なことを言って。……失礼ですよね。命の恩人の英雄さんにも」


「……ううん、いいのよ。ただ、確かに吸血鬼相手に生還出来るメンバーと言えば、Aランクの私達ぐらいなのも、当然と言えば当然だし……」


 変なことを言っているな、と瑞穂自身は思う。

 これではまるで、自分に言い聞かせるように言っているみたいだと感じる。

 それは、曖昧な記憶のむず痒さから逃れるような発言だった。


 だが、どうしようもないほどの言い知れぬ違和感を拭い去ることは出来ない。

 それは……それはまるで、親友や肉親を裏切るような嫌悪感に近いものだった。

 重い空気の中、明良がまた病室に戻ってきた。瑞穂は戻ってきた明良に怪訝そうな顔をする。


「……何? 明良。忘れ物か何か?」


「実はそうなんです。はい、これを瑞穂様に渡すのを忘れていました」


 明良は胸ポケットから請求書と書かれた紙を瑞穂に渡す。


「何よ、これ?」


「ホテルでの貸衣装の請求書です。また、ホテルから、衣装の返却がされていないと言ってきていまして……」


「私、貸衣装なんて頼んでないわよ……。ん? いや、頼んだかしら……?」


 何となくそんな記憶もあるような……と瑞穂は考え込む。

 明良も不思議そうにというより、困ったような表情になった。


「実は、私も借りにいった覚えは何となくあるんですよね。ただ、何で借りたのか思い出せないんです。しかもこれ、男物の衣装なんですよね」


「やっぱりこんなの……知らないわよ。誰かが借りたんじゃないの?」


「私も最初はそう思ったんですが、その場合は請求先を四天寺家にしているはずです。でも、これは瑞穂様の名前で借りているんですよ……」


「……誰か勝手に私の名前を使ったんじゃないでしょうね」


「そんな恐ろしいこと、私達がするわけがありませんよ。貸衣装で命を掛ける者は、四天寺家の従者には一人もいません。瑞穂様に渡せば、分かるかなと思って持って来たんです」


「その物言いは引っ掛かるけど……確かにそうね。うーん? でも借りたような……」


 横でその話を聞いていたマリオンが、ハッと顔を上げて瑞穂の方に顔を向ける。

 そのマリオンの反応に瑞穂は気付いて、マリオンを見る。


「何? マリオン。何か知っているの?」


「あ……いえ……ごめんなさい、分からないです」


 マリオンは目を伏せて、黙ってしまう……が、マリオンは俯きかけた顔をもう一度上げる。

 マリオンが、何か思い出したのかという期待もあって、瑞穂と明良はマリオンを見つめたまま黙っている。

 だが、マリオンからの話は、期待外れというより、余計に混乱するような内容だった。


「変な事を言うみたいですけど……この曖昧な記憶は、必ず戻ると思います。いえ、絶対に思い出してみせる! と思うんです」


「…………」


「そして、瑞穂さんも、きっとそうでなくちゃいけない、そうとも思うんです」


 マリオンにしては珍しく語気が強く、瑞穂も明良も神妙な顔をする。


「あ……ごめんなさい。訳の分からないことを言って。自分でもおかしなことを言っていると分かっているんですが……」


 またしばらく沈黙が続く。

 明良も黙っているのは、明良の中にも不明瞭な違和感があるからなのかもしれない。

 しかし、用事があるのか、明良は再び席を立ち「また来ます」と言って出て行った。


 明良が開けていったのだろう窓から、春の心地よい風が病室の中に入ってきて、窓の外に瑞穂は顔を向けた。

 抜けるような青空の下、病室からは病院敷地内にある、大きな木々が目に入る。

 その窓の外をしばらく眺めていると、瑞穂は口を開いた。


「マリオン……」


「あ、はい」


「私も変な事を言うようだけど、さっきのあなたが言った話のこと……」


「…………」


「もしね、もし……この曖昧な記憶を完全に思い出したら、私はきっと、あなたと戦うことになるような気がするわ」


 マリオンは驚くような顔をする。

 瑞穂は、ハッとした様に慌てて、マリオンに顔を向けた。


「あ! いや、違うの。本当に戦うんじゃなくて。何て言うか、本当のライバルになるというか……。あはは、御免なさいね、私の方が、もっとおかしなことを言っているわね」


 恥ずかしげに慌てるような瑞穂の態度に対して、真剣な顔でマリオンはその言葉を聞く。

 マリオンは、その瑞穂の言葉を反芻するように自分の胸に手を当てた。


「いえ……。今、瑞穂さんにそう言われてみて、私もきっとそうなると確信しました……」


「え……?」


 瑞穂とマリオンは、お互いに目を合わせる。そこには二人自身にも不思議で、何ともいえない緊張感が漂った。何か女として絶対譲れないものを取り合っている仲のように。

 そして、ふと二人の息が合い、同時に二人は力が抜けるように、お互いに少女らしからぬ大人びた微笑をする。

 その直後、その落ち着いた空気を壊すように、瑞穂が腹の底から震えるように声を出す。


「それともう一つ……」


「な、何ですか?」


 妙に迫力のある声に、マリオンは気圧される。


「何故か今、私は物凄く腹が立っているのよ! 何に対してこんなに腹が立っているのかは、正直分からないんだけど。早く全部思い出して、この不明瞭な怒りを全身全霊で解消したいのよね! ……何故かしら?」


「あ、私もです! 私も怒っています!」


 間髪いれずに、普段、お淑やかなマリオンが叫んだ。両手を前に出し拳を作っている。

 今度は瑞穂が驚くような顔になる。


「私もこの不明瞭な記憶が戻ったら……全身全霊で、この怒りを解消します!」


 いつもは大人しそうなだけに、瑞穂はたじろぎながらマリオンを凝視する。



 そして……。



 自然と二人は再び目を合わせ、心が通い合ったようにニッコリ笑い合うのだった。

 この時、ある少年が得体の知れない怖気を感じているとも知らないままに。


 数分後、明良と一緒に、瑞穂の実父である四天寺毅成が乱入して、


「瑞穂ぉ! 無事かー!?」


 と泣いて大暴れするのを、瑞穂が容赦なく叩きのめし、病院の婦長に親子共々大いに説教を受けるのであった。



※※※※※※※※※※※※※※※※


第一章完結になります。ここまで読んで頂きました方々、本当にありがとうございました。

フォロー力になります。

と言いつつも、皆様が楽しんで頂けているのか

作者は不安であります……。


是非、ご感想を頂けると本当にありがたいです。

それを支えに生きていきますm(_ _)m

また、コミカライズ1巻が発売しております。

原作とは違った雰囲気で進んでいきますので、そちらも是非、チェックしてくださいね^_^

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