第32話 堂杜祐人②
が……その攻撃は来ない。
瑞穂とマリオンは恐る恐る振り返ると、自分達の首の直前にガストンの凶々しい爪が止まっているのを見て息を飲んだ。
二人は視線をその眼前の爪から上へ上げるとそのガストンの背後から祐人がガストンの両手を押えている。
ガストンは背後の祐人に目をやり、「むう!」と呻きながら怒りを露にした。
「この腐れ小僧! まだ、壊れてなかったのか!」
ガストンは力任せに祐人の腕を取り、ハンマー投げの要領で祐人を壁に放り投げた。祐人は受身を取れず、凄まじい轟音と一緒にホテルの壁が倒壊する。
その間に我に返った瑞穂、マリオンはガストンから飛び退き距離をとった。
そして命の恩人の状況が気になり駆け寄りたいが、ガストンがその中間にいて近寄れない。
ガストンは怒りの表情を消し、祐人に向かい、にまぁ、と笑う。
「おーいおい、少年君~。この二人を助けたら……自分の今までの罪が消えるとでも思っているのかい?」
倒壊した壁の下にいた祐人は壁を押し退け、額から血を流し、片膝を着きながら祐人は無言でガストンを正視する。
何とか祐人の無事が確認できて瑞穂とマリオンはホッとするが、祐人の顔面が大量の血で塗れている姿に驚いた。
「堂杜祐人! 大丈夫なの!?」
「祐人さん! 動けるんですか!?」
二人は反射的に祐人に駆け寄ろうとするがガストンからの鋭い眼光を受け、体が固まってしまう。
ガストンはそれを確認して鼻を軽く鳴らし瑞穂とマリオンに背を向けて祐人に対峙する。
ガストンは大仰に両手を広げて胸を反らした。
「言っておくがね、少年君。君のその罪はね……」
そう言うと一拍置く。そして、強い眼光で祐人を睨みつけた。
「消えるわけ無いだろう! 一生! ……分かっているんだろう? 今まで君が失ったものは不幸にも失ったものではないんだよ! これはまさに! お前の責任だよ! お前が殺したんだ! お前が!」
それまで無表情だった祐人の両膝が折れる。
「今のお前はなぁ、お前のせいで死んだ人間共の上に成り立っているんだよ! 分かるか小僧! お前は愛した人を殺し、友人を殺した挙句にその生を貪っているんだ! ハーハッハー! とーんだ奴なんだよ、お前という人間は!」
「ああ……あ……」
祐人は涙を流し、目は焦点が合わない。
祐人は震えながらその場で力無く正座をするような姿勢であらぬ上方に顔を向けた。
瑞穂とマリオンはただ、祐人の崩れていく……壊れていく……その姿を見ていることしかできない。
ガストンは満足そうに、そして安堵したように口元を歪めて自分の前髪をいじる。
(ククク……ようやく完全に壊れたな。ああ、待っていたよ、その表情……最高だよ)
実のところサトリ能力といっても万能ではない。
その場の強い意識や感情というのはサトリ能力者には感知しやすい。
しかし、その本人の心の奥までを見るのにはある程度の条件が必要になる。
具体的には本人が心を開くような信頼関係を築くか、または時間をかけて完全に心の壁を削り取るかだ。
今、ガストンはそのサトリ能力での祐人の心や記憶を垣間見てはいるが、全てが見えているわけではない。
今までの投げかける会話も心の中にある過去の強い罪の意識や絶望感の断片から想像をして話をしている。
つまり具体的に何があったのかというのは分かっていない。
しかし、ガストンはそれを巧に全てを分かったように話す。
抽象的にしか話をしていないが、話し方によっては言われた本人は鮮明にその場面を勝手に思い出してしまう。
それだけで充分に相手の心を乱すに足る破壊力を持つことをガストンは知っていた。
また、それに加えてガストンはポジショニングの能力で相対している人間の最も近しい人物、もしくはその内容を一番言われたくない人物に成り代わっているように錯覚させる。
その力は本来、ガストンを目の前で認識していればそこまで強くは発揮しないが影響は受ける。
しかも、サトリ能力で心をかき乱された状態ではガストンを目前にしてもその影響は大きかった。
つまり、ガストンによってこのサトリ能力とポジショニング能力は最悪の意味で互いに力を発揮するようになっていた。
「あれぇ? そんなに落ち込むことは無いよ? どうせ皆、死ぬんだ……。だからさあ~、君達も僕に血を吸われなよ。そうすれば君達の能力は僕の中に入ってくる」
ガストンは高揚し、悦に入った顔で大きく手を広げ、そして自分自身を抱きしめる。
「それは言うなれば! ……君たちは僕の中で生きていける……ということなんだよ? ……永遠にね」
力なく上方を見ていた祐人の目が大きく開いた。
ガストンは自らの語りに酔いながらに視線をもう祐人から外している。
壊れたであろう祐人をそのままに、先にお前らだと言わんばかりに瑞穂とマリオンに体を向けて不気味な笑みと長い牙を露にさせた。
「ク!」
瑞穂とマリオンはガストンが攻撃態勢に入ると予測して新たに霊力を練り始める。
だが、ガストンから出る醜悪な魔力のうねりを感じ、体から戦闘意欲が失われていき、瑞穂とマリオンは後退さった。
今、試験最高成績を修めた才女達の顔には既に凛々しさや力強さの欠片も無い。
瑞穂とマリオンは敵を前にして戦意喪失直前に追い込まれ、構えるその腕も弱々しい。
(もう……駄目なの? 体が動かない。こんな所でこんな奴に殺されて……え?)
その瑞穂、マリオンの二人の視界の先に……ガストン越しに……祐人が見える。
ゆらり……と祐人は立ち上がった。
瑞穂とマリオンはその祐人に目が吸い込まれるように引き付けられる。
「な……」
「あぁあ……」
途端に瑞穂とマリオンの体が勝手に震えだす。その目はもはやガストンなどをまったく捉えていない。
瑞穂とマリオンはもう足にすら力が入らず……腰が抜けるようにその場に尻餅を着いた。
そして二人の体が腰を引きずるように後退していく。
今、瑞穂とマリオンの感じているもの……。
それは……紛れもない恐怖。
得体の知れない……抗う気にもなれない、瑞穂とマリオンが初めて感じる根源的な恐怖だった。
(あれは何なの? 嫌だ……怖い! ……見たくない)
ガストンは二人の異変とその視線の先に気付き、振り返り様にその場から飛び去り、この異変の原因であろう祐人を確認する。
そして立ち上がった祐人の変容していく姿に激しい混乱に陥った。
「な、何だ! これは……。貴様、それは何だ! グカ! これは……」
だが、そのガストンの混乱の理由は今の祐人の姿の変貌ぶりだけではなかった。
それもそうだが、それよりも祐人の中から今までにないくらいの膨大な量の明瞭な映像がガストンの中へ無遠慮に入ってくるのだ。
何故か今の祐人の心は普通ではありえない程に……完全な裸の状態。
その映像には祐人の最近の学校の出来事から始まり、祐人と関わった人達のものから様々な記憶が入り混じっている。そして、祐人が今、友人と言える三人。茉莉、一悟、静香。
また、それを今の祐人がとても大切にしているのがガストンには分かる。
加えて、今そこにいる瑞穂やマリオンに対し何か期待をするような感情。それは祐人という人間と今後とも繋がり合う期待……いや願いのような感覚をガストンは覚える。
そして……たった今……ガストンの中に入ってくる。
祐人がそれら大切なものや期待を……諦めるような感覚が。祐人の心を強く覆いだす孤独が。
ガストンは激しい頭痛に襲われる。そのすり潰されそうな痛みにガストンは体全体を軟体動物の様にクネクネと身悶えさせた。
次にガストンの中に入ってきた祐人の中の、その奥の奥。だが、今の祐人を構成する大きな経験と記憶がガストンに突きつけられた。
「ギギィ、な、何だ! これは何なのだ? この映像は! これは……一体。お前、何と……何と戦っている? これは何処だ? は……ここ? 品川? ウイヤギャ!」
ガストンは頭にこの千五百年間に経験したことのない激痛が走る。
まるでそれは祐人の記憶から映像と共にその時の衝撃までも入ってくる様だった。ガストンには見える……この少年のその膨大な戦闘記録が。
いや、正確に言えばそれを強制的に経験させられた。
そこは一年前の品川駅周辺での魔王との戦闘記録。凄まじい力のぶつかり合いで巨大な高層ビルの屋上を破壊した祐人の一撃をガストンは見た。その祐人の一撃にギリギリまで祐人をフォローした母親が巻き込まれる映像も入ってくる。
そして目まぐるしく場面が移行しガストンに脳が焼け切れそうな痛みが再び走る。
「はう! ハアハア、ハッ。ここは! おお、お前……何なのだ? お前は何なのだ? お前の家は堂杜……洞守? この洞窟の先は……お前、そこは……まさか! や、止めろ! 止めろぉー!」
ガストンは頭を抱え、瞳孔が開きながらゆらゆらと前後左右に辺りを歩きだす。
ガストンのこの異常異質な光景に腰が抜けている瑞穂とマリオンは眺めていることしか出来なかった。
今……ガストンは見知らぬ場所にいた。
いや、ここが何処だか……もう分かっているのだが、何故ここなのか理解が出来ないのだ。
そのガストンの目の前に祐人と風変りだが気品のある出立ちの少女が立っている。
あたりは夕日に包まれて、その中世の王宮を思わせる中庭に祐人と少女はいた。
その祐人の前に立っている少女は祐人よりも僅かに濃い藍色の髪を揺らし祐人に話しかける。
「祐人……。また……あの力を使うの?」
「……うん。多分……そうなると思う」
少女はもう否定しない。
「分かった! どんどん使いなさい!」
祐人は呆気にとられるような顔になる。
「だって私だけは絶対にあなたを忘れることがありえないもの! え? あ、ちょっと!」
祐人は話の途中でその少女をきつく抱きしめたのだ。
その会話の意味を正確に理解したガストン。
「これは……お前……。馬鹿な、何てことを! 力の代償が、触媒が……人からの関心を……認知を。そんな事をすれば……そんなことをすれば、生きながらにして存在を失うぞ!」
祐人は走っている。そしてその深い森の奥の惨状を見た。
そこには先程の藍色の髪の少女と数名の男達が倒れている。
それらの顔にもう生気は無かった……。
祐人は彷徨うように、それぞれの倒れている男達の前に行き、力無く震えその顔を確認する。
「……。な、何で……? ……あぁああ」
ガストンには良く聞こえてこなかったが、どうやら祐人はそれぞれの亡骸の前で名前を一人一人に呼びかけているようだった。
祐人からくるその記憶からはそれぞれが掛け替えの無い戦友だったことを伝えてくる。
そして……
祐人は最後に藍色の髪の少女の前に立つ。
祐人は膝から力が抜けるように、その場に倒れている少女の前に跪いた……。
震えた手でゆっくりと確かめるように少女の頬に触れる。
「あ……ああ……ああああ!」
祐人は少女の状態を悟り、激しく抱き上げた。
その時だった。
そこに……ガストンにすら、おぞましいと思える声が頭に響く。
「何を泣く? 君のせいだろ? 君が私に止めを刺さないから……。大丈夫、彼らの魂は私の中にいるよ、その少女も……。ずっと私のために働いてくれるんだその魂の力でね」
ガストンはそのおぞましい声の主が、嘲笑うかの様に喉を鳴らしたように感じた。
「つまり、こいつらは……私の中で生きているんだよ……否が応でもね。まあ……少々苦しいかもしれないがね、ククク」
「貴様ぁぁぁ!」
祐人は凄まじい仙闘氣を吹き上げて立ち上がる。
そして同時に、そこに収まる筈の無い長袖シャツの両袖の中から落ちてくるように白と黒の色の異なる二刀の刀が出現し、その柄を祐人は素早く掴む。
「無駄だよ。もう私はそこにいない。でも、心配しなくていいよ。私はね、また……すぐに君に会いにくるから……」
祐人はあの少女の言っていた能力を発動しながら辺りを最大限に索敵する。
しかし、相手が感知できない。その間にもそのおぞましい声は頭に響いてくる。
「何故ならね……まだ気が済んでいないんだよ。わが主を倒し、この世界の均衡を貴様は壊したんだ。この程度で……全然足りる訳が無いだろう」
「はあぁ!」
祐人は狂ったように、手当たり次第に刀を振るった。
その振るった切っ先から真空の刃が生まれ、近くの巨木が次々に薙ぎ倒される。
横に立たされているガストンは、その祐人の放つ真空の刃には強烈な浄化の力が乗っていることが分かる。
それも祐人の中の記憶から、それは霊剣師の家系、堂杜家に伝わる奥義であることを知った。普段は使えないその能力も封印を解き、この状態になると使えるらしい。
(は? 封印だと!?)
「では……また会える日を楽しみにしているよ。私の中にいる、この人間達も君に会いたいだろうしね……」
そのおぞましい声は常に一方的に話をし、そして一方的にその気配を消した。
「待てぇぇー! はあああああ! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! 畜生! はあああああああああああ! ち……くしょう!」
抜け殻になった少女を抱きしめ、祐人はなりふり構わず叫び散らし大粒の涙を流す。
その後……ガストンはその場所に蹲る祐人と共に丸二日間を過ごした。
やがて祐人の仲間らしき騎士団が物々しく現れる。
そこで初めて祐人は立ち上がったのだった。
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