第15話 A子のネックレス

 T輔が二階のカフェコーナーに降りると、A子が二人掛けのテーブル席でお茶していた。

 正確には、絡まったネックレスをほどこうと、悪戦苦闘していた。


「ごめん、遅くなった。仕事抜けてくるの大変やってんぞ」

 T輔はA子の向かいに座った。

「あー来てくれた! もう不安で不安で! 手術の前にちょっとだけ顔が見たかったの、ワガママ言ってゴメン!」

「ほんでお前、なんで、急に病院変わってん?」

「えー、それがさ、市民病院の先生が盲腸だかで倒れちゃったらしくて、急きょ、ここを紹介してくれたのー」

「そうか……。」

「あれ、なんか都合悪かった? ここの病院ヤバイの?」

「ヤバイな。」

「へ? どういうこと?」

「ここの医者、もっすごいヤブらしいで」

「えっ、まじで?! で、でも、今更キャンセルとかできるのかな?」

 A子は、泣きそうな顔をして、少しずつほどけかけていたネックレスを、ぐちゃっと握りしめていた。


「くっくっくっ、冗談やがな、お前オモロすぎ」

「……なーんだもう、やめてよぉー、また絡まっちゃったじゃない」

「俺のおかげで緊張ほぐれたやろ?」

「もう、他にも何かほぐす方法あるでしょ! 余計に不安になるってば」

「……」

 へらへらと笑っていたはずのT輔の表情が突然、凍りついた。

「T輔、どうかした?」

「あ、いや……」

「……T輔?」

「ちょっ、トイレ行ってくるわ」

 T輔があわてて立ち上がったとき、彼の視線の先にいたのは、パジャマ姿の女だった。

「アンタ……何してんの……?」

 パジャマ姿の女がT輔に言った。

「ちょ、お前こそ何でこんなとこまで来るねん」

「ケータイ忘れれてたから持ってきてあげた」

 T輔と女はA子をはさむ形で立ったまま睨み合っている。

 

「な、何これ、このヒト、誰なのよ?」

 A子は震える声でT輔に聞いた。

 T輔が口を開く前に、パジャマ姿の女が答えた。

「私はT輔の妻よ。アンタこそ誰?」

「は……?」


 T輔は、スマン、という顔をA子に向けてから、

「R菜、この人はうちの会社の中川さんいうて、うちの課を代表してお祝い持ってきてくれたんやで」


 A子が椅子に座ったままキョトンとしていると、

 「へーえ、産後のバタバタなときに、会社の人がわざわざ病院まで来てくれるって、なんかオカシイなと思ってたけど、ふーん、そういうこと。随分仲が良さそうだけど。」

 T輔の妻、R菜の顔が険しい。


「何言うてんねん、オマエ何か勘違いしてへんか」

「は?そんな下手な芝居が通用すると思ってんの?……し、信じらんないわ! 人が大変な思いしてるときに……アンタなにやってくれてんの? サイッテー!」

 R菜がヒートアップしていく。


「だから違うって……!」


 A子は、ようやく状況を理解し始めていた。

「T輔……奥さんいたの……?!(しかも、子供もいるの……?!)」


 T輔は申し訳なさそうに

「ごめん!」

と謝ったが、A子が受け入れられる筈もなく、わなわなと震えてくるのを止められなかった。


 そこへR菜が留めの一言を放った。

「あんた自分の立場わかってんの? かまととぶってんじゃないわよ! 不倫よ! フ、リ、ン、」


 A子は事の重大さにやっと気がついたように、

「ふ、不倫?!」

と叫んで立ち上がった。


 そのとき、椅子がガターンと倒れたうえに、A子の手の中にあったネックレスが、はずみでぴょーんと飛び出した。


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