第14話 A子の対極

 名声会W総合病院 南館五階

 年中生暖かい温度に管理されている。

 時おり、赤ん坊の泣き声が廊下にもれてくる。

 他の病棟と大きく異なる一点。

 それは、ここが、新しい命の産まれる場所だということ。


 産科病棟五〇八号室。


 ここにも、出産という人生のビッグイベントをひとつ終えた、幸せ真っ盛りの家族がいた。


「あ、そっちじゃないよ、テープのついてる方をお尻にあてるのよ」

「え?こっち?」

「あぎゃー、あぎゃー、あぎゃー、」

「じゃなくてぇー、こうだよ、こうやってこれをこうするの!」

「あー、そういうことか、おっしゃ、まかしとけ! パパがオムチュ変えてあげまチュよ〜」

「あぎゃー、あぎゃー、あぎゃー、あぎゃー」

「おむつできた? じゃ、お腹空いてるみたいだから、おっぱいあげてみるわ。」

「お、ママがおっぱいくれまちゅよ〜」

「あぎゃー、あぎゃー、う、うぐうぐ」

「ふー、静かになった(笑)保育器から出てきて、やっと直接おっぱいあげれるようになったんだよー、ホント感激〜」

「そやな、ほんまに、こいつもおまえも、よう頑張ったな」

「んぐんぐ、んぐんぐ」

「なーにいってんのよ、大変なのはこれからよぉ」

「そうかー、退院してからが本番やもんな、俺もできる限りのことは手伝うわ」

「それと、ひまな独身男も、いるしね。」

「おいおい、R菜、オマエ弟くんになんやらかんやら頼みすぎちゃうか?」

「んぐんぐ、んぐんぐ」

「そんなことないよぉ。時間と金を持て余してるんだから。そういや、今日この子見に来るかもって言ってたわ。」

「え、まじで? 確かこないだ電話したとき、大きな契約とるってはりきってたな。」

「へーそうなんだ。」

「んぐんぐ、んぐ、ん、ぐ………んぐんぐ」

「ふふふ、いまちょっとウトウトした! もーほんっっっと、可愛いね、いくらでも見てられる」

「せやな、子供ってこんなにかわいいもんやねんなぁ……見てみて、この手! ちっこいなぁ〜食べてやるっ」

「やだ、お手手が べたべたになるよ。あ、そう言えば会社の人が来てくれてるんじゃなかったの? 時間大丈夫なの?」

「え? ああ、せやな、ちょっと二階の喫茶店見てくるわ」

「カフェコーナーね。」


 新しい家族を迎え、この男は今まさに、幸せ真っ盛り!……のはずだった。

 しかし今、彼の心中は、察するに余りあるほど穏やかではなかった。産科病棟を出て、本館への渡り廊下を歩くT輔の顔色は、もはや青ざめていた。


 やばい。やばすぎる。

 なんでこんな状況になったんや?

 あいつ、自分ちの近所の市民病院で痔の手術する言うてたんやんけ。

 なんで急に嫁と同じ病院やねん!

 どないしよ、絶対にばれたらあかん。

 いやほんまに、やばいって。

 とにかく、怪しまれへんように、いつもどおりにしとこ。

 

 え? いつもどおりって、どんなんや?


 右手右足を同時に出してしまいそうなほど情緒不安定なままで、T輔はエレベーターへ乗り込んだ。





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